恋愛の心理学

心の奥で感じてる虚しさがなかなか無くなりません

浅野寿和さんへの質問です

神戸メンタルさんにはここ数年、面談やセミナー、ワーク等色々お世話になっています。
浅野さんのワークにも参加させていただいたことがあります。
ブログやYouTubeもほぼルーティーンのように見させていただいてます。

心の仕組みを知って、そうかと納得することもあるし、カウンセラーさんと話す中で癒される部分もあるんですが、心の奥で感じてる虚しさがなかなか無くなりません。
むしろ最近は大きくなっているような気さえします。

自分が好きなものを見つけようとか、楽しいと思うことをしようと思って試してみても、結局は一人だもんな、という考えが浮かんでしまい、全てが虚無のブラックホールに飲み込まれていくような感じがします。

服を買っても、メイクをしても、自分を飾ったところで、結局自己満だよな、とか
カフェでおいしいものでも食べに行こうかな、と思って行ってみてもあまり感動もせず、そもそも食にそこまで興味がないのかもしれないですが、、
自分を楽しませようという行為自体が無意味な感じがして、何をしても心から楽しめていない気がします。

たまに友人と会うことがあっても、自分の暇つぶしに付き合わせてしまっているような気がして、どこかで申し訳ない気持ちを感じてしまいます。

虚無感は元々自分の中にあったものだとは思いますが、コロナ渦への不安感のせいもあるのか、最近ますます強くなっている感じがして辛いです。
何とか変えたいと思いつつも、何をしても変わらない気がして、なかなかやる気もわいてこないです。
そもそも何をどうしたらいいのかもよくわからないです。
何かアドバイスいただけますと幸いです。

ネタ募集ネーム:黒ユリさん

黒ユリさん、ネタのご協力ありがとうございますm(_ _)m

いつもブログや動画を拝ご覧いただいているとのこと、ありがとうございます。

今日はあなたのご質問にお答えしますね。

さて、今回のご質問の主訴は「心の奥で感じてる虚しさがなかなか無くなりません」という言葉に集約されているようですね。

なるほどなーと思いながら質問を拝見していましたよ。これは僕自身もよく感じること(感じていたこと)なので。

このような状態になると、黒ユリさんおっしゃるように「そもそも何をどうしたらいいのかもよくわからない」という状態になりやすいものだと思うのです。

なぜなら虚しさの理由がなにか、という部分がなかなか明確に捉えられないことが多いからですね。だからこそ「漠然」という言葉が用いられるわけですけれどね。

この漠然とした感覚はそのまま放置しておくと、いろいろな観念や感情とくっつきますよね。時にはさらに漠然とした観念とくっついてさらに訳が分からなくなることも少なくないのではないでしょうか。

ここでは、少しばかり「応用力」が試されるといいますか、一般的によく用いられる考え方「〇〇だから〇〇」という考え方では気づきにたどり着かないことも多いのかもしれません。

ただ、よーく心の法則について見ていくと、そのヒントらしきものに辿り着くかもしれませんよ。

そこで今日は僕なりの見立て、考え方についてまとめてみようと思います。

よろしければどうぞ。

 

虚しさの反対は充実感、と仮定するならば

もし、日々感じる虚しさのようなものと対になる感覚を考えるならば、僕は「充実感」「達成感」のようなものだと認識しています。

親密感というよりは、自分が充実している、何かしら貢献している、達成している、といった感覚なんだろうと思うのです。

この部分について少し突っ込んで解説していきますね。

 

例えば、黒ユリさんはこう書いてくださっていますよね。

「たまに友人と会うことがあっても、自分の暇つぶしに付き合わせてしまっているような気がして、どこかで申し訳ない気持ちを感じてしまいます。」

ここであなたに「申し訳ないって感じなくていいんですよ」と伝える人もいるのかもしれませんが、僕はそうとだけ考えるわけではないカウンセラーです。

もちろん、あなたが申し訳ないと感じる必要はないと僕も思うのです。

しかしあなたはそう感じるのだとしたら、その事実も大切にしたいのです。

そして「だとしたら、それはなぜか」と考えちゃうわけですね。

ま、余計なお世話かもしれませんけど(^^;

 

