恋愛・夫婦の心理学

恵まれているのに幸せを感じない理由とその対処法 〜恵まれていることに対する罪悪感を理解する〜

恵まれているのに幸せを感じない心理とは

「私、自分でも恵まれていると思うのに、なぜか幸せを感じないんです」

このようなご相談って何故か少なくないものだよなぁ、という実感が僕にはあります。

例えば、仕事も恋愛もそれなりにうまくいっているのに、なぜか幸福感が得られていない、とか。

友人関係や仕事では問題なんてないのに、何故か婚期だけが遅れていることが不思議、とか。

恋人を作ることまではうまくいくんだけど、その関係を大切にしようと思っているときほど、なぜか相手から「別れよう」と言われてしまう、とか。

このようなお悩みの背景に隠れているものが「罪悪感」だった、というケースは本当に少なくないと思うわけです。

これは罪悪感の中でも「恵まれていることに対する罪悪感」と呼ばれるものです。

恵まれていることに対する罪悪感とはなにか

この「恵まれていることに対する罪悪感」は「特に自分が何かを望んだというわけではないのに、周囲の人達から見ると自分が恵まれている環境にある」という状態で生じます。

この「自分が恵まれている」ということで、周囲、家族、兄弟、仲間などに申し訳無さや引け目を感じてしまう理由を作る罪悪感のことを指す、というわけです。

この罪悪感が生じる理由は実に多岐にわたります。

例えば、頭脳明晰、成績優秀、容姿端麗、といった自分自身にまつわる要素。

実家が資産家、名家と呼ばれている家、といった家族、生育環境にまつわる要素。

「私だけ親からとても愛されていた」「家族がとても仲良し」「兄弟の中で自分だけ特別な待遇を受けた」といったことからも生じてしまうこともあります。

本来は「感謝」や「喜び」を感じる要素に対して申し訳なさを感じちゃうわけです。

その背景には、日本の文化的側面、価値観が影響している、とも言えるかもしれませんね。

例えば、幼少期から成績や容姿を褒めてもらうことが多く、実際に恵まれた暮らしを過ごしている人がいるとしたら、周囲の嫉妬をかってしまったり、いわれのない文句を言われてしまって辛い思いをする方もいるのです。

また、自分自身が恵まれていることに申し訳無さを感じるがゆえに、とても犠牲的な態度を持って人と接することが癖になってしまい、その結果「自分の価値」を見失ってしまうようになる方もいます。

さらに、この「恵まれていることに対する罪悪感」が強烈になると、自分が持っている素晴らしい要素を自ら手放す、もしくはぶち壊す、または「自分自身を恥、隠して、さらにいい人でいなければと振る舞うようになる」なんてことも起こり得るわけです。

つまり、恵まれてることに対する罪悪感を持つと、自分の価値や魅力を徹底的に否定する癖がつく、といえます。

また、自分の長所を消して生きることにもなり、その結果、自分の良さがさっぱりわからなくなり、人からの好意や承認を悪意なく受け取れない状態になっていきます。

いわば「幸せになってはいけない」という自分への呪いがかかってしまう状態ができあがるというわけです。

この状態で「自分は自分だから」と我道驀進できる人は、正直少数派なのだろうと僕は思いますよ。

恵まれていることに対する罪悪感が生じる時期

さて、この恵まれていることに対する罪悪感を感じ始めるのは、概ね「思春期」だと考えていいでしょう。

私たちは思春期に「強烈な自己嫌悪」を感じるようになります。

自分自身の心も体もオトナに変化していく時期に、私たちはその変化する自分自身に強烈な嫌悪感を抱くようになるのです。

この自己嫌悪が強まる時期に「周囲とは違い恵まれている状態」があり、かつ、周囲からの嫉妬などを感じるとしたら、おそらく「自分自身への嫌悪感」は更に強力になる可能性がありそうです。

