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今、自信を感じられないのは「あの頃の私はまだまだ未熟だった」という自己否定があるから?
僕のブログでも頻出する言葉「自己否定(罪悪感ともいう)」。
ただ、自己否定や罪悪感って一体どんな作用があるのさ?という部分は
具体的な事例を見ていかないと、非常に分かりにくいと僕は思うのですよ。
自己否定は、自分を否定的に捉えること。
罪悪感とは「自分が悪い」と感じる感情ですよ
と言葉では表現しますが、それだけではイメージできないことも多々あるようです。
そこで今日は「過去の後悔」が自己否定や罪悪感を感じる理由になる、という視点から
「とりあえず過去の自分を恥じて自己否定することだけは手放しておきたいよね」
という話をコラムにまとめます。
よろしければどうぞ。
自尊感情とは
「自尊感情」という言葉は
「自己に対して肯定的な評価を抱いている状態」を指す”Self-esteem”の日本語訳です。
例えば
「私は私でいい」「生まれてきてよかった」「自分にはできることがある」など
自分自身を基本的にかけがえのない価値ある存在とする感情であり
意欲の向上や良好な人間関係を築こうとする源となる感情です。
なお、自己肯定感と同じ意味合いで用いられる場合もあります。
また、自尊感情には2つの側面があります。
基本的自尊感情
基本的自尊感情は
「自分の存在自体を無条件に肯定できるような自尊感情のこと」です。
他人と比べなくても自分を自分のままで肯定でき、たとえなにかに失敗したとしても、簡単に揺らぐことがありません。
また、これは
【日常の中で「体験」の共有と「感情」の共有(共有体験)を繰り返すことで少しずつ育まれていく】
と考えられています。
たとえ、何かうまくいかなかった失敗体験からであっても
「そのあり方を肯定していく」
という関わり方で積み上げられていくもの、と言えるんですね。
また、自身の体験が成功体験であっても失敗体験であっても、好ましい体験として自己評価された場合の、その感情が「自己肯定感」と呼ばれています。
社会的自尊感情
社会的自尊感情は
他者との比較や、目標の達成、何かを成し遂げたことによって得られる評価によって積み上げられる自尊感情のことです。
自分と他者を比べたり、他者から承認されたり否定されることで、上がったり下がったりする相対的な感情、とも言えますね。
例えば
学生時代や20代前半はめちゃくちゃモテたことを自信にしていた人が
年令を重ねるにつれて、あまりチヤホヤされなくなった時にショックを受ける
みたいなことともいえます。
なお、他者からの叱責や批判を受けることでこの感情はしぼみます。
しかし、再び様々なチャレンジをして、何らかの成功を収めるともう一度ふくらみます。
自己肯定感とは
自己肯定感とは
「ありのままの自分の存在を好意的に受け入れ、肯定的に認める感覚」のことです。
「自分が自分であって大丈夫」という安心感ともいえます。
また、自己肯定感は自尊感情という言葉と同じ意味で使われることもあります。
自信を感じられない理由の一つとなる「過去の自分への否定」
僕たちは
自分自身の過去の体験や、過去の自分自身の行動や在り方を
「意味があった」「失敗したけれどそこから学ぶことができた」
と感じられている時、「自分は自分でいい」といった自尊感情を感じることができるようになります。
しかし、過去の体験や、過去の行動やあり方を
「なんであんなことをしたんだろう」「自分が恥ずかしい」
と捉え続けていると、「自分は自分でいい」と感じられなくなることがあるのですね。
「あの頃、私は若かった」も自己否定になり得る
例えば、過去のできごと(恋愛など結婚だの仕事上のことなど)を思い出しては
「あぁ、あの頃の私は若かったわ・・・」
と甘酸っぱい気持ち、いや、恥ずかしい気持ちを感じることって無いでしょうか。
例えば
昔の私は、彼にわがまま放題言い続けていたし、結婚してからも彼に甘えてばかりだった気がする。
本当は彼のことが大切だと思っていたのに、大切にするよりも、自分の気持ちばかり優先していたんだよね。
だから離婚することになった。
はぁ・・・私はなんて若く未熟だったんでしょう。
今考えるとホント恥ずかしい。
わがまま放題な私や、愚痴っぽい私は本当に子供で未熟だったわ。
のような感じ。
まぁ、誰にも若かりし頃の失敗はあるものだと思うんですよ。
「過去を反省し、そこから自分の振る舞いを見直す」
一見、とても前向きな話のように見えますし、こういった思いが、自らの成長のためには必要なこともあります。
だから、過去の自分を振り返り反省することはOKなんです。
