恋愛の心理学

自己肯定感は高いけど恋愛に興味が持てない心理とその処方箋

自己肯定感は高めだが、恋愛に興味が持てない心理とは

最近、恋愛や結婚に興味が持てないんです。昔は素敵な恋愛に憧れていたんですけど、今はむしろうんざりしてて。

だから、自分のやりたいことに意識を向けていて、毎日それなりに楽しく過ごしているつもりです。

最近、自己肯定感って言葉をよく聞きますけど、私自身、そんなに自己肯定感が低いとは思っていません。

決して自慢したいわけじゃないんですけど、私、そんなにモテないわけじゃないんです。異性から声をかけてもらうことや告白されることって少なくないんです。

でも、正直どうしたらいいかわからないし、告白されても困る、が本音で。好きだって言われて嬉しくないわけがないんですけど、だからって付き合いたいかっていうと・・・。

どこかで素敵な人と一緒になりたいと思っている自分もいます。だけど、告白されても嬉しいって感じられないんです。

この話を友達に相談すると『理想が高すぎるんじゃない?』『求めるものが多いんだって』なんて言われてしまいます。

そんな理想が高いって思っていないし、相手に多くを求めるつもりもないんです。信じてもらえないかもしれないけど、本当なんです。以前、告白された人からも『人を選んでばかりじゃいつか痛い目にあうよ』なんて言われたこともあって。

私、やっぱり人を選ぶような理想が高い人間なんでしょうか?

もう自分のことがよく分からなくなってしまいました。

この事例はあくまで”一例”ですけど、このようなご相談を伺うケースって何故か最近増えているんです。

とかく僕たちカウンセラーのもとには「話しづらい”ここだけ”の話」を伺うことが多いわけでして、そういった意味では駆け込み寺的存在でもあるわけですけどね。

しかし、自分が恋愛できない、抵抗感を感じるといった話は、なかなか人に話しづらいものかもしれませんよね。誤解されて解釈されると余計に傷つきますしね・。

 

さて、最近良く耳にする「自己肯定感」が高いと感じられている方が、何故か恋愛に抵抗感を感じることは実際に起こり得ると僕は思っています。

そもそも自己肯定感とは、自らの在り方を積極的に評価できる感情などを指した言葉。

たとえ自分に苦手なことやマイナスの要素があっても、「自分は自分でいい」と思える感覚のようなものです。

ただ、このようなご相談をしてくださる方って、自分の恋愛観(恋愛と向き合うときの感情のあり方)に対して、なんだか疑いを感じてしまうことがあるようなんですね。

「友達や他の女性(異性含めて)恋愛に前向きな様子なのに、私だけなぜか恋愛に抵抗感を持っている」

このように自分のことを疑っちゃうと、「本当に私の価値観でいいの?このままでいいの?」といった疑いが生じて、一時的にであれ自己肯定感が低くなってしまうなんてことも起きるんですね。

すると、今までは「自分は自分でいい」と思えていたし、そこに偽りなんてないわけですが、急に自分のことを肯定できなくなったり、不安が強まったり、自分って変なの?おかしいの?と疑いはじめるわけです。

他の事例では「仕事中は自分らしくいられるし、ちゃんとした意思を持っていられるけど、恋愛となると・・・」だとか、「自分は自分でいいって思うんだけど、恋愛ではいつも苦労してしまう」なんてケースと出会うこともあります。

まぁそもそも自己肯定感って「一定ではなく変わるもの」なので、生きているうちに様々なできごとと出会ううちに急に不安になって自分を見失っちゃうことってあると僕は思うんですよね、切ないことですけど。

では、このようなとき、どのように自分を見つめていけばいいか、について簡単にまとめてみます。

よろしければどうぞ。

 

恋愛に対するイメージの問題

さて、もし僕が「なぜか恋愛に興味が持てません(以前は興味があったけど)」というご相談を伺うとしたら、きっと次のようなことを考えていることが多いかも?というネタバラシからはじめます。

