恋愛の心理学

「受け取らない男子」と「愛し愛される条件」の話

浅野さんへ質問

私の彼は穏やかで優しいのですが、申し訳ないが口癖の所謂”受け取らない人”なのかなぁと思ってます。
喜んでもらえると思ってやった行動に対し、いつも返ってくるのは笑顔ではなく困ったような微妙な反応…(疲れてるだろうと思ってごはんを作ったり洗濯や皿洗いを手伝ったりのレベルのことしかやってないです)

最近では誕生日プレゼントを渡したときに喜ぶより先にこんな高価な物申し訳ないだのわざわざ来てもらって悪いだの言われました。元々週一で彼の家に行ってるのに今回に限って家に来てもらったことすら申し訳ないっていうなんて…(^^;)笑

そもそも私との付き合いに対する熱量が低くて重たく感じちゃってるのかな~なんて線も考えたりもしましたが、私の誕生日や祝い事のときは盛大にやってくれたし、日々大事にしてくれてるとは感じるので、尽くして喜ばせたいけど尽くされるのは苦手なだけなんだなって考えるようにしてます。

何で受け取ってくれないの…?しくしく とまでは思いませんが、こういう人なんだという心の準備がなかったら彼の反応に傷つくので、これからは自分のほうから彼の価値観に合わせた行動をしようと思うようになりました。彼から求められるまでは自主的にやらんでおこう、と。

でも受け取り下手な人だからといって与えるのをやめると関係性は崩れちゃいますかね?
申し訳ないと言いつつ嬉しい気持ちもどこかにないのか?喜んでもらうのが好きな人でも尽くす側ばかりたつのはしんどくなるんじゃ?などなど、悩ましいのでどうか浅野さんに教えていただきたいです。

補足ですが、今のところ尽くすっていうよりは、相手にしてもらった分を返す、辛いときに代わってあげる程度のことを心掛けてやっています。
彼は女性と交際経験があまりなく、家族関係が希薄で、誰かに可愛がってもらうようなことがなかった人です。だからか彼を肯定したり慰めたりするだけでこっちが恥ずかしくなるくらい感激してくれることもありました。

ネタ募集ネーム:桃さん

桃さん、おまたせしました。ネタのご協力ありがとうございますm(_ _)m

今日はあなたのご質問にお答えしますね〜。

なるほど、桃さんの彼は「受け取らない男性」なのですねぇ。申し訳ない連発しているようで、どうやら「遠慮弾幕」が強い人のようですね。

※遠慮弾幕:浅野が作った造語で「いいよ、申し訳ないよ」を連発して相手の好意を受け取らないようにする、まるで弾幕のような遠慮・態度。別名、優しい拒絶。

左舷!弾幕が薄いぞ!なんてガンダムか何かにでも登場してきそうな言葉ですけど、これを「もーそんなの悪いわぁ、奥さん」「そんな、僕のために申し訳ないよ」なんて言葉の弾幕を張るタイプの人って意外と少なくないんですよね。

ポイントは、遠慮が処世術となっているわけではなく、ガチで遠慮している部分にあるのですけどねー。

さて、今回のご質問は

「申し訳ないと言いつつ嬉しい気持ちもどこかにないのか?喜んでもらうのが好きな人でも尽くす側ばかりたつのはしんどくなるんじゃ?などなど、悩ましいのでどうか浅野さんに教えていただきたいです。」

ですね。

ではではお答えします〜。

 

遠慮弾幕の強い受け取らない人の心理

さて、今日は「遠慮弾幕の強い受け取らない人の深層心理」の話からはじめましょうか。

遠慮弾幕が強い人、いわばガチで人に好意を向けられると「悪いわぁ」と感じる人って、無意識レベルの「加害者意識が強い人」です。

ここでの「加害者意識」とは、「罪悪感」「無価値感」のことを指します。

罪悪感は「自分は愛されるべきではない」とか「逆に罰を受けるべきだ」といった感覚をもたらす感情。

無価値感は「自分は愛される価値がない」とか「相手に何かを返す価値もない」といった感覚をもたらす感情。

つまり、「自分は人を喜ばせることができるのかしらん?いや、なんか無理っぽくね?」と感じている人ってことです。

この「人を喜ばせることができないんじゃないの?」という部分が加害者意識なのです。

ここでの「加害」が意味するものは「もしかして自分は相手の役に立たない?邪魔?意味ある?」という感覚なのです。

もちろんこれは誤解ですよね♡

んなわけねー、みたいな話です。

でもなぜかそう感じることもあるよね、って話でもあります。

 

受け取りベタな人だけど与え続けたほうがいいの?

でも受け取り下手な人だからといって与えるのをやめると関係性は崩れちゃいますかね?

