日常に使える心理学

人の期待を感じると辛くなる心理とその処方箋

人の期待を感じると辛くなるときってないでしょうか

あなたは「誰かの愛情、好意」を「相手からの期待だ」と感じることってないでしょうか。

例えば、彼に優しくされてうれしい。けれど、すぐ「なんだか申し訳ないなぁ」とか「もらったままでいいのかな?」と考えてしまう、とか。

相手に優しくされると、「・・・裏があるんじゃないの?何を期待しているの?」と勘ぐってしまうとか。

仕事でならば、上司から評価されたとしても「次もうまくいかないと評価が下がるんじゃないの?」と思ってみたり。

 

これは、「愛されること=期待をかけられていること」と感じているだけでなく、「相手の期待に応えないと自分の価値はない」と感じている可能性を示します。

「なーんか相手にお返ししないといけないな」という思いが

「なーんか相手の気分をよくしなきゃいけないと求められている気がする」という感覚になって

「なーんか愛されると、気を遣うから嫌だし面倒。相手の好意(期待)が重く感じるわ」

と変化していく感じですね。

すると、どうしても「人の気持ちによって自分の価値や気分が決まってしまう」そんな心理状態になるわけです。

これ、超絶しんどいんですよ。

確かに人の期待に応えられると嬉しいし、その時は「自分はできるかも」と調子に乗れます。

が、何かがうまく行かなくなった途端、自信喪失してベッコリ凹むなんてことも起こり得るわけでしてね。

 

確かに人の期待に応えることって、まぁまぁ「いいこと」かもしれません。

ただ、自分で自分の価値を認められなかったり、自分を受け容れることができない状態であるほど、「人の期待に答えて喜んでもらうことだけが自分の価値」だと感じてしまうことにもなりかねないんですよ。

これ、一時的なことならいいのですが、長く続けると辛くなります。

自分をちっぽけに感じてしまったり、人の期待に応えつづけて燃え尽きやすくなったり、そもそも人に期待されるのが嫌で距離を起きたくなる、なんて可能性が出てくるんですよ。

 

人の期待を感じると辛くなる理由

人の期待を感じると辛くなる理由を考えていくと「自分の価値を人の評価だけで推し量りすぎている」という側面が見えてきます。

「自己価値感が低下している」ときにこういったことが起こります。

実際、人に期待されるということは、それほどまでに人から価値を見てもらっているわけです。

ただ、その結果「自分が相手にどんな自分を見せたいか」と考えたときに「その期待に応えられない(かもしれない)」と感じてしまうと、人の期待が辛くなるんですね。

今、ここで僕ができること(そのベスト)はなにかと考えて実践できればいいのですが、失敗や人から失望されることを恐れてしまうと、期待はプレッシャーに変わります。

また、「人の期待に応え続けないと自分の価値がない」と感じるなら、より辛いでしょう。

この状態って、「相手を喜ばせられない自分になんて意味ない」と捉えているということなんです。

そんな人って、どんだけええやっちゃねん(どれほどいい人なのか)と僕は思うんですけどね。

つまり、この「人の期待に応えられない自分なんて意味ないわ」と感じている部分が「人の期待が辛い」という問題を作っていて、それぐらいネガティヴな意味で「自分なんて未熟だわ」と蹴飛ばしているわけですな。

 

人の期待が怖いのは、誰かにとって期待通りではない自分と出会うことが嫌だから

僕の学ぶ心理学では「期待の心理とは期待はずれの心理」といいます。

※期待の心理についてはこの記事でもう少し書いていますので、参考にしてください。

なにかに期待して傷つかないためにはどうすればいいですか?期待の裏に隠れた心理が「不十分な自分」。だから人はつい期待するし、見返りを求めたくなることがあります。ただ、期待だけをしていると辛くなることは増えるかもしれません。もし、期待の罠を超えることを考えるなら期待しない自分になろうとするより「自分が与えられる」という自信を感じられればいいのです。...

自分が誰かの期待に応えられないことが怖いし辛いのは、誰かにがっかりされることが辛いのではなく、自分が「自らにとって期待ハズレな存在」で蹴飛ばしているから辛いのです。

つまり、自分のがっかりの理由を、自分の外側に存在する「人の期待」に置き換えているだけなんですよ。(これも投影の法則ですね)

だから、人が自分にかけた期待→「自分が自分にかけた期待」のハードルが超えられなかったとき、自分なんてダメやん、とボコボコにしている、といえます。

そこで人から嫌われた、がっかりされていると感じるとしたら、それは周囲の人をあなたが自分を罰する人に変えている、ということなんです。

もちろんそうしている自覚も、そもそも悪意なんて全くないでしょうが、その深層心理で「人を自分の悪役に仕立てているのは自分」だということになるんです。

ここに罪悪感、人を悪者にしているという罪悪感が出てきます。

なので、さらに期待に応え、いいことをしないと愛されへん(許してもらわれへん・自分の居場所はない)と感じるというわけですなぁ。

これを見捨てられ不安、と呼ぶ人もいますが、確かにそんな感覚がするかもしれませんよね。

 

と同時に、自分にとって期待はずれで残念な自分を嘆いていますから、今の自分ではあかん、愛されへん、と判断しているわけです。

それぐらい未熟な自分が嫌だ、と言っているようなものなんですが、それこそ泣きっ面に蜂だと思いません?

だとしたら、「少なくとも自分に期待ばかり向けて地獄送りにするんじゃなく、ちゃんと認めて受け容れる」ことが癒しになると思いませんか?

