恋愛の心理学

別れた人を好きではないが忘れられず、次の恋愛に進めないときの処方箋

「別れた人を好きではないと思うけど、しかし忘れられない」というご相談

その忘れられない人が「今から別れることを決断する相手」であっても

「別れた彼・彼女」であっても

「恋愛中だけどあまりいい関係ではない彼・彼女」であっても

「もうどうやっても会えない彼・彼女」であっても同じなんですけどね。

「もういい加減、今までの関係のことは忘れて先に進みたい」と理解しながらも、しかしなかなか今までの人を忘れられない状態にハマる、なんてこともあるのかもしれません。

自分の気持ちとして、相手への愛情があるか、と聞かれるとそうではない気もする。

しかし何故か忘れられないし、実際に今の自分は恋愛したいとは思っていない。

恋愛をして幸せになりたいという希望はあるけど、しかし実際にそれを実行するような気分になれない。

自分でもよく分からないけれど「別れた人に心が囚われている」ような。

別れたこと・関係が終わったことで自分自身の中で何かが変わってしまったような。

そんな感覚を覚えている、というお話を伺う機会ってないわけじゃないんですよね。

なんていうんでしょうか・・・。

「過去の執着しているか、と言われると、絶望するほどの後悔があるわけでもなく。

別れたことが痛手であることは間違いないけど、しかし強い怖れや不安を感じるわけでもない。

でも、もう一度誰かを愛してみよう、好きになってみようと思うと、なぜか気分が乗らず、その気にもなれない」

みたいな感じといいますかね。

なかなかに切ないお話なのですけどね。

今日は、このようなケースにおいてどんな風に考えていけば、少なからず自分の幸せをあきらめずに済むようになるのかについて、僕なりに考えて見たいと思います。

よろしければどうぞ。

「別れた人を好きではないと思うけど、しかし忘れられない理由」を考える

では、さっそく「どうして別れた人を好きではないと思うけど、しかし忘れられないと感じるのか」についてを考えてみたいと思うのですけども。

ここではいくつかの可能性について考えることができると思うんですよ、僕は。

まさに事情は個々で違うものといいますか、実際にお話を伺わせていただかないと僕もわからないことが多いのです。

ただ、最も切ないケース、といいますか。

なかなか心の中で拭いきれないモヤモヤは、きっとこの影響だろうな、と考えられることがあり、今日はあえてそれを限定して扱ってみたいと思います。

ガチで相手のことを愛し、相手の影響を引き受けていた私

いわば「半端な気持ちで恋愛や結婚生活を営んでいなかったから」という場合、「別れた人を好きではないと思うけど、しかし忘れられない」と感じやすくなるようです。

言い換えるなら「ガチで、心から相手のことを考えていた」という場合です。

この場合は、明らかにこちらのハートは開いた状態だったと想像できるわけですよ。

まぁ、「ハートを開く」と書くとかなり曖昧な表現になってしまうのですけど、要は

「今の自分なりに心から与え、相手の影響をも引き受けようとしていた」

ということです。

だから、忘れられないし、次の幸せに向かう意欲がわかなくなる、という話なんですね。

愛するということには「愛する人の影響を引き受けること」も含まれる

よく、一般的な意味合いでの「愛する・与える」という言葉って、その響きから「愛することはこちらから何かしらの要素を与えること」と思われている方が多いんです。

特に自立されている方ほどそう思われる傾向が強いといいますか。

だから、頑張っていれば愛される、結果を出していればパートナーに認められるとお考えになる方も少なくないのかな、と思います。

が、そのように頑張ってきても何故か恋愛や夫婦関係だけうまく行かないというお声も伺うのです。

このような場合、考えるべきことがあるとしたら、それこそ「愛する」ということの意味、その別解なんですよね。

そもそも「愛する」ということは「何かを与える」ということだけではなく

「相手の影響を引き受ける」という側面もあるんですよ。

これは若干女性性的な考え方でもありますし、この考え方に賛否両論あることは承知していますけどね。

相手の影響を受けすぎることもまた問題ではあるので、相手の影響を受け入れることを否定的に見る方のご意見もわからんでもないんです。

ただ、僕としてはこのように考えるのです。

自分のそばにいる最愛の人、その影響を一切受け付けない態度って、愛がない、気持ちがないような感じに映らないでしょうか。

例えば、子供さんができたご家庭で、その両親が子供さんに与えることはあれど、子供の存在の影響を一切引き受けない態度を取るとしたら、「与えているけど、愛しているようには見えない」と感じないでしょうか。

