恋愛の心理学

私も彼を愛して幸せな結婚したいのに別れたいし、拒絶したくなります。

浅野さん。浅野さんのブログにいつも救われています。

私は中学三年生の時に初めて彼氏ができました。
駆け引きなんて知らないその時の私は、彼のことも考えず気持ちを全部ぶつけて重い女になってしまい見事に振られました。すごく悲しくて辛かったですが時間とともに傷も癒え、新しい彼氏ができました。しかしまたもや依存して2ヶ月で振られてしまいます。

そんな後に同じ高校に通っていた1人の男の子に一目惚れをして、恐ろしい勢いでアタックし(笑)2週間で「名前も知らない男の子」から「彼氏」にしました。(若さってすごい)
そこから人生の絶頂ともいえるくらい幸せな日々が始まりました。
しかし、数ヶ月経った頃彼氏と同じクラスになったことで私の嫉妬が暴れ出します。

彼は男女共に人気があるタイプで、とうぜん女の子もたくさん寄ってきます。それが辛くて何度も彼氏にその感情をぶつけまくるようになりました。

そんな日々が続いて1年が経った頃、本当に突然、冷めて別れたくなったのです。まるで恋愛ホルモンがピタッと止まったみたいに。その時の私は、気持ちの変化が受け入れられなくてすごく苦しくて「好きなはずなのに、なんで、嫌だ、気持ち悪い、別れたい、わからないどうしよう、好きでいたいのに、、、」とよく分からない感情が溢れてきました。

そこからというもの

「付き合う→彼の存在が嫌になる(彼に嫌な所があるわけではない)→彼のことが好きじゃないと考え苦しむ→好きと嫌だを繰り返す→とうとう限界がくる→喧嘩したときに勢いをつけて別れる」

を繰り返すこと8人、、、。

今の彼も含め今までの彼はみんな優しくて私と結婚したいと本気で考えてくれるような方ばかりでした。

今の彼は特に、私の中で理想的な人で超いい男です。完璧じゃないあなたが大好きだよ、僕の側ではいつも楽にしててねって言ってくれるような暖かい人です。

私だって彼を愛して幸せになりたいのに。大好きなのに好きじゃなくて、結婚したいのに別れたい。求めながら拒絶する。自分の気持ちがわからないのです。カウンセリングもたくさん通いました。今の彼と幸せになるために何ができるのでしょうか。

ネタ募集ネーム:こじらせ独女さん

こじらせ独女さん、おまたせしました。ネタのご協力ありがとうございます。

なるほど、求めながら拒絶する、大好きじゃないのに好きじゃない、結婚したいのに別れたい、ってことですね。

今までたくさんカウンセリングにも通ってくださったということなんですが、そこでどのようなことを扱っていたのか、そこがちょっと気になりますけれど、しかし、幸せになりたいし彼を愛したいのにそれが難しくなるって切ないですよね。。。

愛したい、って気持ちがあるからこそ辛いですよね。ただ、別れたい、拒絶したい自分がいる以上、そういった反応を彼に見せてしまうだろうし、そんな自分をも相手が受け容れてくれるとなると、嬉しい反面、すごく苦しくなるかもしれません。

今回のご質問を拝見して思うことはいくつかありますよ。

特に今回のお話は「好きな人を大好きだと感じ、もうあんな嫉妬を感じる自分にはなりたくない」と思われているからこそ起きているお悩みだと僕は感じています。

が、このご質問には、かなり繊細な要素がたくさん入っているように僕は思います。なので、あくまでブログ上で回答できる範囲として書かせていただきますこと、ご了承くださいね。

嫉妬と自己嫌悪について考えてみる

しかし、数ヶ月経った頃彼氏と同じクラスになったことで私の嫉妬が暴れ出します。

その時の私は、気持ちの変化が受け入れられなくてすごく苦しくて「好きなはずなのに、なんで、嫌だ、気持ち悪い、別れたい、わからないどうしよう、好きでいたいのに、、、」とよく分からない感情が溢れてきました。

嫉妬って苦しいですよね。

 

嫉妬は無力感やら自己嫌悪やら、無価値感・罪悪感などネガティブな感情をミックスジュースにしたような感情なので、感じているだけで最悪な気分になるんですよね。

だから、嫉妬にかられている自分をどれだけ周囲から肯定されても、自分がはねのけたくなるものかもしれません。

自分の内面に受け入れがたい感情を抱えていると、肯定であれ否定であれ、なにを言われても嫌な気分しかしない、みたいなね状態になりやすいもの、といえます。

自分が嫉妬している気持ち、その苦しさを誰かに理解して欲しいと思いながら、しかし理解されても、それは違うと感じたり、しっくりこない、楽にならないということはあり得ると思います。

