恋愛の心理学

主人に私はなんて言ってあげたらいいんでしょうか。毎回悩んでしまいます。

浅野さんへの質問です。

先日、質問を取り上げて頂いたゆきです。その節はありがとうございました♪
最近の浅野さんのブログを読んで、自分に向けて発信してくださってるんじゃないかと思うくらい、気付くことがたくさんあります。

何度も質問するのもな・・と躊躇していましたが、質問募集と最近書かれていたので、図々しくまた送ってしまいます(笑)。

今回の記事の「依存心を刺激する」ですが、主人の風俗問題が発覚してから、まさに私はどっぷり依存にハマっていたと思います。

もちろん今も、まだ抜け出せていないと思うけど、最近気が付いたことがあります。

離婚問題に発展するケンカをするまでの約1年、主人が一生懸命私の心に寄り添って、優しく接してくれていたけど、だからこそ私はその主人にどっぷり依存して、今私が抱えてる不安を、全部主人になんとかしてもらおうと思ってたんじゃないかって。

あなたが不安にさせたんだから、あなたがこの不安を取り除いてよ、くらいに思ってた。

でもきっと、不安は私が作り出してるものだから、主人にいくら優しくされたって、何されたって、自分がなくそうとしないと、不安はなくならないものだったんですよね?

だからいつまで経ってもずっと不安で、それを「俺のせいだから」って受け止めてきた主人も、いっぱいいっぱいになってしまった・・・。

前の質問の時、チュウがなくなってってお話したんですけど、そんな状態だから、今は主人に頼ることが出来なくなり、結果1人で(浅野さんのブログなどには頼っちゃったけど・笑)不安や悲しみに向き合って、色々気が付くことが出来たのかなって思ってます。

荒治療ではあったけど、それくらい跳ね除けられなかったら、まだまだどんどん依存していったのかなって。

ちなみにまだチュウは復活してません。今はまだ主人にそれを伝えるのは早いかなって思っていて。

主人は風俗の問題が発覚してから、先日の記事にも出た「どうせ俺なんて」って言葉、よく言ってたんですが(冗談半分な言い方ですけど・・)、最近はその言葉をもっと聞くようになって。

当然ですけど主人も心が疲れてるだろうから、今は主人のペースをちょっと待とうかなって思ってます。

でもそんなことを言う主人に、私はなんて言ってあげたらいいんでしょうか。毎回悩んでしまいます。

まだ不安がなくなったわけでも、主人を疑う気持ちがなくなったわけでもないけど、今不安になってるなとか、また疑っちゃってるよ・・・って気が付けているので、少しずつ進んではいるのかなって、前向きに捉えてます。

多分、元が自立女子。
答えをすぐに出したいタイプなので、このゆっくりのんびり焦らずに。が、ちょっと?だいぶ苦手ですけど(笑)。

ネタ募集ネーム ゆきさん

離婚問題に発展するケンカをするまでの約1年、主人が一生懸命私の心に寄り添って、優しく接してくれていたけど、だからこそ私はその主人にどっぷり依存して、今私が抱えてる不安を、全部主人になんとかしてもらおうと思ってたんじゃないかって。
あなたが不安にさせたんだから、あなたがこの不安を取り除いてよ、くらいに思ってた。
でもきっと、不安は私が作り出してるものだから、主人にいくら優しくされたって、何されたって、自分がなくそうとしないと、不安はなくならないものだったんですよね?

このように気づけている事自体が素晴らしいんですよね!

ここに気づくから「自分の主導権」が自分の方に戻ってくるんです。

この状態になって、自分で未来を選べるんですね。

そもそも

「自分の感情が相手次第で決まる状態」を「癒着状態」と言いますけれど、相手に不安を取り除いてもらおうとしても確かにあまりうまくはいきません。

周囲によっぽどいい人ばかり、熱心に気持ちを聞いてくれる僕のようなカウンセラーのような人ばかりじゃないじゃないですか(しれっと自己アピール・笑)

僕たちのセミナーではそういった世界を再現しているけど、それは「ココロの癒やし」のためであって、ぶっちゃけ社会やリアルなパートナーシップの中で、いつも寄り添ってくれる人がいるとは限らないでしょう?

