恋愛・夫婦の心理学

「期待」と「愛」の違いについて 〜「もしかするとパートナーはまだ私のことを」という期待を手放す方法〜

浅野さんへの質問

初めまして。いつもblogを拝見しております。
私は国際結婚で海外生活4年目です。
慣れない環境や文化で溜めたストレスを誰にも打ち明けられず1人で抱えた結果、モンスター妻化して旦那さんに当たり散らし、今年1月に離婚宣告されました。
もう怖い。と言われました。何をしても幸せそうじゃないし、もう疲れた。自分も人生を犠牲にしてあなたを大切にしようとしたけどそれも間違いだった。もう自由になりたい。まずは別居したい。そう言われました。

そこでいかに自分がストレスを抱えていたのか、自分のこだわりがどんなにくだらなくて、そんなこだわりよりも旦那さんの方が100倍大切だと、こうもならないと気づけませんでした。

それから浅野さんのblogはじめ、心理学に関連するものを読み漁り、まずは自分を整えようと自分に集中し、やっと少し余裕ができて相手の事を考えられるようになって来ました。

宣告以降旦那さんは家には寝に帰ってくるだけ。家庭内別居。話しかけても敬語での返事がかえってくる。旦那さんがリラックスしている所に行ってしまうとまるで私がいかに怖いかを思い知らせるかのようにビクッとして姿勢を正し、やっている事を中断する。何をするにもコソコソする。まるで母親にビクビクする子供のような状態になってしまいました。

私もそれを見る度、優しかった旦那さんをこんな風に変えてしまったのは自分だと自分を責める気持ちが湧き上がってきます。 なので自分から積極的に接する事を自分も怖がっています。

もうやり直すことは無理なんだろうなと諦めもついてきて、離婚を受け入れる覚悟もでき、ワクチン接種が終わり次第、帰国しようかと考えてもいます。(もちろん自分が疲れたのもあります)

しかしそんな中にも彼の優しさを感じ取ったり、やっぱり私の事を嫌いなのではなく、私の何かが許せないのではないかという気持ちが消え去りません。

どうしたら彼の恐怖を和らげられるのか、彼の中に何が怒っているのか、なにかできることはないのか、そう思うのは勘違いなのか。モヤモヤする日々です。自分の中では年内が区切りかなと思っています。
アドバイス頂ければ幸いです。

ネタ募集ネーム:カルピスウォーターさん

カルピスウォーターさん、ネタのご協力ありがとうございますm(_ _)m

今日はあなたのご質問にお答えしますね。お待たせしました。

いつも僕のブログを読んでくださっているようでありがとうございます。

「自分を整えようと自分に集中し、やっと少し余裕ができて相手の事を考えられるようになって来ました。」と書いてくださっているあたり、少しでもお役に立てていたなら嬉しいなと思っているところです。

ホント、自分を大切にすることで心に余裕ができてきますからね。自分を整えることで今の状況や相手のことはよく見えてきますからね。

そもそも自分でも望まないことを何故引き起こしたのか。今回の場合は旦那さんとの関係を悪化させる方向に走ったのか、その理由を受け止めるにも心の余裕は必要ですからね。

まず、自分からしっかり整えたいですよね。

さて、今日のご質問は「どうしたら(私のことを怖がっている)彼の恐怖を和らげられるのか、彼の中に何が怒っているのか、なにかできることはないのか、そう思うのは勘違いなのか。モヤモヤする日々です。自分の中では年内が区切りかなと思っています。」ですね。

これはいわゆる「期待」と「愛」の違いについてのお話のように思います。その観点からいくつかお伝えしていきたいと思います。

よろしければお付き合いください。

「期待」と「愛」の違いについて

さて、今日はまず「期待」と「愛」の違いからお伝えしていきたいと思います。

「期待」とは、『自分が望む「あること」が実現するだろうと望みをかけて待つこと』です。

「自分の外側にあるなにか(相手、人、運など)を何かを当てにして心待ちにすること」とも言えます。

もちろん「期待すること」自体を僕は否定的に見ているわけではありません。人は何かに期待しますし、なにかを期待し心待ちにすることで一時的に自分の気持ちのバランスを取ろうとすることがありますから、「期待は悪だ」という考え方は行き過ぎていると僕は思うのですよ。