特に、このお話はあなたが思春期であった時代に起きたこと、ということですよね。

だとすると、あくまで一つの可能性としてですが「自分を受け入れられないほど自己嫌悪があった」と考えることができるかもしれません。

こうなると自分の軸がブレるだけじゃなく、自分のイメージの中に必要以上のネガティヴな要素が入り込むことがありえます。

思春期って僕たちにとって最も自己嫌悪が高まる時期、特に大人の自分に変化することに対する嫌悪感が強くなる時期でもあるんです。もちろんその時期を経て、自分とは何かを理解し、今の自分を受け容れていくことが、大人になっていくプロセスのようなものなんですけど。

ただ、自分に対する嫌悪感、いわば自己嫌悪が強いと自分を受け止めることができない場合があるんですよね。

すると、自分のいい意味での影響力もわからないし、自分が人を愛せることも、自分が人に愛されていることもよくわからなくなり、人と関わると嫌な気分しかしない、という状態になることも少なくないんです。

だから、人と関わる、愛する、愛される、好きでいる、ということ自体も苦しくなります。

なにより「好きな相手のことを気持ち悪い、嫌だ」と感じやすくなります。

ただ、これは「投影」で、自分が自分を気持ち悪い、嫌だと感じている分だけ、好きな相手に嫌悪感をいだきます。

これは恋愛の中で本当によく起きることといえます。

付き合う前までは素敵な人だと思っていた相手のことを、付き合ってみると嫌だ、気持ち悪い、相手の粗ばかり見える、なんてお話を伺うことがありますよ。

もちろん、実際に付き合ってみたら相手の裏側が見えたというケースもありますから全てあそうだとは言えないわけですが、相手と親密になり心理的距離が近づいたら気持ち悪くなり、離れたらまた好きだと感じるなら、これは自分自身のネガティヴな感情の投影である場合がほとんどです。

このとき、まるで自分が毒だというイメージ(事実じゃないですよ)が自分の中に入り込んじゃっているような状態だと考えることもできます。

もちろんそれは真実じゃありません。あなたが毒であるということはありえない話です。

しかし、誤解であれ、そう感じること自体が「嫉妬」に駆られる理由そのものなんです。

そこでちょっと考えてみてください。

嫉妬に駆られ、嫉妬を感じる理由となるようなネガティブな感情を持った自分を、最も大切で愛したい人に明け渡したいでしょうか。その自分で関わってみたいと思うでしょうか。

おそらく多くの人の答えはNOでしょう。

今回のご質問にも「彼のことを愛したいのに」と書いてくださってあるように、おそらく愛したいからこそ、距離を取り、相手の思いを受け取らず拒絶するでしょう。

その全ては相手に自分からいい影響を与えられない、と感じるから、ですね。

それほどまでにあなたは「愛したい人」なのでしょうし、大切な人に触れ、喜ばせたいと心の底で願っているのではないでしょうか。

だとしたら、あなたは素晴らしい人なのです。

だから、その自分に相応しい自分、自分の感情のあり方を見つめていくことが、あなたを取り戻すことになる、と僕は考えています。

 

それは相手と関わる不安なのか、それとも自分が嫌だから生じる不安なのか

よくあるケースとしては、付き合っている彼が私の方を向いていない気がして、不安が強まって他の女性に対しての意識が強まるばかり。友達や同僚に相談して「大丈夫だよ」と言われても、そうじゃない、不安が消えないんだ、とずっと感じてしまう、といった状態ですね。

だから、彼はどう思っているんだろう?と気になりすぎて、人に聞き続ける、ネットで調べ倒す、みたいな感じにもなりやすいかもしれませんよ。

実はこの時、自分自身が嫉妬を作る感情(無力感やら自己嫌悪などですね)を選択し続けているわけですが、そういった認識がないと自分でもどうしてこんなに嫌な気分で苦しいのか分からずに不安で、その不安を払拭したくて人に相談したり、彼の気持ちを確かめたい、と感じている状態が続くんです。

もちろん人に話すことで一定の不安を手放すことはできるので、相談の効果も意味もはあるのです。

が、その不安は「自分の内面に生じているネガティブな感情を感じていることへの不安」であることが多く、その不安だけを扱っても「なぜ自分はこんなに嫌な気分なのか、気持ちが揺れたり、嫉妬にかられるのか」まで行き着かないことが多いんです。

だから、「自分が何を感じ、どんな感情を選んでいるか」という意識の持ち方がとても重要になるんですが、恋愛や対人関係で起こる不安って「彼に見放される、相手に見捨てられる、愛したいのにうまく愛せない自分が嫌だ」といった別の強い不安に意識を取られていることが多くて、そのあたりの意識の持ち方が難しくなるんですね。

 

この状態をあえて例えるならば、素敵なお洋服を着ていても、やんごとなき事情で1週間お風呂に入れないでいたとしたら、やっぱり自分のことを気にするでしょうし、そんな自分自身のことをネガティヴに見ますし、できるだけ人に近づきませんよね?