簡単に書いちゃいますと、ざっくりと以下の3つのパターンに分かれるものだろう、と考えるのです。

1.恋愛をはじめたあと、自分がどうなるのかがイメージできない。

2.恋愛をはじめたあとのイメージはできるが、それが全く魅力的ではない。

3.恋愛や未来のイメージが魅力的であったとしても、自分にそれが実現できるとは思えていない。

・「1」の場合は、怖れの影響を受けている可能性が高いと考えます。

人はわからないことを怖れますし、できれば避けたいと思うもの。だから「わからないことに首を突っ込むのは怖い、そんなことに大切な毎日の時間を投資していられない。だから告白されてもどうしていいか分からないから困るし、恋愛に積極的ば気持ちにならない」と感じても不思議ではないよなぁ、って感じですね。

・「2」の場合は、恋愛に対するイメージがそもそもネガティブである可能性について考えます。

過去の恋愛経験の中で、あまりいい思いをしてこなかったり、一方的な関係の中で振り回された経験があったり(自分が振り回した経験があったり)、急に別れを告げられたり(自分が告げたり)、なんて経験があると、「恋愛ってあまりいいものじゃない」と思うもの。

また、自分の家族(両親)の中が悪かったという実感があると、そもそも恋愛ってしんどいものだ、と思いこんでしまうこともあるんですよね。

その状態で、日常の中に自分が打ち込めるものや、夢中になれるものがあるとしたら、そちらを優先することってありえるよなーと僕は考えちゃうんですよね。

・「3」の場合は、「自分にはそんな幸せはやってこないでしょ(実現不可能でしょ)」と思い込んでしまっている可能性を考えます。

例えば、過去に幸せな恋愛を求めたけど手に入らなかったといった経験から、「幸せを期待して失望するのが嫌だ」と思っているパターンと、実際に失恋などの経験や、両親や家族の不仲などの影響から「自分にはそんな親密感(欲している幸せ)は手に入らないはず」と思いこんでいる(思わざるを得なかった)パターンとがありそうですね。

 

ただこれはあくまで「理由」。

ここから「さて、どうするか」が何より重要なことなんですよね。

 

恋愛に興味が持てないことも「まぁしゃーない」ってこと

これはどのようなお悩みにおいても同じなんですが、何事も「過剰に問題化しない」って大切なんですよね。もちろん「悩むこと=問題」ではないのですけども。

そもそも、恋愛に興味が持てないこと自体「悪いことだ」と判断する理由がないことなんです。

確かに、恋愛に興味が持てないことで切ない気持ちになるかもしれません。

実際に異性に言い寄られお断りばかりしているうちに困っちゃうし、心苦しいし辛いと感じることは多くなるかもしれません。

が、だからといってそれが悪いわけでもないのです。

もちろん人の好意を拒絶する回数が増えれば、罪悪感を感じやすくなります。だからついつい言い寄られることを避けようとしてしまったり、普段から自立的でドライで冷たい態度を示す必要が出てくるかもしれませんよね。

ただこれは「人の好意を拒絶するしかない」という事情によってもたらされる「二次的な問題」と考えられるのです。

そもそもは人の好意を受け止めたい、異性に興味を持ちたいのにそれが難しいから「拒絶するしかない」わけですよね。

つまり、このレベルの罪悪感は「人の好意を受け止めて感謝できれば手放していける」のです。

 

ただ、恋愛に抵抗感を感じている状態で人の好意を受け止めちゃうと、相手の気持ちが盛り上がっちゃうわ、自分は受け止められないわで、もう大変なことになる(余計に相手を傷つける)と思うものではないでしょうか。

だから心苦しくても「相手の好意は受け止められない」と思う人がいても不思議じゃないですよね。

つまり、恋愛に興味が持てないと悩んでいる方って、本当につらい思いを抱えていることが多いものなんですよね。

めっちゃ辛いんだけど、その辛さを必死で我慢している方が多いように思います。

そもそも自分でも望まない拒絶を何度も繰り返さなきゃいけないわけで、心の中は加害者意識(罪悪感)でいっぱいになっちゃうこともあるんですよね。

この状態で「相手の好意を拒絶しちゃう自分がダメなんだ」と思っちゃうと、まさに泣きっ面に蜂状態になりません?

更に苦しくなっちゃいません?