ただ「いつも何かに期待ばかりしている自分」となると話は変わってきます。

期待が『自分が望む「あること」が実現するだろうと望みをかけて待つこと』であれば、その「あること」に自分から積極的に関与することはないはずなんです。

あくまで期待とは「待つこと」ですからね。

だから、期待は期待通りには進まないし、自分からどう進めていけばいいか分かっていないから期待する、とも言えます。

かつ、人は期待している通りの物事が動かないことで失望します。

そもそも期待するだけでは、それが自分が願う通りになるというなんの根拠もないわけですから、結果「何も起きなかった」といった結末を導くことが多いんです。

ここに一つの問題、課題があると言えまして、先に結論を申し上げますと「自分の中で不十分さ(自分を責める気持ち)を感じているときほど期待を愛と誤解する」なんてことが起きるわけです。

期待を愛の代わりに使うようになるというわけです。

例えば「こんなに思っているのだから相手に振り向いてほしい」「こんなに苦しんでいるのだから理解してほしい」といった気持ちがその代表例です。

もちろんそう思うこと自体、僕は否定的に見ていないんですよ、繰り返しになりますけど。いわば「だってにんげんだもの」という話なわけですよ。

ただ、「いつもなにかに期待ばかりしていると、おのずと失望する経験が増えてしまうので希望や信頼、愛といったものを感じにくくなる」ので、期待は愛じゃないし、手放したほうが自分自身のためになる、と考えているんです。

期待を続ける結果、自己価値感が低下したり、物事にいい意味での希望を見出したり、見通しをつけることができずガッカリしたり、何をしても意味がないと思うような無意味感を感じつづけてしまうことにもなりかねない、ということですね。

「私が何をやってもムダ」も期待である

また、「どうせ私の希みはかなわないし(私が何をやっても無駄だし)」という感覚も、まだ起きてもいない未来に対して根拠なく向けられる「ネガティブな意味合いでの期待」です。

この状態にある人ほど、たとえ自分の人生やパートナーとの関係が前向きになったところで、「自分の期待通りには動かない現実は否定したくなる(今までの自分が期待したとおりに物事が動かないという意味で失望したくないから)」ので、たとえ相手に愛されても、その価値を否定し受け取らない態度をとるようにうなる、というわけです。

もちろん多くの方が「そんなことを思うなんて馬鹿げている」とアタマでは思っています。誰もそんなことは望んでいない、と思うでしょうね。

ただ「(今までの)自分が期待したことが実現されないことが失望である」という部分が何よりのポイントで、例えば、自分がネガティヴな期待をしているならば、どれだけパートナーに愛されても、自分の期待通りにならないことで失望し、不満を感じるわけですね。

だから、愛されても受け取らず「どうせ私の気持ちなんて分かるわけないんだ!」と怒り始める人が出てきます。パートナーにあれこれ強く要求したり、悪い態度をとって「私のことなんてどうでもいいんでしょ」と詰め寄りたくなる場合もあるでしょう。

これは「自分が、自分に、ネガティヴな期待をし続けている」から起きることであり、このネガティブな期待こそ「痛み止め」、つまり「もし私が愛されなかったら」「幸せにならなかったら」という怖れを感じているからこそ必要になることなんですね。

自分が癒やされる途中で出現する期待

とはいえ、いつもそんなネガティヴな期待に飲み込まれている人も稀なんですよ。

例えば、自分を大切にしたり、カウンセリングなどを通じて、少し気持ちに余裕が出てくると、「まだ私も幸せになれるのではないか」「今から頑張れば関係を維持できるのではないか」と思いたくなることもありますよね?

すると、また別の期待が出てくることがあります。(全ての方に出てくるわけではなくて、自分が癒やされることで「相手のために」と考えられる方もいますよ。)

やっぱり私の事を嫌いなのではなく、私の何かが許せないのではないかという気持ちが消え去りません。

今回のご質問で言えば、この部分が「期待」になるのかもしれませんね。

相手は「私そのものを嫌いなのではなく、私ではない何かを許せずにいる」と考えるのは、「私はまだ嫌われていないかもしれない」という期待なんです。

ただ、ここでもしパートナーとの関係に決着をつけるとか、ほんとうの意味での復縁を考えるなら「私を愛そうとしたパートナーが、どれだけ私が愛を蹴散らしたことで苦しんだか。私に気持ちが伝わらないことで苦しんだか」という事実と向き合う必要があるのかな、と僕は思うのです。

そもそもパートナーはあなたのことが嫌いじゃないから苦しんだんですよね。(それはきっとあなたも同じでしょう)

その相手の気持ちを無視して「まだ好きなのでは?」と期待することが、どれだけ相手の今までの愛情や努力を否定し苦しめることになるか、想像していただきたいですし、逆に言えば、それが本当に自分が表現したいことなのか、について考えていただきたいわけです。

