思いのある人ほど、「正解」を渡されると自分を裁く|善意がすれ違うときの心理
こんにちは。
心理カウンセラーの浅野寿和です。
今日は、少しだけ「関係がすれ違う瞬間」に起きていることを整理してみます。
「思いのある人ほど、「正解」を渡されると自分を裁く」
そんな話です。
恋愛でも、夫婦関係でも、親子でも。
「良くしたい」「守りたい」「分かり合いたい」
その思いが強い人ほど、なぜか苦しくなる瞬間があるのかもしれません。
たとえば、こんな場面です。
- 「もっと自分を大切にしたら?」
- 「我慢しすぎだよ」
- 「境界線を引いたほうがいい」
- 「その恋はやめたほうがいいんじゃない?」
言ってることは、だいたい合ってるんです。
でも、正解っぽい言葉を受け取ったとき、心の中で別の反応が起きる人もいます。
「やっぱり私が悪いの?」
「分かってるのに、できない私はダメってこと?」
「また、ちゃんとできてないの?」
そうやって、もう一回、自分を裁いてしまう。
今日はこの「もう一回裁く」という現象を、批判ではなく描写として扱ってみます。
責めるためじゃなく、「何が起きているのか」を見通すために。
Index
正解は、どこにもない。でも「より良い愛し方」は探したくなる
まず前提として。
愛し方の「正解」って、おそらくどこにもないんだと思います。
恋愛も夫婦も親子も、関係は二人(あるいは複数)のものなので、
誰かが一方的に「これが正解」と言い切れるものではない。
でも、それでも。
人は、愛しているからこそ、より良い関わり方を探したくなります。
そして、ここが今日のテーマなのですが。
より良い愛し方を模索する人の中には、
「その答えに辿り着けなかった自分」を材料にして、
もう一度、自分を裁いてしまう人がいる。
僕には、そんな実感があります。
「想いしかない」場面ほど、正解が刺さる
たとえば、こんな光景です。
- 仕事が激務で苦しそうな夫を、なんとか支えたいと思う奥さん。どうすれば支えられるのか必死で考える。
- 彼女の悩みを解決してあげたくて必死になる彼。自分なりに思いつく限りの知識や方法を渡そうとする。
- 子どものことを心から大切に思う親御さん。子どもの悩みを解決するために専門家や専門書で必死に学ぶ。
こういう場面って、だいたい「想いしかない」ことが多いんです。
不器用かもしれない。うまく言葉にできないかもしれない。
でも、愛してる。守りたい。力になりたい。
だから、真剣に探す。
そのときに、ふと「答え」っぽいものに出会うことがあります。
専門書の一文、パートナーからのアドバイス、専門家やカウンセラーの言葉、誰かの助言だったり。
言い方はいろいろでも、「これが正しいよ」と思えるようなことを渡されるように感じるものです。
すると、心の中でこういう反応が起きることがあります。
「私だけでは辿り着けなかった」
「今までの私は間違ってた?」
この反応が出ること自体は、弱さでも依存でもないと思います。
むしろ、真剣に考えてきた証拠でしょう。
ただ、ここからもう一段、ややこしいことが起きます。
なぜ「自分を裁く」が起きるのか
正解を渡されたとき、心はときどき、こういう動きをします。
理性は言うんです。
「たしかに、そうだよね」
「理屈としては、その通りだと思う」
でも、感情のほうが先に反応することがあります。
それは、正解が「新しい知識」だから反応しているというより、
正解が過去の自分の否定みたいに聞こえてしまうから、なんだと思うんです。
たとえば、奥さんが夫を支えようとしてきた日々。
彼が彼女を救おうとしてきた時間。
親御さんが子どものために悩み続けてきた夜。
そこには、
- 我慢してきた理由
- 引き受けてきた背景
- 葛藤しながら選んできたプロセス
- 簡単には手放せなかった想い
- それでも守りたかった何か
が、全部のっている。
その上で「答え」が来ると、感情がこう言うことがあります。
「じゃあ、今までの私は何だったの?」
「私は、ずっと間違ってたの?」
「もっと早くできたはずなのに、できなかった私はダメ?」
ここでの「裁き」は、軽い反省じゃなくて、結構強い反省になりやすい。
「未熟だったね」で終わらず、
「未熟な私=ダメ」という結びつきになりやすいんですね。
そして、この強い裁きが起きると、心の位置が少しズレます。
少なくとも、自分の尊厳を守れない位置に入ってしまうことが起こるようなのです。
