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Pretenderが語る男ゴコロ。さて、女ゴコロは何を思う?

Pretenderが語る男ゴコロはきっと負けを受け容れること。しかし・・・

最近、ネタ募集コーナーにお寄せいただくご質問や、実際のカウンセリングの中で伺うお話の中によく登場する「楽曲」があるんです。

それが、Official髭男dismの人気曲「Pretender」

もちろん質問をしてくださるのは女性ばかり。

『「君は綺麗だ」とか言ってるけど、結局諦めちゃうの?』というご質問が多いってことなんです。

同じようなご質問が頻発するので、僕も改めてこの楽曲を聞いてみると、なるほど・・・と思うことがありまして。

そこで、お寄せいただいてるご質問への明確な答えになっているかどうか微妙になりそうですけど、少しコラムにしてみようかなと思った次第です。

長いですが、よろしければどうぞ。

あ、Pretenderの歌詞をご理解いただいている前提でコラムは書きますので、あらかじめご了承ください。

Pretenderをテーマにコラムを書こうと思った動機から

さて、この楽曲の歌詞って、基本「なんとなく彼女との関係がうまくいかないこと悟る」ようなストーリーですよね。

「ただの観客」という言葉がよくよくその情景や無力感を示していると思うんですけど。

君は僕に対しては特別な感情は抱いていない。

だから、僕は蚊帳の外だけど、それも事前の予想通りといえばそうで。

この話は、憧れの存在との半ば片思いのような恋愛と、自ら負けを認め受け容れる男性の気持ちを示していると僕は思うんですよね。

そして、自分から負けを認めるって難しい事だし、好きな人を手放すって勇気がいることだよね、と思うんですよ。

そこに共鳴した方は多いのでは、と感じています。

僕はこの楽曲が好きですし、詞の世界観もとても興味深いと思っています。

ただ、この話だけをまとめてコラムにしても「なんだかピンとこないなぁ」と思っていたんですよ。

「これが男性心理です」と書いたところで、「で?」という感覚が拭えなかったんですよ。そこはこの楽曲の詞が見事に表現していますから。

また、いちいちキーワード検索で引っかかるように狙って記事書いてもなぁ(それも大切なことですけど)と思っていた矢先、女性の皆さんから冒頭の「あの言葉」をうかがったわけです。

『あの歌、「君は綺麗だ」とか言ってるけど、そんなに簡単に諦めちゃうの?』

つまり、「私は好きな人のことをまだまだ諦めませんよ!」という高らかな宣言にも聞こえてくるんですが、それはそれとして。

そのお話を聞いて、なるほど、と思ったんですね。

確かにこの楽曲は「ある男性の恋愛感情」を語っている。

ただ、あくまで「ある男性の個人的な恋愛における感情の揺れ」を示している部分で完結しているってことかと。(もちろんそれで一つの作品として完成しているので、問題なんてないのですけど)

だから「そんなに簡単に(愛することを)諦めちゃうの?」という声が女性の皆さんから聞こえてくるのかもしれないな、と。

大切なのは「僕が君を好きになった」というストーリーの先。

そこで男性が何を思うのか。そこがスッキリしていないからモヤッとされてるのかもなぁ、と。

ならば、コラムにしてみようかな、と思ったわけですね。

うーん、前書きが長いな(笑)

ただ、この話は恋愛(カウンセリング)の中でもとても重要な要素なんです。

「自分が誰かを好きになった」までは、おそらく多くの人が描けるストーリー。

そこから先、自分が何を感じ、何を表現し、どう行動するのか。

そこから先、が、絆か、別れか、を導く分岐点ですからね。

「愛する」という言葉の意味は一定でも、個人的な意味は人それぞれ違うもの

愛するってどういうことですか?
人を好きになるってどういうことなんですか?
彼はそんなに私のことが好きじゃない、ってことなんでしょうか。
もう愛せません。愛することが苦しいです。
彼は私のことを大好きだって分かるんですが、その気持ち、私には重いんです。
こんなに愛されて、私は幸せです。
こんな素敵な人と一緒にいれるなんて、僕は本当に彼女を愛しぬくと決めました。