そうでないと「相手に期待する」ことで、更に自分を責めてしまう理由を作ってしまいかねないからです。それは自分の愛に反することなのです。

だから、たしかに苦しいことではあるのですが、ここでは自分の加害者意識に一旦入る必要があるように僕は思うのです。

「相手の愛を受け取れなかったのは私」という事実と向き合うことで、どれだけ自分が愛されていたのかに気づけることもあるでしょう。

「相手の愛を理解できなかったのは私」という事実と向き合うことで、どれだけ自分が愛されることを恐れ、それほどまでに辛い思いを抱えていたのか、にも気づけるでしょう。

だから、私にも相手にも必要なのは愛であり、癒やしであり、それぞれを慈しむ気持ちなのだと理解できるのではないでしょうか。

 

しかし、先に書いた期待にハマると「もっと頑張らなければならないのは私」「パートナーに関して償わなければならないのは私」と、きっとパートナーのために罰を受けるような発想を持つ自分が登場してくる可能性が高いんです。

そして、「こんなに罰を受けている自分を許してくれない相手」に対して、怒りや反発心ばかり感じることにもなりかねません。

もし、このような気持ちで復縁や関係修復を望むとしたら、かなりその可能性は低くなってしまうと僕は考えています。

そもそもお互いに幸せではないからです。

そう考えると、恋愛や夫婦関係においての「期待を手放す」とは、「愛するパートナーのために今の自分ができること」を考えることになります。

最愛の人のために、今、何ができるのかを考えて行動することです。

これこそ「今のパートナーを理解すること」であって、愛することそのものだからです。

それこそ本当に自分が表現したいこと、のはず。

そしてカルピスウォーターさんは、きっとこのことに気づいておられるのだろうと思うのです。だから、別れる準備をされているのかもしれませんね。

それぐらいあなたは、昔から「誰も傷つけたくなんてなかった」「誰にも傷ついてほしくなかった」と思っていたのではないかな、ぐらい僕は思いますし、だからあなたが傷つこうとしたのかもしれないな、と感じる部分がありますよ。まぁそれはそれとしての話なんですけどね。

ただ、ぶっちゃけた話、このように「相手のことを考えて行動しよう」とすると苦しくなるんです。

いわば、僕たちの弱さ、依存心がうごめくんです。

だから、相手のことを考えようとすると一時的に本当に苦しい思いをすることがあります。苦しいし悲しいし、どうにもやるせない気持ちになることがある思うのです。

なぜならば「そもそもパートナーを愛したいと願えるほど素晴らしい自分」が自分の内面に存在するから。

そして「自分の弱さ(愛せなかったのは私)と向き合うことになるから」です。

ここでの不十分感とは「自分の弱さを受け止めきれないという不十分感」と言えるでしょう。

ただ、人は誰しも完璧ではありません。また心に痛みやひどい悲しみを抱えていれば、愛したいと願ってもそう行動できない場合も出てくるでしょう。そんなに人は強くないのです。

しかし、何故か私達は自分の弱さを受け入れることを拒みます。どこかで弱くていいと思いながら、しかし弱い自分を嫌っているんです。

つまり弱さを受け容れられないことで、「自分から上手に愛せなくても」、「自分が上手に愛を受け取れなくても」、その自分を愛してくれる人はいると思えなくなってしまうんです。

だから、また何かに期待します。

それが「もしかするとパートナーはまだ私のことを・・・」という形になることは非常に多いわけです。

しかしたとえそう思っても自分が幸せを実感できないところが期待の罠、そのものなのです。

ここで「それはパートナーの気持ちを考えていることではない」と考えることができたなら、そして心から「相手のために何がベストか」を考え「相手の幸せを心から願える私になる」ということができたなら、きっと自分の弱さを受け入れ、自分を許すこともできるでしょう。

つまり、ここでの期待とは、自分が抱える不十分感や罪悪感への否認、その一形態なのです。

そして、この否認を続けている限り、「不十分で弱い自分は愛されない」という思い込みを強くします。

しかし、真実はその逆なのですよ。

「不十分で弱い自分をも愛してくれる」のが本当のパートナーから向けられる愛であり、自分から発せられる愛もきっと同じはずなのです。

しかし、期待にしがみつくとここに気づけないままになってしまうわけです。

その結果、期待やもやもやは続いてしまうというわけです。

よって、実際のカウンセリングでは「不十分感(罪悪感・無価値感)」などに着目して癒やしを進めていくことになるんですよね。この癒やしを進めることで、自分の気持ちを楽にするだけでなく、「あらゆる自分を受け止めていくこと」を目指すわけですよ。

強い自分、弱い自分、愛される自分、愛されない自分、そんな自分が全て自分なんだと受け止めていけるようになれば、おのずと「自分が愛されていること」「自分が愛していることの価値」に気付けるようになるからです。

