恋愛・夫婦の心理学

将来のことが考えられないなら二人で考えればいいよね、という話

自立した人の依存にまつわる問題

僕たちの世界で「自立の依存問題」と呼ばれる話があります。

普段は自立的なんだけど、抱えている問題が依存的なものであるというケースのこと。

当の本人は自立していて普段しっかり頑張っているのです。が、どこかで自分の依存心を嫌っているので、自分の感情や問題について向き合うことをペンディング、もしくは「自分以外のなにかの責任」と認識してしまうなんてケースでもあります。

 

例えばこのような事例がそれに当たります。

【ケース1】

ある男性が女性とお付き合いしていました。

その女性は男性のことが好きで、本当に受入れてもいい、愛してもいい、と思っていたので彼に尋ねたのです。

「ねぇ、将来のことはどう考えているの?」

するとその男性はこう答えました。

「そういった重い話はあまりしたくない。」

女性は困惑して「そんな話をする私が重いのかな?」と考え込んでしまいました。

【ケース2】

ある男性が女性とお付き合いしていました。

男性はその女性と結婚したいと願っていたので、彼女にこう伝えました。

「君が今の仕事に熱中する気持ちはよく分かるし応援したいと思っている。ただ、僕はもう少し二人が一緒に過ごす時間を大切にしたいと思っているんだよ。」

すると、女性はこう考えました。

「それは私への批判?この人は本当に私の気持ちをわかってくれているの?彼って自分の意見ばかり伝えてくるし、要求してきているのでは?そもそも私のこと、本気で応援してくれているのかな」

そんなやり取りを続けるうちに、彼女はその男性との関係自体続けるべきか悩みはじめ、彼女はその彼と別れます。

しかし、ある程度時間が立ってから、彼女は気づくのです。

彼ほど私のことを考えてくれた人はいなかった、と。

しかしその時、その彼には新しい彼女がいて、もうもとに戻ることはできなかったのです。

今回の話は、自立していることがどうのこうの、依存心があることがいいの悪いの、そのあたりの話を僕はお伝えしたいわけではないのです。

ただ、もし自分自身が「誰かと共に生きること」を考え、それを実現したいと思われるならば、このような自立の依存問題は解決しておくほうがいい、と考えていますし、そういったご提案をしています。

なぜなら、今日最後にまとめて書く内容を実現することが難しくなり、どこかで大切な人と一緒にいても幸せではないと感じやすくなってしまうからです。

 

自立の仮面をかぶった「王子さま」と「お姫さま」

さて、ここからは先に書いた2つのケースについて僕がザクザク突っ込んでいくパートにしたいと思います(^^;

例えば【ケース1】について。

女性が本当に彼のことを愛したい、そばにいたいと思ったとき、男性に「未来のことはどう考えているの?」と質問すること自体、僕は自然なことだと思います。

が、恋愛を楽しみたいのに、未来のことや責任が伴うことについては考えたくない、なんて感じる人がいても不思議ではない、とも感じています。それじゃ盛り下がるし楽しめない、という考えがあってもまぁ不思議ではないといいますか。