ただ、今も過去の自分を恥じるように扱ってしまい、ずっとそのままでいると
過去の自分を否定するという形で自分を制限してしまうことにつながるのです。
いわば「過去の私は嫌、嫌い、ダメ、未熟」といった自己否定が残るんです。
そして、その部分は今も許せない、という状態が続くことがあるわけです。
なぜ「過去の自分への否定」が強いと自信を感じられなくなるのか
では
「なぜ過去の自分への否定が強いと、自信を感じにくくなるのでしょうか」
という話なんですけどね。
これは、先にも書いたように
自分自身の過去の体験や、過去の自分自身の行動や在り方を
「意味があった」「失敗したけれどそこから学ぶことができた」
と肯定的に捉えられていないから、と考えることができます。
ここでのポイントは
「自分自身が過去の自分をどう捉えているか」
つまり、これは自己評価なんだ、ということなんです。
過去の自分が他人にとってどんな影響を与えたか、だとか、過去の自分が他人からどう評価されるか、といった部分にも影響されますが
基本的には「自分がどう評価しているか」で決まること、とも言えるんです。
「過去の自分への否定」が強いと自信を感じられなくなる事例
例えば、先に書いた事例
昔の私は、彼にわがまま放題言い続けていたし、結婚してからも彼に甘えてばかりだった気がする。
本当は彼のことが大切だと思っていたのに、大切にするよりも、自分の気持ちばかり優先していたんだよね。
だから離婚することになった。
はぁ・・・私はなんて若く未熟だったんでしょう。
今考えるとホント恥ずかしいし、自分が情けない。
を使って解説してみると、こんな感じになります。
この状態は
過去の依存的だった自分の言動で、大切な人との関係が離婚となった事実から
「依存的な自分が情けなく恥ずかしい」
と否定的に扱っている、と考えられそうですよね。
このとき、
過去の自分自身が持っていた感情、行動、考え方などを否定し続けてしまうと
それは成長や学びにつなげることができず、また過去の自分のあり方を受容できなくなっちゃうんです。
その結果、自己否定が残り、今の自分に見えない制限がかかるのです。
例えば
過去の恋愛や結婚生活で、さんざん相手に依存したおした、という反省はOKなんです。
が、そんな過去の自分を否定し続けると
今の恋愛や日常生活の中で、「人を頼る、アテにする」といった依存的な行動ができなくなってしまうことも多々あります。
もちろん、漠然と過去の自分を「未熟だ」と思えば、自分だけでなく、まだ成長過程にある子供さんや若い方々の未熟さもめっちゃ嫌いになっちゃうこともあるんです。
これは、自分を自分で糾弾し、過去の自分に罪悪感を向け、恥の意識を強めている状態、とも言えますね。
その制限が自分を苦しめるなら、あなたにとっての、過去の自分の扱い方を変えてみても良いのかもしれません。
自信を感じるには「過去の自分」と受け容れ、過去をどう評価し今に活かすか
僕たちが自信を感じるためには
「過去の自分」と受け容れ、過去をどう評価し今に活かすか
という考え方はとても重要なことなんですよね。
例えば、たとえ自分の未熟さからの離婚を経験したとしても
その経験を謙虚に受け入れ
「あの経験、あの頃のパートナーが私に教えてくれたこと」を
今後の学びにして、過去の経験やそれに伴う感情を手放すこともできるんですよね。
そう思えるなら、過去のパートナーとの関係にも意味が出てきますし、過去のパートナーに対して感謝もできると思うんです。
そして、謙虚に学んだ自分は更にレベルアップできるわけですよね。
しかし、失敗を悔い、自分を否定し続けてしまうと、過去の体験をいい意味合いで評価することができなくなるんです。
ここが自信が感じられない理由につながる、といいますかね。
もちろん、自分にとっての恥や、自分の間違いだと思うことは、やっぱりなかなか素直に受け入れられないこともあるでしょう。
つい、過去を反省しながら、自分にNGを出し続けてしまうこともあると思うんです。
ただ、「あぁ、あの頃の私は」と、反省できているならば
そこから先は自分を受け入れ、学ぶときとも言えるんですよね。
そんなことを、僕はカウンセリングでもセミナーでもよくお話します。
いつの日か
「過去の自分ってしゃーないよなぁ。
未熟だったけど、でも学べることもあったし、自分ってかわいかったなぁ」
みたいに、少しでも笑えるときが来るなら、それは成長できたということでしょうし、自分自身も前向きな気持ちになれますよ。
以上、なにか参考になりましたら幸いです。
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