ほぼ30代からの心理学

愛されると気持ち悪いときは、弱さを受け入れる勇気について考えてみてください

浅野さん。お世話になっております。
もしかしたら、名前で思い出される かもしれません。

カウンセリングではありがとうございました。
カウンセリングを受けた後、私の中で起こるいろんな感情すべてに
部屋を与えて私の体の中にいていいよって声をかけ続けています。

そして今回はひとつ、質問があってメッセージさせていただきました。
尽くされると気持ちが悪いというものです。

例えば、私が体調を崩した時心配して看病してくれたりしますよね。
そんな時、「弱ってる時に優しくされて惚れてしまう~!」
とはならずに「おええ、気持ち悪い(存在を感じたく無い)」
と思ってしまうのです。
地震が起きた時に、遠い私の家まで歩いてきてくれた時も….,

でも相手は私を思ってしてくれてる。感謝しなきゃいけないとおもって無理矢理笑顔を作ってありがとうって言うんですけど
“早くいなくなってくれ”って思ってます…。

友達や家族にはこんな気持ちは起きないんです。
嬉しいと思うし、心から感謝もできます。

これも罪悪感の仕業なんでしょうか?
同じものを返さないといけない感じがして負担な気もします。

どういった、癒しが必要なんでしょう。
どうか助言をよろしくお願いします。

ネタ募集ネーム:太陽になりたい女さん

太陽になりたい女さん、ネタのご協力ありがとうございますm(_ _)m

おっしゃるとおり、お名前を見てピンときていますよ( ̄ー ̄)ニヤリ

さて、今回のご質問は「尽くされると気持ちが悪い」ですね。そこには、あなたが心を許した人以外には、という前提があるようですね。

ちなみに、このご質問を取り上げる前にと思い、先日少し自分の話をコラムにしているんですよね。

人に頼れなかった自分の話をまとめてみます人に頼れなかった自分の話をしてみます 今日は僕自身の気づきについて少しまとめてみようと思います。 このコラムは僕自身の気づきの話では...

僕の中のとても弱い自分を表現したコラムですけれども、なにか参考になればと思って。

ではご質問にお答えしようと思います。

自分を知られたくないときほど、相手の存在は消したくなる

例えば、私が体調を崩した時心配して看病してくれたりしますよね。
そんな時、「弱ってる時に優しくされて惚れてしまう~!」
とはならずに「おええ、気持ち悪い(存在を感じたく無い)」
と思ってしまうのです。
地震が起きた時に、遠い私の家まで歩いてきてくれた時も….,

でも相手は私を思ってしてくれてる。感謝しなきゃいけないとおもって無理矢理笑顔を作ってありがとうって言うんですけど
“早くいなくなってくれ”って思ってます…。

友達や家族にはこんな気持ちは起きないんです。
嬉しいと思うし、心から感謝もできます。

この気持ち悪さは「よく知らない人には起きない」ってことのようですね。

あなたが相手のことをよく知っている場合(受け入れている場合)は大丈夫のようですから。

だとしたら、ここにあるのは罪悪感というより「怖れ」じゃないでしょうか。

少なくとも僕はそう思うんですよ。

確かに罪悪感を感じているときってものすごい気持ち悪さを感じると思います。

ただ、罪悪感を感じると体が硬直するような、「もうどうしよう、終わった」みたいな気分になることもあり、僕はそんな体験もしております、個人的に。

だから、これは罪悪感なり、怖れなりを感じているわけじゃないけど、刺激されているときに起きることじゃないか(罪悪感や恐れを感じるけど、感じたくないと抵抗しているとき)だと僕は思うのですね。

このとき、あまりに自分の気分が悪いので、相手(人)の存在は消したくなるものなんです。

もうあっちにいって!放っておいて!となりやすいんです。

 

では、なぜこのようなことが起きるか、と考えますと、おそらく「自分が受け入れていない人の愛を疑っているとき」なのでしょう。

本当に愛されているのだろうか、相手に責められないだろうか、傷つけられないだろうか、非難されないだろうか・・・などなど。

たしかにあなたは私のために尽くしてくれているけれど、本当にそうなの?本当に信じていいの?と思えば思うほど、自分の中に疑いや怖れが生じても不思議ではないのですね。

とくにあなたの預かり知らないところで向けられ「人の好意」には、なかなかうまく反応できないことがあるようですよ。

ただ、僕はそう思うこと自体、おかしいことだとは思っていませんよ。

例えば初対面の人と出会うとき、失礼のないようにと思いながらも、相手のことを疑ってみていることってないでしょうか?よく知らない、信頼関係のない人に相手に自分のことを委ねるって危険だと感じないでしょうか。(出会ったこともないカウンセラーの予約をして、カウンセリングルームまでお越しになるときも同じでしょ?)

これ、多くの人がそう思うものじゃないでしょうか?

