恋愛の心理学

別れた恋人の新しいパートナーがどういう人か気になって仕方ない。その心理と処方箋

別れた恋人の新しいパートナーが気になりすぎる理由

浅野さんへの質問

別れた恋人の新しいパートナーがどういう人か気になって仕方ありません。

私達は同性カップルでした。新しいパートナーも同性のようです。
私と同棲していたアパートに一緒に住みだしたようで、相手の顔を見たくて前を通ったりしてしまいます。何度もです。そんなことをしては落ち込みます。
私は同性と付き合うのは初めてでしたが、生理的に無理になってしまったので、やり直したいとかではないのですが、その人のことは、大好きです。

こういうこと、止めるにはどうしたらいいですか?

ネタ募集ネーム:KMさん

KMさん、ネタのご協力ありがとうございますm(_ _)m

なるほど、別れた恋人の新しいパートナーが気になるのですね。

少なからず同じような気分になった経験をお持ちの読者さん、少なくないのではないでしょうか。

僕はもちろん経験済です・。

例えば、KMさんがおっしゃるように、家の近くを通って気にしてしまうこともありえるかもしれませんし。

SNSでずっと相手の動向を追いかけてしまう。
偶然を装ってDM送っちゃう。
共通の友達に相手の様子を聞く。

などの行動をとることもありえますよね。

あぁ、先に書いておきますが、相手の事情を考えず迷惑をかけるような行為まで、僕は承認しているわけではありませんよ~。

もちろんKMさんは「生理的に無理になったので、やり直したいとかはない」と書いてくださっていますから、問題ないと思うんですけどね。

ただ、このような別れた恋人に対する未練を持つことは、恋愛の中では起こり得ることですし、その心情は個人的に理解できるんです。

では、このようなとき、どう対処していけばいいのでしょうか?

本編へまいります。

禁止は欲求を作るの法則

私と同棲していたアパートに一緒に住みだしたようで、相手の顔を見たくて前を通ったりしてしまいます。何度もです。そんなことをしては落ち込みます。

そうですね。落ち込んじゃいますよね。

なんだか分かる気がしますよ。

この落ち込んじゃう気持ちの理由は、「なんでこんなことをしているんだろう、私」になることが多いと僕は思うんですね。

別れたなら、もうキッパリと相手との関係を整理して、線引すればいい。

過去に執着したり、未練を持つことはやめたい。

多くの方がそうお考えになると思うんです。

それでも気になってしまうから、落ち込んじゃいますよね。

だとしたら、まず「自分は相手のことが気になるんだな」という自分の気持ちのを禁止しようとしている可能性について見つめてみるといいかもしれませんよ。

「禁止は欲求を作るの法則」から、僕たちは禁止したものに興味を持つものです。

例えば、ダイエットしようと思うと、ついつい甘いものや好きなものを気にしてしまうように。

これは相手に言っちゃいけないと思う言葉だと気にするほど、うっかり口にしてしまうように。

「やっぱり自分は相手のことが気になるんだな」という気持ちを禁止しようとすると、「相手のことがめっちゃ気になる」ということですね。

ただ、そもそも感情って目に見えないですから、自分でも気づかないうちに禁止していることも、少なくないものです。

また、「別れたのにまだ恋人が気になるなんて・・・自分が感じている感情っておかしいんじゃないか」とだけ思ってしまうと、やっぱり落ち込んでしまうし、人にバレないように隠したくもなります。

「まだ未練を持っている自分って変だよね」
「パートナーとはいろいろあって悩んだはずなのに、未だ好きだと思うっておかしいかも。人と比べてどうなんだろう」

と、自分が感じている気持ちを、何かと比較して恥にしてしまうこともありえる話。

この感覚は「自分自身を恥じる」という感覚にまでつながってしまうことが多く、だから更に「自分の気持ち」を禁止して隠そうとしたり、バレないように素敵な自分でいようとするものです。

反面、別れた恋人のことがどんどん気になる、という矛盾もあるのですけどね。

 

そこにあった「分かり合えた」感覚がもたらすもの

恋愛やパートナーシップは「分かり合える」という感覚をもたらす関係です。

だから、別れという事実は「分かり合えなかった」という感覚をもたらします。

もし、パートナーと別れた事実を前にして、「二人は事情があって分かり合えなかったんだ」ということを受け容れられないと、過去に執着してしまうことが多い、といえます。

また、人は「愛されない」ことよりも、「自分から愛して受け取ってもらえない」ことのほうが辛い。

僕が学ぶ心理学の中では、そう言われています。

多く「パートナーと分かり合えなかった」という事実は、相手に十分な愛を自分が与えていなかったのではないか、もっと愛せたのではないか、という思いを刺激するものなんですね。