「あぁ、自分が悪いんだ」「自分という存在が周囲のためになっていないんだ」と思い込むようになっても不思議ではないのです。

ただ、この状態でい続けることはとても辛いことなので、多くの人は「仮面(ペルソナ)」をかぶります。いわば、キャラ設定をして「防衛」することを学ぶようになるのです。

人によっては、超優等生で全くミスも問題も起こさない清純派なキャラ設定をする場合もありますよね。

他には、急におどけてみせたり、自分を低く見せるピエロやおバカキャラ設定、急に献身的になり、人のお世話をしはじめる面倒見のいい人、などいろいろなキャラを演じるようになるのです。

恵まれていることに対する罪悪感が作る問題

さて、ここからは具体的な恵まれていることに対する罪悪感が作る問題について少し解説していきましょう。

自分の価値が感じられない

恵まれていることに対する罪悪感でなにより厄介なのは、自分自身が傷つかないために設定したキャラが、周囲の人との間でうまくハマってしまうことです。

例えば、友達、家族、兄弟間などで、自分が何かしらのキャラを演じたことでその関係性が円滑に回りはじめるなんてことが起きるなら、それはいいか悪いか別にして「成功体験」となってしまうんですね。

すると、その成功体験こそが「人から責められないための秘訣」になっていくわけです。

しかも、そのキャラ設定にほとんどの人は気づきません。むしろ「その人の長所」と認識し、悪意なく承認を加えてくるわけです。

こうなると、更にそのキャラから降りることは難しくなりますから、どんどん本当の自分(その姿や欲求)が分からなくなっていきます。

この状態でその後の人生を生きることになる人も少なくなく、それゆえに生きづらさを感じたり、自分を知られるような近い距離での人間関係、つまり恋愛や夫婦関係の中で問題を抱えやすくなっていくことにも繋がっていくのです。

先に書いた

仕事も恋愛もそれなりにうまくいっているのに、なぜか幸福感が得られていない、とか。

友人関係や仕事では問題なんてないのに、何故か婚期だけが遅れていることが不思議、とか。

恋人を作ることまではうまくいくんだけど、その関係を大切にしようと思っているときほど、なぜか相手から「別れよう」と言われてしまう、とか。

こういった問題は、いつしか自分を隠し、その価値を下げてしまうことで、自分自身を知られたり、自分自身の本当の姿、あり方、価値などを忘れてしまうことから生じる、と考えられるんです。

自分の個性・才能が分離感を強めるという問題

また、「恵まれているけれど幸せを実感できない」というご相談をいただく方ほど、「家族との考え方、感じ方がかなり違う」という環境の中で過ごされてきた方が少なくないようです。

それは家族と自分と個性、才能、考え方が違ったという事実を指し示しているのでしょう。

しかしこれがものすごく強い分離感を生み出しているケースが少なくないな、と僕は見ています。

まるで、みにくいアヒルの子の話のように、自分は「違う」存在、自分は望まれていない存在、そういった気持ちすら感じることもあるんですね。

だからこそ、幸せを感じられない居場所=「自分の家族」を嫌悪してしまうこともあるでしょうし、自分自身に才能や魅力などが存在するという実感すら持てないこともあるんです。

僕たちの依存時代(子供時代)とは、「いかに愛されるか」を学ぶときです。

ただ、切ないことですが、愛を実感できなかったという分だけ、自分を大切にすることを忘れ、どのようにすれば人に受け入れてもらえるのか、と考えるようになる人も少なくないのです。

だから、人に合わせますし、人の目も気になりますし、相手がどう思っているのだろうという気持ちが手放し難くなります。

そういった気持ちこそ命綱ですし、そうでもしないと自分が守れないと感じるものでしょうから。

これは僕も同じで、子供時代に親の愛を実感できた時間はあまりなかった、といえます。

それには理由があったわけですが、どこか「自分は望まれていない」「自分は家族の喜びではない」という気持ちが転じて、「家族は自分のことをどうでもいい存在だと思っているのだろう」という思い込みによって、更に家族に対しても過剰に気を使うようになり、反面、嫌悪感や抵抗感を強く持つようにもなっていったんですね。

