こんにちは。
心理カウンセラーの浅野寿和です。
男女が別れる理由として最も多いものは「性格の不一致」。
裁判所が公表する令和5年度の「司法統計」によると、婚姻関係事件(離婚調停)の申し立て理由のランキングでは、男女ともに1位です。
それぐらい「性格・価値観が合わない」というのは、人間関係において大きなストレス要因なんですよね。
みなさんも、そういう経験ありませんか?
そんな“合わなさ”を感じた瞬間、僕はよくこう思うんです。
「合わないものは合わない。理解はできるけど、心地よくはない。」
(つまり、僕と合わない方も絶対いますし、それは避けられない。)
でも同時にこうも思います。
「でも、この“合わない感覚”、実はめっちゃ大事なんだよな……」
今日はそんな「合わない人」がもたらす影響と、そこから得られる“恩恵”をコラムにしてみようと思います。
Index
価値観が合わないと、なぜこんなに疲れるのか?
価値観が合わない人と話すとき、僕たちの心の中ではこういうことが起きています。
- 相手のテンションに合わせようとする
- 合わなさを“自分のせい”にしがち
- ズレを埋めようとして余分な気を遣う
- 判断されないよう言葉を選ぶ
- 無意識に「傷つかない距離」を探している
つまり、本音ではなく“防衛”で動いている状態。
これが、いわゆる”合わない人と関わるときに感じる疲れ”の正体に近いもの。
人がしんどくなるときって、“話の内容”そのものよりも、その場で使ったエネルギー量に引っ張られる感じですね。
価値観が合わない相手といると、このエネルギー消耗がじわ〜っと大きくなる。
だから疲れる。
特に日常を共にするパートナーの場合は。
これはもう“自然な反応”と言えるのかもしれません。
「価値観が合わない=悪い」ではない
僕たちはよく、
- 合わない相手=苦手
- 合わない相手=悪い人
- 合わない相手=距離を置くべき人
と、ちょっと極端にとらえがちです。
もちろん自分と合わない人を否定的に見てしまう(本音はそうしたくなくても)としたら、それも自分を守る反応なんでしょうね〜と僕は思います。
ただ、合わないってことは、”過去の体験や学習やら、心の仕組みやら、そういったものが自分と違うだけ”と理解する方が良いと僕は考えているんですよね。
いわゆる価値観って、
- どんな家庭に育ったか
- どんな経験をしたか
- 何を恐れてきたか
- どんな愛され方をしてきたか
- 何を大切にして生きてきたか
こういうものの積み重ねで形づくられる。
だから、合わないのは当然。
いわば“相性”の話にすぎません。
相手が悪いわけでも、自分が間違ってるわけでもない。
合わない相手の内面に問題があるんだ!と強く意識を向けるとしたら、それこそ心理学でいうところの”根本的な帰属の誤り”になってしまうんじゃないかな、と思うわけでございます。
※「根本的な帰属の誤り」とは、他人の行動の原因を、その人の性格や能力などの内的要因に帰属させすぎ、状況や環境などの外的要因を過小評価してしまう心理的バイアスです。
この誤りにより、問題の本質を見誤ったり、不公平な評価につながったりすることがあります。
では、合わない人から何を学べるのか?
実はここからがすごく面白いところなのですが、価値観が合わない人ほど、
僕らにすごく大きな気づきを運んできてくれる存在
とも言えるんですよね。
まぁいいか悪いか別にして、自分なら想像もしない発想、考え方、行動などを見せてくれる人、でもあるのです。
だから、自分の知見、世界などを広げてくれる存在でもある、といえばそうなのです。(実害がある場合はそうも言ってられないと思うんですけどね・・・。)
① “自分の大切にしている価値観”が浮き彫りになる
合わない人に出会った瞬間に初めて分かるものってあります。
たとえば・・・
- あ、私は静かな関係が好きなんだ
- 無理してテンションを上げるのは苦手なんだ
- 結果よりプロセスを大事にしたいんだ
- 肩に力が入りすぎた前向きさはしんどいんだ
- 丁寧に話せる人が好きなんだ
もちろんここに書いたことの真逆の感覚を持つ方もいると思うんです。
常に前向きな気持でいたほうが心地よいんだ、とかね。
つまり、自分が心地よくいられる“世界観”が明確になるのです。
これ、結構見逃されがちなんですよね。
特に、人に対して受容的な人、近い距離感で関係性をつくる人は、相手と自分をある意味同一化しちゃうことがあるんですよ。
だから、合わないことを飲み込むクセが付いていたり、相手の価値観に染まるという特技を使って自分を消してしまう方もいるんです。
もちろんそういったクセが親子関係や家庭環境から来ている場合もありますね。
親の言うことを聞かないと生きていけなかった、愛してもらえなかったという環境がそこにあったなら、そう生き抜くしかないわけでして。
ただ、そういったいわば心の癖を持っている方の恋愛や夫婦関係の作り方って、自分を無視して相手を包み込むように見えながら、実際は”癒着””同化”するので、自分のことがよくわからなくなるんですよねー。
② “距離の取り方”のセンスが磨かれる
価値観の合わない相手こそ、距離感の練習相手になることがありますね。
- これは深入りしなくていい話だな
- この人には「理解」までで十分
- 心地よい距離はこのへんだな
- 無理に合わせないでいい
合わない人と出会うと、自分を守る距離感が自然と磨かれたりもします。
もちろんいい意味で、ですよ。
人間関係の疲れの多くは“距離感の取り方のミス”から起きるので、ここを学べるのはめちゃくちゃ大きいかもしれません。
③ “合わせすぎていた自分”に気づく
先程も書きましたけど、合わない人の前では、自分を押し殺しやすい人もいますね。
- いい人でいよう
- 波風立てないように
- 理解したほうが楽だし
- 嫌われたくないし
その疲れこそが、
「あぁ、私はずっと人に合わせすぎてきたんだ」
という気づきにつながることもあります。
これは本当に大きな発見なんです。
自分としては自然に相手に合わせたり、相手に染まったりしているわけで、その事実に気づくことで「え?本当の私ってどんなだっけ?」という視点が持てる。
すると、自分の考え方や好み、価値観がじわじわ戻ってくることも少なくないんです。
価値観が合わない人と、どう向き合えばいい?