つまり、愛するということは相手を受け入れる側面があるのではないでしょうか。

「受け入れた人を失うこと」がもたらすハートブレイク

よって、心から相手を愛していた人ほど

自分発の愛情表現だけでなく、相手からの影響もしっかり受け止めようとするのではないか。

理屈がどうのこうのではなく、心情としてそう考えることがあるのです。

しかし、別れという事実は「相手からの影響を受け止めた私」の意味や価値を「空っぽ」にしてしまうこともありえるわけですよね。

ここまで引き受けたのに、相手のことを受け入れてきたのに・・・。

もし、そんな思いを感じるならば、たしかにあなたは相手を愛していたという証明になるのかもしれません。

「もう誰かを好きになって自分自身が空っぽになるような、心から受け入れた人を失いような、まるで全てが無意味だったと思えるような気分を味わいたくない」

そう思う人がいても僕は不思議ではないだろうと考えるのです。

これは執着というよりも、深い失望・失意に近いと思います。

その感覚は「希望を失う」という意味で、失望、失意のようなものではないだろうか。

そう僕はそう考えるのです。

別れた人を好きではないが忘れられず、次の幸せに進めないときの処方箋

もし、何かしらの別れのあとで

自分自身の未来に希望を失いたくないと思えば、過去の(関係が良かったときの)記憶を思い起こすことで、自分の一時的な支えになりえるのだろう、と思うのです。

しかし、「では過去の人を今も愛せるか」と聞かれれば・・・。

はっきりとYESだと思えないこともあるのでしょう。

もし、過去出会った人を全力で受け入れ続けてきた分だけ「もう一度愛したい」とは思えないのかもしれません。

「私は相手のことを目一杯受け入れた、これ以上どうすれば良かったの?」

そんな感覚もどこかで覚えることもあるでしょうから。

ただ、何より恐れてしまうのは

「また同じような失望や失意と出会うこと」

なのかもしれませんよね。

だからこそ、また誰かを愛すること、受け入れることを怖れてしまうといいますかね。

 

だとすれば、

別れた人を受け入れてきたからこそ忘れられず、次の幸せに進めないときの処方箋は

「今までの私」の再評価と、今まで抱えてきた気持ちの解放

になるのではないか、と僕は考えることが多いです。

愛の芽生え

こういったお悩みを抱えている方ほど愛することを知っているのではないか、と思うこともしばしばです。

つまり、どのように愛するかを考えても答えが出ないこともしばしば、なのです。

 

これは、残念ながらと書くと語弊があるかもしれませんが

あなたのパートナーが、愛することを「与えること・頑張ること」とだけ理解されている方だった場合

こちらが相手を受け入れていたとしても、その事実に気づかれなかったり

時には

「そんなことは無意味だ」「そんなことは価値がない」「そんなことは頼んでいない」

そんな判断をくだされてしまうこともあり得るだろうと思うのです。

自立的な人ほど「受け入れられることが苦手」である場合が少なくないので、こちらがその心と体すべてを使って愛する人を受け入れていた、という事実をスルーされてしまうことも起こり得ることです。

 

だから、ちゃんと相手を受け入れようと向き合ってきた方ほど、別れという事実が宙ぶらりんな私という感覚を作ることもあるのでしょう。

時には、「相手を受け入れてきたこと」を「私が相手に依存してきた」と誤解してしまう人も少なくないようです。

たしかに受け入れるという行為は依存的な感覚をもたらすものなのかもしれないですよ。

ただ、相手の影響を引き受け受け入れることと、相手にしがみつくことは明らかに違うことだと僕は断言してもいいと考えています。

つまり、相手の影響を受け入れることが、あなたの心からの思いの表現であったならば、僕はそこに光を当てることも大切なことだと考えるのです。

 

だからこそ、抱えてきた感情の解放(ケア)であったり

今までの自分自身の再評価を行うことに意味が出てくるんですよね。

ちゃんと、今までの自分を大切にする、という意味で、ですね。

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