恋愛・夫婦の心理学

彼の地雷を踏んでしまって気が気でない。そんなときの処方箋。

うっかり相手の地雷を踏んじゃったときの処方箋

特にパートナーシップと仕事の対人関係のご相談として多いものの一つ。

「私、うっかり相手の地雷を踏んでしまったようなんです」

それからパートナーの連絡が途絶えただの、気まずいだの、相手が気にしているようで関わりづらいなどのお話を伺うことがあるわけです。

こちらにあえて地雷を踏んでやろうという悪意(地雷だと知っていたという意味)だった場合は話は別ですけど、踏みたくもない相手の地雷を踏んでしまったなら、なんとも言えない気分になるものかもしれません。

いや、素直に謝りたいと思うけど、でもこっちも悪意なんてなかったわけだし・。

ついこのように考えてしまうことってないでしょうか。

いや、私にだって事情があるし、そんなつもりはなかったし、と考えたくなるものかもしれません。

そのお気持ちは個人的によく理解できるのですが、こうも考えられないでしょうか?

 

そもそも相手の地雷ってどこなんだ?

僕の経験上、相手の地雷ってだいたいこんなところにありますよ。

「隠しておきたいと思っている自分・過去・感情など」

まずはこれでしょうね。触れられたくないと感じている部分。いわゆるコンプレックスだったり、隠していたことなどを指摘されると嫌な気分になる。

ただ、それだけじゃなくて

「その人が大切にしているもの、価値観、人など」や、「愛情(その人なりの善意)」の場合もありますよ。

だれしも自分が大切にしているものにケチを付けられていい気分はしませんからね。

だから、バツの悪さを感じさせるものだけが地雷なのではない、と僕は考えています。

実際に様々なご相談を伺う中で、人がつい感情的になり反論したり、急に口も聞きたくない、と思うときって、嫌な部分を指摘されたことだけなじゃく、自分なりの価値観や思いをバシッと叩かれた時でもあると思うんですよね。

 

前向きな気持ちは理解してほしいもの

例えば仕事でも、自分なりに頑張ろうと思っているときに「やる気が感じられない」なんて言われると、なんだよ、と思っちゃうことに似ていますね。

もちろん、本当に頑張ろうと思っているなら、誰かにそう言われても気にしない、もしくは、そこでくじけない心も必要なんですけど、「自分の気持ちをわかってほしい」とも思うものではないでしょうか。

自分はやる気あったんだよ、という部分に共感してほしいし、分かってもらえるだけでなんだか安心することってないでしょうか。

この共感を諦めるしかない状態になると、もういい、どうせやる気なんてあっても意味ないんだわ、なんて拗ねちゃうこともあるかもしれません。

この考え方の前提条件には「どんな人もいい影響を与えたいと考えているものだ」という発想があります。

自分が例えばコンプレックスなどを隠したり、自分なりにやる気を持っているその動機ってネガティブだといい切れるものではないと思うのです。

できれば相手にいい影響を与えたいと願っているものなのでしょうね。

しかし、そこでツッコミを入れられると、気持ちが折れちゃったり、分かってもらえない感が強まってしまうのでしょう。

もちろん自己肯定感が高い人は、そんな自分を受け止めてOKを出しているので、多少人からなにか言われても気にしませんが、そうでない場合は、つい人の意見で自分の気持ちが揺らぐんですよね。

だから、人の意見に揺さぶられて不安になるわけですよ。

それが自分が地雷を踏んだとき、投影のごとく跳ね返ってくるわけですね。

自分が誰かに地雷を踏まれたら「もういいわ」と思うので、「きっと相手もそう思ってるに違いな、「どうしよう」と不安にかられ、自分では今の状況をより良い方向に導けないと思いこんでしまうのです。

それもこれも、自分には「相手にいい影響を与えられる」と感じられていない、という問題が隠れていることが少なくないんです。

つまり、地雷を踏まれた側の心の動きも同じようなものなのです。

人になにか言われ、自分の気持ちを疑ってしまうときに、いわゆる地雷とよばれるものが生じる、とも考えられます。

自分は自分でいいと感じられていると、人の意見は参考にできますし、相手はどんな意味で伝えてきたのかを考えることができます。

しかし、自分を疑いやすい状態であるとそう捉えることができず、ついどんな言葉も「自分を否定するもの」として捉えやすくなるわけですね。

そして、その自分をなかなか肯定できない、というわけです。

つまり、地雷を踏まれて嫌な気分になった方も、なんだか自分が信頼できず、気持ちが揺さぶられてしまう自分に失望してしまっているのかもしれません。

もちろんその地雷は自分のものですから、自分を認めて、しっかり軸を作ることがとても大切なことにはなるのです。

が、みんな人間ですからねぇ。

例えば、恋人や家族などの近しい人にはどうしてもニーズが出やすいですから、地雷を踏まれるとついついあからさまに態度に出てしまうこともあるかもしれませんね。

 