裁きが強いほど、「私が愛している」という感覚から遠ざかる
ここは感覚的な話なのですが。
自分を裁く反省が強くなると、
ふっと「私が愛している」という感覚から少し遠ざかることがあります。
紛れもなく愛している。
でも、その愛し方に、
「正解」というクッションが挟まる
ようになる。
すると、どうなるか。
自分の中の「私は与えている」「私は関わっている」という手応えが、ちょっとだけ薄まることがあるんです。
主体感が揺らぐ、と言い換えてもいいかもしれません。
愛しているのに、
「愛している私」よりも、
「正解に追いつけていない私」
のほうが前に出てくる。
だから、自分が与えている立ち位置から、少しズレる。
ズレた分だけ、相手との間に心の距離ができる。
その距離に「・・・私じゃなくてもいいのではないか」という疑いが入り込む。
そんな思いを抱えたままでいれば、その関係が苦しくなるのです。
「自分は足りなかった」という裁きが止まっていないからです。
こういう循環が起きている方を、セッション中にお見かけすることがあります。
起きやすいのは、「自分の手で愛してあげたい」人
この反応が起きやすいのは、
「自分の手で愛してあげたい」
という思いが強い人だろうと思います。
普段から自分を律している。
相手のために頑張る。
感情も理性も使って生きている。
そういう人ほど、正解を受け取った瞬間に、
「できていない自分」
「届かなかった自分」
に意識が吸い寄せられやすい。
逆に、どんな学びも「自分という主体から届けられている」と感じられる方には、
この話はあまりピンと来ないかもしれません。
学びが来ても、「なるほど。じゃあ私はこうしよう」と自然に主体に戻れるからです。
でも、自分を後回しにしてでも誰かのためにと考えてきた人には、実際に起こり得る話だと思います。
正解は、人を裁くためじゃなく「位置を戻す道具」にもなる
ここで誤解してほしくないのは、正解(助言や知識)が悪い、という話ではないことです。
いわゆる知識やノウハウは、使い方次第で人を支える材料になります。
ただ、正解が
- 自分を裁く材料
- 過去の自分を否定する刃
になってしまうと、関係が整うどころか、自己否定が深まることがある。
だから僕は、心理学を使うときに、こんなふうに考えているんですよね。
「人を裁かない。でも、構造はごまかさない。」
正解を押しつけるためではなく、
自分を責めるためでもなく、
「そういう心のしくみの中で、私はここに立ってたんだな」
と、一歩引いた場所に戻るための道具として。
正解を正しい形を整えるものとしては使わない。
「できてない裁き」にせず、「立ち位置を確認する」ために使う。
そのほうが、関係にも自分にも優しい形になりやすい気がするんですよね。
そもそも・・・
いくら正解があったとしても、あなたの思いがなければ、相手には何も伝わりません。
正解の精度だけでは、関係性の前進はない。
今日、この記事を読まれているあなたがそこにいることや、
僕のセッションルームにお越しいただいた”あなた”がいることが、
何よりも大切で欠かすことができない”正解”なのだと思っています。
僕の仕事は、そのあなたの思いを翻訳し、できるだけ伝わりやすい形で届ける”翻訳者”のようなものだと思っていますよ。
最後に
もし今、必死で相手のことを考えてきたのに、それがうまく伝わらなかった、という経験をされた方がいたら、こう考えてみてはどうでしょう?
あのときの、あなたの正解にも、価値があった。
ただ、仕組みとして、それが伝わらない構図があった。
その構図を超えて、あなたの思いを届ける方法が他にあっただけ、だと。
だから、あのとき、正解を渡せなかった自分を、どうか裁かないであげてほしいと思います。
そういった立ち位置に立てたとき、あなたは自分を裁かない位置に立てるのかもしれません。
僕がセッションの中で
「あなたは、あのとき、あなたなりの正解を持っていたのではないでしょうか」
とお聞きする理由はここにあります。
愛ある人ほど、正解を渡せなかった自分を裁く。
そんな自分を、どの立ち位置で見るのかは、きっと今からでも決められます。
今日はそのことだけ、心のどこかに置いておいてもらえたらと思います。
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