恋愛の心理学

愛されていることに気づくには

愛されていることが分からないという実感

さて、僕のもとにいただく恋愛のご相談の中に

「愛されていることがよく分からない」

という実感によって生じている問題があるんですね。

例えば

「彼に愛されているかがわからない」
「どうして私を(僕を)好きなのかが理解できない(そんなことを言えば関係が破綻するので言えないが)」
「相手に愛されすぎて申し訳ないって思う(何も返せていないのに)」

なんてケースがそれにあたります。

このような場合、その恋愛以前から「自分が人に愛される理由ってどこにあるんだろう」と遠い目になっていたというお話を伺うこともあるんですけどね。

それこそまさに「愛されていることがわからない」という実感がそこにある、という感じなんでしょうね。

こういった話をすると「いいじゃないですか!愛されてんだから!なに贅沢言ってんのよ」みたいな声が聞こえてくることもありますし、そんなお声も僕なりに理解できるのです。

が、ちょっと想像してみてほしいのですよ。

自分が全く必要とされたり、愛される理由がわからない状態で、誰かに愛されたり、関係を維持しているとしたら・・・。

ねぇ、「私、騙されてんじゃないの?」的な疑いや、どうして愛されてるのかわからないという分からなさが恐れになってしまうこともあり得ると思うのです。

もちろん愛されないという実感も切ないものですが、愛されている理由がわからないという実感は「今のパートナー以上に良い人はいないかもしれないのに、自分はそれでも満たされないって・・・」という、なんとも複雑なお悩みを作ることがあるのですよ。

こういった実感をお持ちだからこそ、このまま関係を続けていても大丈夫なのか?なんて不安をいだきやすいのかもしれません。

ということで今日は愛されていることに気づくために必要なことについて、コラムにまとめます。

よろしければどうぞ。

愛されていることに気づけない理由

さて、まず愛されていることに気づくためには、現状を把握する必要が出てくる場合もありますよね。

いわば「愛されていることに気づけない理由」という部分です。

この愛されていることに気づけない理由は、無意識的なものから意識的なものまで様々な存在するものなんです。

が、その中でも代表的な例をいくつかピックアップします。

自分のことが嫌い

いわゆる自己否定、自己嫌悪です。

自分が嫌いだという実感があるから、嫌いな自分を愛してくれる人がいるわけがない、と感じる。

いわば「自分が自分を嫌いだと感じる」という部分に、他人の意識や評価を合わせて理解しているということです。

この自己否定、自己嫌悪は、「自分がこう感じているんだから、他人も同じように感じてもらわなきゃ困る」という強い意志になることも少なくないんですね。

要は自分の考え、感覚、観念を手放せないので、他者の思いまでコントロールしたくなっているわけです。

この状態において「他者が自分のことを愛している」という事実は、今の自分の実感や思いを維持するという意味ではものすごい脅威なんですよ。

その恐れの影響から、ついつい「いいや、私は愛されない」と言いたくなってしまうんですよね。本音は「愛されたい」だとしてもね。

セルフ・ハンディキャッピング

セルフ・ハンディキャッピングとは、自分がなにか失敗しても自尊心を保てるように、あらかじめ「自分にはハンディキャップがあるのよ」と主張したり、実際にハンディキャップを作り出してしまうことをいいます。

例えば、婚活前に「私は魅力的じゃないしいい人とは出会えなし愛されないわ」と言い、予防線を張ることなどがこれに当たりますね。

自分にハンデを作ることで自分の価値を落としているのですが、実際は(今の自分の)自尊心を守るために行っているという矛盾が存在するわけです。

ということは、「実際に愛されちゃマズイ」ってことになりますよね。

愛されたらセルフ・ハンディキャッピングという形で自尊心は守れなくなり、それはそれで脅威になる、ということでもありますから。

愛されることで感じる痛み

実は「愛される」ということを通じて「痛み」を感じるタイプの方も存在します。

これは一概にこうだと言い切れる話ではないのですが、例えば、子供の頃から大人の愛情と攻撃や罰が同時にやってきていた、なんて経験をされた方の場合、愛されることを渇望しながらも、それを恐れる(愛されても罰されると感じる)ようになる場合もあるわけです。

このように本来愛されることで感じる喜びや安心だけでなく、罰や痛みを強く感じる場合、この罰や痛みを感じないために「愛されることから遠ざかる(愛されていることを否定する)」ようにもなるわけですね。

これはなんとも切ない話だと僕は思うわけです。

その結果、愛されているとか、自分にそれだけの価値があるという実感を育てることができず、結果「愛されるってなにかよくわからん」となる場合もあるんですよ。

その根っこには「恐れ」が隠れていることが多いんですけどね。

自分のことしか考えずに生きてこれた

愛されていることを実感するには「相手が私をどう見ているか」を、ある程度理解する必要がある、というのはご理解いただけますでしょうか。(全てわかるわけじゃないですけども)

自分がいくら相手を愛していても、相手が自分をどう感じているかについて、ある程度の推測ができないと愛されているとはなかなか思えないわけです。

この「相手の気持ちを推測する」という部分をあまり行ってこなかった場合、愛されていることがわからないという実感を持つことがあります。

いわば、極端な「自分のことは自分で」という発想や、「今まで自分のことだけ考えていてもそんなに不都合なく過ごせた(実は周囲が合わせてくれていた)」なんて経験をお持ちの場合、起こり得ることかな、と思います。

