心理カウンセラー浅野寿和です。いつもありがとうございます。
「情けは人の為ならず」という言葉がありますね。
最近、この言葉の意味が誤解されて、「情けはその人の自立を促さない。その人のためにならない」という理解をされている方がいる、という話を伺います。
そう解釈する感覚、僕も分からなくもないんですけどね。
意味としては、人に情けをかけることは、結局自分のためになるよ、という意味だそうですよ。
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そこで思うんです。
私たちの世界で言う「許し」もですね。
たまーに、誤解されてますかね?と思うことがあります。
なので、今日はそんなお話をば。
そもそも私たちの言う「許し」とは、
誰かを許す、私を許すなどの行為によって、私自身の心を解放し、自由にし、罪悪感や犠牲、恨みつらみなどから私を解放する強力な癒やしのメソッド。
倫理的・道徳的に云々ではなく、あなたが許せないと感じるものを許すと、ココロが自由に、楽になるよ、という意味なのですが。
もう少し突っ込んで書くと、あなたが抱えている投影を取り戻す(投影の影響から抜ける)ということ。
だからこそ「誰かを許す」行為は、結局は自分のためなんですよね。
一つ事例をあげてみます。
例えば。
あなたが最近大ゲンカして、きっつい捨て台詞を吐き出しあった友人がいたとしましょう。
その後、あなたが「その友人にはもう近づきたくない」と思っているとしたら。
・あなたはその友達が嫌い
・友達はきっと私のこと嫌いだろうなぁ
この2つの要素が成立していると思うんです。
そしてココロの中では、
「私が私を嫌い」だから、「相手も私が嫌い」だろう。
そんな考え方を用いて僕は物事を見るのですね。
そこで、あなたが
「どうせ相手は私のことが嫌いだろう」
と喧嘩相手に思い続けているのは、いわゆる被害者意識なんですよね。
そんなとき、実はあなたはその内面で「今の私が嫌い」だと感じつづけているだけってことも多いんですよ。
少し想像してみてください・・・。
『大切な友人とケンカして、相手を罵倒し、暴言吐き倒した私が好き♡』
って・・・普通思いますかねぇ?
だから、「私は私が嫌い。だから友人も私が嫌いだろう」という「投影」が成立しているわけです。
が、あなたが「私は私が嫌い・悪い」といった感覚を認めたくないだけ、
「あんな友達最低だ!」「あいつだって悪い!」「私は傷ついた」と言いたくなるわけです。
これは、被害者意識に被害者意識を重ねてしまうわけで、「こじらせ感」がさらに増していくわけですね・・・。
話を続けます。
そこでもし、あなたがその友達とできれば和解したいと思ったとき。
もちろん「私が自分を許すこと」は効果的ですね。
ただ、この許しは、
「あなたの中の罪悪感などを解放し、ケンカした友人に近づきやすくなる作用」になるでしょう。
ただですね。
そもそも「被害者意識」が強いときほど、「私を許す」だけではちょっとパワー不足ですし、許し本来の効果は出にくい傾向がありますね。
そんな時は、被害者意識を強くしてしまうほどの痛みを癒したり、自分の人生を変える勇気を持つことの方が先かなぁ・・・。
実は「私を許す」ことが効果的に作用するのは、あなたに「与える意識(加害者意識)」が強いけど、失敗しちゃった・・・そんなときですね。
自分を責めてしまうマインドが揃っちゃってるときほど、私を許すって効果的でしょうね。
ここの違い、結構大きなポイントですね。
では、このようなケンカのケースで他にどんな許しがあるのか?といいますと。
ケンカには、私の都合と同時に、相手の都合があるでしょう。
その相手の都合をちゃんと理解して、汲み取り、謝意を示すところは示し、自分の伝えたいことがあるなら伝える。
つまり、あなたが許せないと思っている誰かを許すこと。
私が相手に関わり、「友達を理解し許そう」と思うと、その投影の作用で、自然と「今の自分も許せるようになっていく」という話。
その許しの効果は、比較的強くあなたのココロや現実に響きやすいと僕は思っています。
ということで、そもそも「許し」はいろんなカタチで存在していますが。
どうあれ、あなたの心が動き、解放され、何かしら感覚が変わるような実感があるとき、許しの効果がちゃんと発動していると思っていただくといいのかもしれません。
とはいえ、皆さんに前人未到のハイジャンプのような、ムリなことに取り組んでほしいわけじゃないんですけどね(笑)
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