そもそも申し訳ないという気持ちは、罪悪感だと見ることができます。

ここでの罪悪感はおそらく「楽しめない」ことに対する罪悪感なのだろうと思うのです。

人と一緒にいても楽しめない自分が申し訳ない。すなわち相手のことを責めているのではなく、「本来は楽しめるはずのものが楽しめない自分」に対してネガティヴな思いを持っている可能性が高いのではないか、と僕は思うのですね。

つまり、あなたが友達と関わる中で楽しめて、喜べて、お互いにいい気分を共有できれば最高だと思っているけれど、そのように振る舞えず、喜びを感じられない自分を感じるから、自分を否定的に見つめるのではないか、と僕は思うのです。

だから、友達にそんな自分に付き合わせていることに申し訳ないと思う、といった感じで。

もしそうであれば、あなたは「自分と関わる人を楽しませたり、喜ばせたり、充実感じてもらいたい」と思う人なのではないか、と僕は思うのです。

そう思っていないなら、悩むことも申し訳ないと思うこともないわけですから。

つまり、漠然とした虚しさについて深く見つめていくならば

「自分は誰かの役に立てているのだろうか」「自分は誰かの喜びになれているのだろうか」

といった感覚とぶつかることになるのだろう、と僕は考えます。

 

ちなみに、そこで自分自身に突きつけている観念は

「私は誰かに喜びになるために、なにか与えたり、新しいチャレンジをしているのだろうか」

「私は相手を自分のよろこびとして扱っているのだろうか」

といったものであることが少なくないんですよね。

このように自分を見つめていれば「充実感」「達成感」などを感じることって難しいですよね。

だから虚しさがやってくる。

ただこの虚しさはおそらく自分に対する疑いのようなものに形を変えるので、「自分って一体何なんだろう」といった疑問となっている場合も少なくないんですよね。

この考え方は、あなた自身が「日々を生きる」ということに対しても影響してくる可能性がある、と僕は思うのです。

 

100%の自分を生きているかどうか、という問題

つまり、このような虚しさの問題は「自分は誰かの喜びなのだ」といった自尊感情や、「自分はそれなりに人から受け入れられている」という感覚を感じられずにいるときに起こりやすい、と僕は思うのですね。

前者は「自分から与える、なにかにチャレンジする」という行動を通じて感じることが多いですし、後者は「人があなたに向けてみる目(愛情など)を理解する」といったことを通じて感じることが多くなるものでしょう。

いわば「虚しさという問題」が起こる原因ってこのあたりにあることが多いんですよね。

例えば、「今まで自分なりに頑張ってきたけれど、それでよかったのか?自分は人のため、誰かのために頑張ってきたけれど、本当に自分は人の喜びになれていたのだろうか」といった疑いがやってくると、それだけで虚しさを感じませんか?

自分が自分の過去を十分だったのだろうか、と疑ってしまうからこそ起こる虚しさです。

そのとき、周囲の人がどれだけ愛情や承認を注いでくれていたとしても、なかなか受け取れないものではないでしょうか。

むしろ受け入れてもらえたり、愛されることが申し訳ない、と思ってしまうことが多くないでしょうか。

結局のところ、自分が自分を疑っている状態(自己懐疑といいます)が続くと、何をやっても楽しくない、愛されても申し訳ない気がする、虚しい、生きている意味を感じない、といった状態になりやすい、といえます。

この感覚を乗り越えていく鍵は「100%の自分を生きているかどうか」。

自分が今できる(自分なりに・それなりに)ベストを尽くして生きているか。

自分にできることから目を背けていないか。

自分自身のマイナスの要素にばかり目を向けて、それを覆い隠そうとする努力ばかり続けていないか(補償行為)などです。

 

一言で言えば、「自分はいろんな要素を受け入れ、認め、自分なりのベストを尽くして生きているという感覚があるかどうか」ということなんです。

特に大切なことは、「今までの自分の努力(頑張り)が、今の自分とつながっているかどうか」ですね。才能や魅力といったものよりも、こちらのほうが僕は大事だと思っています。

