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「恋愛に積極的になれない」というお悩み
僕がカウンセリングでお会いする方の中には、一見恋愛での失敗を恐れているようには見えない方がいます。
つまり、多くの男性に「きっとあなたは恋愛を恐れていないだろう」と思われている可能性がある方がいるわけです。
だからでしょうか。会社の同僚などにに「実は彼がいないんですよー」と伝えると、「そんなふうには見えないと言われる」とおっしゃる方も少なくないんですよね。
それがショックだという方もいれば、そんなふうには見えないと言われるのに、どうして恋愛がうまくいかないのだろう、と考え込まれる方も少なくないようです。
また「私、そんなに自分のこと嫌いじゃないのに、恋愛がうまくいきません」と伝えてくださる方もいます。
いわゆる「恋愛がうまくいかない」と悩んでいる方のイメージって、「自分に自信がないと感じている人」となっているのかもしれませんね。
しかし、実際はそういうわけでもないというわけです。男女問わず、こんなにいい人が?!と思える方でも、悩まれている方はいらっしゃるということですね。
「こんな自分になりたくない」が、恋する気持ちを封じ込める
さて、恋愛がうまくいかないと思っている方は、どうしてそう感じているのか、という疑問って感じませんか?
自分のことをそこまで嫌いではないし、たしかに落ち込むことはあるけど、いつも仕事頑張ってるし、友だちもいるし、自分のこともそこまで雑に扱ってはいない。
しかし、こと恋愛となると、つい気持ちが引いてしまって積極的になれない。
そういったお悩みをお持ちのみなさんをサポートさせていただいて、もう10年以上経つのですけど、様々な方のお話を伺っていると、概ね以下の3つの理由で悩まれていることが多いと分かってきました。
- 過去にひどい失恋をし、二度とそんな経験はしたくないという思いから心を閉じてしまったというケース
- 恋することに強い恥ずかしさを感じて、大人としての心を開くことができずにいるケース。
- 子供の頃から片思い体質で、自分の気持ちを伝えることが苦手なケース。
「1」は、ある意味わかりやすいケースです。ものすごく好きになった人と別れる経験をし、その失恋・別れの痛みをもう二度と感じたくないと警戒し続けているわけですね。だから、人を好きになること自体が怖いと感じている方も少なくないんです。
「2」は、奥ゆかしい女性に多いパターンと言われることもある話。ついつい「恥ずかしさ」を感じると自分らしくいられなくなるので恋愛を避けているケース。でも恋愛に憧れないわけじゃないんですよね。
「3」は、子供時代からいい子の役割を担ってきた人に多いですね。自分から親や家族に関わって迷惑かけるぐらいなら、何も表現しないで自分でちゃんとしようと思った人。だから、友達、家族にも好きだの、寂しいだの、助けてだの云えずにいる人ですね。
もちろんそれぞれのパターンで、カウンセリングの進め方って変わってくるのですが、ただここには一つ「共通した思い」が隠れています。
それが「こんな自分になるのは嫌だ(あんなふうにはなりたくない)」という気持ち。
「1」の場合は、また傷つくのは嫌、という気持ちがわかりやい例ですけど、それだけじゃありません。実は「フラれるのが怖すぎて、相手にすがったり、嫉妬心にかられることが嫌だ」と感じていることも少なくないんですよね。
「2」の場合は、もう恥ずかしさにやられちゃうのが嫌、自分を見失うのが嫌、というケースですね。せっかく今まで社会人としての自分を作り上げてきたのに、恋愛で今までの自分が崩れ去ってしまうことが怖い、と感じている方も少なくないです。
「3」の場合は、片思いばかりして悲しい思いを抱え、しかし一人ぼっちで生きていくのは嫌だ、という感じ。誰かを好きになったとしても、その気持ちを誰にも分かってもらえない寂しい自分になることは避けたい、と感じている方が少なくないです。
つまり
「1」の場合は、フラれたり、嫉妬に駆られる自分を批判しているわけです。
「2」の場合は、恥ずかしすぎて自分を見失ってしまう自分を批判しています。
「3」の場合は、自分の気持ちが伝わらないことに諦めを感じていて、その自分を批判しています。
そして、こういった気持ちの奥底には「好きな人を愛せない私にはなりたくない」という気持ちが眠っているものです。
つまり「私は好きな人も愛せないような、全く愛のない存在だ」と感じたくないということ。
好きな人を愛せない自分でいることが耐えられない。だから、恋愛に積極的になれないと感じている方は多いのです。
好きな人を愛せない辛さと両親との関係性
(※この項目はアメブロには書いていないけれど重要なパート。特に「愛したい女子」「忍耐女子」の皆様必読です)
さらに深層心理を見つめていくと、こんな事がわかってきます。
「自分に対して愛がない態度を見せた人を、未だ心のなかで許しておらず、責め続けている」
その典型例は「子供の頃の父親・母親」です。たとえ大人になってから関係が良好でも、過去の両親のことを批判し、責めているなら、同じことになりますね。
