正解を渡されるたびに、自分を裁いてしまう忍耐女子の話
こんにちは。
心理カウンセラーの浅野寿和です。
今日は忍耐女子シリーズのテキストでございます。
テーマはですね、
「正解を渡されるたびに、なぜか自分を裁いてしまう」
という、地味にキツい現象についてです。
心当たりのある方、ゆるりとお付き合いください。
「あたしのことや」と、冷や汗をかきながら読んでいただけますと幸いです。
Index
忍耐女子は、正解に弱い
まず最初に言っておきたいのですが。
忍耐女子のみなさまって、だいたい真面目なんですよね。
相手のために考える。 関係を良くしようと努力する。
うまくいかなかったら自分を省みる。
それ自体問題じゃないです。むしろ誠実です。
で、そういうとき、誰かから「こうしたほうがいいよ」という言葉をもらうことがあるわけです。
カウンセラーだったり、専門書だったり、友人だったり、パートナー本人だったり。
言ってることは、だいたい合ってるんです。
「自分を大切にしたほうがいい」 「我慢しすぎだよ」 「境界線を引いたほうがいい」
うん、そうだよね、と思う。
でも、そのあとに何が起きるかというと。
「やっぱり私が悪いの?」
「分かってるのに、できない私はダメってこと?」
「また、ちゃんとできてないの?」
もう一回、自分を裁いてしまう人が多いわけですな。
・・・これ、なんでだろう、って思いませんか。
「想いしかない」場面ほど、正解が刺さる
たとえばこんな光景です。
仕事が激務で苦しそうな彼を、なんとか支えたいと思っている。どうすれば支えられるのか、必死で考えている。
彼の悩みを解決してあげたくて、自分なりに思いつく限りの方法を試している。
・・・こういう場面って、だいたい「想いしかない」んですよ。
不器用かもしれない。
うまく伝わらないかもしれない。
でも、愛してる。守りたい。力になりたい。
だから、真剣に探す。
そのときに「正解っぽいもの」に出会う。
すると心の中でこういう反応が起きる。
「私だけでは辿り着けなかった」
「今までの私は間違ってた?」
この反応が出ること自体は、おかしくないんです。
むしろ、真剣に考えてきた証拠でしょう。
ただ、忍耐女子の場合、ここから若干ややこしい反応が起きるわけですね。
なぜ「自分を裁く」が起きるのか
正解を渡されたとき、心はこういう動きをすることがあります。
理性は言うんです。
「たしかに、そうだよね」
「理屈としては、その通りだと思う」
でも、感情のほうが先に反応する。
それは、正解が「新しい知識」だから反応しているというより、
正解が、過去の自分の否定みたいに聞こえてしまうからなんですよね。
彼を支えようとしてきた日々。
引き受けてきた背景。
葛藤しながら選んできたプロセス。
簡単には手放せなかった想い。
その上で「答え」が来ると、感情がこう反応するわけでございます。
「じゃあ、今までの私は何だったの?」
「私は、ずっと間違ってたの?」
「もっと早くできたはずなのに、できなかった私はダメ?」
その問いに、すぐ答えを出さなくていいと思っていて。
ただ一つだけ言えるのは、
今までのあなたがいたから、今の気づきがある。
それだけは、確かなんじゃないでしょうか。
しかし、ここで起きているのは、いわゆる軽い反省じゃないんですよ。
「未熟だったね」で終わらず、「未熟な私=ダメ」という反応なんですよねぇ。
で、この強い裁きが起きると、心の中で「自分の尊厳を守れないスタンス」になってしまうんです。
与える・愛することを考えると、自分の尊厳が守れなくなる・・・。
なんか匂いません?