実は、今までの自分って、その時々の「自分なりのベスト」で生きてきたはずなのです。

黒ユリさんもきっとそうではないでしょうか。

だからあなたの今があるのではないでしょうか。

たとえ、できなかったことや、失敗してしまったことがあったとしても、それもまたその当時のベストだったと考えることはできないでしょうか。

たとえ、自分にマイナスの要素があったとしても、それでもベストを尽くしていたのは自分ではないでしょうか。

しかし、自分の内面の動機として(自分の感覚として)「ベストを尽くしてきたわけではない」と感じていると、なかなか達成感や充実感を感じられません。

また、「自分がやるべきこと(やりたいこと)から目を背けている」と感じているときも同じです。

すると、たとえ自分が素晴らしい努力や貢献をしてきたとしても、不足感、不十分感、偽物感などを感じてしまうわけです。これが「自分の存在に対する疑い」になるってことですね。

これは事実というより「動機」の問題です。

特に「誰もが認める素晴らしいことをしない限り、自分の行動には大した意味はない」と思っている人ほど、この罠にハマりやすい、といえるのですね。いわゆる人との比較が強かったり、完璧主義であればあるほどこうなっちゃうんですけどね。

 

自分なりのベストを尽くすという感覚を育てよう

このような虚しさ(疑い)は「自分の外側」に何かを求めても、どんなの素晴らしいものや人をおいても、あまり解消しないことだとも言えます。

他の誰でもない、自分自身がどんな気持ちで、どんな動機で、どんな思いで、生きているか、に尽きるわけです。

自分の意志や感情を表現することが大切なんです。

自分はこのような人生を生きたい。

自分はこのようにして、誰かの喜びになりたい。

特段すごいことでなくてもいいんです(すごい事をしなければ意味がないと思うことこそ、補償行為・自己否定の表れなんです)

明確な目的・ヴィジョンを自分に許し、それに沿って自分なりに思うベストを尽くして過ごしていればいいってことになります。

(僕の場合なら、心理やカウンセリングを通じて一人でも多くの笑顔を取り戻す志事を続ける、ですね。)

が、つい恥ずかしさのあまり、人の目や意見を気にしすぎてしまって「自己表現」を抑えてしまうと、やはり虚しさ〜自分は自分の目的・ヴィジョンを生きていない〜という感覚がやってくる、といえるのです。

だからってこともないのですが、僕はカウンセリングの中で「あなたの思うように生きていればいいですよ」というスタンスでお話をさせてもらうんですよね。社会のルールから逸脱していない限りね。

たとえ難しい男性のことを好きになったり、困難な復縁のプロセスに挑んでいたとしても、それがあなたにとって心から与えたいこと、やりたいことなら、僕は心から応援させてもらいますし、僕にできることは全てやりますよと思っている人間ですわ〜。

 

虚しさにも一定の意味がある

ただ、漠然と感じる虚しさにも一定の意味があるのではないか、と僕は考えています。

それこそ「自分なりにベストを尽くしてもダメだった、失敗した、届かなかった」という傷心、挫折感を感じないように「自分を制限する」という意味です。

要はチャレンジしなきゃ、傷つかないわけですから。

だから、今がとても虚しいけど、失敗して傷つくよりはマシだと考える人がいても不思議ではないと思うし、そう思うこと自体、批判に値しないもので、しゃーないものだ、と僕は思っているのです。

それぐらい、自分なりにベストを尽くしてチャレンジしたり、誰かを愛したときに、それが自分の思う結果とつながらないと、痛いし怖いしものですよね。

それは僕にとっても痛いことですし、今でも何度経験しても痛いと思いますよ(^^;

ただ、自分なりのベスト(最善手)だと思うことをして失敗したなら、それはもうしゃーないわ、と思えるもの。

もちろん失敗するには、自分に実力が足りなかったのか、人の話を聞かずに突っ走った結果なのか、自分が何かしら誤解や思い込みを強くしていたのか、何かしらの理由があるとは思うのですけどね。

そこから「学ぶ」ことができるわけですよ。次、どうするか、というね。

そして自分が失敗して痛い思いをしているとき、「うわ、だせぇ」「なんだ、しょぼいな」などと批判する人もいますけど、「そんなにやりたいなら応援するぜ」と手を貸してくれる人もいるんですよね。

自分なりにベストを尽くしていると、この人の応援が死ぬほど「ありがたい」と思えるんです。この時、人の存在を受け取るという感覚を感じられるようになるものだと僕は思うんですよね。

いつも仲間や友達がそばにいてくれること、パートナーが寄り添ってくれることが本気で嬉しいって思えるようになるんです。

いわば「心から受け取れる」ってことです。

それは自分自身が「それでいい」と思えているからこそ起きることなんですよね。

 

人とのネガティブな比較を手放して、自分に小さな表彰状を与えよう

この話を書くと「え、それは私がベストを尽くしていないからダメってことですか」というお声がかなりの数飛んでくるのですが、僕が言いたいことはそうではないんですよ。

自分が何を感じているかが全てですよ、ってことです。

そもそも人はあなたに対して「あなたはベストを尽くしていない」とは言い切れないもの。ベストを尽くしているか、自分の気持ちに誠実であるかは、その当人にしか分からないものです。

そもそも自分のベストは他人のベストとは違います。いつも他人と同じようにできるわけじゃないですよね?