全ての人の好意を素直に受け入れられる人って相当勇気がある人の行為ですからねー。

だから、相手とそれなりの距離感をとって関わるなんてことは、ザラに起きるような気がします。

人によっては、相手を信じてウラをかかれるぐらいなら、信じないし受け入れない方がいいと考える人がいても不思議ではない、とも思いますしね。

そもそも「相手を信頼しない、信じない」ということも選択の一つで、その選択を取ることが常にネガティヴだと言い切れないと僕は思うのです。(その結果、自分の気分はあまり良くないわけですけど、それはまぁしゃーない話ですわね。)

 

と、ここに書いたことが「それで普通だよね」と思うなら、きっと尽くされることで気持ち悪くなることはないと思います。

むしろ自分の中で相手との距離をとっているでしょうから、そこまで感情も動かないものでしょう(それがいいかどうか別にして。)

しかし、よく知らない人の好意で感情が動くとしたら、その状況があなたにとって普通ではない状態だ、ってことになりそうです。

では、どんな状況が想定できるか、といいますと・・・。

弱さを知られたくない

一番多いケースが「よく知らない人に自分の弱さを知られたくない」ってパターンです。

信頼できる人には弱さを見せられる=信頼できているけれど、まだよく知らない人には見られたくないと思えば、そりゃ怖いでしょう。

この「弱さを知られたくない」って部分が、まさに自分の事情ですね。

だから、まだよく知らない人が、たとえあなたのために好意を向けて近づいてきていたとしても、怖くなっちゃって遠ざかりたくなるわけですね。

 

また、このとき感じる怖さを抑圧しようとすると、気持ち悪くなっちゃうんですよねぇ。

自分が感じ始めている感情を、意識で何度も抑圧していると、うげげ〜っと、超絶気持ち悪くなるものなので。

ただ、多くの場合、自分がうげげ〜っと気持ち悪くなっている事実を、相手の影響だと認識する場合が多いものじゃないでしょうか。ほぼほぼ悪意なく、ですね。

「よく知っている人には(近づかれても)気持ち悪さを感じないのに、あなたには感じる。ってことは、あなたが私を気持ち悪くさせているのよね」みたいにね。

でも、本当は「自分の弱さを知られると〇〇になるんじゃないか」と怖れている場合もあるわけですね。

例えば、僕の場合なら「よく知らない人に『浅野さんってそんなにだらしないんですね』と思われたらどうしよう」と不安を抱えているならば、自分の家に誰も寄り付かせたくない、みたいな(笑)

いくら僕が40度の高熱を出してうなっていて、その人が「大丈夫?」と駆けつけてくれたとして。

そこで僕が「やべ!だらしなさがバレるかも!」と怖れていると(つまり、こんな自分を見せたら相手は友達やめちゃうかも、と僕が思い込んでいると)、「ありがとう。でも大丈夫」と伝え、その結果、相手が僕に不信感を持っちゃう、なんてケースも想定できるわけですね。(これはあくまでたとえ話ですよ。)

失敗感、偽物感、自分嫌い、劣等感、コンプレックスでも同じようなことが起きる

つまり、ここでのポイントは「自分のある部分(弱さ)を知られるとまずい、と思っているのか」になります。

もちろんこの「ある部分(弱さ)」が何を示しているのかは、人それぞれで違うものでしょう。

「自分の欠点がそれだ」と思う場合もあるでしょうし、自分の性格、性別、身体的な要素である場合もあるでしょう。人によっては家柄、家族という場合もあります。

これらは観念ですね、自分の観念。(誰かがそう思っているのではなく、自分がそう思っているってこと)

そして、このような観念を作る要素は他にも多数存在します。

たとえば、自分が大きな失敗をしてから自信が持てなくなった場合。

自分がなんだか人と違い、人を騙して関わっているような感覚を持っている場合。

自分が嫌いで、自分を誰にも見せたくない場合。

劣等感・コンプレックスがあって、人に自分を知られたくないと思っている場合。

他にも様々存在しますが、人それぞれ他人に知られたくない部分を持つことがありますよね。

 

弱さを知られたくなければ、常に警戒し続けねばならない

このような観念は常に「自分の外側の脅威」に向けられ続けますよね。

一度強く意識し始めると、なかなかその意識が変わらず、気が休まらなくなっていくわけですね。

例えば、「よく知らない人」と仲良くなると、その人は「私が信頼できる人」になるわけですよね。

ただ、そもそも自分が出会う人間のことだけを考えるなら「自分がよく知る人」より「よく知らない人」のほうが多数なわけですよ。

つまり、生きている限り、常に「よく知らない人」と出会い続けるわけです。

そのたびに怖れを感じていたら大変なことになりはしないでしょうか。

 

