ほぼ30代からの心理学

誰も幸せにならないウソ。じっくり眺めてみると・・・

どうして誰も幸せにならないウソを言うのだろう?

カウンセリングサービスの浅野寿和です。いつもありがとうございます。

今日は久々に男性心理のお話をば。

よろしければどうぞ。

誰も幸せにならないウソに意味はあるの?

「誰も幸せにならないウソ」

カウンセリングの中で

どうして彼は「そんなウソついてもしょうがないじゃない」と思えるウソをつくんですか?

というご質問もいただくわけですな。

たとえば・・・

彼女や奥さんから「どうして遅くなったの?」と聞かれると、実は仲間と飲んでいたんだけど「いや、後輩の相談を受けていたんだ」って言ってしまう。

「次の週末、仕事の付き合いがあるんだ」といいながら、普通に仲間と遊んでた彼。別に遊びたかったらそう言えばいいのに、どうして嘘つくの?

なるほどなぁ・・・って思うんですよね。

確かにウソついても誰にもメリットがないですよね。

しかし、つかなくてもいいウソをついてしまう人っているのかもしれません。

ウソをつくことがいいかどうかは別にしてね。

 

依存時代の傷がウソをつくる

では、この誰も幸せにならないウソってどうして必要なんでしょう?

多くの場合「気まずさ」をごまかすためにあることが多いですよ。

相手に悪いなぁ・・・素直に言ったら相手の機嫌を損ねるかな?

そう思うから反射的に本当のこととは別のことを伝えている人が多いようです。

まぁかなりの確率で怪しまれますし、ウソをついたことでバレる怖れや気まずさに苛まれてしまうんですけどね。

「そこ、ごまかしても何の意味もないじゃない」と思えるウソの多くは

「自分を素直に表現しても受け入れてもらえないだろう」という思いや自己概念から生まれていることが多いものですね。

結局は、相手を騙す意図よりも、自分(や誰か)が傷つかないようにつくウソだってことが多いようです。

コレを悪意ととるかどうかは人ぞれぞれでしょうけど。

意識的には「本当のことを言って相手を傷つけたくない」と思ってウソをつく人もいますけど、実際は「自分は相手に受け入れてもらえないだろう」という推測から生まれているウソであることが多いものですよね。

ただ、ウソをつく姿はちゃんと相手と向き合っていない、という印象を醸し出します。

だから「そんなウソつかないでよ」と言われちゃう。

それが続くとウソをつく方も、つかれる方も、一緒にいることが嫌になるって話ですなぁ・・・。

 

自分を知られることを怖れている

稀に「ついウソをついてしまうんです」というお悩みも伺うことがあります。

自分でもウソをついても仕方がないと思えるのに、口癖のようにウソをついてしまう自分にうんざりしている、と。

自分は本当にどこか根性が腐っているんじゃないか、と自分を責めている人もいらっしゃるかもしれない。

誰も幸せにならないウソをつく側も、あまりいい気分がしないものですね。

ただ、もし誰も幸せにならないウソをついてしまうなら

「それほどまでに自分を知られることが怖いのだ」

そう解釈してみてもいいかもしれません。

自分を隠すということは、「自分を知られたくない」と思っているということ。

たとえば、自分を知られると大変なことになる、なじられる、この役立たずと言われる、バカにされる、最低だね、って言われちゃう(かもしれない)

そう思えば怖いですからね。

人にウケが良いキャラを作ったり、沈黙という手段ばかり使ったり、人と分離したり、つい自分を隠すウソをつくものなんです。

つまり、ウソをついている人が向き合えないのは、相手ではなく「自分」なのですよね。

自分ってウソつきなんじゃないか、ではなく

自分って人に比べて劣っているんじゃないか、という思いがウソをつかせるのです。(相手を騙して何かを奪おうとする悪意がある場合は別ですが)

そもそもそのウソをついている本人が「自分の気持ちを正直に話して受け入れてもらえない」「自分は不十分なんじゃないか」「誰のためにもなっていないかも?」と思っている可能性は大ってことでしょうか。

