日常に使える心理学

期待に関する一考察

期待するから相手のことが見えなくなる?

いきなりですが、僕たちは他者や物事に期待することがありますよね。

例えば、未来に期待する、パートナーに作為を期待する、友達に理解してもらうことを期待する、などなど、まぁ当たり前のように期待するわけです。

もちろん、自分が期待される側に回ることもありますし、知らない間に期待の目を向けられていて、「もう期待してたのにな〜」と言われ、なんだか申し訳ない気持ちになることもありますよね。

そんな期待ですが、実は期待は期待のままにしておくと、なぜか対人関係のトラブルにつながることも多いのですよね。

特に「期待は相手のことをよく知らないまま価値を見ること」になることがあるので、期待するほうは失望しやすく、期待される方は自分の事情を理解されず、しかしプレッシャーを感じる、なんてことも起こりやすいのです。

今日はそんな期待の話を少しまとめてみようと思います。

そもそも期待そのものは悪いとは言えない

人がなにかに期待するとしたら、それは「期待する対象の価値を見ている」とも言えますよね。

この「価値を見ている」という意味では、期待も悪いものだとは言えないと思うのです。

例えば、子供の未来に期待する親がいるとしたら、それは「親が子供の可能性を信じようとしているから」とも言えます。

パートナーに愛してもらうことを期待する人がいるとしたら、それは「パートナーのことを好意的に捉えているから」でしょうね。

僕の場合なら、お気に入りのアーティストの新譜に期待することなんてザラにありますよ。今度の新作はきっといいものに違いない、と勝手に期待しますものね。

だから、例えばご相談の中で「彼に期待しちゃうんです」「娘に期待しすぎてプレッシャーを与えちゃったのでしょうか」といったお話を伺うと

「それは相手の価値を見ているからですよね」

と僕は捉えることが多いかな、と。

むしろ「相手に期待しないように」と自分の気持ちに禁止をかけるほうがしんどいかな、と思いますしね。

期待は相手のことをよく知らないまま価値を見ること

ただ、時として「期待」は、相手のことをよく知らないまま価値を見る(未来の可能性などを探る)ことにもなるわけですよ。

言い換えるなら、期待するだけなら「相手のことを知らなくても可能だ」ということ。

ここが最も気をつけておきたいことなのかもしれないですね。

例えば、彼に愛してもらうことを期待する。

そう思うお気持ちに罪はないのかもしれないし、彼のことが好きじゃきゃ期待しないのでしょうが、しかし相手の様子や事情までよく知ろうとはしなくなるかもしれない。

例えば、子供の未来に期待して、子供の行動に期待をかけ続ける。

そう思う親御さんのお気持ちが悪いとも言えないのかもしれませんが、あまりに一方的に期待しているときほど「子供の気持ち」を見落としてしまうこともありえるかもしれません。

もちろん期待が常に悪い結果を導くと限らないのですが、ただ特に注意したいのは、期待は「相手の価値を見ること」とも言えるので、期待する側に相手のことを見落としているという意識がないこともあるのです。

だから結果的に悪気はないんだけど「相手の様子を知ろうとしていない」もしくは「すでに相手のことはもうよく知っている」と思い込んでしまうこともしばしば起こります。

これは「相手のことを知らないということがわからない」という状態と言えまよね。

そう考えると、相手のことを知る、相手の事情も考慮に入れるって大切なコミュニケーションの要素になるのかもしれませんね。

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