ほぼ30代からの心理学

無害者的な見方をすると、自分がもっと見えてくる

何が良くて何が悪いから抜け出せると本当に楽です

カウンセリングサービス・心理カウンセラー浅野寿和です。

いつもありがとうございます。

今日はいろいろなことがあり、これまたいろいろといい刺激をもらう1日でした。

そこで今日の気づきをみなさんとシェアできたらと思い、まとめてみようと思います。

よろしければどうぞ。

感じることにいいも悪いもない

どんな感情も、感じる事自体にいいも悪いもないものです。

ただただ、そう感じる、ということですから。

正しいわけでもないし、間違っているわけでもないわけです。

例えば、「夫がいつも話を聞いてくれずすごくイライラする」というお話があったとして。

イライラを感じること自体に、いいも悪いもないものです。

むしろイライラする事がダメだ、と考えるほうがしんどいですよね。

イライラしている自分がダメだ、と考えるならもっとしんどくなりますよね。

目の前のできごとと、自分の課題は別だと考えることもときには必要

ときには、自分で引き起こしていない何かしらの問題を自分の問題や自分の責任に感じてしまうこともあるようです。

しかし、自分の行動や感情の範囲を超えている部分まで、全て自分の問題や責任だと感じる必要はないんです。

目の前のできごとと、自分の課題は別だと考えることも、ときには大切なことなんですよね。

例えば、彼(夫)がいつも話を聞いてくれずイライラするなら、その話を聞かない部分に関しては夫の範疇にあるものです。

それによってイライラしている私。ここが自分の範疇です。

このように切り分けて考えてみること。

これが「自分以外の人の行動の責任は自分にはないが、その影響で感じる感情は自分の責任である」という考え方。

こう切り分けることができると随分と楽になれるものです。

まずそこをしっかり取り組まれると効果的です。

「夫婦がこんな状態なら、普通こう思うでしょ」
「私がこう感じるのは当然だよね」
「相手にイライラをぶつけたらショックを受けるかな」
「あれだけ夫に言ったのだから、今頃はちゃんと考えてるに違いない」

そういった思いになることもあるかもしれませんが、これは「目の前のできごとと、自分の課題は別だと考えること」とはちょっと違います。

ちなみに

・「普通こう思うでしょ」は一般化。

これは判断の一つです。人によって感じ方は違うものだから、どんなことも普通で片付けると自分もしんどくなりますし、分かりあえないことが増えます。

・「こう感じるのは当然だよね」は正当化。

これも判断の一つ。自分の価値基準での判断自体が問題ではありませんが、使い方を間違うと、自分もしんどくなり、わかり合えないことが増えます。

・「相手にイライラをぶつけたらショックを受けるかな」は罪悪感

相手を傷つけてしまう→自分が悪い人間で、愛がない存在だと感じていると、こう考えることが増えます。表面的には相手への気遣いや優しさのように見える、自分への罰であることが多いです。自分を罰する必要はないはずなのですけども。

・「あれだけ夫に言ったのだから、今頃はちゃんと考えてるに違いない」は期待

期待は期待はずれの母と言われていて、きっと〇〇だろうと思う分だけ、失望が増えるんですよね。そして失望の数だけ自分が辛くなり、更にイライラしてしまうことも。

もちろん、このように感じること自体、まずは否定せず、受け止めておくほうがいいと僕は思いますし、「そう感じているのが今の自分」だと受け容れておいてもいいですよね。

その上で、自分の選択としてこのような発想を手放しておく方が自分にメリットがあります。

また、よくある誤解に

「イライラを感じていることが自分の責任=自分が悪い?」と考える方がいらっしゃるかもしれませんが、その必要はない、と僕は考えます。

先に書いたように「感じることにいいも悪いもない」のですから。

もし、自分の中で「イライラが悪い」と感じているなら、それが自分の価値観であり、判断。

もしくは、自分の体験として「イライラしている人に対して反発心や怒りを持っている」可能性のほうが高いんですけどね。(投影の法則ですね)

ただ、よくよく考えてみると「イライラする事が悪い」と思う人って、一般的には「いい人」じゃないですか?

そのいい人がイライラして自分が悪いと思っているとしたら、こんなに切ないことってないんじゃないかなと僕は思うんですけどね。

一人で感じて苦しまない。そこに共感の意味がある

また、自分の感情(イライラ)を誰かが受け止めてくれるか、というと、それは相手次第になります。

受け止めてほしくても、それは相手次第になってしまうし、相手にも選択権がある、ということ。

もちろん逆もそうですよ。何でもかんでも引き受ける義務はありませんよね。

そこで、相手がその感情を引き受けてもいいよという態度をとるならいいですが、そうでなかった場合が切ないわけです。

今回の事例で言えば、夫に何度も話を聞いて、とお願いしても、聞いてもらえないときに感じる感情って・・・イライラじゃないですよね?

