「愛されているか分からない」のは、相手より自分の問題かもしれない
こんにちは。
心理カウンセラーの浅野寿和でございます。
今日も忍耐女子シリーズのテキストをお届けしょうと思いますよ。
テーマは
「パートナーに愛されている、という信頼はどこから来るのか」
という、またしても明らかに余計なお世話であり、でも多くの人が気になっていることでもあり、とはいえ、カウンセラーの僕にもなかなか素直に聞けないような話ですね。
たとえば・・・
「私は(僕は)相手のことを好きだし、きっと自分のことも想ってくれているとは思う。でも、本当に愛されているのか、相手に望まれているのか、なんか確信が持てない。」
こういうお話も、カウンセリングでそこそこ出てくるんですよね。
カフェメニューで例えるならば、「ラテ」ほどの定番ではないものの、「季節限定のアレ」程度で登場するテーマでございます。
・・・たとえが分かりづらいな。
もとい。
さて、今の私は相手から明らかに拒絶されてはいないのに、「愛されているという確信が持てない」という感覚には、二つのパターンがございまして。
一つは、「相手の気持ちが本当に読めないし、愛されているのかどうか、そもそも分からない」という話。
もう一つは、「相手はきっと好きでいてくれているはずなのに、なぜか信頼できない。よくしてもらうと、むしろ申し訳なくなったり、もっと良きことをせねば相手が離れていくような気がする」という話。
今日はこの二つを合わせながら話をしていこうかと思います。
特に前者について、少し深く掘り下げてみましょうかね。
今日の話も寝る前に読むと考えすぎてしまう怖れがありますので、その前にふわっと、しかし、目を凝らしながらご覧ください。
Index
愛されている信頼は、どこから来るのか。
そもそも「愛されているという信頼はどうすれば感じられるんだ」という話があるのですけどね。
まぁ、心について語る人の中には「子供時代に愛された経験をきちんと積んでいると分かる」みたいな話が出ることもあるわけですけど。
それも間違いじゃないと思うんです。
が、「じゃ、愛された経験があまりない私はどうすりゃいいんだよ」というツッコミも僕はたくさんお聞きしているわけでして。
今日はその観点から今日はお話したいわけですけども。
いわゆる「愛されていることがなんとなく分かるようになる」とは、「相手が好きだと言ってくれる回数」とか「優しくしてもらった回数の多さ」とか、そういうところから来ると思っている方も多いのですが。
僕はもう少し別のところに根っこがある気がしています。
「自分が相手に良い影響を与えているという自覚の数」
ここだと思っているんですよ。
相手を喜ばせた。楽にした。そんな自覚の積み重ね。
ここがポイントなんでございますな。
そもそもですね。
愛されて育ったということについて深く見てみると、いわゆる「猫可愛がりされた」とはちょっと違う気がするんですね。
子供の頃からどんなことをしても、相手がその意図を受け止めてくれた、とか、行動やその動機を承認してくれた、分かってくれた、みたいな部分が大きいように思うのです。
自分の言動を誰か(親など)が、理解し好意的な反応を返してくれた。
これをあえて小難しく書くと、いい意味での結果の知識をきちんと返してもらえた、という話なんですけどね。ダメなことはダメと教わりながらも、です。
そういった経験は、自分を肯定的に捉えていく材料になりつつ、相手に大切にされている実感につながるんだと思うわけでございますよ。
よって、「私の彼(彼女)は、きっと私のことが好きだし、私の気持ちもちゃんと受け止めてくれていると思う」と思える人は、自分から繰り出している相手に対する愛や優しさを込めた言動の価値をそこそこ知っているんだろうな、と思うわけですよ。
なので、いわゆる「自信がある」とか、「何ができるか」とか、「相手のために何かすごいことをした」という話とは、ちょっと違うようなんでございますね。
たとえば・・・
「YouTubeでプロのレシピを学んで、パートナーのために夕食を用意した」
というケースがあったとして。
その行動や動機自体を肯定している人もいれば、相手が美味しいと言ってくれないとなんの価値も意味もない、と感じる人もいると思うんですね。
もし、後者の反応が出る場合、いくら完璧に料理を作ったとしても、自分の行動の価値がよく分かっていないので、相手の反応次第で自分の行動の結果が決まる形になっている、となるわけですよ。
このあたりが愛されている自信、確信にかなり影響している気がするんですね、僕はね。
そして、これは単純な依存の問題とは限らんのですよ。
自分の評価に対する「参照先の問題」といいますかね。
「何をもって自分を評価しているか」という意識、感覚やパターンの問題のような気がするのですよ。
「大したことじゃない」が、信頼を奪っていく。
つまり、いいか悪いか別にして、次のような人は愛されている信頼が持ちにくいのかもしれない。
自分のできることなんて「誰でもできる」「大したことじゃない」「すごいことでもなんでもない」。
全く悪気なく、むしろ謙虚さや向上心のためであっても、そう受け止めていると、誰かに愛されているという感覚は持ちにくくなるのだろう、と。
相手から良くしてもらっても、「そんなはずはない」と、自分の中で否定する感じ、って書くと分かりますかね?