もちろんそれがいいかどうかは別の話で、僕もなにがよくてなにが悪いと伝えたいわけではないですよ。

この場合、なかなか「人の視点に立って物事を考えたほうがいい」と気づきにくい場合があり(そのやり方で生きてこられたという実感があるので)、何事も「自分はこう思う」「自分はこう感じる」という部分を強く主張しがちなんです。

この「自分はこう思う」という部分の中に「愛されていることがよく分からない」が入り込んでいるんですよね。

だから、実際のご相談でも「他の人はどのように愛されているって感じられるようになったんでしょうか」なんてお声を伺うこともあるっちゃーあるんですよ。

愛されていることに気づくには

さて、ここからは「愛されていることに気づくには」という話を進めていきます。

愛されていることに気づくには、平たく言えば「愛されているという実感を積む」ということに尽きると思います。

が、それが難しいから悩んじゃうわけですよね。

つまり、ここでのポイントは「愛されている実感をどのように積むか」が重要で、意識が自分ばかりに向いている状態で愛してほしいという欲求を伝えても、愛されているという実感を得ることは難しいことが多いです。

いわゆる「ニーズの罠(求めたものを満たしてもらってもその価値を実感できない)」に引っかかると、愛されている実感は得づらいということです。

もちろん「愛して欲しい」と相手に求めたときに、お互いに向けている信頼や絆が存在すれば「あぁ愛されているわ」と実感できるでしょう。

これは「信頼や絆がもたらす効果であって、要求したから感じられたものではないだろう」が僕の考えです。

つまり、他者との信頼や絆ではなく不安や要求を動機として愛を求めても、全く実感できないことになる可能性が高い、ということなんです。

この他者との信頼や絆を感じ取れなくしているものが、先に書いた「愛されていることがわからない理由」なんですね。

つまり、理屈上は、いくら自分の価値やステータスを高めても、人のために貢献したとしても、他者との心からの信頼や絆を結ぶことにためらいがあるなら、愛されていること自体よく分からなくなる、ということなんですよね。

もう少し詳しく書くと、例えば「パートナーが私のことを選んでくれているのは嬉しいけど、愛されているってよく分からない」と感じている人がいるとしたら。

その方が、毎日仕事を頑張ったり、パートナーのために時間を作ったり、二人の関係が良くなるために努力を惜しまなかったとしても

どこか自分で自分の価値を信頼できていなかったり
普段「自分なんて大したことないですよ」という防衛戦を張りがちだったり
何かしらの事情で「愛される」ということを通じて「痛み」を感じがちであったり
極端な「自分のことは自分で」という発想が強かったり
今まで「自分のことだけ考えていてもそんなに不都合なく過ごせた」と感じているかもしれないってことです。

(あくまで一例なので、かもしれないだけですが)

僕はそう考えるので、何かしらの「愛されないと感じる理由」を手放しながら、相手との関わりを持ち、相手の気持ちを感じようとすること(お互いの気持を大切にすること)を目指すと、比較的愛されていることの実感は感じやすくなると思います。

その実感をブロックする部分(多くは恐れですが)を解放することなどをサポートとして扱わせていただくことも多いですよ。

このあたりは実際のカウンセリングなどで扱わせていただく部分になりますかねー。

ただ、日常の中でできることがあるとしたら、シンプルに「ただただ相手に(他者に、今あるものに)感謝する」ということを続ければいいと思います。

感謝は「自分に向けられた好意などを受け止めて承認する」という意味合いがありますから、愛されているという実感に近づく方法になるでしょう。

何も道徳的に良いことをしてねと言いたいわけではなく、感謝を使うことで自分が絆や信頼を感じやすくなる、ってことなんですよ。

また、愛されることがわからないと感じる人ほど、感謝を実践してもすぐにはピンとこないものかもしれません。が、それでもコツコツ続けると、まるで髪の毛が伸びるようにゆっくりとその実感が育ってくことが多いものだと僕は思います。

逆に、自分が愛される実感を受け取っていない状態で、相手に不満や文句、批判を続けると(これらの行為が完全にダメなことと言い切ることは難しいのですが)、より愛されることが分からなくなる、と言えると思います。

ただねー。

愛されてる実感って、自分が想像する以上にパワフルなものだから(それぐらい人の愛にはパワーがある!)ガチで愛を受け取るってすごく怖いんですよね。

ここで「てやんでい!」と開き直って頑張って受け取ってもあまり意味はないんですよね。

自分では愛せない自分を誰かが愛してくれている、という事実の前にひざまずく必要があるのでね。

まぁ多くの場合は、「そんなものはこの世に存在しない!」と言いたくなったり、「プライドが許さん!」とか、「そんな依存はあかん!」とか、「相手より私のほうが愛し上手なんだよね!」と言いたくなってしまうものなのでしょう。

が、それを手放して、自分に向けられた好意や愛を受け取ることができると、自分がそれを人に与えることができるようにもなりますからね。

もしあなたのそばに、あなたのことをあなた以上に愛してくれるパートナー(家族、仲間、知り合いでもOK)がいるならば、その人の視点に立って自分を見つめてみてはいかがでしょう。

そしてその気持ちを信じて感謝してみてはいかがでしょう。

そこを通じてあなたが得られるメリットは「自分も同じように人を慈しむ力を持っていると気づくこと」ですから、うまくできるとかなり良い効果が期待できると思うんですよね。

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