恋愛・夫婦の心理学

云いたいことすら云えずに終わる失恋パターンとその処方箋。

伝えたい気持ちも云えないこと自体がとても切ないこと

「ちゃんと気持ちを完了することができずに終わった恋」ほど、引きずりやすいものかもしれません。

実際、このようなご相談はいただきますし、時にはあまりに辛い別れだったから自分を見失ってしまって、困っているというお話も少なくないんです。

今、ご飯が喉を通らなかったり、仕事をしていても上の空になってしまったり。

胸のあたりがギューッと締め付けられるような感じがしたり、眠れなかったり、頭がぼーっとしていたり。

誰かを好きになることはとても素晴らしいことですが、だからこそ別れを迎えると痛みを感じるものだから、その心は痛みを感じないように頑張るわけですよ。

ただ、その別れのショックや後悔が強い分だけ、なかなか自分らしくいられなくなるものですよね。もう思いだすのは別れた人のことばかり、なんてことも普通に起きることで。

それこそ自分の扱い方にとても困ってしまう感じですけれど。

 

云いたいことも伝えられず終わった関係

一つの失恋、別れを迎えるときに「自分なりにやりきった」という感覚があるなら、まだ(時間がかかったとしても)前向きな気持ちになりやすいものなんです。

自分から気持ちを伝えて、愛情を伝えて、ちゃんと向き合っていたならば、「やるべきことをした」という感覚を得ることができるので、確かに別れは痛いけど、自分を認めることができるので、起きた出来事を自分の中で消化しやすくなります。

ただ、別れのシーンって、ちゃんと伝えたい気持ちを伝えられているわけではないことも少なくないもの、かもしれませんね。

むしろ、別れたくないから、自分の気持ちを偽っていたり、本当に云いたいことを隠して関係を維持しようとすることのほうが多くないですか?

お互いに腹を割って、といいますか、お腹の底まで見せあって気持ちを分かち合う勇気ってなかなか持てないものですよね、別れたくないならなおさらに。

別れたくないから、自分の気持ち(辛い気持ちや不安、好きという気持ち)を隠して、相手の気持ちを引き止めるために、ときには本心じゃない言葉を並べていくことってないでしょうか。

そんな「自分は伝えるべき気持ちを隠し、やるべきこともしなかった」別れって、やっぱり引きずりやすいものですし、すごく苦しくなりやすいものなんですよね。

そもそも恋愛中に自分の気持ちを隠している分だけ、どんどん関係は別れの方向に向かうし、別れないように努力しても別れがやってきちゃうことも少なくないようです。

それもこれも「やるべきことをしていない」という罪悪感の影響によるものなんですね。

だから、腫れ物に触るような関係ほど罪悪感を残しやすいし、いいたいことが云えずにいた関係ほどその後が苦しいんです。

自分を認めることもできず、ただ一方的に別れという事実に打ちひしがれることも少なくないんですよね。

なんとも切ない話ですけれど、それほどまでに僕たちにとって「愛する、与える、関わる、伝える」という行為が重要なものだ、ということなんですけどね。

 

自分の気持ちを隠せば、それだけで申し訳なさも感じやすくなる

伝えたい気持ちすら伝えられずにいた別れの何が切ないかって、「自分の気持ちを隠した分だけ、申し訳なさを感じやすくなる」ことにあると僕は思うんです。

なんだか自分が悪い、ダメな気分になりやすいってことですね。

 

例えば、今までうまくいっていた関係だったけど、不穏な雰囲気や別れの予感がやってきて、ついつい相手との距離を今までのように保てなくなってきた、といった場合。

本当は今でも相手のことが好きだから、当然「今の関係を続けたい、もっと愛し合いたいしそばにいたい」と思う。

けれど、そこで感じる気持ちは「別れたくない」だとしたら、その気持ちを伝えれば関係が重くなると思って、云えないでいる人って少なくないんですよね。

すると、自分が別れたくないと感じているものだから、「別れ」を意識しすぎてしまうことになるんですよね。

相手に過剰に気を使ったり、自分が嫌われていないか(相手の愛情はまだあるか)ばかり気にしてしまうようにもなるものです。

が、自分自身の気持ちは「この関係は別れに向かう」と感じていますから、それを望むか望まないかは別にして、「別れ」を信頼しちゃっていることも多いんです。

ここで、云いたいことが云えるならまだいいんですが、云いたいことすら怖くて言えなくなると、もう関わることすら怖くなるし、云いたいことが何なのかすらもわからなくなります。

だから、この時の自分の言いたい気持ちが「私のこと、そんなに好きじゃないんでしょ」だとか、「もういいよ、別れよう」だと認識する人って少なくないようなんです。

それ、本当にいいたいことじゃないと思いながら、そう伝えてしまうことも少なくないものでしょう。

それもこれも自分の気持ちを必死に隠しているがゆえに感じる罪悪感や、本当の気持ちを空いてに伝えて、それでダメだったら・・・という痛みを回避したい気持ちがそうさせるものなんです。

