恋愛・夫婦の心理学

難攻不落な彼。難攻不落と呼ばれる私。そこに共通する心理的背景。

「難攻不落」な彼 「難攻不落」と呼ばれる私

カウンセリングサービスの浅野寿和です。いつもありがとうございます。

今日のコラムのキーワードは「難攻不落」。

カウンセリングの案件には「難攻不落な彼との関係」のお話もあれば、「私が難攻不落だといわれちゃいました」というお話もあります。

今回は後者のお話が中心ですが、きっと難攻不落な男性の心理的背景も知っていただけると思います。

よろしければどうぞ。

難攻不落男子&女子の心理的背景

「○○さんは難攻不落だから、と会社の男性にいわれちゃいました」
「気になる彼が難攻不落。何をやってもダメなんです」
「彼が籠城中。まったく連絡がございません」
「私、なんだか人から警戒されやすいんです」

カウンセリングの現場というものは不思議なもので、ご相談内容としては正反対のお話を伺うわけでございます。

が、この正反対なお話にも共通した心理的背景があるのですね。

それは「隠しておきたい自分(感情)」の存在です。

恥、劣等感、痛み、コンプレックス、失恋、離婚、過去の失敗・挫折体験・・・

人には多かれ少なかれ「あまり人に知られたくない部分」「触れてほしくない部分」があるものですけれど、この部分を隠して鉄壁のガードを固めていると「難攻不落」と呼ばれるようになることが多いのです。

そのご本人にあまり自覚はないことも多いのですが、「自分を隠すためにガッチガチにガードをして人と向き合っている」状態が普通に続いているのですね。

 

難攻不落男子&女子は自分を誤解してしまう

少し想像してみてください。

例えば、過去に望まない別れを経験した人がいたとします。

もちろん別れ(離婚でも同じ)に至るにはそれなりの事情があり、多くの場合は痛み分けになっていることも多いもの。

たとえ問題があったとしても、全て自分が至らかった、とは限らないですしね。

このあたりは自分の癒やし、許しがあってもいいわけです。

「それぐらいあなたも大変だったのですよね」
「そもそも別れること、傷つく(傷つけること)を望んで一緒になったわけではないですよね」

これが僕たちカウンセリングサービスのカウンセラーが持つ視点の一つです。

しかし「自分自身が離婚という選択をするとは思わなかった」と感じている人ほど

この離婚経験は「隠しておきたい要素」になりますよね。

その人にパートナーを大切にしたい気持ちがあるから「別れ=愛のない選択」と感じてしまうわけです。

すると、

「自分はとんでもなく愛のない人間なのではないか?」
「大切な人を愛せない人なのではないか?」
「自分にはなにか欠陥、至らない部分が強くあるのではないか?」

どこか自分を疑い始めるようになります。

そう疑いはじめれば、別れで感じた「失敗感」「無力感」と同時に、「罪悪感」まで感じるようになるわけです。

「自分が悪いのではないか、自分は害なのではないか?」

もし、自分自身をそういった目で見つめているなら、その自分を人に見せたいと願う人、あまりいませんよね。

多くの方は「隠しておいて当然」と思われるでしょうし、自分自身も過去の経験を思い出したくもない、と感じるようになるでしょう。

どこか人に向き合えないだけでなく、自分自身とも向き合えなくなるわけですね。

その結果、人と関わる際に半ば無意識的に自分を隠そうとする意識が強まる。もちろん「絶対にバレてはいけない」といつも自覚できているわけじゃないですけどね。

この姿を他の人が見れば「自分は警戒されている」と感じるでしょうから、その結果「難攻不落」「ガードがかたい」という表現につながるわけです。

なお、この「隠しておきたい自分」とは恋愛面の失敗やコンプレックスと限ったものではないのです。

対人関係、学業、家族関係、子供時代から今に至るまでに抱えた感情や観念(思い込み)などが該当するものです。

 