全く自分が悪くないとしても、どこか人から嫌われないようにと思うし、嫌われたらどうしよう、嫌な顔されたら傷つく、と思うでしょうし、そんな自分を好きだと言われても嬉しくない、離れたい、と思わないでしょうか。

これはわかりやすくするための比喩なんですけど、もし自分の中で、自分でも扱いたくない気持ちや、自分自身のイメージ、それに似たような心理状態にあるならば、やっぱり恋愛のなかで「彼はどう思っているの?」と感じるし、「私、愛されると逃げたくなったり、好きなのに近づけない、拒絶したくなる」と感じるわけです。

だとしたら、たしかにこの問題は自作自演と言えますが、同時に相当に切ない話だと思うんです。

なぜなら「好きな人の前で最高の自分でいることができない事情がある」ということなのですから。これはめっちゃ切ないし、苦しいですよ。

また、そんな自分でいることが耐えられないと感じるなら、その心は自分を守るために、誰かを好きになること自体を止めるようになることも考えられますよ。

 

ただ、先の例えでいうところの解決策を書くならば「ちゃんとお風呂に入れない事情を解決すればよい」ということなんですよ。

感情として表現するなら、「なぜ自分が不安や嫉妬を感じたり、好きな相手を否定的に見ているのか」の理由を知り、その上で、自分を認める、素晴らしいものだと感じていくように心がけていくことなんです。

とかく、こういった問題を解決する鍵は自尊感情〜自分は誰かの役に立てている、喜びである〜という感覚、感情に許可を出し、それを受け容れていくことにあります。

 

 

 

天井知らずの自分へのハードル、その罠にハマっていないだろうか

ただそれは、すごい自分になろうとか、素晴らしい自分にならなきゃ、頑張らなきゃダメだと思うこととはちょっと違います。

もちろん「すごい自分になりたい」と思うこと自体問題とは言えませんし、ぶっちゃけ普通だと僕は思います。

が、私はもっとすごくならなきゃいけないとか、素晴らしい自分になれないならダメとか、今の自分が嫌すぎてどうしとうもないと思うなら、それは「あなたがあなたに仕掛けた天井知らずの過剰な自己愛の罠」にハマっているかもしれません。

ドライな書き方をすれば、自分が人からどう思われるかばかり気にしてしまっていて、それが苦しくて、どうにも扱えなくなっているような状態、といえます。

こうなると、いわゆる自分喪失状態になってしまうこともあって、自分が自分でよくわからなる上に、自分が感じる感情が悪くなっちゃうので、なかなか切なさが増してしまうものですよ。

また、無力感やら自己嫌悪など嫉妬の原因となる感情が強くなっていると、そもそもそこと向き合うのがちょっと大変なんです。そんな向き合うなんて無理、自分がいいと思うなんて無理、そんな自分と向き合う時間なんて辛い、と感じてしまいがちなんですよ。

だから、一発で自分の感覚を変えたいと思う人もいれば、時間はかけたくないと焦る人、なにをやっても自分の外側に自分を変える要素を求める人もいますよね。

それがいいかどうか、ではなく、そう感じる理由も僕なりに理解できる、という話とご理解ください。

ただ、時間をかけてもいいと思われるなら、自分の今の感情を見つめて「なぜそう感じるのだろう」と向き合っていくことが解決方法になることが多いものですよ。

なので、僕は基本的に「自分癒やしは適度にやってればいいですよ」と言う人間です。それはいい加減とか、手を抜くとか、やる気なく何もしないということではなく、焦らず、適度に、適切にやればいいですよ、という意味なんですけどね。

もし根性決めてガッツリやるなら、それなりに自分を絶対に幸せにし、その自分を通じて誰かに喜びを与える、という目的意識が必要になるもの。しかしそんな気分や目的意識も持てないほど、自分が信じられなかったり、疲れていることもあるので、まぁ適度にぼちぼちやっていきましょう、とお伝えしているんです。