自己犠牲とか完璧主義とか。
その裏にある強い献身も。
繰り返しますけど、今までのあなたがいたから、今の気づきがあり、さらに言えば「その先の未来が描ける」のです。
が、それを自己否定で断ち切っちゃってるわけですね・・・。
そりゃしんどい、って話です。
裁きが強いほど、「私が愛している」という感覚から遠ざかる
ここが今日一番伝えたい話なんですが。
自分を裁く気持ちが強くなると、
「私が愛している」という感覚から、少しずつ遠ざかることがあるんです。
紛れもなく愛している。
でも、その愛し方の前に「正解」というクッションが挟まる。
すると、
「愛している私」よりも、「正解に追いつけていない私」のほうが前に出てくる。
自分が愛していました、与えていました、という立ち位置から、ズレる。
ズレた分だけ、相手との間に心の距離ができる。
その距離に「私じゃなくてもいいのではないか」という疑いが入り込む。
・・・はい、これ、忍耐女子の皆様にはおなじみの感覚ではないでしょうか。
「自分は足りなかった」という裁きが、止まっていないんですよね。
起きやすいのは「自分の手で愛してあげたい」人
この反応が起きやすいのは、
「自分の手で愛してあげたい」という思いが強い忍耐女子のみなさまです。
普段から自分を律している。
相手のために頑張る。
感情も理性も使って生きている。
よって、本来は自分の恋愛や生き方について誰かのコメントなんて求めちゃいない(笑)
それはそれで良くないっすか、という反応だけでご飯3杯はイケる感じのはずなんです。
が、現実はそうじゃない。
どう考えても今のままでは関係が悪化するし、思ったような未来を描けないような実感がある。
そういう人ほど、正解を受け取った瞬間に、
「できていない自分」「届かなかった自分」
に意識が吸い寄せられやすいんです。
その根っこには「自分だけで正解を導かねば」という思いが強かったりする。
もっといえば「手のかからないいい子」でいなきゃ、という反応が見える。
・・・いやね、そこそこ手がかかっても可愛いはずなんですよ、忍耐女子の皆様は。
そもそもめんどくさくない人間なんて面白くないわけで。
めんどくさい人間で避けられやすいのは、他責的、他罰的な人でしょうし。
・・・ちなみにこの話は、どんな学びも「自分という主体から届けられている」と感じられる方には、この話はピンと来ないかもしれません。
「なるほど。じゃあ私はこうしよう」と、自然に主体に戻れるから。
でも、自分を後回しにしてでも誰かのためにと考えてきた忍耐女子の皆様には、けっこうリアルに起こり得る話だと思います。
正解は「自分を裁く刃」じゃなく「立ち位置を戻す道具」にもなる
ここで一つ、誤解してほしくないのですが。
正解や助言が悪い、という話ではないんです。
ただ、正解が
「自分を裁く材料」 「過去の自分を否定する刃」
になってしまうと、関係が整うどころか、自己否定が深まることがある。
だから僕は、心理学を使うときにこう考えています。
「人は裁かない。でも、仕組みはごまかさない。」
正解を押しつけるためでもなく、 自分を責めるためでもなく、
「そういう心の仕組みの中で、私はここに立ってたんだな」
と、一歩引いた場所に戻るための道具として使う。
そのほうが、関係にも自分にも優しい形になりやすい気がしていて。
そもそも、いくら正解があったとしても、あなたの思いがなければ、相手には何も伝わりません。
正解の精度だけでは、関係性の前進はない。
あなたがそこにいることが、何よりも欠かすことができないものなのだと、僕は思っています。
最後に
もし今、必死で相手のことを考えてきたのに、うまく伝わらなかった、という経験をされた方がいたら。
あのときの、あなたの正解にも、価値があった。
ただ、仕組みとして、それが伝わらない構図があっただけで。
だから、正解を渡せなかった自分を、どうか裁かないであげてほしい。
セッションの中で僕が
「あなたは、あのとき、あなたなりの正解を持っていたのではないでしょうか」
とお聞きする理由は、ここにあります。
愛ある人ほど、正解を渡せなかった自分を裁く。
そんな自分を、どう扱っていくのか。
それは、今すぐ、この瞬間からでも決められたりするんですよ。
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