ただ、そういった受け身な意識を持ち続けていても苦しいだけで、実際に人から愛してもらえないという事実を目の当たりにし、思春期辺りから「早く家を出たい」と考え、自分から人に社会に与えていくようになる人もたくさんいらっしゃいます。

この場合、何事にも献身という意味を超えるレベルで頑張る、相手に尽くす、与えるようになるケースで、一つの恋愛、結婚、仕事、対人関係などで、必要以上にエネルギーを使い疲れ果ててしまうようにもなっていきます。

いわゆる燃え尽きやすい状態になっていくんですね。

こういった状態になると、意識としては「何が問題なんだろう」と考えてしまいますし、「どうすれば楽になるだろうか・幸せを実感できるだろう」と考えるようになっていくというわけです。

とても前向きな気持になることが難しい、と感じてしまうこともあるでしょう。

それでも前向きに、と頑張れば頑張るほど、自分が削れていくような感覚を感じることもあるかもしれません。

強力な見られることへの怖れの問題

さて、このような仮面(キャラ設定)の目的は「自分自身に恵まれたなにかがあることで、他人が嫌な思いをしないようにすること」を通じて「これ以上自分が傷つかないため」。

だから、恵まれている罪悪感を強く感じている人は、いつもどこか対人関係の中でヒヤヒヤしていたり、落ち着かない感覚を覚えやすいものなんです。

いつ、何時、誰に自分をどう見られているかわからない。

いつ、本当の自分がバレて相手に責められるかわからない。

そんな「(周囲から)見られることへの怖れ」を感じやすくなるのです。

この怖れは結構強烈なものになることが多く、「自意識過剰じゃね?」と笑い飛ばせるような範疇で収まってくれるものではないことが少なくありません。

むしろ、「私って自意識過剰かも?」「プライドが高いのかも?」と考えてしまうことで、更に自分を否定して問題が複雑になり肥大化してしまうケースも少なくないのです。

人を見下すという態度の問題

また、恵まれていることに対する罪悪感が強いと、「自分よりも価値がないと思える人を見下すようになる」なんてことも起きます。

そもそも恵まれていることに対する罪悪感を抱えていると、恵まれていない人たちに対する葛藤を抱えやすいんですよね。

例えば、「自力で自分の問題を解決できない人たちがいるから、自分が恵まれていることに罪悪感を感じるんだ」と思う人もいるわけです。

だから、仕事でもできない人、理解が足りない人を小馬鹿にしていたり、見下していたり、「足を引っ張るんじゃないよ」的発想を持つこともしばしば起こります。

もちろんこれは被害者意識であって真実じゃないですよ。

恵まれていることに対する本当の葛藤は「恵まれているのに大切な人のためになっていない自分」という罪悪感にありますからね。

しかしこの罪悪感を否認したいと思うと、ついつい他者に対する攻撃性が(防衛として)出てきてしまう、というわけです。

すなわち、これもまた「しゃーないこと」なのだと考えることもできます。現実は、苦しく悲しいものになるかもしれませんけれどね

恵まれていることに対する罪悪感を手放す方法

さて、ここからは恵まれていることに対する罪悪感に対する対処法についてまとめてみます。

この罪悪感を抜け出すカギは、確かに「自分の価値を受け取ること」にあるわけです。

が、なかなかそれが一筋縄ではいかないのが厄介なところなのです。

なぜなら、自分の価値を認め(恵まれていることを)受け取ることによって人から責められる、と思うから、自分の価値を受け取らずに本当の自分ではないキャラを演じてきたのですからね。

つまり、「もっと自分の価値を認めましょう」という考え方は正解なのですが、それは、ピーマンが嫌いな子供に「どうすれば食べられるようになるの?」と聞かれたときに「食べればいいんだ」と答えているようなものなのですよ。

