日常に使える心理学

今、私はみんなの役に立てているのか?と無力感を感じています。

「わたしはみんなの役にたてているのか?」と無力さを感じています。
 
ここ数年、自分を表現・開放することに取り組んできました。そのプロセスは、過去の痛みももちろん感じるけど、とても楽しく夢中になれるものでした。「自分を解放して自分自身に戻ること」は、イコールみんなのためにもなるのだと信じていました。
 
そして最近、意識が「わたし/あなた」ではなく「わたしたち」になってきました。ところがそうなると「わたしはみんな(←自分も含め“全部”という感覚です)の役にたてているのか?」と苦しさを感じるようになったのです。
 
みんなのためにもなるのだ、と信じて取り組んできた「自分の才能を受け入れ使える」ようになったことが、「わたしたち」をより良い方向に導くために、実は何の影響力も持たないのではないかと感じてしまうのです。むしろ全体の統合へ向かう際、自分の存在は邪魔なのではないかと思うことさえあります。
 
過去誰か(家族?)を救えなかったと感じていることの、痛みがあらわれているのでしょうか?今わたしに何が起こっているのか、次のステップへ進むためのヒントや考え方などを教えていただけると嬉しいです。

(Aさん 原文のまま掲載しております)

私が助ける関係はいつも無力感と隣り合わせ。

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匿名さん、ネタ募集コーナーにご協力いただきましてありがとうございます!

では僕なりにお答えしますね!

さて、今日はちょーっと長くコラムを書きますので、時間のない方は最後の「まとめ」だけご覧ください。

スマホで見るには勘弁してよ~クラスの長さですが、よろしければ。

 

なぜ無力感を感じるような視点が必要になるのか

まず、匿名さんが書いてくださっている「自分を解放して自分自身に戻ることは、みんなのためにもなる」という考え方は僕も同意します!

あなたがあなたらしくいることは、幸せや豊かさにつながりますしね。人があなたに向けた愛をあなたが活かすことにもつながりますよね。

しかし、あなたは

>「わたしはみんなの役にたてているのか?」と無力さを感じています。

と書いてくださっていますね。

だとすると、あなたが取り組まれてきた事自体に大きな意味があるに違いないのですが、しかしそれでも無力感は消えなかった、ということのようですね。

「あなたはみんなの役に立ちたい人」なのに、なぜかあなたの無力感はいつも消えない、ということのようでもあります。

だから

>みんなのためにもなるのだ、と信じて取り組んできた「自分の才能を受け入れ使える」ようになったことが、「わたしたち」をより良い方向に導くために実は何の影響力も持たないのではないかと感じてしまうのです。むしろ全体の統合へ向かう際、自分の存在は邪魔なのではないかと思うことさえあります。

こう書いてくださってあるのではないかな、と僕は思うのです。

実際、あなたが取り組まれてきたことが「わたしたち」をより良い方向に導くために実は何の影響力も持たないかどうかは、調査が必要かなと思いますし、僕の意見としては「必ず意味があったであろう」と考えます。

しかし、あなたの中に存在する

「今のわたしはみんなの役に立てていない(かもしれない)」
「むしろ私達のために、私は無力で、邪魔になっているのかもしれない」

という感覚には効かなかった、ということなのかもしれません。

これは「あなたがあなたを見ている視点・目」を意味します。

あなたがあなたを「誰かの役に立てない存在」だと見ている。

だから、全体の統合を考えたときに、自分は邪魔なのではないか、と感じてしまうのかもしれません。

ここで見つめて欲しいのは「なぜ、自分にこの視点・自分を見る目が必要なのでしょうか」ということ。

>過去誰か(家族?)を救えなかったと感じていることの痛みがあらわれているのでしょうか?

もしあなたがそう感じられるのであれば、そこにあなたの意識がある、ということだと僕は考えるんですよね。

どうしてあなたは「過去、誰か(家族?)を救えなかったと感じていること」に意識が向いたのでしょうね。

その感覚、答えを持っているのはあなたの心。

なぜそう感じるのだろう、という理由を見つめると、今までの努力が無駄ではなく、かつ、これから何を取り組んでいけばいいかにも気づけると思いますよ。

 

私が助けられることを怖れていないですか?

私達の心はとても不思議で「幸せになることが怖い」と感じるものなんです。

例えば、あなたがたまたま買った宝くじ、いきなり10億当たったら、怖くならないですか?凄い幸運なのに。

急に「一生分の運を使い果たした・・・不幸になるかも?」とか最悪の事態を考えないでしょうか?

そもそも一生分の運なんてどこで計量したのかなぁ?と僕は思うわけですけどねぇ。

この「幸せが怖い」という視点で今回のご質問を見つめると、僕はこうも思うのですよ。

あなたが気づかないレベルで人とつながることを拒絶している」のかもしれない、と。

どこか自分で決めちゃっているのかもしれません。

私など無力だと。みんなが統合するときに、私は異分子のような存在だと。

これを人は劣等感やコンプレックスと呼ぶことがあるのかもしれませんが。

一人の人との関係ではなんとか隠しきれても、「わたしたち」の中では色濃く出てきてしまうあなたの中の異質感。

だから「わたしたち」から分離したがっている、という可能性。

これこそが「あなたが幸せを怖がっている時に使える理由」とも言えるんです。

「私は異質だから、役に立たないから、無力だから、人とはつながれません。でもあなたを助けます。」

あなたの中で、こんなことを囁くって・・・それは愛でしょうか?

