ほぼ30代からの心理学

人は見たいようにモノを見る 〜違いを認めるから感じられる愛もある〜

人は見たいようにモノを見ると、互いの違いを認めるから感じられる愛もある

カウンセリングをさせていただいていると「どうして彼はあんな言動をするのでしょうか」や「どうして私の考えが相手に伝わらないのでしょうか」という疑問を伺うことがあります。

もちろん相手のことが理解できないとか、自分の気持が伝わらないとなればスッキリしないし、時に不安になりますよね。

特に相手を異性として意識していればなおさらに、ね♡

ただ、よくよく考えてみると、人にはそれぞれの価値観があるものですよね。

誰にでも過去(経験)があり、そこから学び取ったなにかがあり、時には成功の法則を、時には失敗を回避するアイデアを持つものでしょう。

そして、人はそれぞれの感情を通じて世界を見ています。いわゆる投影の法則ですね。

だから、気分がいい人はそのように、残念な気持ちの人はそのように、世界、つまり人や物事を見る、ということなんですよね。

しかもそれは「私はこのように世界を見たい、物事を感じたい」という理想通りにいかないって部分が難しいところです。

いくら願望として「私は世界を素晴らしいものだと感じたい」と思っていても、めっちゃストレスを溜め込んでいたり、我慢ばかり続けて苦しい気持ちになっていたり、自分を信じられずにいると、なかなかそう感じられないこともあるわけです。

逆に、あまりに気分が良くてイケイケのときは、ネガティブに物を見て慎重になるべきときに、うっかり楽観的になりすぎてアイタぁ〜みたいなことも起きますよね。

それはどこか僕たちの意思、願望を超えたものだともいえそうですね。

そんなこんなで、僕たちは気づかないところで、自分の価値観・ルールで世界を「見たいように」見ていますし、そのままの感覚を物や他人に映し出し、自分にしていることをそのまま人にも行うものなのです。

※という「投影」の話を、明日、カウンセリングサービスの母体・神戸メンタルサービスのZOOMオンライン心理学講座でお話します。なんと明日は100名を超える方にお話をすることになりそうで、今からドッキドキですねぇ。

 

「自分も見たいようにモノを見ている」と気づくと世界は変わるよ

だから、誰かがあなたにその価値観を向けてくるように、実は自分も「見たようにものを見ていて、その価値観で物や人を扱っているのだ」と気づくことってものすごく重要なことなのですね。

僕たちの心理学でいう「アカウンタビリティ」の概念です。

今、感じている感情は、自分が感じているものである。

今、感じている感覚は、自分が感じているものである。

自分が誰かや取り巻く環境の影響を受けていたとしても、その中で自分が感じている感情は、自分の選択によるものである。

なんて考え方です。

まぁ、この概念について深く考え込んでしまうと、まるで哲学的な話になってしまうので、思考の迷路にハマりつづけてしまうなら、ちょっと一息ついて、シンプルに考えてほしいんですけどね。

ただ、この考え方を身につけると、なかなかどうして、自分が自由になるものなんです。

 

たとえば、「彼が私に最近そっけない態度を取るようになった」という話があったとしましょう。

そのときに、明らかに自分が彼を傷つけたという事実があって、そこに気づいているなら、関係改善の取っ掛かりは見つけやすいものですね。

しかし、何も問題がなく、いつも通り過ごしていただけなのに、彼の態度が変わったとするならば、なかなか考え込んでしまうことになるやもしれません。

そこで「相手は相手が見たように物事を見て、その感覚で私を見ている」と考えてみると、どうなるでしょうか。

ここでは「彼は今そっけない態度を必要としている」とか「そっけない態度を取るほどに、彼が見ている世界がしんどくなっているのではないか(彼が何かしら感じたくない感情を感じているのではないか)」と推測することができますね。

こう考えられると「彼はどうしたんだろう」とか「気遣ってあーげよ」とか思いやすくなります。

しかし、問題意識からの自己関連付けだけが進むと「私、なにかした?」とか「私のこともう好きじゃないの?」と考えてしまうわけです。

人によっては私が悪いんだ、と自分を責める理由になってしまうこともありますね。

彼の態度で自分の感情や考えが決まりすぎてしまうので、相手のことが冷静に見れないわけです。

ただ、実際のカウンセリングでお話を伺っていると、そうとも限らないケースって意外と多いような気が僕はしますよ。

むしろ、彼は何かしらの理由で感情が乱れているだけで、あなたに対して塩な対応をしたいわけじゃない(結果的そうなってるけど)という場合も意外と多いので。

しかーし、なかなか「彼のそっけない態度を見たときに感じる自分の感情」についてアカウンタビリティが取れないと、「自分が見たいようにモノを見ている(自分が世界を不安を通じて見ている)」ということに気づけず、私になにか問題が?私が愛されていない?と考えてしまうんですね。

その結果、彼の気持ちを探りすぎたり、気を使いすぎて我慢ばかりしたり、彼の気持ちを変えようとして、反発されてケンカになったり、なんてことが起きることも少なくないようですよ。

まぁ、それもそうだよねぇ、と僕も思うんですけどね。

だから、ちょっと難しい話かもしれませんが、「今感じている感情は、自分が選んだものなんだな」と気づけると、目の前のできごとや人のことを冷静に、客観的に見ることができるようになるんですね。

