日常に使える心理学

嫌われる不安から自分を責めてしまう癖は手放せる

「嫌われる」と思うとつい自分を責めてしまう

「仕事のついていけなくなると、もう居場所はないとか、もう辞めたいと思って辛くなってしまいます。」
「仕事で一つでもミスをすると、もうその場にいられなくなってしまいます。」
「婚活パーティや合コンとかで浮いちゃって誰とも話せないと、それだけで帰りたくなります。」

例えばこういったお話を伺うことがあります。

僕たちはいつも自信があるわけじゃなくて、問題などにぶつかると自分のことをよく感じられなくなってしまうことがあります。

それがたとえ一時的なものであっても、日頃から心細さ、寄る辺ない感覚を感じている人にとっては、仕事上でのミス、恋愛でのすれ違いなどで不安を感じると、その恐れがどんどん増してオバケのようになっていく場合もあります。

このような不安・恐れをいつも我慢しているとしたら、我慢できているうちはいいけれど、我慢できなくなるとドッと疲れが出てなにもしたくなくなることもありますし、「あーもう会社に行きたくない」「婚活パーティとか向いてないし・・・」と物事に対して否定的・悲観的な見方をするようになることもあるんですね。

その根っこでは、どこか「うまく人と関われない自分」を責めていることが多いものです。

 

自分を責めることにも意味があるとしたら

実は人が自分を責めることにも「意味」があります。この意味が反復されている状態が、自分を責め続けてしまう状態といえます。

先に結論を書いてしまうと、自分を責めることで「感じたくない感情から逃れようとしている」と考えられるのです。

その感じたくない感情の代表的な例が、罪悪感であり、自分はちっぽけで嫌われているという感覚なんです。

そしてこのパターンは幼少期からの親子関係の中で培われたものである場合も少なくないのです。

私達が小さい頃、世界の全ては親となります。自分を育ててくれる親が全てであり、親なしでは生きていけない、と思うものでしょうから。

だから「親に嫌われる」ということは、たまらなく嫌で怖いことであり、何より避けたい状況なんですよね。

すると、幼い子供にとって、たとえ親に腹が立ち、批判的な気持ちを抱いたとしても、その気持ちを意識せず、実際に言葉にして伝えないようになる。

ここに「そうすれば自分は嫌われない」という意味が出てくるわけです。ここでの「そうすれば」は、「そうすればいい」ではなく、「そうしないと嫌われる」といったニュアンスのほうが強いでしょうかね。

だから、たとえ親に腹が立ち、批判的な気持ちを抱いたとしても、そういった気持ちを親ではなく自分に向けるわけです。

悪いのは自分、自分が悪いのだ、と。

親が悪いとするより、自分を悪いとするほうが「自分が感じたくない感情を感じなくて済む」というわけです。

こういった親子間で生じた感じ方が、パターン化するとどうなるでしょうか。

すると、親子の出来事だけでなく、学校、友人、職場、恋愛、結婚生活などで、何が起きても「自分が悪い」と感じるようになることがあります。

自分の失敗だけではなく、自分には非がない誰かのミスでも、「自分が悪いのかなぁ」と感じ、自分を罰するような態度を取るようにもなります。

このように、自分が悪いと感じる場面が増えてしまえば、やはり「自分が悪いと感じたくない」と思うものでしょう。

だから「もう自分が悪いと感じたくない」からこそ、逃げ出したくなるのです。これ以上自分のことを悪いと感じたくないからですね。

 

依存的で無力な自分という感覚

また、自分が悪いと感じやすい人ほど、どこか「非力で依存的な自分」を感じやすくなると考えられます。

普段は社会人として周囲と同様に過ごしていても、心のどこかで「誰かがいないと不安」「人に嫌われたくないと強く思う」「自分一人ではやっていけない」という思いを感じやすいんです。