また、自分がベストを尽くした感覚は、その時々変化します。いつも同じ結果、ポテンシャルを発揮できるわけじゃない。

だから、どんな時も、自分なりに前を向いているか、どんな意識を持っているか、が大切だってことですね。

(もちろん、人はいいコンディションでいた方が前向きになりますから、だから自分を癒そうね、誤解を解いてみましょうね、あなたはそんなもんじゃないでしょ、素晴らしいっしょ、と僕はさんざん皆さんの背中を蹴飛ばす、もとい、自分のすばらしさを知ってもらいたいと、あれこれ「癒やしの手法」をご提供しているんですね。)

特に大切なことは、自分なりにコツコツ、自分のヴィジョンや目的に向かって進むことなんです。

このコツコツは本当に裏切りません。自分への過信やひどい評価はいつも裏切られるものですけど、自分の努力を認めるってことは本当に自分を裏切らないことですよ。

そのために、まず「ネガティヴな意味での人との比較」をやめてみてください。

この手の虚しさの裏には「誰がどれだけ優れているかという競争意識」が隠れていることが多いのです。

自分は誰かと比較してどうか、といったね。

そうではなく、自分が何を思い、何にチャレンジし、どうしてきたかが全てだと考えてみましょう。(切磋琢磨という意味での競争は大歓迎なんですけどね。)

だからこそ、自分の気持ち、動機、願い、祈り、やりたいこと、愛情などを認め、受け入れてみてほしいのです。

すると、競争意識から抜け出し、互いの素晴らしさや違いを認めることも可能になってきます。

 

そして、普段から自分に小さな表彰状を与えてあげてほしいのです。

今までの自分なりに頑張ったこと、努力してきたことに対して、小さな表彰状をたくさん与えてみてほしいのです。

すると、自分の目的やヴィジョンも取り戻せますし、「自分って捨てたもんじゃないよな、いやすごくない?」と思えるようになっていきます。

だからこそ自分の不完全さも受け入れられるし、自分に対する期待も手放せます。

自分にできないことは、誰かができることなんです。だから誰かに任せればいい。

でも、自分にできることをやってないとしたら、そりゃ後ろめたさや虚しさを感じるものでしょう。

なので、「まぁまぁできることしかできんわな〜」と思いながら、でも「こんな自分でありたい」「自分のやりたいことを続けよう」といった動機が持てるようになると、虚しさを感じることも少なくなっていきますよ。

この時、さらに充実感を感じますし、自分がなにか成し遂げたときに達成感を感じやすくなりますよ。

 

最後に

「服を買っても、メイクをしても、自分を飾ったところで、結局自己満だよな、って思ってしまうし」

と書いてくださっていますね。

だとしたら「自己満足を悪いもの」と捉えているようですね。

そもそも自分を満たすことって悪いことじゃありません。

悪いというか、問題になるのは、自分だけ満たそうとするために相手を騙したり、何かを奪おうとすることでしょう。

これは結局のところ、自分のために人を利用するってことであり、他人をモノ扱いしてるってことでもありますからね。それでいい気分になれる人なんていないと僕は思うんですけどね。

ただ、それと自分で満たすことって違うと僕は思うんですよ。

なので、一度こう考えてみてください。

「なぜ、私は自分を満たすことを悪いことだと思っているのだろうか」と。

もう一歩突っ込んで書くならば

「自分が許していない『自分のことばかり(自分の事情でいっぱいになっている)で、私のことを見ていなかった人』って誰だろう」と。

もし、あなたの内面に許せない人がいるとしたら、禁止の心理から「自分に『自分を満たす』ことを許せなくなる」って考え方ですね。

なにか参考になりましたら幸いです。

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