いわば「私はもうこれ以上傷つきたくないし、傷つけない」と感じる心の状態が、自分の気持ちを隠し、いいたいことも云えない状態を作るものなのですよ。

 

云いたいことが云えないほどの心の痛みを癒やすこと

そもそも恋愛だけでなくどんな関係性の中でも、自分の気持ち、いいたいことも云えずにいるって、すごく苦しいですよね。

でも、きっとあなたも言えないぐらい、我慢を重ねたり、傷つくことを恐れる理由があったのかもしれません。

つまり「もう、これ以上傷つけなかった」ということではないでしょうか。

それぐらい踏ん張っていたのも自分ではないでしょうか。

だとしたら、もう自分を否定的に見ることは手放せるといいですよね。

そして、傷つかない私になれるように気持ちを整えていくこともいい選択だと僕は思いますよ。

もし、今が苦しいなら、その気持ちを信頼できる誰かに聞いてもらったり、支えきれない気持ちを人とわかちあいながら、自分の気持ちを整えていく時なのでしょうね。カウンセリングってそのためにあるもの、といえるので。

 

また、恋愛で傷つくな、傷つくことを恐れるな、なんて言葉があります。

その言葉の意味は僕も理解できますし、僕もそうありたいと思います。

ただ、やはり自分が何かしら傷ついていれば、傷つかないこと自体が難しいと感じることもあると思うのです。

そもそも、僕たちが人を好きになり、関わろう、愛そうとすれば、傷つくことだってある。僕たちは頑張れば頑張るほど傷つく傾向がありますから。

 

ただ、自分が無理をしすぎて傷つきすぎてしまう(傷つくことを怖れる)とき、あなたのパートナーは、あなたを傷つける人になっているものです。

だから、パートナーはあなたから距離をおいたり、苦言を呈したり、ときにはもうそばにいられなくなるって、理解できるでしょうか。

きっとあなただって同じではないでしょうか。

私がいると相手が苦しむ現実があるとしたならば、それこそいたたまれない気持ちになると思いませんか?

相手が、あなたにとって大切な人ならなおさらに。

もし、あなたが本当にいいたいことを云えない恋愛を続けてきたなら。

また、自分の気持ちをあまり伝えないことでいい関係を作ろうとしていたなら。

それはあなたが傷つくことを恐れていた、つまり「あなたが何かしら傷ついたままで頑張っていた」ということなのでしょうね。

そして、そんなあなたはきっと「人を傷つけまいと願う人」になっていたのでしょう。

細やかな気遣いと、相手を嫌な気分にさせないようにという思いやりを持った人になっているのでしょう。

そんなあなたには、きっと人を愛する力も、優しさもたくさんあるはず。だから大丈夫なんです。

 

ただ、だからこそ、パートナーの迷惑にならないように、相手を傷つけないように、邪魔しないように、たくさん気を使ってきたことがたくさんあったのではないでしょうか。

そして今、こんなに気を使い、自分の気持ちを抑えてきたのにどうして、と思いませんか?

そのとき、あなたも傷つかないように距離をとっていた、と考えてみるとどうでしょうか。

今までの自分が、どれだけ不安や怖れの中で頑張ってきたか、と想像できないでしょうか。

 

もしそうだとしたら、あなたはその自分に何を与えてあげたいでしょうか。

 

自分はダメだという罰でしょうか?

傷つくことが悪いのだ、という判断でしょうか?

それとも、そんな切ない状態で頑張った自分を認めてあげたいでしょうか?

もう自分が不安や怖れを感じないように、自分に癒やしを向けてみたいでしょうか。

 

そして、こう考えてみてください。

あなたは、いつから大切な人に云いたいことを隠すようになったのでしょうか。

それはどんな理由で、どんな事情でそうなったのでしょうか。

そして、云いたいことを隠した本当の理由は、一体何だったのでしょうか。

もうこれ以上傷つけない、と感じた自分は、どんな傷を抱えていたのでしょうか。

そして今、あなたはその自分に何を与えてあげたいでしょうか。

 

最後になりますが、そもそも傷つくこと自体、何ら恥ずべきことではありませんよ。

ただ、傷ついたなら、それは自分の責任の上において癒やすことが求められる、といえるのかもしれません。

それはまるで日々の体調管理のようなものと同じなのだと僕は思うんですよね。

そして今、あなたは自分に何を与えるか、選ぶことができるのでしょう。

もちろん何を選ぶかはあなたにおまかせ、です。

ただ、僕の思いとしては、罰よりも適切な癒やしを選んでいただきたいな、と心から願っています。

罰を与えても、その傷は癒やされることはないでしょうから。