リスクヘッジボーイ&ガール

「普段は人に相談できない、見せることもかなわない、家族にすら隠さなければと思う自分の存在」

これはなかなか自分一人で肯定できるものではないですよね。

自己肯定という選択肢が取れず、自分を批判的に見つめてしまうようになる。

その結果、自分の内面的な評価が下がりやすくなります。

だから人の評価が気になるし、人の目線も気になりはじめます。

こうなると僕たちは「人を愛すること」がとても怖くなります。

相手に良いことをしようと思っても、とたんに怖くなるわけです。

何かしらの大義名分、例えば「仕事上の関わり」など相手に関わる理由があれば怖くないのですが、自分がただ相手に好意を伝えることがとても怖くなります。

なぜなら

自分にそれなりの評価を与えていると、愛すること・関わることに対する恐れは格段に低下しますが、

自分の評価が下がりたくさんの罪悪感を抱えていると、愛すること・関わることは「拒絶される怖れ」ばかり刺激するわけです。

本来、私たちが人を愛すること・関わることは喜びを感じるものなのですが、全くその反対の「怖れ・不安・リスク」ばかり感じるようになります。

ここで登場するのがリスクヘッジボーイ・ガール。

「可能な限り人と関わらないようにと考え、自分自身で自分を支える発想に終止する人たち」です。

表面的に自立した生き方をしていて、どこか「自分のことしか考えていない」と自らも自覚し、人からもそう思われがちな人たちです。

また、若干わかりにくいのですが

普段、とてもフレンドリーに人と接する人の中にも、このリスクヘッジボーイ&ガールは存在します。

そんな彼・彼女たちの対人関係は「技術」で成立しています。

 

もちろんその技術は素晴らしいのですよ。そう簡単に手に入るものでもないですしね。

ただ技術で人と接することは、いつもココロを開いて人と接しているのではなく、自分を演出する方法、人とどう接すれば相手が喜ぶかという技術を用いていることが多くなります。

そんな彼、彼女たちも

「自分の近くに愛すべき人を置くことがリスクだと感じる」ことがあるのです。

恋愛、夫婦関係となると、とたんに自分を隠すことなく人と関わることへの怖れが表面化するので

  • めっちゃフレンドリーな人だと思っていたのに、実際に付き合ってみたら違った
  • 会社ではいい関係になれるけど、付き合ってみたらすごく冷たい感じがした
  • 何でもかんでも自分のこだわりを突き通す人だった
  • 彼は私と関わろうとしません。そんなに嫌いなの?
  • もういつも彼とは(彼女とは)ケンカばかり。さすがに疲れ果てました。

他人はこういった感想を持つことになりますし、実際自分もそういった評価をもらうことになるのです。

もちろんそう言われた本人は「やっぱり自分はワガママってことか」と凹み、更に自己評価を下げることになるやもしれません。

さらに内面を隠し、自立を強め「自分のことは自分で」と行動し続けるわけです。

ね、こうなると更に難攻不落感が増してこないでしょうか?