違いますよね?これこそあなたのエゴや罪悪感の声ですね。

でも、これを真実の声と勘違いすると問題が起きてしまいます。

そして、あなたはそんな感情・感覚をいつどこでこれを学んだのでしょう?

ここで一つ考えられる可能性が、家族や近しい人たちとの関係性。

例えば、過去の家族関係や大切な人との関係の中で「家族や大切な人を愛せない・救えない私など無力だ」と、あなたが感じていたことを暗に示唆している場合があります。

他には「みにく
いアヒルの子」のような、家族や仲間の中で、あまりに一人だけ価値観が違うので、ひたすら劣等感や異質感を感じ続けてきた、であるとか。

または、あまりに偉大な母や父のもとで育っていたからこそ、全体を愛せて当たり前感が強く、そのコントラストで無力感が強まっている、など。

もちろん他にも理由は考えられますけどね。

仮にの話。

もしこのパターンを癒やす事を考えますと、

「あなたが、あなたの周囲にいる人に、その弱さを持ったまま、救いを求め、助けてもらう」

そこで得た感覚を、今度はあなたが人に与えれば愛は循環し、全体のためになりますね。

または

「あなたが過去に愛しあえなかった、助けられなかったと悔やんでいる人がいるなら、その人との関係の中で許しを起せばいい」

となることが多いでしょうか。

あなたが人を愛し、役に立とうとするように。

あなた以外の人も、人を愛し、役に立とうとするでしょう。

実際にうまく愛せるかどうかは別にして、です。

 

これと同じように、

あなたの「助けたい(助けたかった)人」も

あなたのことを「うまく愛せなかった人」も

実はあなたのことを愛していた(愛そうとしていた)ことに気づき、受け止めることができればいいのです。

ここ、ちゃんと感情・感覚として「つなげて」おくことですね。

実はあなたの過去に「ちゃんと愛はあって、私が無力感を感じるようなことなど、何もなかったのだ」「あなたが助けたい人にもあなたの愛は伝わっていて、相手のあなたへの愛もそこにあったのだ」といったことが腑に落ちて問題意識がなくなると、すっと心のわだかまりが解けて、次のステップに進めるかもしれませんね。

自立しているがゆえの罠は手強いものでして

しかし、この「私が愛される・助けられる・救われる」という部分、自立している方にとってめちゃめちゃ怖いことのようでございまして、もう一人だけで身を守る生き方を手放すことになるんですよね。

ここでいう自立とは、基本的に「自分の身にこれ以上ひどいことが起きないように」自分の世界を作り上げて、何事も自分で判断していることを意味しますが。

これこそあなたが罪悪感を信じているから起こることなんですけど、分かりやすく言えば「私が人の迷惑(無力な存在)にならないための理由をたくさん探す」わけです。

ただ、その行為は、分かりやすい拒絶だけでなく、遠慮とか、謙遜とか、どんなにあなたの中で正当化された行為であっても、結果的にあなたが「人を拒絶する」ことになりますから

あなたがその相手を愛している(相手の愛を理解し受け取る)わけではない・・・あなたの愛が止まっちゃっている

ということになります。

だから、あなたの中に「私は愛していない」という無力感や罪悪感が湧き出してきて、「私は不十分なのではないか」なんて考えちゃうハメになるんですね。

これ、そもそもが「私の罪悪感なんだ」って気づくことが大切です。

私は人を助ける人で、私自身が喜びではない・・・と感じているとしたら、そりゃー「わたしたち」の中で無力感を感じるだけでなく、「自分の才能は全く意味がない」と感じても不思議ではないと僕は思いますが、いかがでしょうか。

ただ、それでもあなたには愛があり、ちゃんと意味も価値もあるのです。

あなたの真実はそこにあるのではないでしょうか。

今日のまとめ

今日のまとめとしては

  • 自分なりに努力してきたことが「今の自分の悩み解消」に効果的なのかどうかを検証する。
  • 自立を手放し、人に助けてもらう。恐れを超える。
  • 人の愛を理解し受け取らず、あなたの愛が止まっちゃっていないかチェックする。もし受け取っていないなら、なぜそれが起きるのかを見つめて癒やす。

こういったことをすると、次のステップにいけますよ、という話。

少なくとも、一人で全体を救う発想を手放して、みんなでみんなを救う。

そう考えれば、

あなたが、目の前の人を愛し、理解し、優しくすること。

あなたが、傍にいる人達の愛、理解、優しさを受け取ること。

これが一体となった時、大きな愛や平和につながっていくような、相互に充実する方法だとは考えられないでしょうか。

そのために、今、私が一人で生きていけるぐらいの自信があるからこそ、

「わたしたちは誰もが、一人では生きてはいない」

ということを受け容れるだけの器量を持つことが求められるかもしれないですね。

長々と失礼しました。

何か参考にしていただければ幸いです。

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