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恋愛と男性心理

「俺には君を幸せにできない」って本気で言っているんですか?

「俺には君を幸せにできない」って本気?

浅野さんへの質問

いつもブログを感心しながら読ませていただいております。
さて、さっそくですが、ネタになればと思いメッセージを送らせていただきました。

よくドラマなどで男の人が「俺には君を幸せにできない」と彼女をふってしまったり、思いを伝えてくれる人の告白を断ってしまったりするシーンを目にします。

また、様々のカウンセラーの方のお話でも「男性は彼女を幸せにできない」と臆病になっている、一歩深い関係を築くことに恐れを持っている方が多い、という内容のことをおっしゃられていることがよくあるなと思うのですが、本当にそうなのですか?

人それぞれ、と言ってしまえばそれまでなのですが、、
私は男性に対してそういう思いで向き合ったことは一度もないし、むしろ、私が彼をなんとかしてあげなきゃ、彼を支えてあげたい、力になりたい、私の手で 彼を成長させたい、と思って向き合おうとしてきたと思います。

なので、男性のその心理がよくわからないのです。
そんなことを言われたとしても、私にはカッコつけてるなー、よくそんなドラマみたいなこと言うよなーと本気で受け取れません。

どうなのでしようか??教えていただきたいです。

ネタ募集ネーム:はるはるさん

 


はるはるさん、ネタにご協力ありがとうございますm(_ _)m

私は男性に対してそういう思いで向き合ったことは一度もないし、むしろ、私が彼をなんとかしてあげなきゃ、彼を支えてあげたい、力になりたい、私の手で彼を成長させたい、と思って向き合おうとしてきたと思います。

素晴らしいですね!そこまで愛情を選択できるはるはるさんは、きっと愛情深い方なんだと思います。

だとしたら確かに「本気で思っているの」と思いますよね。

ただこれも一つの心理効果ってことなんです。

 

基本、どんな人も愛したいと思ってる

僕たちは基本的に「愛したい」と思っている人がほとんどです。

だからこそ「うまく愛せない」という苦しみも感じることがありますよね。

ここで愛をもって、自分の感情よりも相手を愛することを選択することができる強さも僕たちには備わっています。

僕たちには常に依存心があって、「愛されたい」と「愛する」ことの葛藤を抱えるもの。

そこで「自分がしんどいときに貰おうとするのではなく、どう与えようか、愛そうか」と考えることで自分を成長させ、磨いていくわけです。

このプロセスで僕たちは自信を感じていくのですね。自分なりの愛し方、やり方を獲得していくといってもいいでしょうか。

ただし、例えば・・・

・男性としての自信をまだ得られていない
・何かしらの大きな挫折を経験した人や、愛情がもらえずにいた人は、自分が人と関わってもいいことなんてない

いいか悪いかは別にして、そう感じる人もいます。

どうにも自分の存在を肯定できずにいる人にとって、誰かを愛することは怖いことです。

大切な人の邪魔になるとしか思えないとしたら、それはもう最悪の気分ですしね。もちろんこれ以上拒絶されることも怖ろしいでしょうし。

もちろん誰もそう思いたくて思っているわけではないと思うんですけどね。

それこそ怖れが強かったり、ハートが傷ついているとそう感じる、という世界の話ですけども。

また、別のケース・・・

・長い間愛してきた人がいたけれど、結果的にうまくいかなかった燃え尽き、ハートブレイク、罪悪感
・大切な人を失ってしまった(離別・死別)という喪失感や後悔

そんな状態におかれた男性(女性も含めて)は「相手を幸せにすること」の意味を見失うことがあるんです。

それは確かにわがままとも解釈できますし、相手への思いが足りないからそうなる、とも見ることができるでしょう。

ただ、燃え尽きたココロを抱えている人は

「結局自分が愛しても、相手が満足しなかったり、結果別れることになって相手を傷つけるなら(自分が勝って相手は負ける)」と諦めにも似た気持ちを抱えることも少なくないのです。

自分はなんのために頑張ってきたのか・・・と感じても不思議ではないわけです。

これはとても切ないことなんだと僕は思うのです。

そもそも僕たちは「誰かを愛したい・役に立ちたい」と願っているからです。

特にバーンアウト(燃え尽き)の領域にいる方の葛藤、苦しみは想像を絶するものがあります。

そもそも燃え尽きの領域にいる人は、全て自立し頑張ってきた人です。

だから、多くの大人が理解しています。自分なりに頑張ればいい、と。

ただ、いわゆる自立(たった一人で頑張る)ことを続けている人ほど、自力で頑張ることが良いことだと思っていますから、いつしかエネルギー不足を起こしてしまい燃え尽きてしまうわけですね。

そのうちに目的を見失います、人を愛するということ自体の。

こうなると「僕を選ぶと不幸になるよ」といいたくなる。もう自分に気力も体力も残されていないので。与えるものがなにもない、と感じているからですね。

それはまるで自分が大病したときに、心配をかけた家族に対して申し訳ないと思う人、その気持ちに似ているかもしれません。

自分が相手の愛情や気持ちを受け入れることが罪のように感じてしまう人もいます。

この場合は「愛すること(与えること)」ではなく「人の愛や思いを受け取ること」でしか燃え尽きの領域から抜け出せないので、頑張ったとしても状況が変わらないんですね。

むしろ更に苦しさが増してしまうんです。

そして燃え尽きた気持ちを誰にも見せずたった一人で抱えているわけです。見せたところで何の役にも立たないと感じているでしょうから。

まぁあくまで一例ですけど、実際にそういったことは起こり得る、と僕は思います。

もちろん自分の都合だけで「幸せにできない」と話す人もいるでしょう。ただの別れ文句としてその言葉を使っている人もいるかもしれません。

だから、はるはるさんがおっしゃるとおり、人それぞれなんです。

ただ同じ言葉を使っていても、その意味は人それぞれバックボーンによって違う、ということだと僕は理解しています。まさにケースバイケースですね。

 

自分の意味を見失うこともあるから

僕たちは自分の痛みや苦しみを相手を愛することで昇華させることもできます。

が、「自分に意味なんてあるのか」「もう同じ苦しみを感じたくない」と感じていると、愛する人に触れることで苦しむことも起こりえます。

それこそ自己肯定感「どんな事が起きても状況を受け止め、自分を責めずにいること」があるかどうか、なんですけどね。

何かしらのハートブレイクや燃え尽きがあると、一歩前に気持ちを押し出して相手を愛することが難しくなるわけですね。

もちろん僕たちにそのような感情はふさわしくありません。それはきっと癒やされるべきものでしょう。

ただ、僕たちは強いけれど、弱さも持っているから、そう感じてしまうこともある、とご理解いただくといいのではないでしょうか。

今日はちょっと痛みの話ばかりになってしまいましたが、参考になりましたら幸いです。

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