もちろん、よくしてもらうと申し訳なくなる、もそうなんですけど。
どこかで自分の言動の価値や意味を、自分の中で否定しちゃってる感じがある、というか。
こうなると、相手の気持ち云々の問題というより、自分の行動に対する自分の受け止め方が影響しているってことなんですよ。
・・・余計なことを言ってすみませんね。
でも、結構大切な話なんですよ、これ。
愛される根拠が見つからなくなる、という仕組み。
もう少し深い話をすると。
「相手に愛されているかどうか分からない」という感覚は、相手の態度だけじゃなくて、
「自分が相手にいい影響を与えているかどうかが分からない」
という感覚と重なっていることが多いんですよ。
相手のためにしていることを「大したことじゃない」と思い続けると、自分の存在価値が見えにくくなってくる。
見えにくくなると、愛される根拠が見つからなくなる。
根拠が見つからないと、愛されているという信頼が持てない、みたいに思うようになる。
他の誰かが言ってた「これなら伝わる愛情表現」的な情報が欲しくなる。
でも、きっとあなたのことを大切に思う人なら、どんな表現でも、あなたの意思で、考えで、思いから出てくるもので十分だって思うんでしょうね。
ま、まっすぐ愛情表現されると、死ぬほど恥ずかしくてバキーンと打ち返す人もいるんでしょうけど。
・・・その話は別にしたとしても、これ、なかなか切ない話でしょう。
なんだかマイナスなことばかり自分に言い聞かせているので、愛されていることがわからん、という状況になることも多いよ、って話ですね。
これとは真逆のパターンもあって。
自分のやり方や考え方が絶対に正しいと思うからこそ、相手に愛されてもそれでは足りない、と感じる人もいるんですよね。
「これだけ私はちゃんとしているのに、なぜ分かってくれないんだ」という感覚でしょうか。
こちらはまた少し違うタイプの話なので、今日は深くは触れませんが。
こちらはこちらで、なかなかしんどい話なんですけどね。
じゃあ、どうしたらいいのか。
「自分の受け止め方を変えよう」
多分これが文字としては正解ですよ、きっと。
ただ、長い間カウンセリング現場にいますと
「そうはいっても、すぐには変わらん」というのが本音でして。
いや、変えていくことはできるんですけど、一朝一夕に変わるものじゃないよね、という意味で。
長年「こんなことは大したことない」と思ってきた癖が、明日からすぐに変わるわけでもないですし。
もちろん、意識して自分を認めようとすることには大きな価値があります。
それは間違いないし、僕もせっせとお手伝いしていますよ。
ただ、いつの間にか忘れて元に戻ってる、なんてこともザラに起こることです。
そんなみなさんに、「愛されている信頼」を感じてもらう入口として、一つだけ意識するといいことがあるんですよね〜とお伝えしていることがあるんですよ。
それが「相手が喜んでいるとき、楽になったとき、その反応をただ眺めてみること」なんですよ。
自分の中で湧き出す「大したことじゃないけど」という言葉を、一旦置いておいて。
相手の反応だけを、ただ受け取ってみる。
そもそも相手の反応はあなたがコントロールできるものじゃないでしょう?
だから、コントロールせずに「ふーん」と眺めてみる。
ま、多くの方が冷めた目で見るんだと思いますが(余計なことをまた書いた・・・)
・・・でも、ちょっと嬉しかったりしませんか?
ね、しまった!って思いますよね?
ぐぬぬ、ちょっとだけ嬉しいと思ってしまった、なんと情けない!と思いますよね?
そうそう( ̄ー ̄)ニヤリ
そうやって「自分(の言動)には価値があるんだよ」とうっかり感じてしまって悶える経験をするといいですよ(笑)
もう少し正確に言えば、自己否定を使って自分の心のバランスを取るんじゃなくて、認めるという「恥ずかしい形」でバランスを取る練習をする感じ。
一人で難しければ、いつでもお手伝いしますよ。
もうやめてくれよ〜って思う人もいると思いますが、そういった皆さんほど変化する可能性がありますよ。
そう感じるということは、あなたの中には、まだ価値も可能性も残っているということだから。
結局ね、愛されていることがわからんのは、今はそれを分かりたくないとか、分かると余計なことが起きそうで怖い、と心の深いレベルで思っているから、という場合が多いです。
愛される価値を感じなきゃ、傷つくこともなければ、期待してがっかりすることもないよね、という鉄壁な防御というか。
その防御はたしかに自分のためには役に立つんです。
そしてそうせねばならなかった事情が、あなたにはあった、ということであって、それ以上でもそれ以下でもない、と言うか。
ただ、そのままにしておくと、愛される側に回ったときに、お互いを傷つける要因になるんですなぁ・・・。
あなたを愛する人は、あなたが自分を否定する姿を見て、ちょっとずつ心を痛めてしまう、というかね。
・・・ね、ムズカシイですね、人の心って。
また真面目に書いてしまったことを少しだけ反省しつつ、ここまでにします。
今日の話、思い当たること、ありましたかね?
こちらの記事も続きにどうぞ
ここまで読んでくれたあなたは、きっとずっと、一人で考え、頑張ってきた人だと思います。
本来は成し遂げたかったことがある。愛したかった人がいる。傷つけ合ったり、対立したくはなかった。
でも、上手くいかなくなってしまうとしたら、そこにもきっと善悪を超えた”理由”があるんですよ。
そして、あなたの中から「本当の気持ち」は消えていないんじゃないかな、と。
まずは僕の考え方、スタンスを読んでみてください。
「愛しているのに、伝わらない。」
「このままでは、離れていってしまいそう。」
「恋愛や夫婦関係が、なんだかこじれてしまっていて。」」
こういうお話、カウンセリングでよく出てくるんですよ。
多くの方が「きっと自分に問題がある」「私が変われば関係も良くなるはず」と思いながら来てくださるんですよね。
そこまで自分と向き合おうとしていること、それ自体がすごいことなんですよ?ご存知でした?
ただ、その先の答えは・・・
あなたが今向いている方向とは、全く逆の方向にあるかもしれませんけどね。
その理由を一緒に見て、考えていきませんか。それが僕のカウンセリングです。
東京(品川駅前)/名古屋(金山駅前)で対面式カウンセリング・全国向けにオンラインカウンセリング(ZOOM)を行っています。
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