恋愛の心理学

「愛を受け取ること」についてちょっと深めに解説する

「愛を受け取る」とはどういうこと?

よくカウンセリングや癒やし、恋愛などをテーマにしたコラムの中に「愛を受け取りましょう」という言葉が出てくるものです。

僕も「愛を受け取る」ということは超重要なことだと考えていますし、愛を受け取ることで「誰かと幸せを真に分かち合い、喜び合う」ことができるようになります。

また、パートナーや仲間との対等さを感じるためにも必要な要素です。

実は僕のブログのネタ募集でも「受け取るってどういうこと?」「私、受け取ってるつもりですけど、彼とうまくいきません」というお声がたくさん届いているんですね。

ということで、今日は受け取るってなんやねんという話をサクッとまとめてみます。

 

「愛を受け取る」とは「感じること」

では、まず「愛を受け取る」とはどういうことでしょうか。

ここでは「特定の誰かが自分に向けた愛や好意、その意図などを自らの心で感じ取る」と考えていただくといいでしょう。

ポイントは「自分が感じ取る」って部分です。

だからそもそも「自分が受け取っているかどうか」なんて他人に分かることじゃないんです。

ただ、受け取っている人はその言動が他の人とは違うので、まぁ見る人が見ればすぐ分かります(笑)

ちなみに僕は相当な受け取りベタですが、最近はコラボセミナーをやってる大野愛子カウンセラーにあれこれ話しているうちに、受け取れるようになってきましたよね。愛子さん、さすがですわ〜。

例えば、パートナーが私のためにプレゼントを買ってくれた、おいしい食事を作ってくれた、頑張って稼いでくれた、時間を作って会いに来てくれた、すごく褒めてくれた、といった相手から提供される私への価値ってありますよね。

ここでパートナーが自分に向けた事実やモノは「相手の愛や好意がカタチとなったもの」と考えてみてください。

これを受け取ることが「愛を受け取ること」のように思ってる人多くないっすか?

実はそれは「事実を受け取った」だけです。正確に申し上げれば「全ての愛を受け取っている」という状態ではありません。

また、パートナーが私のためにプレゼントを買ってきて、それを私が「ありがとう!嬉しい!」と受け取ったとしましょう。

ここで「プレゼントを買ってきてくれた事実に対してありがとうと伝えるだけ」だとしたら、それはお礼です。

お礼や感謝は言うまでもなく重要なものですが、多くのオトナは、もらったものに対して「感謝」を与え返している意識を持っている場合も多く、これは「相手の愛を受け取れている状態」だとは限りません。

ここが受け取ることが分かりにくい理由であり、かつ理解をするためのポイントになります。

つまり、もらっただけでは受け取ったことではない。

ありがとうと言っただけでは受け取ったことではない。

相手からの好意に反応して、相手の真意や込められた思いを感じ取って、受け取ったってことになるのです。

 

愛を受け取ることができない人々の葛藤

さて、この「愛を受け取る」ことには、以下のような問題がよくつきまとうものです。

「他の誰かが自分に向けてくれた愛と、私が求めている愛、感じ取れる愛が異なっている」。

例えば、パートナーが買ってきたプレゼントを見て、「うーん・・・」と感じた経験ってないでしょうか。

「いや、その気持ちは嬉しいし、ありがとうって思うけど、実は自分が欲しいものではなかった」ってケースです。

ここで明日テストに出るのは「いや、その気持ちは嬉しいし、ありがとうって思う」という部分。

これね、遠慮や怒り、罪悪感であることが多いんですよん(笑)

嬉しいし、ありがとうって思うけど、それはほしくない(遠慮)受け取れないし(怒り)喜びを感じません(罪悪感)って愛を拒絶してるんだけど、そういうと気まずいので表面的に感謝している風を装っているのね。

相手の愛から分離しているのは自分だったって話ですね。罪悪感や怒りはつながりではなく「分離」として作用する感情なので。

だから、相手には感謝しているけれど喜びきれないわけです。そりゃー喜べないし、自分の気持ちも相手に伝わりませんよね。分離しているんだからね。

まぁ、人によっては「ありがた迷惑」かのように感じたり、被害者意識から「これって私へのあてつけかな」と感じてしまう人もいるかもしれませんしね。

こんなことを続けていたら、さてはてパートナーや大切な友達との関係はどうなるでしょうか?

この先の話はまぁみなさまのご想像にお任せいたしますよ。

 

愛を受け取るにはどうすればいいの

では「愛を受け取る」にはどうすればいいの?というお話が残っているわけですけどね。

まず愛を受け取るという話は、僕たちの心理学でいう「相互依存」と呼ばれるステージの話なんです。

お互いに与え、受け取る関係、といえばいいでしょうか。

だから、自分自身が「愛を与えてきたこと」について見つめ直す必要はありますよ。

自分自身が誰かに与えたり、愛を届けているとき、とても良い気分になります。もちろん、自分の愛を誰かに受け取ってもらえなかったとき、残念な思いを感じることもあるでしょう。

これもまた愛することを通じて経験する学びの一つと言えるかもしれませんね。

ただ、このような愛を与える経験を通じて、私たちは「愛する側」の気持ちを理解していきます。この経験なくして、「与える側の愛」を体感することはできないですからね。

でも、多くのオトナな皆さん(特に僕のクライエントさま)は、求めることが苦手&与えまくっている人が多いので(ホント誰に似たんでしょうねぇ(^^;)この与える経験値はかなり持っておられる方も少なくありません。