ここに「愛がない人間」という心の影の要素(シャドー)が見えてくるわけです。
「確かに両親には良いところもあったし、愛情もあった。けれど、両親のような子供(自分)が困っているときに反応しない大人にはなりたくない」という思いを抱いていると、その思いが、今の自分を縛り付けるルール・正しさとなっていくのです。
こうなると、今の自分に人を愛せない事情があったとしても、その事情は「言い訳」でしかなくなります。
友達などに「恋愛ができなくてもあなたはあなたでいいやん、私は好きだよ」「今まで頑張っていたやん」と言われても、その言葉がどれだけの優しさがあれど、ただの慰めの言葉ようにしか感じられないのです。
むしろ自分の気持ちは理解されていないと感じ、どんどんプライドばかり強め、ムカつくようにもなりますね。
その結果、どんな事情があれど「結局私は人を愛せないダメな人間やねん」と自分を裁くことしかできなくなっていくわけです。
「いくら自分ががんばれていてもダメ、足りない。そもそも自分は人を愛さないめっちゃひどい人間なんだ」と思い込み、自分を罰するわけです。
だから、今の自分を好きになってくれる人がいないと感じるし、好きになってもらってもいつか離れていく、と感じるわけです。この状態で積極的に恋をしなさいよと言われても・・・ねぇ。僕なら嫌だと言うかもしれない。
もうね、かなりぶっちゃけた話をすれば、このコラムに書いている「人を愛せない理由」を知ったとしても、その学びを使って、さらに自分を問題視し、恥にしてしまう場合も少なくないでしょう。
だからダメなんだ、という部分に意識が向くといいますかね。
それこそが罠なんだけど、気づいてくれますかねぇ・・・。
*
では、なぜこのような心理が生じるのかなのですが、その理由はとてもシンプルです。
その内面で未だ「自分を愛してくれなかった、助けてくれなかった人(両親)」の事情を理解できず、許していないからなんです。
人によっては「親に愛されなかったのは、自分が不十分だったから」という思い込みを強めている場合もありますよ。
これは「自分が許せないでいる心理的要素が両親にある」ということを示しています。だから、自分に同じ心理的要素があることが許せないと感じます。
だから、恋愛できない自分も、人を愛していない自分も、理解することなく、ただ責めつづけるわけです。その反省から自分磨きをしたり、自己肯定感を高めるプロセスを歩んでも、それはまるで償い・埋め合わせのような感覚にしかならないので、なかなか自分のことを良い人間だと思えないんですよね。
むしろ、どれだけ努力しても、誰かを愛することができない自分を許し、受け入れることが嫌なままなのです。自分にがっかりしてしまうんですよね。
そう思うなら、もう自分を救う手立てはなくなるでしょ?
すると、自分にできることは「なにもしない」こと。恋愛に積極的にならないこと。恋愛以外のことで自分を満たすこと、になるんです。
どれだけ恋がしたい、愛し合いたいと願っていても、今のままでは難しいと感じてしまうのです。
人は愛さないことを使って自分を罰することがある
しかし、ここで自分が感じている辛い感情こそが、癒やしに貢献するのです。
例えば、「好きな人を愛せないことは辛いことだ」という痛みを感じているのは自分ですよね。
だとすれば、かつての両親も同じだった、と理解できるはずです。
「あなたという存在を愛せないことで、両親はどれだけ辛い感情を感じていたか」ということを理解してみるのです。
かつ、今の自分は「好きな人を愛せないことの辛さ」を知っているはず。
ならば、その気持ち通じて、「人を愛さないことは自分への罰になるものだ」と理解できるはずです。
つまり、両親はあなたを愛さないことで、自分を罰していた、と理解できるかどうか。
あなたに価値がないから両親に愛されなかったのではなく、人は愛さないという行為を通じて自分を罰することがある、と理解できるかどうか。
この「人を愛さないという行為が強烈な自分への罰になること」を学ぶときなんです。
両親がなぜそんな罰を自分自身に与えていたのか、その事情を理解することなんですよ。
その上で、あなたが両親に感謝したり、その事情を超えて愛することが出来たとき、自分の中にあるルール・正しさを手放すことができるようになるのです。
その結果、自分にも「好きな人を愛せない事情がある」と、自分許し、責めることなく受け入れることが可能になります。
だから、「私には人を愛せなくなる事情があるようだから、それを解決すればいい」とシンプルに物事を考えることができるんですよね。
自分を責め嫌うより、受け入れていくこと
やはり僕たちは人間だから「こんな自分になるのは嫌だな」と思うものでしょうし、それ自体、人間か感じる自然な感情の一つといえるかもしれません。
そんなとき、僕からカウンセリングにお越しいただいた方に、こうお伝えするのです。
「確かに、こんな自分になりたくない気持ちって強いものですし、そのお気持ちは僕なりに理解できます。
ただ、「こんな自分になりたくない」と悩んでいても、次に進めないことってありますよね?