このような状態を僕は次のようなたとえ話を使って表現することがあるのです。

あなたが今から船に乗ると思ってください。あなたには行きたい目的地があって、そこまで船に乗って向いたいと考えています。

あなたは当然のことながら、船頭さんに「この船、どこに向いますか?」と尋ねました。

行き先が分からない船に乗ることなんてできないですからね。

すると、船頭さんはこう答えました。

「いちいち鬱陶しい客だな、素人は黙ってろ。そんなことはオレに任せておけばいいんだよ。」

さて、あなたは行き先が分からないこの船に乗りたいって思うでしょうか。

誰かを愛するということは、自ら相手を理解し、相手に与え、相手が喜ぶようなことをしていきたいと願うことのようなものです。

だから、これから付き合う相手、愛そうとする相手に「ねぇ、あなたはどう考えているの?」と尋ねたくなることはある意味普通なことではないでしょうか。

しかし、その質問を「重い」と感じるなら、それは相手の質問が重いのではなく、質問をされたときに自分が感じている感情が重いのです。

ここでの「重い」と感じる感情は、罪悪感なり怖れなり、普段は感じたくない感情なのです。

もし、「こっちにそんな感情を感じさせるなよ」という意味で「重い」と相手に伝えているなら、それは依存だ、ということはご理解いただけるでしょうか。

しかし、多くの自立した人は、自分の依存心を認めません。認めたがらないといえばいいでしょうか。

だから、そもそも悪意などなかったとしても、結果的に「自分の感情の理由を誰かに押し付ける」ことになるのです。

これがしっかり自立し、自分の感情に責任を持っている人間が行う行動だとは僕には見えない、と言いたいわけです。

これが自立の依存という問題です。いわば自分が感じている感情に責任が持てないことが理由で、相手に何かを押し付けてしまう依存的な行為がこの問題の中核にあることです。

もちろん「重い」と感じるには理由や事情があり、そのこと自体を罰する必要はないのです。

しかし、自分が相手に自分の感情の責任を取らせようとしているなら、それはアカウンタビリティの原則から外れた、依存的な行為だと言えるのです。

パートナーに「ねぇ未来のことどう考えているか」と聞かれ、すぐに答えられなかったとして、「そんな重い話はいい」と言い出す方もしんどいだろうな、と僕は思うのです。

きっと罪悪感を感じるだろうし、罪悪感を否認するためにいろいろ抵抗したくもなるんじゃないかな、と思うのです。

そういう意味では【ケース2】も同じようなものです。

どこかでお互いのやりたいことがはっきりしているうちはいいけれど、相手が共に生きようとする意識を持ったとき、その意識が負担のように感じたり、自分のあり方への理解のなさのように関して反発したくなる、ってケースでもありますね。

でも、時がたって思い返してみると、あんなにも私のことを考えてくれていた人はいないと気付く。

なぜ気づけなかったのか、といえば、「自分はまだ自分なりの生き方を貫きたくて、相手のように二人の未来についてしっかり考えていない」という負い目、罪悪感があったからではないでしょうか。

二人で考えるという発想の転換

こういった話を伺ったとき、僕はこのようなお話をすることがあるのです。

「もし、パートナーに【未来のことをどう考えているの?】と聞かれて、答えられなかったとしましょう。

きっと気まずいはずです。人によっては相手に責められているような気がするかもしれない。

それこそ「自分は何も考えていない」という罪悪感があるから、そう思うわけですよね。

ただ、だからといって相手のことを「重い」だの、「私のこと考えてくれてないんじゃない?」だの考える必要ってあるのでしょうか?

 

もし、あなたを愛する人がいるなら、あなたを罰したいとは思っていないはず。

なのに、そのあなたに「重い」とか「何も考えてない」と言われれば、相手もそりゃ傷つくでしょう。

これはもうトラブルにしかなりませんから、やはり罪悪感から行動しないことって結構大切なんです。

 

もし、今の自分では未来のことが深く考えられないなら、「二人で考えたい」って言えばいいんじゃないでしょうか。

考えていない自分を隠そうとするより、それを認めて、今の自分ではわからないことがあると認めて、パートナーと一緒に考えていこうという意志を持ってみるのも一つの方法ではないでしょうか?

何でもかんでも背負い込んで自力だけを信頼してしまうと、どうしてもできないこと・考えていないことは罪にしかならないことが多いものです。

誰かと共に生きるって、こういうことではないでしょうか?」

 

幸せなパートナーシップを培うために必要な要素は「二人で考える」という発想の転換かもしれません。

二人で考えるからよりよい答えが出る。自分では考えつかなかったようなアイデアも生まれる。

そのために必要なことがあるとしたら、自分だけで考えないこと(自分の判断が全てだと思わないこと)かもしれません。

自立的に生きていると、どうしても自分の判断を優先させてしまうものですし、それがNGってわけではないのですが、「共に生きる」という事を考えるなら、どちらが間違っているといった発想を手放して、「さて、どうする?」と作戦会議ができるような関係になる方が、いい結果が手に入ることが多いようですよ。

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