カウンセリングの現場にいますと、さまざまなお声を伺います。

そこでお聞きする「愛する」という言葉の意味は、言葉としては同じでも、おそらく人それぞれ違う意味で使われているものでしょう。

それは「好き」でも「一緒にいたい」でも「一人になりたい」でも「ずっとそばにいる」も全て同じ。

人それぞれ、伝えたい言葉の意味が違うものだから、恋愛のなかで誤解やすれ違いが生まれるものなのでしょうね。

では、この視点でPertenderの詞を見れば、どんな解釈できるでしょうか。

男性が、彼女との関係がうまくいかないと悟り、負けを認めて、自分から去り、彼女の幸せを願うこと。

これが、男性ができる最後の「彼女のためにできること」だ、と理解できそうです。

それが、彼なりの愛情表現であり、最大限の彼女への承認である、ともね。

ただ、この考え方って、男性的とまではいいませんが、「自立的(防衛的)」なものともいえそうですよ。

僕が学ぶ心理学でいう自立とは、「いかに愛するか、と同時に、いかに自分が失敗せず傷つかないか」を考えて過ごす態度を意味します。

他人に過剰に依存しないように(他人に影響されないように)生きていくことを目指すなら、人を愛したり、何かを与えること、成功することを学びながらも、いかに失敗せずリスクを回避して生きるか、も考える必要がありますね。

言い換えれば、人の感情の影響を極力排除しながら生きる方法ってないかな?と模索する感じ。

あくまで、これからもずっと一人で生きていくなら、という前提ですけど。

だから、「今の恋愛をより良い関係にすることが難しく、自分をちっぽけに感じて辛いから、自らの意思で関係を解消したほうがいい」と考える人もいる、というわけです。

今回の詞の場合、「君は僕を見ていない」、つまり「もう叶いっこない」という前提がある話なので、そう考えるしかない事情もしっかりありそうですけどね。

ただまぁ、これがこの詞の中の男性なりに考えた、二人のためにできる最後の選択なら、それはそれとして尊重されるべき選択なんだろうと思うんですよ。

そもそも、誰かが必死に考えた結論・方法・ものの見方を「意味のないもの」として捉えることは相当に難しいものですからね。

ただ、ここでのポイントは「これ以上、自分をちっぽけに感じるのは辛い(感情が揺さぶられたくない)」と考えた結果、別れよう、手放そうとしている部分でしょうか。

これ以上、思いが届かない現実を続けるのは難しいから、別の感情的なリスクを取ろうという感じなのでしょうね。

そりゃ辛いし痛い、でしょうけども。

だから、もっと他のプロセスがなかったのだろうか?このタイミングで出会わなかったら、と考えてしまうものなのでしょうね。

愛があるからこそ、男性の自立を壊したい自立女子

一方、僕にご質問してくださった女性のみなさんはこのようにお感じの様子。

「でも、それって自分の都合で好きな人のことを諦めるってことでしょ。

それって本気だって言えるんですか?男性の気持ちってそんなものなんですか?」

まぁまぁ僕も「そうっすよねー!ホントねー。もう簡単に諦めんな、とか思っちゃって不思議ではないですよねー」と妙なノリでお答えしちゃうこともあるんですけど。

「私だったら、彼に冷たくされても、耐えられないような自分の愛の軽さを感じても、好きな人のためだったら頑張るし、今もいまいち私の気持ちに気づかないし、連絡をくれない彼がいても頑張ってんのよ!」

ということでしょうか。

だから

「それって愛することじゃないでしょ。『そんなに好きじゃない』ってことですよね。好きになるってことは、自分の気持ちが揺れても相手のことを選び続けることじゃないんですか。

ねぇ、浅野さん、どう思います?どうなんですか?ねぇ、どうなんですかっ!」

とおっしゃりたいのだろう、と僕は理解しておりますよ。

・・・ふー(^^;

あ、僕は女性の熱量に押されて困ってるのではありませぬ。(そういうことにしておいてください。)

そこまで愛せるってすごいな、と思っているんです。(これは本当です。)