だから、もう少し知恵を使って、うまく「自分の価値を受け取ること」について考えていくほうがベターなんじゃないかなーと僕は思っておりまする。

ここで登場するキーワードが「自尊感情」です。

自尊感情とは、「自分は誰かの喜びでありたい」という気持ち、感覚です。

多く、恵まれていることに対する罪悪感を抱えてきた人は、普通の人以上に「誰かの喜びになりたくて、誰かの幸せに貢献したい」と願っているものです。

そもそも「自分だけ恵まれていることで罪悪感を感じる」わけですから、言い換えれば「自分だけではなく、みんなが幸せになってほしい、恵まれていてほしい(そうであれば平和なのに)」という気持ちを感じやすい人ほど、この手の罪悪感にハマりやすいのです。

かつ、「自分だけの幸せ」では満足せず、「自分と誰かの幸せ」を望んでいる事が多い、と僕は見ています。

ここがこの罪悪感を癒やすポイントになるだろうと思っているわけでございます。

それこそどれぐらい「自分だけでなく人の幸せを願えるのか」を受け取っていく感じです。

このように少し大きな自分を想定しながら、自分を肯定したり、認めたり、頑張ってきたことをねぎらっていくと、徐々に自信を深め、充実感を感じていくようになっていきます。

もちろん「恵まれているのに幸せだと実感できない」と悩まれている方も同じで、誰かの喜びになりたいという気持ちが存在しています。それは人一倍強い思いとして存在していることも多いんです。

だから、恵まれていることに対する罪悪感を手放していくには、「本当に自分は誰かの喜びになろうとしていた自分」と出会うことが必要になる場合が少なくないんです。

自分が理解される経験も重要です

恵まれていることに対する罪悪感を抱えると、なかなか自分を許せなくなるものです。

だから、どれだけ誰かに愛されても、環境的に経済的に恵まれていても、自分の才能を使い、努力して自分を整えても、幸せを実感できなくなってしまうのです。

ただそれはひとえに「幸せは感じるもの」であって、「事実」だけでは足りないからです。

だから、「自分は誰かの喜びになりたいのだ、そう願ってきたのだ」という気持ちを取り戻せない限り、この罪悪感は真実のような顔をして自分の中に居座り続けてしまいます。

だから、ぜひこの事実を理解していただければと思うのです。

「あなたの気持ちの大きさは、誰かにきっと理解される」

あなたと同じような経験をした人、同じような思いを抱えてきた人もいるわけです。

実のところ、僕自信も恵まれていることに対する罪悪感の問題に出会うケースは少なくないわけです。つまり、同じ気持ちを抱えながら葛藤してきた人はあなただけじゃない、ということを知ることも重要なんです。

そして、そういった人と触れ合って、あなた自信が理解されるという経験を積むこともまた、罪悪感を手放す一つの手段になります。

それはひとえに、恵まれていることに対する罪悪感は、「自分が理解され、愛される」とはどういう感覚か、人の愛はどのように自分に向くのかを実感できていない場合に起きることだとも言えるからです。

だから、できれば「人との関わり」の中で自分を癒やすことを考えてみてほしいですし、僕はそんなご提案をさせていただくことも少なくないんですよ。

その学びを通じて、あなた自身がホッとできて、良い気分を感じることもできますから、おのずと素直に人に感謝できますし、人や物事にも寛容になりますし、自分自身ももっと好きになることができます。

どうか、人との関わり、恋人・友達・信頼できる人との関係性の中で、人の愛とはどのようなものかをどうか知っていただければと思います。

ABOUT ME
浅野 寿和
カウンセリングサービス所属心理カウンセラー。名古屋を中心に東京・大阪・福岡で〜旅人のように〜カウンセリング・セミナーを開催。心理学は現実で使えてなんぼ、がポリシー。
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