うーん、相手が受け取りベタな人だと、与えている方のモチベーションに影響しますよね。

受け取ってもらえないのに頑張ってみても徒労感しか感じないと言うか、まぁ切ないと言うか。

だから、無理して与える必要はないかなと思いますけど、自分からやってあげたいなと思うことは続けてみてもいいと思いますよ。

僕がご質問を読ませていただく限り、桃さんはきっと上手に愛せているんだと思いますしね。ちゃんと相手のことを見ていらっしゃいますし。

ここでのポイントは、何をするかとか、いかに高いモチベーション(愛情)を維持するか、よりも、「今、私が相手にちゃんと与えられていることはなんだろう」と理解することでしょうか。

自分の行為を見て、それを受け取ることも重要ですからね。

そういう意味では、彼の特性を知り、受け取ってもらえなかったことで自分が傷つかないようにするとか、もし傷ついているならちゃんと自分を整えることでしょうか。

つまりは「私は私なりに愛しているのに、どうして「これでいいのかな」とか「彼を愛しにくいなぁ」と感じているのだろう」と自分の気持ちを見つめてみるといいですよ。

どうしてそう感じるのか?どうして不安になるのか?これでいいの?と思うのか。

それはきっと彼ではなく、あなたの心のなかになにか理由が眠っているのだと思いますから、そこに気づいて解消できるといいですよね。

またこれは別の話ですけど、受け取りベタなパートナーに、どうしても私の好意を受け取ってもらいたくて情熱的に与えてみたり、めっちゃ頑張りたくなる方も少なくないのかな、と思うんですけどね。

それはそれで素晴らしいことなんですけど、そこまでのカロリーが必要かというとそうでもないことが多いですよ。

むしろ、アベレージのほうが大切といいますか、無理のない簡単でシンプルなことを与え続けていく(関わり続けていく)ことが、受け取りベタな人には効果的かな〜と個人的には思います。

だから、頑張りすぎない、気合を入れすぎないってのも意外と大切で。それは長く与え続けること、まさに「持続可能な」という視点とも言えますよ。

一時的にガンガン与えて息切れして何もできなくなる「短距離走的発想」だと、ロングスパンで愛し続けることが難しくなるんですよ。

なぜなら、受け取りベタな人って、与えてもらうと「いやいや」と遠慮する割に、与えてもらえなくなると「がっかり」しちゃう人が少なくないんですね。

それもこれも先に書いた「加害者意識」があるので、与えてもらうと「申し訳ない」、与えてもらえなくなると「やーっぱり自分ではダメなのね」という自己否定が入りやすい人が少なくないんです。

めんどくさーと思われる方もいるのかもしれないけど、多くの人の中に同じような感覚があるものだと僕は思いますよ(全ての人ではなくね)。

こう、人って人の役に立ちたいって部分がベースになっていると僕は考えているので、どうしても「自分がパートナーのそばにいて意味があるのか?」って気にしちゃうと思うんですよ。

だから、受け取りベタさんと関わるなら、完全に与えることをやめてしまうのではなく、自分が無理なく普通に関われて、愛せることを続けてみること。

それが双方の心理にいい影響を与えます。

無理なく与え続けている側は「愛し続けることでその経験値を得て、自尊感情を感じやすくなる」わけです。

また受け取りベタさんは、「長くそばで一緒にいてくれる人の存在を感じることで、ゆっくりと自分を信じられるようになりやすい」のです。

加害者意識を持っている人が、自分に普通に接し、愛してくれる人と関わると、いわば自分のイメージや認知が覆るんですよ。「自分は自分じゃ不十分かもしれないと思っていたけど、ん?なんか違うな?」と感じ始める。

ときには「自分にはいいところがあるのかもなー」「パートナーはそう見てくれているのかも」と感じやすくなるわけです。ま、人によって受け取る速度も度合いも違いますけどね。

受け取りベタさんにとって、この「ん?どうやら自分が思っていることと違うな?」という感覚が「受け取りベタを卒業する要素」になるんですよ。

だから、桃さんが無理なく与え、喜び、彼の遠慮を見たら爆笑できるほどに「愛おしいなぁ」と思えれば最高ですし、なんで受け取ってくれないんだろう?と思われることが多いなら、「自分の愛や思いに価値を見ておく」といいですよ。

 

愛し愛される条件とは「自尊感情」のこと

そもそも相手の愛情を受け取るためには、自尊感情や自己価値をある程度感じていることが条件になってくるんです。

これが心理的な「愛し愛される条件」だと僕は考えておりますよ。

相手の愛を受け取るには、相手の愛の意図や価値を感じ取る「自分のハート(価値観)」が不可欠だからです。

例えば、不満や文句ばっかり言ってしまうのも仕方のないことかもしれませんが、「なんで愛してくれないの?」と相手に求めるだけでは、ぶっちゃけ相手の愛の価値は感じられないことが多いものです。(だから、別れた後で「別れた人はこんなに愛してくれてたのか」と後悔するのよねぇ、奥さん♡)

