感情と感覚の違い、を教えてほしいです。
私は、カウンセリングを受けるとよく
『感情と切れているね』『感情と切れているのを怒りで隠してるのね』と言われます。
本人としては切れている感覚はなく、ちゃんと感情が動きますし、
わりあいハッピーに、問題なく生きてます(笑)
が、あまりにも言われるので、『感情って何?』と、かえって分からなくなりました(笑)
同時によく言われるのが『感覚派なのね』です。
これまたよくわかりません。
『感情が切れている』と同じくらいに『感覚派なのね』もどういう意味なのか、分からないです。
これがわかると、もうひといき、自分の中に踏み込めるかなあと思ったので
質問したいです。
よろしくお願いいたします。
ネタ募集ネーム:ハルヒさん
はい、ありがとうございます。
なかなかマニアックなご質問ですね( ̄ー ̄)ニヤリ
では僕なりにお答えしたいと思います。
Index
「感情と切れている」とはどういう状態?
「感情と切れているね」と言われると、まるで「あなたには感情がないね」と言われているような気がする人もいるかもしれませんね。
でも、実際にはそんな単純な話ではないと思いますよ。
ただ、ご質問者さんに対して
「感情と切れている」とおっしゃった方の意図は
僕には正確にわからないのですが(その方と話をしていないのでね(^^;)
もし、カウンセリングなどの現場でこの言葉が使われたとしたら
(常に使われるとは思えないのですが・・・)
それはこういう状態を指していることが多いです。
感情(feeling)を感じてはいるけれど、自分の中で言葉にしたり、意識的に理解したりすることがむずかしい状態
つまり、「感じていない」わけではない。
むしろ、
感じすぎて整理が追いついていなかったり、
感じること自体が怖かったりするケースもあるのです。
「怒りで感情を隠してるね」という言葉の解釈
また、「怒りで隠してるね」という表現ですが
これは心理的な「防衛反応」を意味しているのではないだろうか、
と僕は考えますかね。
とくに多いのが、「抑圧」や「反動形成」の形。
「抑圧」は、平たく言えば「感情を感じないように抑えつける」ということ。
本人に抑圧している自覚があるかどうかは別にして。
「反動形成」は
- 本当は悲しい/こわい/傷ついた
- → でもそれを感じるのがつらい・怖い
- → 代わりに“怒り”や“平気なふり”が前に出てくる
という、無意識的な「置き換え」のようなものです。
このとき本人は「ちゃんと怒ってる」と思っているけれど、
実は「感じたくなかった気持ち」を守るために出てきた「怒り」ということもあるのです。
他にも認知的不協和など、考えようと思えば考えられることがいくらでもあると思いますけども。
支援者から見える「心理的逆転」とは?
また、こうした反応は、
支援者から見ると「心理的逆転」と解釈されることもありますよ。
これは、ちょっと防衛反応とは違った文脈になってしまうんですけども、参考までに。
心理的逆転とは、
「変わりたい」「感じたい」と言いつつ、
無意識的には「それを避けているような行動」をとる状態。
たとえば:
- 病院に来ているのに、笑顔で「大丈夫です」と言い続ける
- 内心は助けを求めているのに、「自分でなんとかします」と繰り返す
こうした姿、心の支援をする人によっては
「感情とつながれていないように見える」ことがあるのです。
今回のご質問者さんが経験されたその他者からの言動がどのようなものであったかまで、正確にわからないので申し訳ないのですが、僕なりに解釈すると、こういった話があったんじゃないだろうか、と推察しているところです。
更にこれは僕の見解でしかありませんが
もし支援者が「あなたが変わらないのは心理的逆転だ」とだけ見立ててしまうとしたら、
クライエントさんは「そんなことないのに」と感じることになるやもしれません。
なので、あくまで僕自身のスタンスとしては、たとえば
「心が変わる時に、誰だって抵抗を感じることはありますよね」
というふうにお伝えすることが、ないわけではないです。
ただ、支援者の側には「そう見える」としても、
「変わる意思はあるけど、“その感じたら壊れそう”だと感じているのではないか」
と見ると、支援のトーンもより温かく、見守る姿勢になるように思います。
感情と感覚の違いについて
さて、次は「感情」と「感覚」の違い、についてですね。
これも何を持って「あなたは感覚派だよね」と言うかによって、意味が異なってくるんですよ。
そもそもの感情と感覚の違いについて、ざっくり言うと
- 感覚(sensation):胸がざわざわする、息が詰まる、寒気がする、など身体に現れる反応
- 感情(feeling):悲しい、うれしい、さびしい、怒っている、など“意味づけを伴う”心の動き
こうなります。
たとえば、
「胸がぎゅっとして息が苦しい(=感覚)」
「あ、さびしいんだな……(=感情)」
この「気づきのプロセス」があることで、感情として自覚されていくわけです。
「感覚派ですね」と言われる人の傾向
また、「感覚派ですね」という言葉が使われる際のことですが、
「身体感覚や空気感にとても敏感」
という意味合いで使われることが多いんじゃないでしょうか?
- 相手の機嫌をすぐ察知できる
- 場の空気の変化に敏感
- 「なんか嫌」という直感が強い
- 芸術的な感性が強い
この感受性は素晴らしい資質ですが、
その“感覚”が、「自分の感情」としては整理されにくいときに
「感覚派ですね」なんて言葉が飛んでくるのではないでしょうか?
基本、感情って合理的判断の基準になるものなんです。
いわゆる「好き」「嫌い」の判断軸です。
しかし、感覚って合理的判断の基準にはなりにくいもの。
「それはそんなもーん」という感じなんですよ。
なので、ご質問者さんを仮に「感覚派」とさせていただくと、
好き嫌いより、それはそんなものだよね、と捉える傾向が強く出ていたのかもしれません。
多分、このご質問の内容からであれば、このような解釈でいいんじゃないかと僕は推測します。
おそらくその他の感覚の話ではないと思うので。
関連記事はこちら
- 人に期待して傷つくのはもう終わり!「期待しないトレーニング」で自分らしく生きる方法
- 【頼れない・甘えられない心理】「自分しか頼れない×自己不信」のワナと抜け出し方
- 【note】しっかり孤独シリーズ
- 無料で心理学講座を受け取る(メルマガ)
- プロに相談する(カウンセリング案内)
最後に
今回のご質問者さんは、
すでに「自分の中にもうひといき踏み込みたい」とおっしゃっています。
それって実は、ものすごく大事な感受性だと思いますよ。
とはいえ、無理に「感情を感じなきゃ!」と焦らなくていいんじゃないでしょうか。
むしろ「感情を感じなきゃ!」と思うことで、めちゃめちゃ思考が働く、という場合も少なくないのでね。
ただ、少しずつでも
- 「あ、これって怒りじゃなくて不安だったのかも」
- 「身体が重いとき、実は悲しいときが多いな」
というように、自分の感覚の“翻訳”を練習していくことは、きっと助けになると僕は思います。
以上、なにか参考にしていただければ幸いです。