「うーん、結局のところ私がいなくても大丈夫で、誰も困らないと思うのよね」
「今の職場にとって私はいてもいなくても同じ存在のような気がする」
「別に、彼(彼女)のそばにいなくても、相手は大丈夫で困らないと思うんだ」
私がいなくても大丈夫、誰も困らない、という言葉。
カウンセリングの中で伺うことがしばしばですよ。
概ね「私はいてもいなくても同じような、影響力のない存在」といった形で使われる事が多いんですけどもね。
いわば「自分を否定する」「自分の価値を否定する」といった意味なのですが。
これ、なかなか切なく響く言葉ではありますけど、長い間ずっとそう感じてきた、という方もいらっしゃるのではないでしょうか。
今日は「私がいなくても大丈夫」と感じたり、つい言いたくなる理について、少し深ぼってみたいと思います。
よろしければどうぞ。
Index
「私がいなくても大丈夫」という言葉が示す2つの意味
さて、「私がいなくても大丈夫(誰も困らない)」という言葉が示す心理は大きく分けて2つあります。
その言葉ば示すものが「自分の内面に存在する無価値感」なのか、それとも「周囲を信頼した手放し」なのか、で全く意味が変わってきます。
無価値感からの「私がいなくても大丈夫」
一つは「いてもいなくても同じような無価値な自分」、つまり無価値感から発せられる「私がいなくても大丈夫」です。
「私がいなくても大丈夫」ではなく、実は「困ってほしい」という意味ですね。
実は「無価値感」から生じる「私がいなくても誰も困らない」は、本当は「私がいないことで困ってほしい」という希望、いや、ニーズが隠れていることが少なくないんですよね。
それがいいかどうかは別にして。
だから、友達やパートナー、家族との会話の中で、相手から
「でも、私がいなくなっても誰も困らないよね」
なんて声を聞くと
「そんなことないよ」
と伝えたくなってしまう(伝えないとまずいと思うこと)があると思いませんか?
これは無価値感から生じるパターンの一つでして
「私がいなくても誰も困らない」と思いながら
心の内では「誰か私を必要としてよ」と感じていることが少なくないようです。
転じて
「自分がいなくなることで相手が困ってくれたら嬉しい」
という考えを抱く方もいらっしゃるようです。
が、このタイプの方は稀とも言えまして、多くの方はただ自分を否定的に見つめすぎているだけ、という場合が多いように僕は思います。
※無価値感に関する解説は次の記事にありますので参考になさってくださいね。
信頼と手放しからの「私がいなくても大丈夫」
「もう私がいなくても誰も困らないわ、みんな成長したよね!」
例えば、会社の経営者、学校の先生、何かしら教育的立場にある方、また子の親であれば、このように
「もう自分がいなくても十分に活動できるほど、みんな成長してくれた」
と、周囲を信頼しはじめる場合がありますよね。
これは与える立場にあった方が、フォロアーやトレーニー、子供などの成長に伴って
「今まで担ってきた自分の役割の終わりを迎える」
という意味合いになるんですよね。
言い換えるなら「卒業」とも「手放し」とも言えますし、「関係性の区切り」「従来の関係性の変化を起こすべきサイン」とも言えます。
※手放しに関する解説は次の記事にありますので。こちらもどうぞ。
無価値感からの「私がいなくても大丈夫」を整える方法
さて、ここからは「無価値感からの私がいなくても大丈夫」と感じる気持ちの整え方についてまとめていきます。
もし、「私がいなくても誰も困らない」という気持ちを整えたいのであれば、その考え方は非常にシンプルなんですよ。
「私がいなくても」と感じてしまう理由を見つめることです。
自分が自分に「私がいなくても大丈夫」と言っていることに気づく
このパターンを手放すことを考えるなら、「自分が自分にいなくてもいい」と言っているのだ、と気づくことが重要なんですね。
もちろん「自分なんていなくても大丈夫」というお気持ち自体は丁寧に扱うべき部分なのです。
そう感じることを否定する必要なんてないんです。
ただ、自分が自分に「私なんていなくても大丈夫なんだよ」と言い続けているとしたら、ここに気づかない限り、この問題は解決しないんですよね。
とはいえ、あなたがそう思うようになるにも理由があるはずです。
例えば
過去に悲しい出来事があったのか?
自分をちっぽけに感じるような出来事があったのか?
自分の存在をちっぽけに感じるようなトラブルに巻き込まれたのか?(いじめや挫折経験など)
親から厳しく(もしくは放置)されて育ち、自分の存在価値を見いだせなくなってしまったのか?
「自分なんていてもいなくても」と無価値感を伴って感じるならば、それだけの困難なこと、つらいこと、悲しいことがあったと考えたほうがいいと僕は思いますよ。
実際のカウンセリングでもじっくりお話を伺うこともあれば、丁寧にセッションを行う部分でもあります。
あなたの中にくすぶっている感情、なかなか自分を認め難い気持ちなどを丁寧に解きほぐすことで、このパターンを抜け出せることもありますからね。
「感情と態度を整える」意識を
とかく無価値感、罪悪感、無力感が伴うネガティブなパターンを癒やすときは
自分の態度を整える意識を持つことがポイントになります。
例えば、自分が自分を突き放すように「自分なんていてもいなくても一緒」という態度を繰り返していると、どれだけ人に愛されても、自分を好きになろうとしても、結局「私がいなくても・・・」と戻ってしまうことが多いです。
また、「自分なんていてもいなくても」という言動を取ることで、相手から道場や気遣いを気持を引き出そうなどとしてしまうと、そこに依存が生じてしまうこともありえます。
だから、「私がいなくても」という言葉を使わないようにすることがポイント。
ただ、闇雲に禁止するのではなく、「別の表現」を使うようにすることが重要になってきます。
「お役に立ちたい」とか「相手に貢献したい」「相手の幸せのためにできることをしたい」
そういった言葉に変えてみることです。
その上で「自分がここにいる意味」を考えたり、他人の価値を認める、といった意識を強めることがおすすめです。
「私がいなくても大丈夫」を変えていくセルフワーク
最後に、「私がいなくても大丈夫」を変えていくセルフワークをご紹介します。
もし、あなたが自分の存在理由が見いだせず、「私がいなくても大丈夫」と思ってしまうなら、そこには何かしらの感情が伴っているはずです。
まず、それを特定します。
そして、例えば「悲しくさみしい」と感じているならなら
「今、私は自分の存在価値を見いだせなくて悲しくてさみしいんだな」
と主語を私にして、そこにある感情を含めて実際に声に出してみることです。
声に出して感情があふれるなら、無理のない程度で流してあげます。
その上でスッキリする感覚が来たら、それで終了。
もちろん繊細なワークなので、苦しくなったらすぐに辞めてくださいね。
そういった場合はプロのカウンセラーとのカウンセリングの現場で扱ったほうが安全です。
最後に
そもそも僕たちの意識は「自分が使っているようにしか使えない」側面があります。
いわば、考え方や気持ちの流れ、というものを自分自身で作り出している、とも言えるんですね。
もちろんそこには良いものも、そうではないものもあるのでしょうが
もし「私がいなくても誰も困らない」という思いを手放したければ
自分自身が本来の自分が持っている素直な気持ちに沿ったい言動を取るように心がけてみてください。
そうすることで
「あぁ、周囲の人は自分が想像している以上に自分を認めてくれていたのだな」
「いてもいなくても一緒ではなく、私は誰と一緒にいたくて、誰のことを素晴らしいと感じているのだろう」
といった発想を抱きやすくなりますから、そのあたりにメリットは多くありそうですね?
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