そもそも愛されようとすること自体が、痛みや悲しみの影響であって、かつそもそも「愛される努力などいらないのだ」と理解できれば、ぐっと自分は楽になっていくわけですからね。

もう愛せないと伝えてくるパートナーとどう向き合うか

では、ここからは期待を手放して愛するという観点で「もう愛せないと伝えてくるパートナーとの向き合い方」についてお伝えしていきます。

どうしたら彼の恐怖を和らげられるのか、彼の中に何が怒っているのか、なにかできることはないのか、そう思うのは勘違いなのか。モヤモヤする日々です。自分の中では年内が区切りかなと思っています。

まず僕がお伝えできることは、ここであなたが彼の気持ちを理解されることなのでしょうね。

彼はこうおっしゃっていますよね。

何をしても幸せそうじゃないし、もう疲れた。自分も人生を犠牲にしてあなたを大切にしようとしたけどそれも間違いだった。もう自由になりたい。まずは別居したい。そう言われました。

ここで「彼にそう思わせた自分」ばかり見てもしんどいだけです。確かにその自分を否認しても何も起きませんが、ここで見てほしいのは「彼はあなたにどんな世界を見せたいって願っていたんでしょう?」という部分。

僕も彼のお考えが全て正しいとは見ていませんし、そもそも犠牲がいいことかどうかという議論もありそうですよ。

ただそこは別にしたとしても、彼は一体何を願っていたのでしょうね。

その気持ちをあなたが理解して、大切にしようと思ってみてほしいなと願っています。

そして、彼がそんな目であなたを見ている時、何を感じていたでしょうか?

怖さ?不安?疑い?孤独?

きっと何かを感じていたはずなのです。でなければ、あなたも彼を気持ちを否定することはなかったのかもしれないですよね。

もしあなたが未来において愛し愛される関係を望まれるならば、なぜそう感じるのか、について自分と向き合われることをオススメしますよ。

そして、今、あなたも彼も傷ついておられるようです。

だとしたら、二人に必要なのは犠牲でも罰でもなく、愛やいたわりです。これ以上、傷つけ合う関係になってしまうことだけは避けたいですよね。

だから、お互いに何を見せ合いたかったのか、について考えてみてください。

「相手のために、今のこの状況の中で何ができるか」を考えてみませんか。

それが自分を許し、相手に感謝することに繋がりますから。

ここで何もしないで別れだけを受け容れる方法もあるし、もう一度復縁を求めることもできるでしょうが、相手から「君は何も理解していない」と思われるなら、関係はかなりシビアなものになってしまう可能性が高いんです。

だから、いわば後悔を残さないように行動してみていただけるといいのかな、と思うのです。

未練ではなく、後悔を残さないことが、期待を手放すことになります。

どうしたって恋愛や夫婦関係の中での未練は残っちゃうものです。本気で好きな人であったのならばなおさら、上手に愛せなかった悔しさはやはり残ってしまうでしょう。しかし、その未練や悔しさは「もっと上手に愛するエネルギー」に変換することができます。

ただ、後悔とそれに伴う期待はあまり前向きな要素を残しません。

だから、今できることを行動してみるといい、と僕は思うのです。

いい意味で、今までの関係を完了させるために、です。

 

そこで使えるのが、感謝と祈りです

今まで愛されていたことに感謝し、そして相手の幸せを心から祈る。

直接自分が相手を愛することができなくなったとしても、しかし相手が愛され、幸せになってくれるように心から祈る。

こう思えてはじめて、「相手の愛」が、今まで自分の目の前に存在していたのだと理解できるのではないでしょうか。

「あなたは確かに私を愛してくれていました。その愛情はとても素晴らしいものでした。本当にありがとう。」

そう言えることが、相手の幸せのために貢献できることではないか、と僕は考えます。ちょっと切ないですけどね。

ただ、実際に相手を失ってからだとか、もう会えなくなってからそう思うよりは、まだ会えるうちに行動することこそ、後悔を残さないことではないでしょうか。

そして、このとき「愛されたい」という欲求を選ぶのではなく、「愛したい」という欲求を選ぶことがポイントです。どちらも僕たちの中にある欲求ですから、ちゃんと選べばしっかり使えます。

ただ、この選択は自分の気持ちに余裕がないと、とても難しいものだと思います。

だから僕たちは平気で自分を責めてしまうんです。

愛せない自分を罰したり、愛を受け取らないように、罰を受けるんです。

でもそれは必要ありません。罪悪感は間違いです。

そう思えるように信頼できる誰かのサポートを受けてみてもいいかもしれません。

その上で、今できることを選んでみてください。

それが自分を許すことにも繋がりますからね。

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