こんなときは、ちょっと「視点を変えて」現状を見つめることが効果的なんですよね。

 

まずは「今の自分をゆっくり丁寧に受け止めていく」がいい感じですよ。

例えば「恋愛に興味が持てない今の自分」を一旦受け止める。これが難しいっちゃ難しいことなので、カウンセラーと二人三脚ですすめるケースも少なくないんですけどね。

ここでは「私が恋愛に興味が持てないことが問題なんだ」と認識も含めて、一旦、それが今の自分なんだな、と受け止めてみることがおすすめです。

そもそも、恋愛に興味が持てないことで悩むお気持ちは分かるのですが、それが恥ずかしいことでもダメなことでもないんですよ。

一度ゆっくりを自分自身の気持ちを振り返ってみると、きっとゆっくり自分の気持ちに気付けるはずです。

 

そもそもかつての自分には「恋愛に対する興味があった」のですよね?

だからこそ、今、恋愛する気になれずに悩むわけですよね?

 

つまり、今の自分の中に「誰かを愛したい」「大切にしたい」といった気持ちがないわけではない、ってことではないでしょうか。

むしろ、愛したい気持ちがあるから、恋愛に興味が持てないことが辛いのではないでしょうか。

これは「問題の前提条件」〜何かがしたいから、できないことが問題になる〜という考え方から導き出される答えなんですけどね。

 

また、「他の女性は恋愛に興味が持てているし幸せになっているのに、どうして私だけ?」と悩まれる方もいらっしゃいますが、これは「比較の罠」〜自分の欠点と相手の長所を比較する〜になっていることが多いので、ゆっくりとでいいので自分のことに集中してみることをおすすめします。

それでも人と比較してしまうなら、比較してしまう自分ですらまぁしゃーないな、と考えてみる。

それでも比較が収まらないならこう考えてみるといいですよ。

「私は今、誰かの素晴らしさを使って自分を責めている」と。

そんなことする必要はないですよね。

フーっと一息ついて、少し気持ちを落ち着けて、ゆっくりとでもいいから自分を向き合っていきましょう。

丁寧に今の自分を受け止めていくことで、少しづつモヤモヤや辛い気持ちから解放されやすくなっていきますよ。

 

本質は「私がいることで誰かが不幸になることだけは避けたい」という思いにある

さて、先に書いた3つのパターン。

個別に解決策を考えていくことも大切なんですけど、今日はまとめてドドンと根っこから掘り下げていきたいのです。

実はこの3つのパターン共通して当てはまる「罪悪感ちゃん」があるのですよ。

それが「私がいることで誰かが不幸になることだけは避けたい」という気持ちなんです。

そして、この気持ちって一見すると愛情のように見えますが、実は愛の形をしていないのです。

どこか「私がいても相手は不幸になっちゃうのでは?」と自分を毒扱いしている状態でもあるのです。

だから、「毒である自分を相手に近づけない」ようにする。つまり、私に好意を持ってくれる人を拒絶するようになるのですよ。

 

・・・ん?それってどういうこと?と思われる方もいるかもしれませんので、もう少し解説します。

 

例えば「恋愛をはじめたあと、自分がどうなるのかがイメージできない」ならば

全く恋愛するイメージが持てていない状態で、パートナーを喜ばせられる自信を感じられでしょうか。むしろ自分が困ったり、相手を困らせるだけじゃないかと思わないでしょうか。その結果、恋愛に抵抗感を持つとしたら、本当は何がしたいと願っているのでしょうね。

恋愛をはじめたあとのイメージはできるが、それが全く魅力的ではない」であれば

自分が恋愛に対して魅力を感じていないのに、その自分に相手を付き合わせるって考えたらどんな気持ちになるでしょうか。申し訳ないとか、私じゃないほうがいいよ、って思わないでしょうか。

恋愛や未来のイメージが魅力的であったとしても、自分にそれが実現できるとは思えていない」ならば

自分に幸せな未来を描く自身がないのに、その自分に相手を付き合わせるって考えたら、どんな気持ちになるでしょうね。最悪な気分になるのは「私は好きな人のために何一つできていない」という罪悪感を感じたときではないでしょうか。だから、どうしたって好きだと言われても、答えきることができないって思っちゃうかもしれませんよね。

