恋愛の心理学

「別れた彼を好きでいようと思う」ってどうなんでしょう?というご質問にお答えします

「別れた彼を好きでいようと思うんです」というご相談から

別れた彼のことをまだ好きでいようと思う女性

失恋して、その人との復縁はあきらめたのだけど、好きな人がいないし一人ぼっちでさみしい。

そんなお声をカウンセリングの現場で伺うことがあるんですよ。

「次の人があらわれるまで、前の人を好きでいよう」というお声です。

僕も「それが苦しくないのであれば、別にいいんじゃないでしょうか」とお伝えすることもありますよ。

無理に「好き」という気持ちを無理に否定しても辛いだけですしね。

誰も好きな人がいないって、恋をしたい方にとっては気持ちのハリがなくなることもあるでしょうし。

たとえ別れた彼であっても、まだ好きでいることで頑張れることがあるなら、それもまたよし、と思うんです。

ただ、実は「それが苦しい」と感じる方もいるようです。

要は、次の人が現れるまでは好きでいようと思うけど、それが苦しさを作る、という状態なんですね。

だから、場合によっては

「彼を忘れてしまうと私が私でいられなくなる」なんてお声も伺うんです。

もう別れた彼だけど、その彼のことを好きだと感じていないと、生活にハリが無くなってしまう、みたいな。

もちろん、その心の隙間に「寂しさ」だったり「別れた悲しみ」が訪れることもあるようですけども。

だからこそ、好きでいることが心の支えになる、ということもあるのかな、と。

日常を生きるために「別れた彼を好きでいよう」とすることもあるんじゃないでしょうか

日常を生きるために別れた彼を好きでいる女性

さて、このようなご相談を伺う中で次のようなご質問をいただくことがあります。

「浅野さん、別れた彼を好きでいるってやはり執着なんでしょうか」。

愛情と執着の違いについて愛情と執着の違いについて今日はまとめています。そもそも執着とは「自分のためになにかにしがみついている状態」で、相手を愛している状態とは全く異なるものなのですよ。...

まぁ、僕たちが本当になにかに執着しているときというのは

なにより自分自身が苦しいものなんですよね。

だからもし、別れた彼のことが好きだと思うことで本当に苦しいなら

執着を認めつつ、それを手放すような癒やしを僕も考えるんです。

でも、そうではないケースなのであれば、、、僕はこんなお話をします。

「なるほど、ですね。

でもまぁ、今、別れた人を好きでいることが執着ならもっとキツいんじゃないですかね。

キツくないならそれもよし。

キツいならちゃんと僕に伝えてもらえればって思いますよ。

どうあれ、「別れた彼のことを思い出す」という

今のこの時間の使い方が、後々の恋愛の質を決めちゃうことが多いんですよ。

だから、無理に忘れようとするとか、我慢するとか、寂しさや悲しみを否定しないほうがいいかもしれません。

ま、僕でよければ付き合いますよ、うんうん」。

別れた彼のことを好きでいる。

それが苦しさとつながっているなら、まだ「未処理の感情」があるのだろうと僕は思います。

でも、それはとても自然なことで、妙なことではないのです。

それぐらい別れた彼は好きな人だった、自分にとって重要な人だった、ということなのではないでしょうか。

実は、「まだ別れた彼のことを好きでいよう」と思う時期って(復縁ばかり考えているわけじゃない限り)

別れた人を思いながらも、気持ちを処理している段階、といいますかね。

ちょっとメランコリックな気分になることもあるんだと思うんですけど、その気分を少しづつ整えている時期だ、といいますか。

でも、メランコリックな気分に浸っていても忙しい日常を生きていけないわけで。

だからこそ

日常を生きるために「別れた彼を好きでいよう」とする方もいるんじゃないかな、と思うんです。

そう考えると、今のこの「別れた彼が好き」という気持ちにも

一定の意味があるんじゃないかな、と思うんです、僕はね。

むしろ、今が苦しすぎるから無理やり彼を好きでいる、とか、必死で忘れないようにしようとしているなら。

もっともっと強く激しく別れた後悔や彼に対する依存的なキモチが出てくると思うんですよね。

「別れた彼」へ抱く気持ち、その意味もさまざま

そもそも僕たちの感じる感情って、いいものばかりじゃありません。

とくに失恋をすれば、感じたくない気持ちを抱えることだってあります。

ただ、そのキモチにも、寂しさや悲しみにも、何らかの意味があるものなんです。

特に、寂しさや悲しみを消化することで、また「誰かを愛そう」って思えるもの。

まぁ、スイカに塩じゃないですけど(例えが致命的に下手すぎる(^^;)

好きな人と別れた寂しさや悲しみを知るからこそ、愛し合うことの意味を再確認できるものではないでしょうか。

だから、今、別れた彼を好きでいることは、もしかすると

「寂しさや悲しみを乗り越えるためのツールなのかもしれないな」

と僕は思うのです。

逆に言えば、寂しさや悲しみがある程度消化できるなら、別れた彼を好きでいることも必要なくなるもの。

だから、別れた人を好きでいることが苦しいならば、それもまたプロセスなのです。

そんなプロセスを一人で過ごすこともできるし

僕のような急に妙なことを言い始めるカウンセラーと過ごすこともできる(^^;

そのあたり、どうしたいかを選んでもらえばいいんじゃないでしょうか、

なんてお話をするんですよね、カウンセリングの中で。

最後に

するとクライアント様から

「浅野さんって、私の何が見えてるんですか?私がこれからどうなるって思ってます?」

なんてご質問をいただくんですけどね。(これ、ガチでよく聞かれるご質問です(^^;)

もちろん、何も見えていませんよ。

僕は預言者じゃないから、人の未来に何が起きるかなんて見通せませんし。

まぁ、100歩譲ってなにか見えていたとしても、そこで何かを言うわけじゃありません。

最近はどんどんローガンがひどくなってますしね(そういうことじゃない^^;)

ただ、いわゆる別れた彼への未練だけではなく

日常を生きるために

「まだ彼のことを好きでいようと思うんです」

とおっしゃるクライアントさまとお話していると、何となく感じるんです。

「きっとこの方はそのうち、自分の意志でまた誰かを愛そうとされるんじゃないかな。

だから、今はまだ、別れた彼でも好きな人がいないと辛いと思うのかもな」と。

口に出すことはあまりありませんけど、それが僕からクライエントさまにお届けできる信頼、なのかなと思ってます。

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