それこそきっと真実ではないし、依存時代の傷といえます。

ただ、もう二度とつらい思いは感じたくないと思い、そのために今まで頑張ってきた人も多いもの。

どこかで自分の傷をえぐられたり、また受け入れることを拒否したいわけです。

しかしウソをつくには事情があれど、その態度自体は人に対して誠実ではないですよね。

だから更に「ウソつきなんだね」と言われてしまうことを怖れ、更に自分を偽るウソを重ねてしまうのかもしれません。

うーん、なんだか書いていて切ない話になってきましたね・・・。

 

隠している自分など真実のパートナーの前では愛されてしまうのだ

誰しも多かれ少なかれウソをつくと罪悪感を感じます。

僕たちの感じる罪悪感は

「おめぇ最低だな」「ひどいやつだ」「ウソつきだ」「一生罰を受けろ」

と、必要以上に自分の中でささやく大人気なさを持っているわけですなぁ。

だから、自分が改めるだけでは足りない、いいコトしても足りない、と思っちゃうんですよ。

その結果、また誰も幸せにならないウソをつく。

ただ、最初に書いた事例に戻ってよくよく考えてみると

【「次の週末、仕事の付き合いがあるんだ」といいながら、普通に仲間と遊んでた彼。別に遊びたかったらそう言えばいいのに、どうして嘘つくの?】

ということは、この場合、正直に言えばよかったって話ですよね。

実は、パートナーは自分のことを受け入れてくれているのだけど

受け入れられるわけがないと思っているのは自分だ、ということ。

ここに気づけないままでいると、つい相手に文句をいいたくなるわけですよ。

「どうせ私の気持ちなんてわからないだろう」
「好き好んでウソなんてついていない」

どこか自分の価値を低く見たり、自分を責めたり、時には慰めようとする気持ちばかりが働いていると、人の思いに気づかないんですよね。

だから、自分と向き合う意味ってすごく大きいといえるんです。

それは自分を大切にすることもそう。

自分の今の思いに気づいて、どれだけ愛や許しの法則に基づいた行動を取るかもそう。

それこそ許しに向かう勇気なんですけどね。

もちろん僕たちの周りには、自分を理解し許してくれ
る人もいれば、たいして興味を持たずに勝手な判断する人もいます。

時には最低だと責める人もいるかもしれないし、そんな体験をすれば確かに心はズキンっと痛みます。

ただ、真実の仲間やパートナーだけは別じゃないか、と僕は思うんです。

「なんでも言っていいよ、受け入れるよ」

特に隠している自分など、真実のパートナーの前では愛されてしまうもの。

もちろん受け止める側も「どうしよう」と悩むかもしれないけれど、その悩みは相手を苦しめるために悩むわけではないでしょう。

少なからず、自分が誰かのことを本気で受け入れようと思うなら、どう愛したらいいの?受け止めたらいいの?と思うはずですよね。

カウンセリングでも「どうやって受け止めたらいいのかわからない」というご相談は

どうすればもう一度パートナーを愛せますか?というご質問であり

その思いがウソをつかれることで突き崩されてしまう苦しさが伴うものですから。

しかし

「自分を理解し受け入れてくれる人は現れない」

そう感じるだけの怖れや心の傷があると、許されること、愛されることから遠ざかろうとしちゃうわけです。

だからいつまでたってもウソをつかざるを得ない。

ついネガティヴな自己概念にしがみついちゃうんですよね。それがいいかどうか別にして。

そんな自分にできること、といえば・・・

愛してくれる人にウソでもいいから、傷つけないように、失望させないように・・・。

そんな思いが眠っているのかもしれないですね。

だとしたら、こりゃ相当切ないなーと僕は思っちゃうんですけどね、心情としては。

ただ、ウソで気をつかわれたり愛されて、嬉しいと思う人は少ないってところが問題を作りやすいってことでしょうか。

これもまたいいか悪いかは別にして、ですけどね。

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