だから、「自分の気持ちは自分が感じていること」としておくことで、余計なハートブレイクを作らないことができるようになりますよ。

もちろんご主人の浮気が発覚し、許せない気持ちが溢れてくることは自然なこととも言えるし、ご主人を疑ってしまうことも、つい辛く当たってしまうこともあるでしょう。

それぐらい深く傷ついた、ということだから。

その自分が間違っているわけでもないし、否定的に見る必要はないんですよ。

しかし、深く傷ついたから相手に責任とってよ、という態度しか取り続けない私に

「自分自身で、相手のパートナーである意味を見いだせるか」

というとそれはちょいと難しい話だよね、と僕は思うわけですわねぇ。

自己不信、自己否定につながるよね、と。

だから

今のままではダメだから、更にパートナーのために頑張ろうと思う人もいれば

パートナーに不満や要求を突きつける人もいますよね。

そしてそれは常に「お互いさま」ってことにもなりますよね、と。

僕の担当させてもらっていたクライエントさんの中にこのような方がいましてね(ネタにしてもOKもらっている話)。

彼女は夫の浮気の事実を知り、ものすごいショックを受け、ものすごい涙を流しながらカウンセリングに来てくれたんですよ。

僕も見ていて切なくなるぐらいの涙を流しながら「やり直したい」とおっしゃるんです。

私に悪いところがあったからこんな状態になったんだ、と自分をずっと責めている状態でもありました。直せるものなら直したい、と。

自分自身を深く責めている彼女はもう自分自身の意味を見失っていたんですよねぇ。

その彼女に僕はこう言いましたよ。

「(そうお感じなんですね、という共感の部分は省略して)

もちろん自分のミスがあるのであれば、訂正したらいいですよね。

人のせいにしないでそう思えるってすごいことです。

ただ・・・

もしあなたが自分を責めてこの関係を背負うようになったとしても、関係はうまくいかない確率が増えちゃうと僕は思います。

きっとあなたのパートナーはあなたという人を知っているはず。

パートナーがあなたに向けた目、があるなら、「パートナーは自分をどう見つめていたのか?」もある程度見えてくることが大切ですよ。

僕が見る限り・・・めっちゃがんばりやさんじゃないですか、○○さん。

だから何でも自分でやっちゃうでしょ?

でもその裏で、不完全な自分を隠して、恥にして、責めていませんか?

もちろんそこにも「事情」があるので、今までのあなたが間違っていたわけじゃありませんよ。

しかし、そうでなければ、「直せるものがあるなら直したい」とはおっしゃらないと思うのですよ。

しかし、あなたが自分を嫌っている、恥じている、隠している部分があると、頑張ってもうまくいかないことが増えるんですよね。

例えば・・・

あなたが何かしら自分を嫌っている部分があったとしてね。

その部分を隠したり直すために、努力したり、いいパートナーでいようとしたとするじゃないですか?

それが続くとするならば・・・あなたのパートナーはな~んの役にも立たない人になりませんか?

すべてあなたが自己完結しようとするなら、あなたにそんな意識がなかったとしても「相手の愛情はいらない」ことになるわけです。

僕たちの世界にはこんな言葉があって、ですね。

「パートナーの強さはあなたの弱さ」
「パートナーの弱さはあなたの強さ」

どんな人も相手を傷つけてやろう、と思ってパートナーの傍にいようと思う人はいない。

愛したいと支えたいのですよ。

もし、相手を傷つける意図しかない人がいるなら、すぐ別れたほうがいいと思いません?