だから、別れでも、離婚でも、迷う方が多いのです。

あれだけ別れたいと思っていたにもかかわらず、別れ間際になると、「まだできることはある(あった)のではないか」「まだ理解を示せたのかもしれない」と感じるもの。

それぐらい「分かり合えない自分」というものは、自分で受け容れることに抵抗感がある存在なんです。

ここで、自分自身を受け容れ、元パートナーとの関係で起きたことを学びとすると、「分かり合えなかった自分や経験」は、自分の財産にもなります。

過去の経験を使って、「次は、どう人を愛そうか、理解しようか」と思えるようになっていきます。

しかし、「二人はわかり合えなかった」という事実や、「分かり合えなかった自分」の存在を受け入れていないと、分かり合えなかった自分は「罰を受ける存在」として、元パートナーは「自分を罰する存在」としての心理的なシンボルになるんです。

私は、わかり合えなかった。
私は、パートナーにわかってもらえなかった。
私は、パートナーをわかることができなかった。

そう感じる理由になるんですね。

ここに何かしらの罪悪感(無価値感)が登場します

人によって、被害者意識(私は選ばれなかった・愛してもらえなかった)となる場合と、加害者意識(私は愛しきれなかった・相手を傷つけた)となる場合がありますけどね。

この感情は誰しも受け容れたくない感情ですから、ついその感情を解消したくなって、今までのことはなかったことのようにして忘れようとしたり、元のパートナーに意識を向けて「まだできることがあるかも?」と感じたり、「相手の気持ちは今どうなっているんだろう」と気にしてしまう、いうわけです。

だから、つい元パートナーの様子をうかがったり、SNSで追いかけたりということが起きる。

それは、自分の罪悪感・無価値感を埋め合わせる行為なんです。

だから、KMさんのように「気持ちとしては好きじゃない」と感じていても、何かしらの後悔などを残していると、つい相手の行動や気持ちに興味が出てくることもある、と考えられます。

自分の感じている罪悪感や無価値感は感じたくない。

けれど、自分で受け容れることが難しい。

すると、その感情を感じる元となった人、元パートナーと関わりたくなり、その感情を解消したくなる、という考え方。

しかし、実際は相手は別の人に興味を持ち、自分に興味がなかったとしたら、自分はさらに残念な気持ちになりますね。

もちろん相手を追いかけることで自分が落ち込むことも同じ。

結果的に、元パートナーを「自分に罰を与える人」のように自分で使っちゃうんです。

だから、このような心理状態で元パートナーと向き合うとなると、ついつい嫌味を言いたくなったり、嫉妬を感じたり、つらい気持ちになってしまうことが多いというわけです。

でも、苦しいんですよね、この状態。

だからできる限り早く抜け出したいところではありますね。

 

受容と許し・感謝がポイント

もし、二人が別れになるとしたとしても。

自らがお互いのことを考えて、その上でコミュニケーションして別れるなら、それは最後まで「分かり合えた」「少なくとも私は相手に理解を示した」となるので、「分かり合えたよね」という事実を残しやすくなります。

しかし、「分かり合えない自分」「パートナーと分かり会えなくなった事実」とはなかなか向き合いたくないものです。

だから、別れ際、話し合わずフェードアウトしたり、相手を責め続けていたり、「もう興味がないわ」といった態度をとると、なぜか過去の分かり合えなかった経験が、自分の後悔や、執着、失敗感につながっていくことにもなります。

そういう意味では、最も後悔や罪悪感を残しやすい関係って「自然消滅」なんですよね。

お互い、別れに至った理由はなんなのか、今お互いのことをどう思っているかがわからずにもやもやしてしまうんです。

 

もし、今、相手に対する恋愛感情がなかったとしても、すっきり前に進むことはできなくなることが多いです。

そこには「未だ受容できない自分」が残っている、という感じになるんですよ。

もし、「別れた恋人の新しいパートナーがどういう人か気になってしまう」「別れた恋人をずっと忘れられない」といった思いがあるなら、次のようなことにチャンレジしてみるといいと思います。

・自分の感情を受け容れること

「あぁ、私はまだ相手のことを気にしているんだな」「分かり合えなかったんだよな」という事実を受け入れてみる。
だからといって、ムリにつらい気持ちを感じるのではなく、ただそう感じている自分を受け入れることです。

※もし強い辛い感情や恨みつらみがまだ出てくるなら、信頼できる人やカウンセラーと話をしたほうが安全です。一人で頑張ると自己嫌悪を強める場合もあるので注意してみてくださいね。

・相手からの行為で感謝できることを思い出し、心のなかで感謝する

分かり合えなかったという事実は罪悪感や無価値感を刺激しますから、この罪悪感や無価値感に対する癒やしのメソッドが有効になります。

「感謝・許し」は罪悪感を癒やすメソッド。相手からの好意や相手との出会いに感謝の気持ちを持つと、自分自身の気持ちが楽になっていきます。

その結果、相手への強い補償の意味での興味が薄れていくというわけです。

・自分が与えたかったことを見つめ直す

先のことに取り組んで、しばらく気持ちが落ち着いてきたら、「私は本当に何を与えたかったんだろう」という部分を見つめ直してみてください。
ここには自分自身の好意や愛情があります。
もちろん、もう相手に伝えることができないことは切ないことですが、自分の内面にある思いに気づいてみてください。