それは骨折してすぐにリハビリをするのではなく、ある程度の回復を待ってリハビリするようなイメージだと思っていただけるといいかもしれません。

 

 

今のあなたにできることを考える

今の彼と幸せになるために何ができるのでしょうか。

いろいろと書かせていただきましたが、最初に書きましたとおり、「好きな人を大好きだと感じ、もうあんな嫉妬を感じる自分にはなりたくない」と思われているからこそ起きているお悩みだと僕は感じています。

その自分にはなりたくない、と思えば、やはり「好き」という気持ちは抑えることになるでしょうから。

そのために、いわゆるあなたの嫉妬などの原因となるネガティヴな感情はなぜ感じるのかについて見つめ、そしてその誤解をとくこと。

そして同時に「自分をコツコツ認めていくこと」なのだろうと思うのです。

ただ、嫉妬したくない、嫌な気分になりたくないと思うからこそ「好き」を手放したのなら、それは自分を素晴らしいと感じること自体を手放したいと感じる可能性も高いのです。

不思議な考え方なのですが、自分が好きで、人を好きになると、また嫉妬してしまうなら、そもそも自分のことも相手のことも好きじゃなければいい、愛さなきゃいい、と考えてしまうこともあるのです。

こうなると、いわゆる自己肯定感を高めたり、自分を認めること自体がリスクのように感じてしまうわけで、だからずっと自分を認めない、癒やせない状態になることも少なくありません。

だから、こういったときは「目的」をしっかり持つことがポイントです。

自分が幸せになり、自分の手で誰かを愛し、幸せにする私になる、というね。

このような状態でいわゆる「受動的」な目的、動機を作ると不安や自己嫌悪がすごく強まるので、自分から関わり、愛せる私になるんだ、という目的だけは持っておかれるといいと思います。

それが今すぐ上手くできるかどうかは別にして考えていけばいいですよ。

だから、自分癒やしも単に目的なく自己嫌悪と向き合うのではなく、こう考えてみて取り組んでみてほしいのです。

そもそもあなたは「大切な人を喜ばせたい人」である、と。

その自分を取り戻したい、と。

もしあなたがそういった人ならば、大切な人のそばにいてこんなに苦しい思いをし、悩み続けていること自体が罰のようなイメージになるわけですから、この罰は手放したいですよね。

 

なぜ僕がそう書かせてもらっているかといいますと、ご質問の最初に書いてくださっている「中学や高校の頃に勢いで彼を作った」という部分が気になっているからです。

これは「好きな人と関わる際に感じる怖れを吹っ切っていた」と読み取ることもできそうです。

人は怖れを吹っ切るときに勢い、つまり、何も見ないようにすることがありますからね。

だとしたら、その頃から好きな人と関わることへの怖れがあったと見ることもできます。

それが特別おかしなことだ、と言うつもりもないですし、誰しも多少なりともそのような恐れは感じるものでしょう。

が、かなりその怖れが強かったのかな?と僕は感じますし、その怖れが強かったということであるならば、そもそもその頃からあなたは一人で頑張っていなかったか、つまり自立していなかったか、ということも気になります。

もしそうだとしたら、なぜあなたはそんな自立を強めていたのだろうか?

と僕は想像しています。

ここに、あなたの中にある、誰かを愛し幸せにしたい、という気持ちと、それができないと感じてしまう自分との間でせめぎ合うような「葛藤」をなんとなく僕は感じていたりします。

だとしたら、昔からあなたは大切な人の喜びになろうとたった一人で頑張ってきた人なのかもしれないですね。

どうでしょうね?そこは実際にお話を伺わないとわからない部分でもありますけど、でも実感としてどうでしょうか?

 

なによりあなた自身もこう書いてくださっています。

「今の彼も含め今までの彼はみんな優しくて私と結婚したいと本気で考えてくれるような方ばかりでした。」

だとしたら、相手にはあなたの素晴らしさが見えていた、ということになります。

しかし、あなたはどうだったでしょうか。

なぜそう感じるのかには罪はありません。何かしらの事情があるだけです。

だから、自分を許し、もう一度自分から大切な人に関わり、相手を愛し、相手の愛を受け取るために、自分を見つめ直してみていただくといいかもしれませんね。

カウンセリングを利用する
カウンセリングを受ける

本当の幸せを見つめる・見つけるカウンセリングが人気!
心理カウンセラー浅野寿和のカウンセリングのご利用方法はこちら。

カウンセリングのご案内ご予約可能時間のご案内