心理カウンセラー浅野寿和です。いつもありがとうございます。
今日もお仕事をしながら名古屋ルームにおります。お盆のまっただ中、暑いですねぇ・・・。エアコンのありがたさが身にしみる今日このごろです。
よろしければお付き合い下さい。
これもカウンセリングの中でお聞きする言葉の一つ。
「私には何だか幸せって遠いもののような感じがしていて・・・」
幸せになりたい、素敵なパートナーがほしい、温かい家庭がほしい・・・;
そう思いながらもどこか「幸せな世界」がいつも自分から遠い場所にあるような、そんな感覚を持っておられる方にお会いすることがあります。
「私は昔から、幸せと自分の間隔の間に何かしらの距離を感じている。それはもう届かないものだと感じてきた。
だから、自分を許して幸せになってね、幸せになる許可を出してね、と言われても、そんなことで幸せになれるとは思えないんです。」
そんなお話をお聞きすることもありますね。
それはそれとても切ない感覚を感じられることもあるかもしれませんし、諦めに似た感覚を感じれば感じるほど、更に切なくなるかもしれませんよね。
さて、僕がこういったお話をお聞きしながら気になることはこんな感じなんです。
その方が「どうして幸せを遠く感じているのか?」ということ。
ここで一般的に考えられることをザックリ列挙すれば。
・自分の中にあるコンプレックス、劣等感などが影響して、幸せになれるセルフイメージが持てない
という考え方が一番思いつきやすいことなのかなと思うんです。
が、カウンセリングをさせて頂いていると、そうではない感覚に出会うこともありますね。
特に
・私が幸せになることは、誰かが不幸になったり傷つくことだという「幸せには限りがある」発想を持っている
・自分が幸せを選ぶことは、誰か(特に家族や今付き合っている人)を見捨てることになる
といった感覚を何かしらの理由で強く感じていると
「自分から幸せを選ぶこと=悪いこと・罪悪感を刺激すること」になってしまうので、感覚的に幸せというものを自分から切り離したり、遠い場所にイメージしてしまう方もいらっしゃるようです。
最近も、本当に家族思いの優しい方数人とカウンセリングさせていただく機会がありましたが
「家族の幸せが一番で、家族が困っていたり、十分幸せではないのに、私が幸せになるなんて・・・」
といった感覚をお持ちで、
「家族が大変なときに、自分の幸せを望んでしまうような、そんな自分が嫌だった」という過去の感覚を告白してくださった方もいらっしゃいました。
家族を想う気持ち、それはたしかに愛情ですね。
しかしその影響であなたのイメージの中で幸せが遠くにあるようになってしまっているなら、それは犠牲かもしれません。
つまり、「自分は幸せを望んではいけない」という罰の物語、「罪悪感」がもたらす発想にいつしかすり替わっている可能性があります。
この罰の物語は、自分が一番悪者だと感じさせるストーリーを描きますから、なかなか強力にあなたの幸せへのプロセスを堰き止めてくれますね。
これ、ご自分でも気づかないうちに、あなたが家族や大切な人のために心を砕いているうちにすり替わっちゃう事が多いんですよね。(特に思春期辺のあなたの経験が影響しているケースが少なくないようですが)
なので、こういった感覚をお持ちの方ほどこんなお話をしてくださいますよ。
「みんな大変だけど頑張っているのに、世の中にはもっと辛い人や飢餓にあえいでいる人がいるのに、私はまだまだ甘いんですよね・・・」と。
確かに世界の不幸や飢餓がなくなればいいと僕も心から祈っていますが、それと「あなたが自分を罰する」ということ、実はあまり関連性がないことのほうが多くないかな?と僕は思います。
あなたが幸せになって、大変た人たちのために行動したり、祈ることもまたできるかもしれませんよね。
ここに気づいて、「自分は幸せになるにふさわしい存在なんだよね」と罰の物語から抜けて、自分を許すことが一つの鍵になってきますね。
こういった感覚を強くお持ちの人ほど、幸せを選んでいい。僕はそう思います。
今回は以上です、何か皆さんの参考になれば幸いです。
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