自分の意味や価値を受け取る感じですね。自分を許す意味も出てきます。

それでもなかなか忘れられないとしたら、また別の心理の影響が考えられますので、具体的に相談されてみてもいいかもしれませんね。

 

自己受容できていない状態で出会ったパートナーは余計に気になる

【ここからはおまけです】

今回の話は、いわゆる「彼に(彼女に・人に)よく見られたい症候群」も同じようなことがいえるんです。

誰だって人によく見られたいものですが、人と好意をかわしあう王道は、「どう見られるか」より「何を見せたいか」に意識を向けることなんですよね。

とはいえ、ときには、自分(の気持ち)を否定してでも、疑ってでも、人にバレないように努力しながら、自分をよく見せようと頑張りたくなることもありません?

これは僕たちがよくハマる心理の罠なんですけどね。

ただ、いくら自分を隠しても、自分を受容できずにいれば、自分の一部をありえないと否定したり、突っぱねてしまうことになるのですね。

これは、自己否定につながります。

また、自分で自分を突っぱねて、自分を嫌っている分だけ、つい「私が私を嫌っているのだから、人も嫌うだろう」と思い込み、「どう見られているか」ばかり気にしてしまうというわけです。

これは「人の愛を拒絶する」という行為につながっていきますから、更に「愛してもらえない(だから、受け容れて欲しいのに・・・)」という気持ちが高まって辛くなりやすいです。

これは、心理学の「投影の法則」によって起きることです。

その結果、自分に手に入るものが,生きづらさや、人にどう見られるだろう?という不安なのですが、なかなかこの補償行為はやめづらいものですね。

だからこそ「自己受容ができていない部分が多い状態で出会ったパートナー」は、別れても、別れなくても何かしらの執着の対象になりやすい、といえます

「自分が受け容れられない自分」を、受け容れてくれた人、もしくは受け容れて欲しいと期待するようになりますからね。

このとき、自分を隠している分だけ、いくら相手に「自分を受け容れて(私を分かってほしい)」と伝えても、なかなかスッキリしないんですなぁ。

なぜなら、自分で自分を受け入れられない分だけ、「こんな自分が受け入れられるわけがない」「自分を受け入れてもらうなんて申し訳ない」と、深層心理で感じるから。

ここで、ちょっと一息ついて、「自己受容」を自分の選択としてすすめると

「人は今の自分を受け入れてくれている」と自分が感じるようになるので、と気持ちも楽になるのです。

自己受容は、その気になればできることですし、諦めなければ大丈夫です。

「あぁ、今、私はこんな気持ちを感じているんだな」と受け容れていくことです。

「確かにこれも私だな」「こんなすごい部分も私」と受け容れていく感じです。

もちろんいつも一人で頑張る必要はないんです。信頼できる人に気持ちを話してみてもいいですしね。

自分が前向きに、幸せになりたいという意欲を持っていれば、なんとかなります。

どんな感情も、打ち勝つものではなく、受け容れるもの(それを使って人を愛するもの)として使えば、意味が出てきますからね。

ただ、ここでは、自分の心の体力、コンディションが重要になりますよ。いつもムリすると、なかなか受け容れることが難しくなったりもします。この場合はちょっとお休みが必要ですよね。

いかにここを上手に、できればハードコアではない方法でやっていきたいところです。

逆に、自分の気持ちと向き合うことを拒否する度合いだけ、自分の「判断」が強まると考えてみてください。

「きっと〇〇だろう」
「人はきっと〇〇と思ってる」
「私はきっと〇〇だ」

その判断が投影されると、「きっと人はこう思っているから」という判断で自分を守りつつも、しかし怖れの世界が広がってしまうというわけです。

そして、この自分の判断は、目の前の人だけでなく、世界を判断する基準になりますから、「あぁ、もうムリだろう」と感じていく理由にもなります。

本当の「相手の気持ち」や「今の状況」のあり方を、自分自身の判断で捻じ曲げてしまうこともある、というわけです。

「今、自分が何を感じているのか」

ゆっくりとでも受け容れていくこと。

この習慣を身に着けたり、実際にチャレンジすることが、自分自身を変容させるカギになりますよ。

以上、参考になりましたら幸いです。

ABOUT ME
浅野 寿和
カウンセリングサービス所属心理カウンセラー。名古屋を中心に東京・大阪・福岡で〜旅人のように〜カウンセリング・セミナーを開催。心理学は現実で使えてなんぼ、がポリシー。
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