例えば、寂しさ、悲しみ、切なさ、孤独感など、感じていて辛いものであるなら、一人で抱えることにしんどさを感じることがあるかもしれません。

だからイライラするわけです。「イライラ=怒り」ですね。

この怒りは感情の蓋の役割を担っているもので、怒りを感じることで別の感情を感じないようにしているわけです。

だからこそ、このイライラをどう扱うかを考えるときに、「共感」の意味が大きくなってくるのです。

一人で今の感情を抱えるのではなく、誰かに分かってもらう、分かち合える人がいることで、心が楽になるんですね。

感情を感じることにいいも悪いもないのですが、感じていて辛い感情も存在しますから。

この感情を感じないように抑圧すると、いい感情まで感じにくくなることがあるのです。

今まで感じられた喜びや楽しさ、充実感なども感じられなくなることがあるのです。

そのような理由から、僕たちカウンセラーは「感情を解放しましょう」「一人で頑張らないでくださいね」というお話をさせてもらうことがあるのです。

今、感じている感情を受け容れていくこと

自分自身の感情に対しても同じことがいえます。

自分が今、感じている感情を否定的に見る必要はないですよ、ということ。

自分の心の向かって「そう感じているんだよね」と向き合うこと。

これは一つの受容です。

自分が感じていることを受け容れていくことで、心はどんどん楽になっていくんですよ。

むしろ、自分の感情を受け容れたくないと頑張ったり、他人に思いきりぶつけると、しんどくなりやすいんです。

もちろん、なかなか受容できない感情もありますから、受容できないことが悪いと考える必要はないのかもしれないですよ。

が、自分で自分の感情を受容できないときほど、僕たちは人のせいにしたり、言い訳したり、自分を責めたり、被害者の立場を取ろうとしたり、加害者意識を強める、などの傾向があるんですよね。

だから、「どのようにして自分の感情を付き合うか」という視点はとても大切なことになるんですね。

これを「アカウンタビリティ」と呼びます。

何が良くて何が悪いという話ではないと理解できると楽です

ゆっくりと、しかし着実に、相手と自分の問題を切り分けたり、自分の気持ちを向き合っていくと、次のようなことが分かってきます。

結局、「何が良くて何が悪いという話ではない」と。

たとえば、夫婦の問題でも、恋愛の問題でも、仕事上の対人関係の問題でも

自分の言動で相手がどう感じるかを知らず、まるで「ボタンの掛け違え」のようにすれ違うことがあったとして、そのすれ違いが広がり、相手との関係の亀裂になってしまった、としたら。

それは「お互いが感じていることの違いがある」ということであって、誰が悪いわけでもない、と考えることができますよね。

確かに、パートナーとわかり合えないことは辛いし、寂しさを感じること。だからといって、そう感じる自分が悪いわけでもないし、人と比べて劣っているわけでもない。

むしろ、今の自分の状況を嘆いて疑っているのは自分だと気づければ、今の自分を受け容れることもできますよね。(簡単じゃない場合もありますけどね)

そもそも感じていることにいいも悪いもないのであれば、何も悪くない。

この関係を自分として「どうしていきたいか」という話にフォーカスできるんです。

この発想が「無害者的な見方」であって、ここにたどり着くことができると、物事の見つめ方は随分と楽になっていきます。

ただ、僕たちは満たされていない感情を抱えていることも多くて、「自分と同じ気持ちになってほしい」「自分の影響を受けてほしい」と願っている部分があるもの。

「自分は受け容れてもらえた」と感じたい、そんな傾向があるのですよ。

なので、「相手が私と同じ気持ちになってもらえない」ことで傷つくこともあれば、すごく辛い気分になることもあるものです。

これ、ある意味自然に起きることのように感じるもので、まぁ仕方のないことだよな~と僕も思うんですけど、ここにこだわると、自分もしくは他の誰かが悪者になってしまって、判断や罪悪感の罠にハマっちゃうんですよね。

だから、自分の感情を見つめ、受け容れていくことには大きなメリットがある、といえます。

このプロセスを進めることでもっと「自分」が見えてきます。

「自分が何なのか」「自分のやりたいことは何なのか」「これからどうしたいのか」といった自分を主軸に考える発想を持つようになっていきます。

そのために自分は何をして、何を表現したいのか。

そこでは「私は〇〇だから」「私は〇〇しなきゃいけないから」「誰かに言われたからこうしなきゃ」とか「世間はこう見るから」などのフレームを外して物事を考え、自分はどう感じるかと見つめることができるようになるんですよ。

すると、本当に自分がやりたいこと、表現したい自分が見えてくるんです。

もっと愛したいのか?
もっと優しくしたいのか?
もっと自分の夢を実現したいのか?
もっと心躍る毎日を過ごしたいのか?
もっと家族を愛したいのか?

「無害者的な見方をすると、自分がもっと見えてくる」

自分の感情を受け容れて、ときに解放して、癒やすプロセスを進めると、もっと自分らしさも見えてきますし、今、自分が何をしたいのかも感じ取れるようになっていきますよ。

なにか参考になりましたら幸いです。


※「ブログネタ募集コーナー」のお知らせはこちら!

浅野寿和の心理カウンセリングのご案内
心理カウンセラー浅野寿和のプロフィール
最新セミナー情報はこちらから!

カウンセリングを利用する
カウンセリングを受ける

本当の幸せを見つめる・見つけるカウンセリングが人気!
心理カウンセラー浅野寿和のカウンセリングのご利用方法はこちら。

カウンセリングのご案内ご予約可能時間のご案内