なので僕は、人の期待や人の目ばかり気にするパターンを「期待地獄めぐり」と勝手に呼んでいるわけですな。

 

期待されることが怖くて疲れ果てたときの処方箋

さて、人の期待で悩んでいる人は、目的なく悩んていることが多いんです。だから息切れしやすい、ともいえます。

目的地を決めない旅行も自由そうでいいですが、全く目的がなければどこにどう行けばいいかわからなくなりませんかね?

つまり、意識では、幸せになりたい、すごい自分になりたい、愛されたい、恋愛上手になりたい、と思っている反面、その目的がとかく漠然としすぎている傾向があります。

だから、どんな自分になりたいか、どんな自分をみんなに見せて愛してあげたいか、といったイメージを持てずにいることが少なくないですし、人に聞かれると「うっ」と詰まる傾向があります。

これは、あえて目的を持たない生き方を選ぶぐらいに「あなたが過去に誰かの期待を感じて辛い気持ちを感じた」、そんな事実(ハートブレイク)をなんとなく示すものでもあるのですけどね。

すると、人の気持ち・思いは、応援、評価、承認とは捉えられず、めんどくさーいもの、だけど、応えないと一人ぼっちになるもの、だと感じ始めるんですよね。

だから、とりあえず、渋々、人の期待には応えようとするんです。

と同時に、「自分のことで精一杯」「自分のことしか考えてられていない自分」を知っているので、さらに自分を「心の狭い、愛のないやつだ」と思い、嫌う理由を持つのです。

 

これではいつまでたっても自分を認められない、と思いませんか?

自分の人生の主導権、選択肢を自分以外の部分に明け渡していると思いませんか?

これがいつも人の期待を感じて息切れしてしまう理由そのものです。

 

こんなときはまず、自分を知り、自分のことを認めることが癒しになります。

自分の良い部分も、ちょっと残念な部分も、自分も受け容れていくことで「自分は自分だな(それでいいんだな)」と思えるようになるものです。自己受容っていいます、これ。

自分の良い部分からコツコツ認めて、自分の中にあると実感してみてください。

すると、まぁまぁ人の期待に応えられなくても、まぁ自分は自分だと思えるわけです。

そもそも、自分の価値が誰かの評価だけで決まるとしたら、そんなのおっかなくて生きてられませんよね。

失敗一つ、人の機嫌一つで自分のあり方が決まってしまう世界もたしかにありますけど、こと自分癒やしを考えるなら、その世界のことは一旦横においておくことが大切ですよ。

 

ただ、もし自分が人の気持ちで自分の価値が決まると感じているなら、なぜそう感じる自分になったのか、と考えてみるといいかもしれません。

ここでよく出てくるのが子供時代からのあなたのパターンです。

例えば、子供時代(僕たちが非力だった時代)に、親などを喜ばせようとしたけれど、それができずに「なんて自分はちっぽけで愛される価値がないんだ」と自分を嘆いた経験に行き当たる可能性があります。

だとしたら、その子はめっちゃ愛の子なんです。動機は自分が愛されるためかもしれませんが、誰かを笑顔にしたいと願ったのはその子自身です。

問題は、その当時の自分に誰かを喜ばせる何かしらの実行力が備わっていなかったことだけなのです。

そして、喜ばなかった側(親など)に喜べない事情があった、ということなんですよ。

だから、その自分を認め、受け容れ、許していい、ってことになるわけですよ。

しかし、ここで自分を受け容れないと、誰に何を言われても聞く耳持ちません、喜びません、そんな頑固な人になっていきますな。

人の優しさや好意を、期待、もしくは慰めにしか感じられなくなってしまうわけですよ。

だから、過去の自分を認めて受け容れてね、あなたの中には愛情が眠っているのですからねぇ、と僕はお伝えするというわけです。

一言で言えば、自分を認めて、罰ではなく愛を感じることを通じて「心を緩めよう」ってことです。

そんなにダメでも悪い人でもないよ、って実感しましょうよ、と。

その上で、自分がどんな自分になりたいのか、何を表現したいのか、と実行していくと、さらに自分が自分であることを喜べるようになりまっせ。

自分が自分でいいと思えるようになると、人の期待は、ときに叱咤激励、応援、承認、のように捉えることができるので、周囲の人を自分を罰する人にしないようになるのです。

それがなによりの生きやすさを作り、日々感じる息苦しさから解放される方法だと僕は思いますよ。

 

人の期待に応えることができるなら、それは素晴らしいことです。

期待に応えて相手を喜ばせることができるなら、自分もいい気分になりますよね。

ただ、それが自分の役割であり、そうすべきだ、それが全てだと思い込んでいると、自分が辛くなりすぎてしまうものです。

つまり、人の愛情を期待にしてしまうと、受け取れるものがなくなるのです。

そして、受け取れるものをなくしているのは、人ではなく自分なんですよね。

だから、そろそろ、自分を見つめて誤解を解いてみてもいいんじゃないでしょうか?

・・・あぁそうだ。

そうか、もっと頑張って受け取ろう!と意識しすぎるのも、より良い自分になりたい!という自分への期待なので、その辺は注意してくださいね。

そもそもあなたはより良い人なのですよ。そこに戻ることを目的にして、一度考えてみてくださいませ。

僕の所属団体・カウンセリングサービスの心理学講座でも「期待の心理」についての記事を執筆しております。よろしければこちらもどうぞ。

期待の心理学(1)〜期待の心理とは〜(カウンセリングサービスWEB)

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