いくら対人関係の技術を磨いても、自分なりに努力しても「難攻不落だよね」と言われてしまう理由がここに見えてくるのです。

この状態で恋愛、婚活を行うとなると、「既に他の人が抱えていないハードルを抱えた状態でスタート」しますから、疲れ果ててしまうのです。

その根っこでは「罪悪感」が影響しているのです。

自分は素晴らしい存在だと感じられない事情と共にに。

自分を許し、不要な罪悪感を手放すこと

そもそも自分を疑って抱えた罪悪感は、正当に感じるべき罪悪感とはいえないものです

自分がミスをした場合に感じる罪悪感なら正当だと僕も思います。

いわば「しゃーない」のです。人は必ずミスをしますから。

しかし、それ以上の罪悪感を抱えているなら、それこそ自らを疑いすぎたので生み出してしまったものといえます。

いわば「一人で悶々と自分を疑い、考え過ぎてしまうことが自分の首を絞めちゃう」イメージです。

しかしこの罪悪感も、自分の中で「確かな罪悪感」として存在するので、正当な罪悪感と同じような心理効果をもたらします。

「本来は感じる必要のない罪悪感」で自分が苦しむことになるのですよね。

ならばリスクヘッジも、難攻不落化も必要だと感じるでしょう。

すなわち、難攻不落男子・女子も、リスクヘッジボーイ&ガールも悪くないやん、か僕の意見なのです。

そこを責めても何も変わらない。罪悪感が増すだけです。

自分を守るための行動をとっている。それは「しゃーない」ことなんです。

しかしこのままでは自分から人を愛する、関わるという喜びが手に入らない。

これが恋愛、夫婦、対人関係の問題を生み出す理由なのです。

もう一度言います。

自ら人と関わること、愛することが喜びだと感じられないことが何より切なく苦しいのです。

おそらく仕事面では対人関係の距離感を取り、対人関係を円滑にする技術でカバーできる問題が、パートナーシップや親密な人の関係では使えない。

そんな人ほど「自分は恋愛に不向きだ」といいます。

そりゃそう思われるだろうなーと思うのです。

そもそも自分を隠し、疑いながら愛する人のそばにいる事自体、リラックスできないですし、辛いでしょーと素直に思うわけでございますよ。

※その視点で見れば

難攻不落な男子・女子を「なんであなたはこうなの!」と責めてみても、好きだからといって真正面から愛そうとしてもなかなかうまくいかない事が多いのです。

相手は「愛することに怖れ」があるのです。だからそうそう人の愛を受け取りません。人からの愛を受け取って、自分が返すときに怖れを感じるからです。

だから「はじめからいらない」というのです。俺、私のことはいい、構わないで、というのです。

どんな人も愛してもらったら自分からも返したい、返せないことに罪悪感を感じるからですね。

さて、このような難攻不落状態の自分を変えていくにはどうしたらいいのでしょうか?

それこそ「心・感情を癒やす」ということにつきます。

言い換えれば「自分自身に対する誤解を徹底的に解く」わけです。

自分を疑ってしまうからこそ起きる罪悪感。

その根っこに眠る痛み、悲しみ、思い込み、価値観。

そういった部分にアプローチして癒やし、書き換え、隠れている感情を解放していくのです。

「あなたにはもっと肯定的で価値ある感覚がふさわしいのですよね~」

カウンセリングなら、そう自ら感じていただくプロセスが開始されるわけですね。

もちろん日常の中でも

  • 自分を疑うのではなく、できたことを認める意識への変化
  • 自分を褒めよう、人を褒めよう
  • ありがとうをたくさん使いましょう
  • 家族関係をよりよいものにしましょう。(格段に罪悪感と怖れが減ります)

このような方法を実践してみてくださいねとお伝えしています。

あなたが自分を許し、自分を認め、感謝や許しを使い、受け取っていくことになり、とてもココロが軽くなっていくからですね。

必要以上に抱えた罪悪感はいらない!手放す!

それだけで自分らしさを自然に表現できるようになります。

あなたの抱えている罪悪感が減り、ココロを解放しても良いと感じるだけで、恋愛・夫婦・対人関係は格段に「カンタンなもの」に変化しますよ。

その結果、難攻不落なイメージ、行動は勝手になくなっていきます。

これがカウンセリングの効果でっせ、ともお伝えしています。

このレベルの問題を扱うなら「自分を責めてもな~んも変わらない、むしろ状態は悪くなる」とおぼえておいていただきたいのです。

最後になりますが

この話を読んで、何かしらの違和感を感じた方がいたとしたら、それこそあなたの罪悪感が反応しているのです。

だから実は自分を癒やすチャンスが訪れているともいえます。

実は、罪悪感が消え、自分自身が許されるとき、僕たちは「怖れ」を感じます。頭で考えるとさっぱりわからないことなのですけどね。

例えば友達とケンカして、仲直りしようと思うと、つい怖くならないですか?許してもらえるかな?と。自分は許されるのだろうか?と。

だから「あの友達が悪いんだよ」などと「自分の罪悪感」を否定したくなる。罪悪感を手放すのではなくね。

相手を責めているときだけ「怖くない」と感じるからですね。

ただ相手を責めることにより、仲直りの際にさらに強い怖れを感じることになるのですが・・・。

だから「今のままでは辛い」と分かっていても、自分を変える一歩を踏み出すことが怖いのです。

でもそれこそ「癒やしの前触れ」として必ず起こることなので、どうか自分のために勇気を持って自分を許す方向に進んでみてくださいね。

ABOUT ME
浅野 寿和
カウンセリングサービス所属心理カウンセラー。名古屋を中心に東京・大阪・福岡で〜旅人のように〜カウンセリング・セミナーを開催。心理学は現実で使えてなんぼ、がポリシー。
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