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依存の恋・自立の恋。その先の恋へと進んでいくこと
浅野さんへの質問
質問ではなく、お礼の送信です。
3/22に掲載された「パートナーになった男性がいなくなってしまうのではないか・・」の質問をした者です。本当にありがとうございました。
その後ずっと考えていたのですが、ふと「いつも私のことだけずっと思っててくれなくていい」というある歌詞の一節を思い出した時、突然涙がたくさん出てきました。
本心は、いつも思ってて欲しいのかなと。
確かに浅野さんの言う通り、私は必死で人のことを愛しては来ましたが、愛されるということに関しては正直よくわからないままです。
ずっと愛していたいという願いは勿論ありますが、それに加えてもっとシンプルに、いつまでも愛されたかったという気持ちがあったのかも知れません。
死んでしまったら、もう愛してもらえないですからね。
それでも、私から愛するだけではなく、父からも愛されていた記憶が私の中にあったんだなあとほんの少し受け取るというのがどういうことか気づけた気がします。
重ねてありがとうございました。時節柄ご自愛ください。
ブログ掲載はどちらでも結構です。
ネタ募集ネーム:Mさん
Mさん、ご感想ありがとうございますm(_ _)m
Mさんのご感想を読ませていただいていたら、書きたいコラムが見つかりました。
ありがとうございます。
まだこのブログで書いてなかったな、と気づけたといいますか。
よろしければどうぞ。
依存の恋。自立の恋。その先の恋。
その後ずっと考えていたのですが、ふと「いつも私のことだけずっと思っててくれなくていい」というある歌詞の一節を思い出した時、突然涙がたくさん出てきました。
本心は、いつも思ってて欲しいのかなと。
なるほど。
いや、でも、好きな人にはいつも思っててほしいと思いません?
また、恋愛の中で登場する「思っていてほしい」という言葉には様々な意味が含まれるよね、と僕は思うんですよ。
相手の心の中に私がいるということかもしれないし
記憶として留めておいてほしいかもしれないし
ずっと私のことを考えていてほしい、かもしれない。
もちろん「私とであえて良かった」と思っていてほしいかもしれません。
人それぞれ違う思いを持つものなのかな、って僕は思っています。
が、やっぱりいつも思っていてほしい、と思いません?やっぱり(しつこいな)
まぁ、この感じ方の違いも、今の心の在り方によって変わるものかもしれませんよね。
ただ、自立タイプの方って「いつも私のことだけずっと思っててくれなくていい」って感じやすいかもなぁ、と思うんです。
3つの恋愛のステージ
僕の学ぶ心理学には、心の成長ステージという考え方がありまして
「依存」「自立」「その先のステージ」という各ステージが存在すると考えられています。
この考え方を用いて「各ステージの恋愛」を言葉で表現するならば
- 依存の恋は「愛してほしい・思っていてほしい」
- 自立の恋は「愛していたい・相手に必要とされ、役に立ちたい」
- その先の恋は「お互いがお互いの喜びであると感じられている」
と表現でき、このような違いがあると僕は考えています。
依存のステージの恋は「愛してほしい」ですから、愛されないこと、カマッてもらえないことでとっても傷つきます。
自立のステージの恋は「愛していたい」ですから、相手がいなくなることでとっても傷つきます。もちろん自分の愛を受け取ってもらえないことでも同じです。
その先のステージの恋は「自分が相手の喜びであることを知っていて、相手もそれを知っている状態」になるので、まぁまぁ対等で一緒にいて楽な関係になれます。
※この話は注意して読んでほしいのですが、どの恋が理想なのかと考えすぎる必要はないんです。今の自分がどの恋愛パターンにいるのかを知る目安にしていただいて、今の自分を否定的に見る材料にはしてほしくないんですね。
その先の恋に進む鍵は「受け取ること」
さて、「その先の恋」というわかりにくい部分の話が残っているのですが
この話は理屈で書いてもわかりにくいので、ちょっと僕の話をさせてもらいます。
僕にはもう会うことができない大切な人がいます。
かつては、その相手ともう出会えないことの喪失感でいっぱいだった時期もあります。
しかし、いろいろ心について学び、触れるたび、こう気づいたんです。
「あぁ、確かに僕はその人ともう会えないことで嘆いているけれど、実は僕次第で相手を僕にとって価値ある人として捉えたり、喜びとすることだってできるんだ」と。
お互いがお互いを喜びや価値ある存在として捉え会う関係。
これが「依存、自立を超えた先にある恋愛や人間関係」の一つの形です。
自分が依存するのでもなく、自分が与えてばかりいるのではなく
お互いがお互いに良い影響を与え会う関係、という感じですね。
ただ、僕たちはなかなかそう思えないことがあります。
僕の話の続きを書くとしたら
「でも、もう自分は相手に何もできないじゃないか」
「相手のために何もしてこなかったのは自分じゃないか」
そんな心の声がたくさん出てくるのです。
そんなある時、不思議なのですが、我が師匠から学んだ言葉がふっと蘇ったんです。
「相手をあなたの痛みにするか、それとも喜びにするか。それはあなたが決められます。」
そのとき、なぜかふっと腑に落ちて、僕が悔やみ続けていた本当の理由というものがザザッと心に入ってきたんですね。
僕は「もう相手を喜ばせることができない」と悔やんでいましたが、本当に僕が気づいていなかったことは
「相手にとって僕自身が喜びだったようだということ」
そして、
「今は、確かに会えなくなったけれども、それでも大切だと思えるその人は、僕にとっての痛みの象徴ではなく、喜びの象徴であるはずだ」
ということ。
それまでの僕はこう考えていたのです。
「何もしてあげられなかった俺のことなんて、もう忘れてくれていいよ」と。
それが僕なりの思いやりだと思っていたわけです。
ただ、もし僕と相手の関係に信頼が存在したとしたら、僕の考え方はただ相手との関係を否定しているだけにすぎませんよね。
そう気づいた途端、なにか心のなかの石ころが消えていった感じがしたんですよね。
その先の恋とは喜び合える関係のこと
これは恋愛や夫婦関係でも同じように言えることで。
「相手は私の喜びで、私は相手の喜びなんだ」
そう感じあえることが、その先の恋愛へ進むために必要なことです。
もちろん今の恋愛観を否定する必要はないんですよ。
ただ、この考え方を用いるならば
今の自分が愛されていることも、
今の自分が大切な人を愛しているということも
きっと自分の中で気づけるようになっていくんです。
「私が喜びで、相手も喜び」という感覚にたどり着けるものです。
つまり、私が愛したい、役に立ちたい、の向こう側にいける、ってことなんです。
この状態になると、私が相手の喜び、と感じ取れるので、そう簡単には関係が壊れない状態になりやすいですね。
ただ、自分が喜びで、相手も喜び、なんてふうにお互いの価値を受け取るって難しいし、恥ずかしいし。
やっぱり勇気がいります。
正直「そんなこと無理だ」と思うことのほうが多いと思いますよ。
でも、そこで受け取るチャレンジをするならば、きっと恋愛の中でも今までとは違う感じ方、考え方ができるようになると思いますよ。
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