なぜなら「相手の愛の価値を感じるその主体は自分」だから。

相手の愛が素晴らしいと感じられる価値観、感覚、観念は、自分のものだから。

だから、いわば加害者意識(罪悪感・無価値感)を強めていたり、自分を責めていたり、罰し続けていると、自分の愛はおろか、人の愛の価値もさっぱりわからなくなるのです。

いわゆる愛の不感症になっちゃうってことです。

「相手のそれが愛である」と認知できないんです。だから受け取れない。

そもそも「自分にとって価値が感じ取れない対象」は受け取ろうとも思わないわけですからね。

これが受け取れない病の正体であって、これではいくら誰かが愛してくれても「愛し愛される関係」にはなれないわけです。

自分が素晴らしいって感じられない限り、人の愛は受け取れない。

ここを忘れちゃいけないんです。自分の素晴らしさや愛を感じるハートは自分で培うもの。

愛は、愛してもらうことで感じさせてもらうものじゃないんですよ。自分がそのハートでじわっと感じるものなんです。

つまり「愛が分かる自分」(違いが分かる自分)になることが超重要ってことです。

これを言い換えるなら、自分の内面の価値や美しさを感じ取れていることがポイントなんです。

自分の価値や美しさが分かるから「きっと相手もそうだろう」と思えるし、その相手の真意をキャッチして感謝して受け取ることができるもの。

一般的に「親になって分かる親の苦労」なんて言葉がありますけど、僕はこれを「親になるから親がどんな気持ちで愛していたのかがわかるようになる」と解釈するほうが前向きだなと思うのです。

これも自分が感じるもの。自分が理解するものでしょ?

受け取るためにはこの感性を磨く必要があるわけです。

だから「自分から愛を与えた数」も物を言うのです。

愛を与えるってことは、「自分が自分の愛を選択した数」を示しますから、そもそも自分の価値や愛を大きくしてくれるものなのです。

そう考えると、「どうしても愛せない人がいる」ことは仕方のないことですけど、自分から愛を止めたり、自分の素晴らしさを否認していると、いつまでも自立が強まって人の愛が受け取れないままになるってことです。

いわば、人の価値(愛)を無意識的に下げる、いわば悪意なき「引き下げマスター」や「ハートブレイカー」になっちゃうわけです。

だからこれは思いきり余談ですけど、僕のカウンセリングは「何が足りないか」よりは「いや、あなたはあなたで素晴らしい」って感じで進みますし、自分の素晴らしさを感じ取ることを阻害する感情を癒やす方向で進めているのです。

実は最近「浅野さんはよく『それでいい』『問題じゃないよ』って言ってくれますけど、それで本当に大丈夫かな?と不安なんです」というお声も飛んでくるので、今日はまとめて書いておきました。

もちろん、その不安なお気持ちも分かりますよ。

ただ、僕も根拠なく適当に話をしているわけじゃなくて(笑)いいものはいいんだからしょうがないじゃないって話ですよ。

「いいところを伸ばす」が僕の基本方針。

これによってより幸せになりやすくなる。

だから、多少の困難に打たれても立ち上がれるようになるわけですし、そこから希望や学びを見出すこともできるようになるんです。

そんな自分になることが「愛し愛される条件」そのものだと僕が考えています。

だから繰り返しになりますけど、「自分から与えることを止めないように、ちゃんと無理のない自分のペースを探す」ことが超重要なんです。

その自分に慣れていけば、そのうち自然と「愛し上手」になれますから大丈夫なんですよ。

無理して止めてしまったり、諦めてしまったら効果も成長も止まるんです。

最後に

補足ですが、今のところ尽くすっていうよりは、相手にしてもらった分を返す、辛いときに代わってあげる程度のことを心掛けてやっています。
彼は女性と交際経験があまりなく、家族関係が希薄で、誰かに可愛がってもらうようなことがなかった人です。だからか彼を肯定したり慰めたりするだけでこっちが恥ずかしくなるくらい感激してくれることもありました。

たしかにこの「補足」の話って、彼はどれだけ愛から遠ざかってきたんだろう、というふうにも解釈できますよね。

ただ、物事は多面的に捉えることができるものでもありますよね?

だから、こういった解釈できないでしょうか?

「彼だってあなたから与えてもらえるから喜んでいるのだ」

あえてネガティヴな言い方をすれば「彼も人を選ぶんじゃない?」ってことですよ。

あなたが与えてくれるから彼が喜んでいるんだ、って感覚、キャッチしてみてもいいかもしれませんね。

つまり「あなたこそ彼の喜びであり癒やしである」。

もし彼が家族などにも愛されたことがないとしても、愛してくれるあなたに出会ったことが彼にとっての奇跡なのではないでしょうか?ぐらい僕は思いますけどね。

それぐらい人生って出会いで変わるものだから。

自分が誰か大切な人と出会い、愛することができて、その愛が誰かの喜びや癒しになっていく。そんな相手を見つめることが、自分をさらに癒やす。

そんないい循環が最高の幸せだと僕は思うんですけどね。それがお互いにできたらもっと最高なんですけどね。

もちろん、彼は経験の無さなどからあなたに上手に愛し返す自信がないかもしれないけど、きっと心のどこかではあなたとの出会いを喜んでいるんじゃないかな?って僕は思いますけどね。

その彼の思いも受け取ってみてはいかがでしょうか?

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