また、僕自身「価値観が合わない人とどう向き合えばいいですか?」と聞かれることがあるんですけどね。
そのポイントはこの3点かな、と思います。
① 理解でとどめる。すると更に理解できることも・・・。
相手の価値観は、その人の人生の文脈でできている。
全部理解しようとしなくていいんです。
きっと相手を全て理解したいという想いは優しさだと思いますから、僕もその込められた思いの価値はすごく感じるんです。
でも、そういった優しい人ほど「わからない」という部分に出会ったとき、それを自責の理由にされる方も少なくないんです。
例えば、
「彼のこと全部わかってあげたいけど、それができない」
そう思う方って優しいし、愛があるように見えません?
でもその思いが、今の自分を否定する材料になりすぎるとしたら、それも問題になりませんか?
これはあくまで僕の経験からくる意見ですが、「人のことは全てわかるわけじゃない」ですよ。
多くの場合、自分なりの善意で接するし、いわゆるメンタライゼーション〜相手の気持を推し量る〜ということも、必要なことですが、正確に全て理解できるわけじゃないですよね?
相互に理解できるところ、理解できないところを持ち寄って。
それでええやん、と思える関係こそ穏やかなものなんだと思うんです。
なので、合わない人と向き合うときも、違うんだな、と理解しながら優しく接していればいいんじゃないでしょうか?
そうして相手を適切な距離で眺めていると、実は「こんな分かり合える部分があったなんて!」という発見に出会えることも少なくないんですよ。
特に、愛情とかね、相手を大切に思う気持ちとかね、それを否定されるとめっちゃ傷つくよね、お互いに・・・とかですね〜。
② 価値観を学ぶはOK、染まるはNG
その人の信念や価値観は、その人の世界のもの。
こちらの世界に持ち込む必要はありません。
もちろん参考になる価値観があるなら学んでいいと思うんです。
ただ、まるで自分を否定するかのように他人の価値観で自分を上書きする必要はないと僕は思います。
とかく無力感や劣等感が強いときは、人の意見や価値観が正しいように思いやすいんですよね。
それが自分と合わない人の価値観だった場合、その後が結構しんどいです。
自分は自分として存在していること。
それをベースに理解や優しさで向き合っていくことが、コミュニケーションなんでしょうね。
③ 無理に分かり合おうとしないし、相手を否定しない
こう書くとドライに見えるかもしれませんが、分かり合う必要のない関係性もあります。
分かり合えなくても、人間関係は成立します。
むしろ“分からないままの距離感”が心地よいこともあるんじゃないでしょうか?
もちろん、自分と合わない人を否定するのは違うと思うんですよ。
この「否定する」という思いを持つと、「誰とも繋がれない」「孤独だな」と感じやすくなるのでちょっと注意ですかね〜。
でも「あぁ、違うんだな」という理解ってとても大切なことだと思います。
だからこそ、相手を尊重できることもあると思いませんか?
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まとめ:合わない人は、敵ではなく“鏡”です
価値観が合わない人って、しんどいし、疲れるし、できれば避けたい存在かもしれません。
でも、実はその相手は
- 自分が大事にしているもの
- 自分が心地よい距離感
- 自分の価値観・世界観・本質
これらをある意味逆説的に思い出させてくれる“鏡”のような存在と言えるのかもしれません。
これは人だけじゃなく、様々なものに応用できる考え方だと思いますよ。
例えば僕の場合、お酒が好きなんですけどね(^^;
ただ、飲んでいると「お酒に違和感」を感じることもあるんです。
たとえば、お酒に溺れる、どっぷり浸かると苦しいと感じるのです。
だから、あぁここまでお酒に近づくのは合わないってことね。むしろ心地よいのは”適度”なんだね、と理解できる。
そう考えると・・・
「合わない」という感覚は、自分を知るための大切なセンサー
のようにも思えるのです。
そしてこのセンサーがあるからこそ、“合う人”と出会ったときの喜びや安心が、より深く感じられるのかもしれませんね。
価値観が合わない人と向き合うと、確かにときどきしんどさを感じるでしょう。
合わない人に無理に合わせなければいけない環境、だとすれば、環境を変えるという選択もあっていいのかもしれないですし。
ただ、そこから何を感じ取るか、という視点で見ると、僕たちにとって確かに意味のある存在なのです。
今日のコラムが、みなさんの対人関係の“肩の力”を少しでも抜く助けになればうれしいです。
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