恋愛の心理学

「愛していると言ってはいけない」と感じる人の心理

愛していると言ってはいけないと思っている男性

恋愛、特にご夫婦のご相談をいただくと

「パートナーに好意や愛情を示してはいけないと思っている人」

にまつわる話を伺うことがありますよ。

例えば

  • パートナーと喧嘩して文句ばかり言いすぎて、今更素直になれないと思っている人
  • 自分が犯したミス(仕事での失敗・浮気など)の責任を取ろうとして関係を解消すればいいと思いこんでしまう人
  • 彼女がどこか寂しそう・辛そうにしている姿を見て「自分は君を幸せにできない」と思い込み、関係を解消したいと思う人
  • 自分から別れを切り出したがゆえに、もう一度向き合いたくとも「もう今更・・・」と考えてしまう人

などがそれに当たります。

そんな人ほど「もう別れるしかない、それしか選択肢がない」と思い込み、関係を解消したくなることが多いようです。

今日は

「愛していると言ってはいけない」

そう感じる人の心理についてコラムにします。

ちょっと難しい話ではありますが、よろしければどうぞ。

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愛していると言ってはいけないと思う心理

「愛していると言ってはいけない」と感じている人の深層心理を見つめると

やはり「罪悪感」の影響を見ることができます。

罪悪感とは

  • 自分は罪・間違いを犯し相手を傷つけた
  • 罰を受けるべき存在だ
  • 愛されてはいけない
  • 許されてはいけない

といった感覚をもたらす感情です。

だから、自分が愛されることも、自分から相手に積極的に好意を伝えることも「NG」と感じるわけです。

その結果、本当はもう一度パートナーを向き合いたいと考えていても、自分から積極的に行動できなくなってしまう人も出てきます。

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罪悪感がもたらす加害者意識と「罰を受ける」という気持ち

このとき、なぜ罪悪感を感じるのかといえば、「加害者意識」を感じるからでしょう。

いわば「自分は相手を傷つけた悪者である」という感覚がそこにあるのです。

そもそも加害者意識は、恋愛であれ、夫婦であれ、どのような対人関係においても、多くの人が避けたいと思う感情の代表例です。

自分から相手を傷つけた、突き放した、否定した、相手の気持ちをないがしろにした。

誰かを傷つければ、大なり小なり加害者意識を持つでしょう。

同時に、罪悪感も感じます。

ただ、そうせざるを得ない事情があったにせよ、多くの人にとって「自分が人を傷つけた」という思いを受け入れたくないわけです。

なぜ、受け入れたくないのかといえば、「自分は罰される」と感じたくないからです。

いわば、加害者意識を持つと

「加害者である自分は相手から罰されるだろう」

と感じやすくなる、ということなんです。

自分が罰される気持ちから逃れたい

だからこそ、相手のこと云々はさておき「自分が罰されないことを目的」にして、様々な方策を使う人も出てきます。

例えば

自分の正当性を主張する人もいるでしょう。
今の関係を解消しようとしか考えない人もいるでしょう。
自分を責めることで、人からの罰を回避しようとする人もいるでしょう。
とにかくパートナーと関わらないように相手を避ける人もいるでしょう。

これらは「自分が悪い」という気持ち以上に、「自分は罰される」という思いから生じると考えたほうが良さそうです。

ちょっとドライな意見を書けば

自分が罰されると感じているがゆえに、パートナーや他人を「自分を罰する人」に仕立て上げている

とも言えます。

だから、いくら相手からの許しがでていても、それに気づけないわけです。

と同時に

「どうしたら加害者意識から逃れられるのか」ばかり考えてしまうこともよく起きることです。

その結果、今の関係に喜びも楽しみも救いもなくなったように感じて

「たった一人で過ごすなら(誰とも関わらなければ)こんな罪の意識は感じないはず」

と思い、ただただ今の関係を解消したくなってしまう人がいる、というわけです。

これはたとえ恋人やパートナーを愛していたとしても「愛していると言ってはいけない」と感じる十分な理由になりえると僕は思います。

愛していると言えないことは永遠の罰にもなる

さて、少し視点を変えましょう。

「愛していると言ってはいけない」と感じる人がいるとして、その人達にとって最も苦しいことは

「自分を許せないこと」以上に

「自分から愛や好意を持って人に接することが難しくなること」でしょう。

僕たちにとって最も苦しいことは、愛されないことではないのです。

誰かに対して愛情や好意を抱いても、それを表現できないことです。

少し想像していただきたいわけです。

そばにいる大切な人に対して、愛情や好意を抱いていても伝えない自分がいるとしたら。

その自分にどれだけの価値や意味を感じるでしょうか?

