「私らしく生きるため」の「心の法則の使い方」
世の中には様々な人がいますよね。
その中にはたとえば「人を威圧する人」「人を困らせる人」「信頼関係を壊す人」・・・
いわば僕たちとっての脅威となりえる人もいるのかもしれません。
だからでしょうか?
以前「人に迷惑をかける人の心理」に関する解説の依頼を受けたことがあるんですよね。
こういった人ってどんな深層心理なんですか?と。
ただ、こういったお話をさせていただくとき、付け加えてお話することがあるんですね。
「たしかに人はいろんな心理状態になることがあり、それゆえに常識から逸脱した行動をする人もいらっしゃるでしょう。
そういった人と関わる、関わらないという判断は個人のものですよね。
しかし、そういった人をただただジャッジするだけで理解しなかったり、罰したり、排除しようとする目的で、こういった話を使わないでいただきたいと願っています。」
これ、本当に大切なことだと僕は思うのですよ。
何もすげー真面目なことを言いたいわけじゃなく、とある理由があってお伝えしていることです。
その理由がこれなんです。
あまりいいたくないことではありますが、僕たちは「人の不幸は蜜の味」じゃないですけど、他人の不幸、欠点などを探しては、喜んだりほっとすることがあるわけですよ。
ただ、その理由の多くはね・・・・
「人の欠点を見ているときだけ、自分の欠点や未熟な部分を見なくて済むから」です(アイタタタ・・・。)
結局他人を悪く思っているその瞬間、自分を意識しなくて済むという話なんです。
が、人を悪く見ているのは自分なので、自ずと自分の価値は下がり、その自分にふさわしい自己評価、行動を取るようになりやすいわけですよ。
ま、人のアラを探していても、自分は何も変わってない、むしろマインド面では価値が下がる。
つまり癒やされているわけでも、成長しているわけでもないんです。
そう考えると、心の法則を誰かを判断したり罰するために使っても、あまり意味はないのかもしれません。
やはり人を理解したり、いかに人とつながるかを考えたり、どうすればみんなが豊かになるか、という認識とリンクさせておくものだよね、と僕は思うのです。
つまり、どんなことも愛する目的で使われるべきではないか、と。
心の法則を自分を責めるために使おうと思えばいくらでも使える
例えば、人に迷惑をかけないように、と気を使い続けている人っていますよね。
「私、迷惑をかけていないか?」
いつもどこか気にしてしまうタイプの人です。
その方が例えば「人に迷惑をかける人の心理特徴はこうですよ」をいう情報ご覧になったとき
「私、今まで人に迷惑をかけないようにしてきたけど、もしかして私も不快に思わせているの?だとしたら私って最低じゃないですか」
などと、自分を否定しはじめる方もいるとかいないとか。
こうなると、心についての情報が「自分をより良い方向に変容させるヒント」ではなく「自分を嫌う材料」になってしまうんですよね。
ま、自分が知らない至らない自分を知ると、嫌な自分を感じてしまうものだとも思うのですけれど。
ただ、誰しも人に迷惑をかけちゃうことやミスをすることはありますよね。
そして、それは一つの学びにもなると思います。
嫌な自分を感じたら、自分を責めたり否定するのではなくて、一旦受け入れて、その上でどうなりたいかを見つめること。
しかし、心の法則をただ自分を否定したり、時には他者を批判する道具にしか使わなかったり、物事を回避する理由に使うならば、「自分の悩みが解決する」「心は癒やされる」ということにつながらないことが多いです。
もちろん僕自身、そう思われる方のお考えやお気持ちも否定的にはみていません。
そこにはそうなるべき事情があるのだと考えます。
ただ、どんなことも自分の都合のいいところだけ切り取って解釈しているとしたら、その情報の価値は半減すると僕は思うのですよ。
もし心の法則を自分を否定する材料にしか使えないならば
そんな時はこんなことを考えてみるのはどうでしょう。
「もしあなたが迷惑をかけた人がいたとしましょう。
もし、あなたが人に、意図せず相手に不快な思いやうっかりマウンティングのようなことをしたとしましょう。
それでも「まぁしゃーないな」と思い、ずっと友達でいてくれる人、仲良くしてくれる人、普通に接してくれる人っていませんか?
多く僕たちは「自分が良いことをしているから人と関われているんだ」と思いこんでいる部分があります。
が、本当にそれだけなのでしょうか?
僕の個人的な意見を書かせていただけば「めんどくさーい自分を受け入れてくれている部分」のほうが多いように思いますよ。
例えば、あなたがパートナーに文句を言っても(言い過ぎはマズイですが)
友達とケンカしたとしても(致命的なダメージを与えてはいけないですが)
相手はなぜあなたと関わり続けてくれているのでしょうか。
要は、心の法則が示す「嫌な自分」を見ても、愛してくれる人がいるのか、という部分を考えてみればいいんです。
くれぐれみ「相手がいい人だから」という言い訳をせずに、ね。
実は自分が思っている以上に、自分が受け入れられ、愛されていることがあるらしいって思えないでしょうか。
僕たちにとっての問題はこの「愛してくれている人がいる」という事実から目を背けているから起きることが多いんですよ。
そういった事実に気づけるようになると、肩の力が抜けて、もっと自分らしく生きていいんだな、と思えるかもしれません。
そして、あなた自身も人にやさしく、寛容になれると思うのです。
自分の問題潰しだけをしていても、なかなか寛容になることは難しいのでは?と僕は思うぐらいです。(※もちろん自分の課題は乗り越えておくに越したことはないですよ。成長に繋がりますからね。)
それこそが「癒やし」と僕は思うのですね。
心の法則も「何を幸せにするか」「どう豊かさを分かち合うか」という視点で使えば、もっと幸せを実感できるようになると思うのですよね。
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