自分の感情で判断しない分だけ、より現実が見えるといいますかね。

 

相手の気持ちに寄り添えると、自分に好感が集まりやすい

さて、ここからは少し別の話になりますが、もし人は自分が見たいようにモノを見ている、としたら、人がわかってほしい気持ちもそこにある、と考えることができます。

自分がなぜそう考えているのか、そう感じているのか。

そこにはその人なりの理由や事情があるわけですが、そこを共感できるようになると、ぐっと相手からの好意を向けられることが増えます。

特に恋愛・夫婦関係や、職場の対人関係ではこの共感力がある人には、好意や人望が集まりやすいのです。

なぜなら人は自分の気持ちを理解されると安心感を感じますからね。

この安心感を与えるコミュニケーションを行う上でも「人は見たいようにモノを見ているんだな」という理解は欠かせないものなんです。

自分の意見や物の見方、とは違うとか、同じだとか、一部重なっている、など、見つめることができるからですね。

ここが理解できていないと、相手の意見と自分の意見が違うというだけで、「なんか違う」「相手が間違ってる」「自分が間違ってる?」と勝負をつけてしまうような発想になってしまいがちなんでね。

自分と似た人はいても、同じ価値観を共有できる人はいても、同じ人はいないわけですから、違っていていいし、違っていてもわかることはある、と思えるほうが前向きですよね。

違いがわかるから、お互いの気持がより理解できるものですし。

そしてこれは自分を捨てて相手に合わせる、とまで考える必要はなくて、自分は自分なりの意見や思いがある、その上で、相手の気持ちを知ろうと思い、そこに寄り添い、共感する感じでいいんですけどね。

また、完璧に共感できるわけでもないですから、完璧さを求める必要もないのかなーと思いますけどね。

 

人と同じように物を見ていないと理解することで、感じられる愛もある

僕も何人もの優れた師匠、先輩から色々と学ばせてもらいましたけど、僕と全く一緒の価値観を持っている人はいませんでしたよ。相手からすれば僕も同じでしょう。

むしろ、僕の師匠や先輩は「君らしさを大切に」とだけ伝えてくれる人でしたね。

これもまた「君のものの見方を大切にしたらいいんだよ」と言われているようで、なんだか安心しましたね。

ま、そもそも人は違うから、同じようにしろと言われても難しいってのが本音なのかもしれませんし。

といいつつ、僕がなにか勘違いしていると教育的ツッコミをいただきましたけど、それはそれでありがたい話です(笑)

 

兎にも角にも、人は見たいようにモノを見ているし、自分と人は同じではない、ということを受け止めることって大事だなと思うんですね。

それは僕の家族もパートナーに対しても同じです。

みんな考えていることも感じていることも違うのです。

それはさみしいことではなくて、そもそも昔からそうだったんですよ。

だからお互いを尊重できるという考え方ですね。

 

しかし、自分が見たいようにモノを見ているし、自分が感じていることが自分の選択だ、と思えないと、相手が同じ気持ちではない、発想が違うことで自分が傷ついてしまうんです。

お互い違うんだから、しゃーねーな、ではなく、相手と同じではないことで分離を感じ、自分が大切にされていない気分になって、傷つくんです。

そしてそのような傷つき方をもう二度としたくないと思うと、今度は自立を強めて人と関わろうとしなくなり、互いに干渉しなきゃいいじゃんみたいな発想になるんですよね。

だから、そんなに相手も自分と関わりたくないだろうし、相手もいちいち関わられるのがうざいだろうと考えて、パートナーなのに塩レベルの素っ気なさを発揮される方もいるとかいないとか。

それほどまでに、皆自分と同じように世界を見ていると思い込みすぎているものなんでしょうね。

 

そんなときは、相手は自分と全く同じ考えや物の見方をしているわけじゃない、と理解するといいかもしれません。。

すると、なんでわかんねーんだ!なんであなたはこうなんだ!という文句は、どこか消えていくのです。

たとえば、もし僕の思いが相手に伝わらず残念な気持ちになっても、残念な気持ちはそれでいいと扱えますし、「ま、お互い違うからねー」と思える分だけ、「次、どうすればもっと分かり会えるんだ?」と考えることができて、自分が悪いんだ、間違ってんだ、と考えすぎなくて済むんです。

むしろ、自分と同じように相手を扱うだなんて、それはちょっと違うじゃんね、と思えることが、相手を理解し、もっと知ろうという意欲につながるんですよね。

 

そして、このように物事を捉えることができると、実は自分の家族、パートナー、仲間が「自分の世界ではないところ」から、自分を支えようとしてくれる、仲良くしてくれる、と思えるようになるものです。

まさに相手の明確な意思で、自分と関わってくれる、愛してくれる、支えてくれる、と感じ取れるから、世界ってすげーな、人ってすげーなぁって思えるものですよ。

やばい、愛されるってこんなに嬉しいんだ・・・と思えるようになりますよ。

だから、世界は自分の世界だけ、と思い込んでいることに気づき、お互いの世界を尊重することってとても大切だと思うんですね。

そして、誰かと同じではないことで傷つきすぎないように、自分を受けとめて認めておくことって大切なんですよね。

「互いの個と違いを認め合う感覚」が、その次の幸せや支え合いにつながっていくものですから。