そもそも「誰かに嫌われたら、もうやっていけない」という怖れを感じやすいからです。

ここで「私は依存的で無力だいう感覚」を感じるんです。いわゆる心細さのようなものですね。

が、実際は、自分の足で立ち、生活していく力もある方もたくさんいらっしゃるわけで、ここに現実と感じ方のギャップが生じていることも少なくありません。

まさに「自分の感じ方によって引き起こされること」といえますね。

その結果、例えば「もう頑張れない(耐えられない)」「もう嫌だ」「辞めたい・逃げたい」「分かって欲しい」「なんで分かってくれないの」といった気持ちを感じることになっていくわけです。

特に恋愛などでは、パートナーが離れていくのではないかと感じやすくなるので、相手に依存的な態度を取りたくなくても、ついそのような態度を示すことも有り得る話です。

また、依存的な自分が嫌で言いたいことがあっても我慢していると、やはり苦しいので「もう誰とも関わりたくない」と思うようにもなりますね。

そんなこんなの我慢を繰り返しているうちに、自分を見失ったり、自分自身がどこか壊れちゃうような気分になることすらあると思いますよ。

仕事や対人関係なら、ひたすら受け身で断れない、言いたいことがあっても表現することが恐い、変なことを言って波風立てたくない、と考えて、ストレスを溜め込むこともあるかもしれません。

この自分の状態を他の人と比較するので、「どうして自分は・・・」と悩んでしまうわけですね。

そこでまた自分を責めるなら、もう自分で自分のことを手に負えなくなっていきますよね。

 

自分を責める理由に気づいたら、手放す方向に意識を向けてみよう

そもそも自分がよりよく変化し成長するために、自分を責めることは必要ありません。

たとえミスをしても自分を責めなくていいんです。ミスという事実を受け止め、改善策・再発防止策を考えればいいのです。

他人から怒られたなら、そこに反応して対応すればいいわけで、怒られたから自分を責めるなんてことはしなくていいのです。

何もしていないのに、自分が一人ぼっちになり見捨てられるわけではありません。必ず誰かと関わり合うことはできますよ。

ここがポイントです。

むしろ、見捨てられるのではないかと警戒し続け、相手との信頼関係を作れずにいることのほうが見捨てられやすいと思いませんか?

しかし、一度でも「嫌われないように、見捨てられないように」と強く思うようになると、なぜか「自分は見捨てられていないのに、見捨てられるべき存在」のように感じてしまうわけです。

そんな自分をなかなか好きになれませんから、ここでもまた自分を責めてしまうわけですね。

 

このループを断ち切るには、こう考えてみるといいでしょう。

「自分はどうして見捨てられる、嫌われると確信しているのだろう」と。

何ができないとダメだと思っているのか。どんな自分が嫌われると思っているのか。

そもそもその思い込みは誰との関係の中で培われたものなのか。

そこにまず気づくことです。誰に見捨てられると思ったのか、迷惑を掛けると自分の頼るべきところがないと感じたのか。

その過去の事実に気づいたら、誤解を解いていくために、その相手のことを理解することです。

すると、実は自分はそんなに否定的に思われているわけじゃない、と気付けるようになるでしょう。

大切なことは「自分の思い込みだけで判断し続けないこと」です。

きっと自分は嫌われるという思い込みは、強い判断として確信めいた感覚をもたらします。そしてその感覚を持っている方が「安全だ」と感じるものです。

しかしこのとき、人に嫌われる自分という自己概念は変わっていないわけですよね。

だとしたら、それは本当に安全なのでしょうか。むしろリスクが高いと思いませんか。

そもそも僕たちの心理学では、自分は毒だという自己概念は誤解である、と考えられています。

向き合う感情は罪悪感なので、ある程度腰を据えて取り組む必要はありますけど、しかし自分が嫌われる、見捨てられる存在だという思い込みから抜け出すだけで、毎日はガラッと変化して感じられるものですよ。

もし「自分は嫌われるのでは」と感じやすいと思うなら、その感覚の根っこを見つめて、ちゃんと癒やしておきましょう。今まで以上に自分を大切にするために。

カウンセリングを利用する
カウンセリングを受ける

本当の幸せを見つめる・見つけるカウンセリングが人気!
心理カウンセラー浅野寿和のカウンセリングのご利用方法はこちら。

カウンセリングのご案内ご予約可能時間のご案内