この考え方、なにも性善説を前提としているわけじゃないんです。

いわゆる自己肯定感の一要素である「自尊感情」の影響について考えてのことなのです。

自尊感情とは「私は誰かの喜びなりたい」という気持ちを伴う感情です。

だからこそ「誰かの喜びになれないこと」で悩み、葛藤し、自分を責めてしまうのです。

つまり

「自己肯定感は高いけれど、恋愛に興味が持てない」という状態は、「誰かの喜びになりたい気持ち」を人一倍強く感じている状態でもある。

だからこそ、実際に誰かの喜びになれない自分を感じたときに、自分に深く失望してしまう。その結果、恋愛自体に興味を持たないように防衛的になっている。」

そう考えることができるのではないかと僕は思うのです。

そもそも「人の喜びになりたい」気持ちが強い人だからこそ、何かしらの理由で人の喜びになれないこと自体が、他の人と比べてきつく、辛く感じるのでしょう。そんな自分が許せなくなってしまうのです。

その状態の人に「自己肯定感を高めて」って言えば(それも間違いじゃないのでしょうが)、もっと頑張って人のためになにかしなさい、と言われている気がしても不思議ではないよなーと僕は思っちゃうんですよ。

でもそれができたら苦労はしてないよって話なのでね。

この無理を続けようとした結果、望まない結婚をした経験があるとか、愛しにくい異性を引き受けて大変な思いをした、なんて話が出てくるわけで。

ここではまず今の自分を問題だと扱いすぎないこと、そして、「恋愛に興味を持たないようにしている本当の事情」を解放することが求められているのだろうと僕は考えます。

つまり、あなたの中でなぜ罪悪感ちゃんが強まっているのか、について見つめていくほうがいいのでしょう。

そしてそれはあなただけの事情、まさにケースバイケースってことになるのです。

 

本当の自分と出会うまで癒やしを続けること

そもそも自己肯定感が高い人とは「誰かを幸せにし、喜ばせたいという気持ちが強い」ものです。

だから、相手を幸せにできないと感じること自体が苦悩につながるのです。

ただ、その苦悩しているときであっても、「誰かを幸せにしたい」「喜ばせたい」という本質が消えているわけではないのです。

(だから、今のあなたのままで素晴らしいってことなんですけどね)

この「誰かを幸せにしたい」と願っている「本当の自分」に対して、「私は素晴らしい」という自分への承認がちゃんと心の奥まで届くように、何度も自分を見つめ、癒やすことが「罪悪感ちゃん」の影響を選ばばない自分になる方法です。

そもそもこの罪悪感ちゃんは「不完全な自分」に対して生じている感情でもあります。

大切な人をちゃんと愛せない、ちゃんと癒せない、ちゃんと喜ばせることができない・・・。

そんな不完全な自分を否定したり、こっぴどく嫌いたくなるものかもしれませんが、否定し嫌えば嫌うほど、どんどん「恋愛や人の好意から遠ざかりたくなる」ものなんですよ。(ついつい嫌ってしまったり許せないと思うものかもしれませんけどね。)

どんなことでも自分を罰したり責めてばかりだと、本来求めている効果の真逆のものしか得られないものです。いわゆる「エゴの声」が強まって「私はちゃんと愛せないし、誰も喜ばせることができないようなひどい人間だ」と感じるようにもなり、更に自分を信じられなくなってしまうのです。

どんどん今の自分に失望してしまう機会も増えていってしまいます。

 

こんなときは「どこか不完全に感じる自分」が、本当に何を願っているのかをちゃんと見つめてみましょう。

ちゃんと愛せない、人の好意を受け止めれない自分を一旦「しゃーない」と受け止めて、そこから「本当の自分は何を感じているんだろう」って、見つめていくんです。

そこで出てくる答えはきっと「本当は人を愛したいし大切にしたいんだよな」ってものに近いはずです。

だから「人から好意を向けられたときに拒絶するしかない自分」を罰してしまうのでしょうから。

このように自分をじっくり見つめていけば、きっと本当の自分の姿が見えてくるものですよ。

その自分を受け入れることができればすっと心が楽になって、自分にもう一度「幸せになること」「自分の心と体を使って大切な人を喜ばせること」を許せるようになるでしょう。

自分を疑い、嫌い、否定している事自体否定されるべきことではないですが、その気持ちが強いときは、なかなか自分への許しが進みません。

だから「どうか自分を大切にしてくださいね」って僕はお伝えし続けているってわけでございます。

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