だから、あなたが「こんな自分にはなりたくない」と思ったときこそ、カウンセリングという場を上手に使っていただきたいんです。
もしあなたが「嫉妬に駆られそう、やばい」と思うなら、一緒に気持ちを軽くしていきましょう。
もしあなたが「恥ずかしすぎてどうにかなりそう」と思うなら、ちゃんと感情になれるためにセッションしましょうよ。
もしあなたが「もう失望したくない」と思うなら、その気持ちの半分は僕が持つし、丁寧に癒やしましょうよ。
もしあなたが「愛のない自分を感じたくない」と思うなら、その気持ち、まるっと愛情なんだよな、と感じていただけるようなサポートをさせてもらいます。
そもそも愛がない人が「愛がない自分を感じたくない」とは思わないでしょ?
あなたがキツイなー、こんな自分嫌だなーと感じるときこそ、共に歩んでいきましょう。」
*
誰にだって多少なりとも「受け入れられない自分」があるものです。そこを乗り越えることができたら、また新しい自分と出会えるんですよね。
ただ、この自分は、そもそも一人では受け入れられない手強い自分だから受け入れられなかったわけですよね。(禅問答みたいですけど・)
だから、もしあなたが「受け入れられない自分」と出会った時に、何を選び、どう行動するかが、恋愛がうまくいかないという状態を変えていくポイントになります。
信頼できる友達、仲間、先輩、家族、いろいろあなたを支えてくれる人はいるなら、相談してみるのも手です。
そこで人の手を借りないことが「自立」であり、自分一人ではどうしようもないことと向き合っているのかもしれません。それすら自分一人でなんとかしようとすることが「超自立」であり、パートナーや人を必要としない生き方ともいえます。
とはいえ、その生き方を選ぶことが悪いわけじゃありません。そういう生き方を選ぶにも事情があるでしょうし、僕は決して否定的に見ていません。(そもそも僕自身、自立を強める傾向がある人間ですしね・。)
しかし、あなたが幸せな恋愛・パートナーシップを望むなら、「こんな自分になりたくない」という気持ちを、誰かと一緒に超えていく選択をしてみてもいいのではないでしょうか、と僕はご提案しています。
僕自身、長い間一人の世界で生きてきましたけど、確かに結婚するとき、自分一人の世界から外に出たことを今でも覚えています。正直、一人の世界はそれなりに快適でリスクもあまりない世界だったので、出ることにすごく抵抗がありましたけど、それでも誰かと生きていきたい気持ちを選んだんですよね。
それがパートナーシップの根底に流れる、支え合い、分かち合うことの始まりだったんだなと、今、振り返ってみると思えるのです。
*
そして、もしあなたが「恋愛がうまくいかないことで悩んでいる」なら、こう考えてみてもいいでしょう。
「私はどんな自分になりたくないと思っているのだろうか」
そして、その自分をゆっくりと、少しづつでも許してあげてください。
頭ごなしに否定しないで、やさしく受け入れてあげてほしいのです。
嫉妬に駆られることも、恥ずかしがることも、失望を怖れることも、それなりの事情があるから起きることですよね。
だとしたら、その自分を嫌がるよりは、向き合って受け容れてもいいのだと僕は思います。
ただ、この自分を受け入れようとすると、やっぱり強い葛藤を感じる部分ことも多いです。そんな簡単に受け入れられるようなものではないかもしれない。
だから、決して無理をせず、ある程度時間を使いながら、お友達など信頼できる人にいろいろ話してみたり、自分の気持ちが落ち着くことを日常に取り入れながら向き合ってみてください。カウンセリングという手段を使ってみてもいいかもしれませんしね。
また、「自分を受け入れられないこと」を問題にすると、また別の問題となってしまいますので、そりゃ今までは無理だったんだよね、誰にだって起き得ることだよな、と理解してみてくださいね。
※この記事は2020/8/12にアメブロ・恋愛テクニックに投稿した記事を大幅に加筆した再編集版です。
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