そう考えると、浮気した側も「役に立たない自分」を嫌がった人なのかもしれない、なんて僕は考えるんですよね。

もし相手が「あなたが理想の妻でないからもう一緒にいることが辛い」と思ったなら、浮気じゃなく離婚、になるかもなぁ~と僕は思うんです。

本当に愛想が尽きたなら、家を出ていく人も多いと思いますよ。

まぁあなたに嫌われるために(離婚のためにね)浮気する人もいますけど、どうやらその類の話ではないような気がします、今回は。

だとしたら僕は

「いつもあなたはひとりぼっち」

だったんじゃないかなーなんて思うんですよ。

自分の気持ち、相手の気持ち、二人のこと・・・全部抱えてたった一人で向き合ってきたんじゃないかな、と。

でもその結果、関係性がすれ違っているなら

「自分さえ頑張ればいい」

という信念・観念みたいなものがあなたにないだろうか?と僕は思うんです。

「相手の気持ち」が宙ぶらりんになるんですよね。

夫婦の問題って
< br />「相手の役に立てない自分を責めている」

これがキッカケで勃発すること、多数です。

そういった罪悪感や無価値感の影響があるならば

「自分が愛する人の役に立っている」「愛する人と対等な関係性である」とは感じないでしょう。

だから、今の自分の不十分さを責め、更に役に立とうとし、我慢する、耐える、燃え尽きる。

その裏には「自分の不十分さを嫌っている自立」があります。

自分の内面で感じる、不満・依存心・ニーズ・不十分な自分を責め、それを解消するためにパートナーを愛そうとしているのです。

だから自分を責めるのはやめましょう、なんです。

相手を愛する行為はまだいいんですけど、内面の自己否定や自己攻撃は手放しましょう、なんです。

これ、放っておくと「愛の押し売り」になることもあって、そうなるとあなたが何をしても相手は受け取らないわけですよ。

自分の行動を反省することには意味があるんですが、「どうパートナーを愛そうか」ばかり考えてまた燃え尽きちゃいますからね。

今は、自分を取り戻しましょう。自分らしさを取り戻しましょう。

自分は自分としてOKを出すことです。自分が感じていることを否定しないで解放していきましょう。

もう一度自分の主体性を持って、もう一度自分の人生を選択する感じです。

もう一人ぼっちの自分のままでいないで、自分をしっかり見つめていきませんか。」

 

でもそんなことを言う主人に、私はなんて言ってあげたらいいんでしょうか。毎回悩んでしまいます。

何を言ってあげたらいいかがわからないときほど

「自分の気持ちを隠しているとき」かもしれませんよ。

自分らしさ、セルフイメージの中にちょいとネガティヴな自分や、未だ傷ついていたり怒っている私、がいるのかもしれません。

それが問題ではないんだけど、問題視してしまう、といいますかね。

そういった感情が残っていると、自分が自分を隠している感覚が消えず「投影」として跳ね返ってきますよ。

よって「この人はもう私を愛さないのではないか」と感じやすくなりますよ。

向き合っていても「意識できないような後ろめたさ」を感じ、自分を隠すことが増えますね。

だから「何が正解か」「何を言えばいいのか」を考えるようになるのです。

そんなとき僕は「無理をして愛する」ってオススメしていないんですよねー。

愛することで傷つくなら、それは愛ではない、です。

しかし、その気持ちの根っこには愛がある。どんな問題にも愛が隠れているのです。

一時的に忍耐していくプロセスはいいんですが、今までの「自分のイメージ・考え方」を変えないまま、相手を愛するって犠牲になりやすく、「信頼関係」とは程遠いと僕は感じてしまうんです。

もう一度言います。

誰しも誰かのお役に立ちたいんです。それは相手も自分も同じです。

パートナーを愛するときに、自分の思いを汲み取ってもらえなかったり、相手が辛そうにしているなら、その自分に意味を見出すことは難しくなります。

そこに「癒着」が加わると、自分は素晴らしいことをしているのに、相手次第で自分の気持ちがネガティヴに振れていきます。

だから自分の主体性、自分らしさを取り戻す必要があるわけです。

自分は自分でいい、という部分を感覚的に腑に落とす。

これができれば「何を言ってあげればいいのか」より「何を伝えたいか」を見つめるようになると思いますよ。

何か参考にしていただければ幸いです。

カウンセリングを利用する
カウンセリングを受ける

本当の幸せを見つめる・見つけるカウンセリングが人気!
心理カウンセラー浅野寿和のカウンセリングのご利用方法はこちら。

カウンセリングのご案内ご予約可能時間のご案内