では、僕はこのご質問にどうお答えするかといいますと、以下の通りですよ。

ここから更に長く書いておりますので、覚悟して読んでくださいませね。

「男性が簡単に愛することを諦めてるじゃない、ってご感想、僕もなるほどなーって思うんですよ。

そりゃそう思いますよね。ごもっともといいますか。うん。

ただ、自立男性の恋愛観ってこんな感じが多いかもしれませんね。もちろん、いいか悪いかは別にしてね。

やっぱり僕たち人間って思考だけで生きているわけじゃなくて、随分と感情に揺さぶられながら生きているじゃないですか。

これ、女性の皆さんからすれば、きっと「当たり前」の話なんですけどね。

ただ、感情を感じることが得意じゃない男性は、経験としても、男性の特性としても「感情を感じること」に慣れていないし、物事を論理的に考えて判断して日々を過ごしている部分が強いんです。(これを心理学では合理的判断機能と呼ぶこともあります。)

たとえば、大好きな女性がいても、恋愛の中で引き受けられる感情の量って女性に比べれは少ないものです。

だから、もし、男性が恋愛の中で「これ以上気持ちを揺さぶられたくない」と思えば、自分が感じたくない感情を感じない選択肢の中で「何ができるか」と考えるのでしょう。

その結果が「君は綺麗だ」なのかもしれませんね、最後のフレーズにある。

ただ、あなたが「それって諦めてるってことじゃないの?」とお感じなのは、きっとあなたが愛することがどういうことか、ご存知だからではないでしょうか。

あなたが「人を好きになる経験」を通じて、自分にいい変化が起きたり、素晴らしい感情を感じたような体験をされたことがあるからではないでしょうか。

僕の臨床経験上、「人を愛することで、素晴らしい気持ち(自分の中に喜びを感じること)を感じられる」と知っているのは、やはり女性のみなさんが多いものです。

その感覚を知っているあなたは、きっと大切に好きになった彼にもいい気分になってほしいし、彼の気持ちが落ち込んでいるなら元気にしてあげたいと思いませんか?

なにより、そこまで私に「好き」という感情を感じさせてくれた彼のことを、そう簡単に手放したくないと感じないでしょうか。

だからこそ、「愛することを諦めようとする男性」が理解できずにいるのではないでしょうか?

まだ好きなのに、その気持ちを自らの意思で止める男性の発想自体が理解できない、と。やっぱり多くの女性にとって、好きをいう気持ちを諦めることって大変ですしね。

だから、このタイプの男性と恋愛をすれば、こう思うと思いませんか?

私だって、そんなにいつまでも頑張れるわけでもないし、自分にすごく自信があるわけじゃないのに、って。

いつになったら気づいてくれるの?と。

でも、あなたは素晴らしいんですけどね(あ、余計でしたか?すみません。)」

さらにこんなお話を加えることもあります

「僕がすべての人の気持ちを語ることはできないけれど、例えば、男性の中は「好きという感情を受け容れる素晴らしさ」を未だ理解できずにいる人もいます。

例えば

愛することの喜びを、努力する義務に変えてしまう人もいます。
関わることの喜びを、迷惑をかけないという心配に変えてしまう人もいます。
相手を受け入れる喜びを、お互いを尊重するという言葉を使って、分離に変えてしまう人もいます。

ただ、そういった人たちが間違っているわけではない、と僕は思っています。

そういった人ほど、愛する人と支えあい、許し合うことより、「お互いがいかに傷つかないか」を優先して考えているのではないでしょうか。

先にお伝えした「自立の人」ほど、人との関わりの中で傷つきたくないし、相手を傷つけたくもないと考えているのでしょう。

その深層心理には罪悪感(傷つけてしまう、汚してしまう)といった感覚が強いのかもしれませんが。

その感覚の中で、自分から積極的に、諦めずに愛するのではなく、自分も痛いけど去る(愛することを諦める)ことを考えるなら、それが自立の人が持つ「想い」ともいえる、と僕は思うんですよね。

この部分って、あえて乱暴な言い方をすれば「自分のことを理解されていない状態で、とやかく言われたくない気持ち」のように思うんです。

良かれと思って考えた結論を共感されずに否定されちゃったら、そりゃもうやってられなくなるでしょうし。

だから、お互いの『その良かれと思った部分』を理解し、大切に扱うことも、また愛することになるのではないでしょうか。」

さらにさらにこんな話を加えることもあります

「多くの人が、誰かの喜びになりたいと思っています。(自尊感情)