そこで人によってはこう考える人がいます。

「全ての人との関わりを絶とう(心を許さなきゃいい)」

また、こう考える人もいます。

「私が全ての人とつながれればいい(全ての人の太陽になればいい)」

完全にシャットアウトか、完全に怖れがない状態を目指すか、のようなもの。

もちろんヴィジョンとして太陽になりたいなら、素晴らしいことだと僕は思いますし、心から応援させてもらいたいと思います。とても素敵なことですよね。

が、もしそれが完璧主義的な発想だった場合、自分自身がしんどさを感じるかもしれませんよ。

このとき「自分の不完全で弱い部分を持っていることに対して攻撃的な発想を持っている」ことが多いのです。

いわば、自分が期待した「自分」ではないことにガッカリしているのです。

完璧主義のあるところには、常に不完全な自分に対する失望が存在しますからね。特に気持ち悪さや怖れを感じる自分にガッカリしている、なんてことも有り得る話です。

そして、この失望が終わらない限り、他人に知られる怖れを感じ続けることにもなるんですね。

自分の弱さを認める勇気

ということで、ここでのテーマは「あなたは自分の弱さ」をどう扱っていますか?ということになりそうです。

自分の弱さを隠すための努力をしても、なかなか弱さ嫌いはなくなってくれません。

あまりいい例えではなくて申し訳ないんですけど、錆びた途端にいくらペンキを塗っても、錆びたトタンに変わりはないわけです。

もちろんあなたは錆びたトタンでは決してないですよ。

このように弱さを隠そうとしても余計にしんどいだけということも起こり得る話です、自分が変わった感じがしないので、とお伝えしたいわけです。

 

では、どうすればいいのか、っていいますと、大きく2つ考えられます。

・愛する、与える自分に自身を持つ

自分が弱かろうが不十分だろうが、私はこれが与えられる、こう愛せる、という自信があれば、そこまで完璧主義的な発想を持つことは少なくなります。

だから、自分なりに人や社会に与え、関わることを続けることであり、その自分を認めることですよ。(きっとあなたの場合は問題なんて全くない!と僕は思うんですけどね)

いわば「頑張る」ことで手に入る自信ですね。これがないと「自分は何もできないのにこんなに弱い」と思ってしまうので、かなりの自己不信に繋がります。

すると、常に、自分の外側から自分を評価し、認めるものを欲しがるようにもなりやすくなり、例えば、誰か偉い人が認めてくれていることが心の支えになる、といった、虎の威を借る狐状態になりやすいです。

これは自信ではなく他信ですよね。一時的な心の支えにする分には問題がないのですが、コレが続くといつまで経っても自分を受け入れられなくなっちゃう場合もあるわけですね。

 

・弱さを受け入れて、今の自分でえーやんと思う

僕がよく使う言葉としては「疑いを超える」なんですけども。

自分で受け入れられない自分って、おそらくなくなってはくれません。どんなカタチにせよ残るものだと思います。

特に人と関わるときの不安って、やっぱり感じるものだと思いますよ。

そこで「そんな自分がいるからダメ」と思い続けていると、いつまでたっても怖れは消えないってことにもなりかねません。自分が不安やうまくできない自分ばかり意識して強化してしまいますからね。

 

また、弱さとは克服できるものもありますし、克服できないものもあると僕は思うのです。

どうしても愛せない自分、受け入れられない自分っていると思うんですね。

そのとき、周囲の人が助けてくれるものです。

あなたも思いませんか?友達や家族が悩んでいたら「そんなことないよ」って。「私は味方だよ」って。

同じように自分もそう思われているわけですよね。

だから、自分にはどうにも扱えない弱さがあることを受け入れちゃうことがオススメです。その自分も愛してみるんです。

弱さがあるからと言って、自分の強さが消えるわけじゃないんですよ。どちらも存在するものなんです。

だから「自分にはいいところもそうではないところもあるよなー」と受け入れて、全て完璧することはありえないことだ、ぐらい思ってみる感じです。

それによって人はあなたのことを愛せるようになります。

そして自分も相手にその弱さを差し出すことができるようになりますし、あなたも今以上に、人の弱さを嫌わず、受け入れられる人になります。

 

あなたのおっしゃる「太陽になる」とは、人に希望や光を与えることのように僕は解釈しています。それはとても素晴らしいことですよね!

ただ、時には「人の影」の部分を受け入れることも愛の形なのではないか、と僕は考えています。

この視点で言うならば、「今のあなたは今のあなたでいい、素晴らしい、最高じゃないですか!」と僕は感じています。

そう思う人が、あなたの想像を超えてあなたの周りによってきている、とイメージしてみてください。

自分では預かり知らぬところで、人はあなたのために与えてくれています。

そのことを相手の素晴らしさ、その人の美しさだと意識してみてください。

さて、あなたはその人にどんな言葉を伝えたいでしょうか。

ここでも「相手のすばらしさを見て、感じて承認する」ことができたなら、ゆっくりとその気持ち悪さも手放せると思います。

自分を癒す視点も重要ですが、「自分も素晴らしいが、相手も素晴らしいのだ」という相手の尊厳を尊重したとき、少しづつあなたの感情も変わっていくかもしれませんね。

少なからず僕はこの方法で自分を変えることができた、とだけ最後にお伝えしておきますね。

 

以上、何か参考にしていただければ幸いです。

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