日常に使える心理学

自己概念と癒やしの話 〜あるがままの自分を受け入れることの意味を考える〜

あるがままの自分を受け入れるって?

あるがままの自分を受け入れるって言葉、聞いたことないでしょうか。

自分をそのまま受け入れたらいいんですよ、とか。

自分をあるがまま受け入れましょう、などなど。

確かにイメージとして、自分をあるがまま受け入れるといい感じがするような気分になる方もいらっしゃるかもしれませんね。

が、じゃ実際に受け入れることにどんな意味があるの?と思われる方もいらっしゃるのかもしれません。

つまり、

  • 「あるがままの自分を受け入れる」っていいますけど、それどういう意味ですか?
  • あるがままの自分を受け入れることで何が変わるの?

というご質問をお受けることも少なくないんですよ。

僕たちが自分自身を捉えるときって、どーしてもその一部を否定したり、捻じ曲げて解釈している場合があるわけですよ。

そこで、あまりにもあるがままの自分とは違う自分を認知しているとボコボコ問題が起こるのです。

だから、可能な限り、あるがままの自分を知り、受け入れておくほうがいいんだろうな、ということになるわけですよ。

そこで今日は簡単ですが「あるがままを受け入れる」ということについてまとめてみたいと思います。

よろしければどうぞ。

これは自己概念について扱っている話でもあります

あるがままの自分を受けいれる云々という話は、確かに癒やしにまつわる話でもあり、自己概念についての話でもあるわけです。

自己概念とは、自分が自分というものをを捉えたときの自分のイメージ、いわば自己像のことです。

いわば主体としての自分が、客体としての自分についてのイメージを形成していくわけです。

自分はこういう人。自分はこんな感じ。そんなふうにね。

急に話は難しくなりますが、この自己概念が、実際(経験的)な自己概念と一致していればいるほど適応的となるなんて考え方があるわけです。

自己概念と経験の不一致が不適応を作り出すという考え方

カール・ロジャースという有名な心理学者さんはこう考えたのです。

「自己概念と経験が一致」していればいるほど適応的。
「自己概念と経験の不一致」が不適応状態を生み出す。

この話をこまかく解説するとすごく難しくなるので、具体例で表現しますね。

***

例えば、

失恋が続き「私には恋愛は向かないんじゃないか」という思いを持った方がいるとします。

すると、望むか望まないかは別にして「私は恋愛に向かない」という自己概念を持つようになることもありえるわけですよね。

もし、仮に「私は恋愛に向かない」という自己概念を持つと、全く悪気なんてないのですが、恋愛に向かない私の要素や、それに沿った現実ばかり意識されるようになるんです。

みなさんも同じような経験をしたことってないですか?

仕事などでなにかうまく行かない出来事に遭遇すると、「自分が〇〇だからうまくいかないんだ」という部分ばかり意識され、自分の能力や可能性の部分は全く意識されない(意識しても心が動かない)、みたいな経験です。

つまり「自己概念にあてはまる要素からどんどん意識される」ということなんです。(これが普通すぎて疑問を持つことすらない場合が多いでしょう。)

このとき「自己概念にあてはまらない要素」、つまり「自分が恋愛に向いている部分」は意識されなくなっていきます。

例えば、優しさがある、相手への思いやりを持てる、家事力がある、魅力的である、忍耐強く人と関われる、仕事ができる・・・

このような要素が自分に備わっていたとしても、「私は恋愛に向かない」という自己概念を持つと、それら「恋愛に向いている(であろう)要素」は意識しない(されなく)なるのです。

人から「優しいよね」とか「幸せになれるよ」と言われても

「そんな勝手な思いつきや何の根拠もないことを言われてもね」とか
「私はそんな人間じゃないし」とか
「ふーん、で?」といった感じで反応しなくなる人も出てきます。

 

またこのような自己概念を持っていて、そこで仮に恋愛がうまくいったとすると

「たまたま運が良かっただけ」「相手がいい人だったから」

といった風に、自己概念に脅威を与えないような認知に粉飾されてしまうこともしばしば起こります。

あるがままの自分を受け入れることの意味を考える

こういったことな自分の内面で起きていることだから、誰かのせいにしても、自分を責めても、なかなか自己概念が変わらないなんてことが起きますし。

(もう少し深く見れば、誰かのせいにするとか、自分を責めることもまた、自己概念に脅威を与えないという目的があるとも言えます。)

そこで思いつくことが、自分にとって不利益の大きい考えばかりであったとしても、自己概念を変わらないならば、結局その状態が続いてしまうんですよね。

で、すごく辛い気分になったり、自分をちっぽけに感じるようになることもあるのです。

だから、まぁまぁ今の自分のいい部分もそうではない部分も受け入れていきましょうね、という話になるわけですよね。

むしろ、無理をし続けたり、背伸びをしたり、自分をよく見せよう、自分を悪く見せようなどの行動をとっても、自己概念が変わるとは限らないわけですよね。

結局は自分が自分をいい意味で正しく受け止めていくことが重要で、自分と向き合うことは大切ってことなんです。

どんなに「私はこんな自分でありたい」と願ったとしても、それが自分自身の自己概念を捻じ曲げるものであるならば、あまり価値はないのかもしれないな、と僕は思う次第です。

だからこれはまぁ「自分に合った服、似合う服を着ることと似ているな」と思いますよ。

もちろん努力などで自分の能力や可能性を切り開くことは素晴らしいし、それを止めているわけじゃないんです。

ただ、自分が自分であることを捻じ曲げている分だけ、まぁ問題がやってくる、とも言えるわけでしてね。

だから、自分と向き合うことを学ぶことも大切なんじゃないか、と思うわけでございます。

 

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