だから、「誰かの喜びになれない」自分を許せないのです。

そんな自分なんて意味なんてない、と思い、普段はその自分を恥にして、隠して生きているんです。

もし、自分にとって大切な人との間で、『相手のためになれない自分』と出会うとしたら、そりゃもう誰だって(認めたくないほど)辛いんです。

自分なりに頑張って粘ってみるけれど、それでも状況が変わらないなら、いたたまれない気持ちになっても不思議じゃないですよね。

その結果、自分から去ろうとする人もいますし、自分がどれだけ切なくとも、愛することを続ける人もいます。

その思いの表現方法に、違いがあれど、根っこの感情は似通っているものなんでしょう。

ただ、このような話は、とかく感傷的な要素を加えることで面白くなるし、刺激的になるものなんです。こうなると、まぁ話がややこしくなるんですよ。何ら現実に起きていることとは関係のない感情に流されて本質を見失いますからね。

だから、まぁ味気もなにもない話になるかもしれませんが、ここはもっとシンプルに考えてみるといいんです。

「全ては、一人の大人が今までの人生経験の中で導いてきた、自分なりの愛し方である」

そこに違いや差はあれど優劣はない、と考えてみる。

私も相手も、自分の愛し方が「最善手だ」と考えている、と見つめるんです。

誰しも、自分のやり方(正しさ)にこだわりたくなる。それはまぁお互いさまだと思いません?

もし、そう理解できるなら、相手が本当に伝えたい言葉、表現したい気持ちが見えてくるはずなんですよ。

これが見えてくれば、恋愛も夫婦関係ももっと簡単になるし、お互いが支え合い、関わり合うために何をどう理解して、どんな言葉を伝えあえばいいか。

そこが見えてくると思いませんか。

これも、また「お互いを愛すること」と言えないでしょうか。」

 

まとめ

んー。なんだか途中からPretenderの話から逸れていますけども・・・

僕に質問してくださった女性は、きっと「思い続けること」の意味を知っておられるのだと思います。

そして、愛することはとても素晴らしい気分になれることなんだよ、とパートナーに伝えたいのかもしれませんね。

それは僕もその通りだと思います。

その事実をその心と体で感じ取っている方は、きっと「愛する人を幸せにする力」をお持ちなのだと思うのです。

だから、ぜひ自分を大切にしてくださいね、と思っています。

ちなみに、この「愛する喜び」という感覚を体感するには、「自分は相手の喜びになれないのではないか」という自分への疑いを乗り越える必要がある、ともいえます。

言い換えれば、強い「自立」があるならそれを手放して、自分の感情を受け容れ、自分は愛されるにふさわしく、大切な人の喜びなんだ、と自覚できるほどの「自尊感情」と「人を信頼し、愛する視点」を手に入れることですね。

ちょっと難しい話ですけど、そんな感じじゃないでしょうか。

つまり、この楽曲を聞いて僕がつくづく感じたことは

「今、大切な人がいるなら、どんなことがあっても、愛する人のそばを選び続ける。」

そう思えるほどの、愛する覚悟と、愛される覚悟って必要だよな、ってことでした。

それって本当に肚をくくらないと表現できないものだと思いませんか。

それでもダメならまぁ、その現実は受け入れがたいけど、でもどこか自分も納得して、引きずることは少ないのではないでしょうか。

とはいえ、本当にガチで愛される経験って、死ぬほど怖いことでもあるんですよねぇ(遠い目)

でも、その自分に向けられたモノ(喜び)に飛び込む覚悟を持たないと、次のステップに進めないですからね。

まぁ僕の場合、半分以上感情切っちゃってるかもしれませんけども(笑)

それだけ怖れが伴うものだから、つい与えたくなるし、ついつい一人で頑張りたくなっちゃうんだよなぁ・・・。

ABOUT ME
浅野 寿和
カウンセリングサービス所属心理カウンセラー。名古屋を中心に東京・大阪・福岡で〜旅人のように〜カウンセリング・セミナーを開催。心理学は現実で使えてなんぼ、がポリシー。
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