特に

「内心、愛情や好意を抱いていても、それを伝えてはいけないと感じている自分」

を肯定することは相当に難しいことです。

誰のためにもなっていない自分を、他の誰でもない自分自身で感じることになりますからね。

自分を愛してくれる人を探しているが、素直に探せないジレンマ

また、僕たちが加害者意識で苦しんでいるとき。

その自分を見つけ、理解し、愛してくれる人を心のどこかで探し求めるものです。

もう自分では自分を許せないからこそ、誰かの力を借りたいと思うこともあるでしょう。

が、実際は

「自分に近づいてほしいと思いつつ、拒んでほしいとも思う。」

といった心情になり、自分を愛してくれる人がいても、どう扱っていいかわからなくなることも少なくないでしょう。

また、このように思い続けているうちは、おそらく適切な支援や学びを得ることは難しいもの。

これは「自分を愛してくれる人を探しているが、素直に探せないジレンマ」と言えるでしょうね。

 

自分から相手を愛したい気持ちはどこかにある。

けれど、実際にそうしようとすると、相手から罰されると感じる。

だから、大切な人に関わってほしいとも思えず、相手に拒まれることをどこかで望む。

しかし、それは本意ではないからこそ、また激しく自分をちっぽけに扱う。

この状態になって、例えばパートナーとの関係などを改善しようとしても、まぁ難しいと感じることが多いかもしれません。

なぜなら、お互いにある心理的な罠にひっかかるからなのですけども。

「愛していると言ってはいけない」と感じているパートナーとどう向き合うか

さて、このようなタイプのパートナーと向き合っている方とお話をすると、まぁ疲労困憊といいますか、疲れ果てている方が少なくないようです。

そりゃそうですよね。

こちらからどれだけ理解を示したり、好意を向けても反応してくれないわけですからね。

本当にしんどいし、「私じゃダメなのかも」といった不安を感じやすくなりますよね。

だから、もっと自分の幸せを優先して「やっぱり別のパートナーと」とお考えになる人もいますよね。

僕は「それも1つの選択として大切なこと」だと思っています。

お互いに苦しい思いをするために恋愛・夫婦関係を維持するわけではないですから。

自分が幸せだと感じられないのに、一人の人に固着することもまた、考えようによっては執着になりますしね。

 

一方で、「今のパートナーと向き合えるように最善を尽くしたい」とおっしゃる方もいます。

それもまた1つの選択として大切なことですよね。

その場合、ぜひ気をつけておいていただきたいことがあるのです。

その点について最後にまとめて今日のコラムを終わりにします。

相手の仕掛ける罠には引っかからないように

「愛していると言ってはいけない」と感じている人ほど、頑なに心を閉ざしたり、人を拒む態度を取るものかもしれません。

ただ、このような態度、周囲の人やパートナーの目から見れば

「ただ、愛や意欲、勇気がない人」

と認識されることが多いでしょう。

ここがちょっとした罠だ、ということにお気づきでしょうか。

 

もし相手が「愛していると言ってはいけない」と思っているとしたら

きっと相手はあなたに愛させるような態度は取らず、あなたの気持ちや行動を弱化させるような態度取るでしょう。

と同時に

「君は僕のことを愛しているわけじゃないよ」

と思わせるような罠を仕掛けてくることが少なくないのです。

例えば、冷たい態度を取る、拒絶的な態度を取る、急に距離を開ける、無関心・無反応を貫く、など。

 

そんな態度を取れば、こちらも愛する気持ちを維持できなくなりそうですよね。

やっぱり私じゃ相手のことを愛せないのかな。

やっぱり私じゃ無理なのかな。

そんな気持ちになってしまいそうになりますよね。

 

つまり、「相手の愛しにくい態度」に接しているうちに、こちらも「私、相手のことを愛していないんじゃないかな」と感じやすくなるんです。

そして、自分の気持ちに自信が持てなくなってしまう。

このような罠に引っかかっていると、なかなか関係改善は難しいかもしれません。

お互いにどんどん愛せなくなってしまいますからね。

 

ここで何が言いたいかといえば

「どれだけ愛しにくい態度を取られても、自分の中の愛情などの価値を感じるように対策する」

これが求められることが多いですよ、ということなんです。

 

ま、もちろん愛しにくい態度を仕掛けてきているのは相手ですからね。

「それってどうよ」というツッコミを入れる余地は十二分にありますよ。

が、相手を愛したいと思っているのが自分ならば、自分の感情に責任を持って見つめる必要がありそうですね。

最後に

愛し合う男女

「浅野さん、私、この彼を愛し続けてもいいんでしょうか」

そんなお声を伺うこともしばしばあります。

ホント、悩ましいと思います。好きならなおさらに。

そのお気持ちは僕なりに理解できる気がしています。

もし、たった一人で悩むのは切ないならば、僕でよければ喜んでそのプロセスを共に歩ませてもらいますよ。

さて、どうしましょっかねー、と作戦会議を開きましょう。

 

ただ、作戦会議を開く上で、どうか忘れてほしくないことがあります。

「愛してると言ってはいけない」と感じている人が

『自分が罰されると感じているがゆえに、パートナーや他人を「自分を罰する人」に仕立て上げている』

としたら

あなたがその相手の反応に応じていては次に進めないわけです。

 

つまり

あなたは目の前のパートナーをあなたの幸せのシンボルにできますか?

それとも、私の幸せを邪魔するモノのシンボルにしますか?

目の前のパートナーを自分の挫折や執着のシンボルにしますか?

それとも、自分にとっての成長のシンボルにしますか?

難しいことですけど、でもとても重要なポイントなんですよね。

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