ここでの与える経験とは、仕方なしに頑張る、気を使う、愛されるために頑張る、ルールを守るとか、役割にハマるってことではないんです。

心から相手に与えて「ええねんええねん、私に気を使わんとって〜」「喜んでくれるなら本望です〜」って感覚です。

え、私そんなこと思ったことないけど?って焦った皆さん。大丈夫。普通に頑張ってる人はみんな与えてます。今の自分の意識ではそう捉えられないだけです。

※どうしても捉えられないときは自己否定が強いので、自分を見つめるヒーリングセッションがおすすめです。

 

この「与える・愛する経験」を積み、その理解を深めていくと、自分の中でこのような感覚が生じてきます。

「自分を愛する側(相手)」の気持ちが、なんとなく分かってくる。

自分が愛するという経験を積むことによって、いい意味での投影が生じるのです。

どこか「相手はどんな気持ちで私のためにと考え、行動してくれたのだろうか」という相手の真意を感じ取れるようになるのです。

繰り返しになりますが、愛を受け取るとは「相手の好意、気持ちを自らの心で感じ取ること」。

例えば、パートナーのプレゼントを受け取るとき。

差し出されたものの価値を感じて受け取ることに加え、「相手がどんな思いで、どんな気持ちでこのプレゼントを選び、私にどんな気持ちを伝えたいと思ったのか、どんな気持ちをプレゼントに込めて届けたいと思ったのか」を、自らの心で感じ取るという部分までが「愛を受け取る」ということの範疇なのです。

 

必要なのは審美眼とつながり

ただし!

この話をさせていただくと「必ず」と言っていいほどこんな質問が飛んできます。

「それはこちらの一方的な都合の良い解釈ではないですか」「それってただの妄想じゃないですか?」と。

どこか「自分が勝手に相手の好意を拡大解釈したり、勘違いして受け取っていたとしたらすごく恥ずかしい」と思われているのかもしれません。

 

なので、ここで重要なことを書きます。

愛を受け取るとき、ある程度の感性は必要です。

が、求められるのは想像力・空想力・妄想力ではなく「審美眼」です。

自分が美しいものを見つめる眼・感覚・感性です。自分勝手な妄想や確証バイアスがバリバリな状態では相手の愛を受け取ることができませんよ。

そして審美眼を培うプロセスが「自ら惜しみなく愛を与える」という行為なんですよ。

様々な人の接し、与え、どうしたらうまく愛せるだろうかと考え、行動した経験を通じて「そうか、目の前の人も同じかもしれない(よう兄弟!)」と思えるようになるってことです。

だから、自分自身の過去を振り返り

・自分なりに頑張ったこと、与えたことを見つめ直すこと
・誰かの幸せを願ったこと
・必死になって成功させたいと思った経験を思い出すこと
・大切にしていた人のことを思い出すこと

などなど、たとえその結果が失敗に終わっていたとしても「自分なりに惜しみなく与え、頑張ろうとした自分」を見つめてその価値を取り戻すことって大切なんです。

いわば、たとえ別れに至ったとしても「本気で元カレなどを愛した自分」をちゃんと受け止めようぜ!なぁ兄弟!ってことですな(今日は熱いな〜(^^;)

もちろん、今から与えたいこと、頑張りたいことがあるならチャレンジしてみてもいいです。

今までに「あなたを通じて愛されたことで、感謝している人」を探してみてもいいでしょう。

そのような自己価値を感じるプロセスを経て、そして自分が愛し、与えた美しい経験、その視点・感覚を通じて感じ取るのです。

「きっと私と同じような感覚で、誰かは私を愛したいのかもしれない」と。

「そうか、人も私と同じような感覚を持って、人を大切にしようと思っているんだ」と。

そうイメージして心がジワったら、ある意味成功。

受け取る入り口に立っていると言えるでしょう。

また、全くそう思えなかったとしても大丈夫。それはまたまだ自分を過小評価しているのかもしれませんから、自分を立て直して再評価していけばいいのです。(もしくは心が疲れていて、ちょっぴり誰かに愛してもらいたいモードになっているかもしれませんしね。)

つまり、受け取るってことは「愛を感じ取る審美眼を持つこと」にほかなりません。

だから、プレゼントを買ってきてくれた彼がどんな気持ちだったかを感じ取ることができるのです。

だから、今日の夕餉を作ってくれたお母さんの真意が汲み取れるのです。

だから、仕事で疲れても時間を作ってくれた彼の真意が感じ取れるのです。

つまり、自分の愛を信頼し、心から愛しているからこそ、感じ取れるものだってことです。

そう考えると、愛を受け取るということは、ただ他者から承認を受けることでも、称賛されているってことでも、評価されているって事実のことを指しているわけではないと分かってきませんか?

表面的な自分の態度、相手の態度のことでもありません。

自分がそのうちに秘めた愛や審美眼を通じて、相手の愛や美しさを信頼し、心でつながっており、相手のそれを感じ取っているというイメージですね。

そう考えると、愛されることですら「誰かによって一方的になされることではない」といえます。

あくまで主体は自分。

そして美しさを通じた誰かの美しさとのつながりを意味するのです。

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