相手の地雷を刺激して振り向かせようという戦略

さて、話を戻しますが、「うっかり相手の地雷を踏んでしまって・・・」というご相談を伺うと、「相手の地雷を刺激して、相手を振り向かせよう」という戦略も存在します。

人はプラス・マイナス、どちらの投げかけにも興味を持ちますからね。

「自分がプラスの投げかけをし続けても、相手に反応してもらえない」と感じている人ほど、例えば、嫌味、板いところを突く、ダメなところを指摘する、などのマイナスの投げかけをして相手の興味をひこうとしている場合も少なくないんです。

それはまるで小学生の男の子が好きな女の子のスカートをめくる、ような状態ですよね。(今もそんな男の子がいるかどうかは?ですが・・・)

実はこの時「自分の影響力を信じられていない」と、ついこのマイナスの投げかけで興味を持ってもらおうとするものなのです。

いわば「自分がプラスの投げかけをしても相手に興味を持ってもらえない」と思いこんでしまっているような状態なのです。

が、そもそもそんなに無力な人はいませんよ。

だから、ね。マイナスの投げかけをするとどんどん関係性が悪くなるでしょう?

ちゃんと自分の影響力があるって、わかりませんか?

もちろん、僕たちにはどうしてもマイナスの投げかけのほうが強く響く傾向があるので、つい興味を持ってしまうものです。

また、過去に「懸命にプラスの投げかけをしたが、相手に伝わらず苦しい思いをした経験」がある人なら、その苦しさこそが最も避けたい感情になる場合も少なくないものです。

どれだけプラスの投げかけをしても伝わらない現実を見ると、本当に自分をちっぽけに感じてしまいますからね。

その結果、人によっては、本当はプラスの投げかけができるけれど、心がざわついてしまうので、日常的にネガティブな投げかけを使い、それが習慣化することもある、と僕は思うのです。

 

ただ、だからといって、好きな人、大切な人に対しても同じようなことをしてしまうなら、それこそ自分の本心に背くことになるので、自分を肯定できなくなってしまいます。

ここに最大の罠が隠れている、と僕は思うのです。

プラスの投げかけをしても伝わらない苦しさと、マイナスの投げかけをして本心を伝えられない苦しさとのせめぎあいのようなものですね。

 

このようなときは「どうして自分にはそんなにいい影響力がないと思い込んだのか」「自分がどうしてプラスの投げかけを諦めたのか・しなくなったのか」を見つめて、癒やすことがいいんでしょうね。

そこでどんな事実や感情と出会ったのか。そのあたりを見つめて感情を解放するような癒やしですね。

加えて、自分の良いところを見つめてコツコツ認めていくこと。

すると、マイナスの投げかけをしない努力より、プラスの投げかけができる自分に変化できますから。

そもそもマイナスの投げかけばかりする人も、とってもいい人が多くて、再発防止策として「マイナスの投げかけをしないように」と心がけるものなんですよね。

ただ、それが「マイナスの投げかけの禁止」となるなら、禁止は欲求を作るので、再発防止どころか、またマイナスの投げかけをしてしまいたくなるものです。

そんなときほど、「プラスの投げかけ」を増やすことを意識するといいんでしょう。すると、おのずとマイナスの投げかけは減っていきますからね。

ここではマイナスを減らすことより先に、プラスを増やす方にメリットがあるように僕は思うのです。

 

地雷を踏んだときの処方箋

もし自分が相手の地雷を踏んでしまったけれど、その人ともう一度向き合いたいと思うなら、自分のためにだけではなく、相手のためにちゃんと謝ったり、自分が本当に伝えたいことを伝えることが必要になることが多いですよ。

そもそも自分が悪意なく相手の地雷を踏んだなら、素直に謝罪できるものだ、と思いませんか?

ここでのポイントは、自分のバツの悪さを解消するために謝罪する意識よりは、「相手のことを思って謝罪する」ことです。当たり前だと言われるかもしれませんが、でも分かっていても難しいことでもありますよ、これ。

本当に相手のことを傷つけるつもりがなかったのなら、相手の気持ちを考えることなんですね。

もちろんここで加害者意識(罪悪感)を感じるものなのですが、勇気を持って相手のことを考え、理解する意識がとっても大切です。

逆の立場になればわかりますが、自分が誰かから嫌味を言われた時、相手が相手の気分のために謝ってきたとしたら、いくら謝罪があっても、なかなか受け容れられないと思いませんか?

また、自分のためだけに謝っていると、相手に自分の気持ちを伝えることがどんどん怖くなってしまいますよ。

しかし、ここで相手の気持ちを考えて「ごめんね」といえるなら、きっとあなたの伝えたい気持ちもしっかり伝えることだってできるでしょう。

だから、謝罪しない、もう関わらないという選択の結果生まれる「後悔」を手放すこともできますし、自分に対しても「やるべきことをした」と許しが入りやすくもなります。

 

ここでも自分の影響力についてしっかり見つめておくほうがいいんです。

プラス、マイナス、どちらの投げかけも伝わるんです。

その相手にあった時、どちらの影響力をまとった私でいたいか、と考え、日常の中でもプラスの言葉を使い、プラスのイメージで物事を見るなどの習慣を取り入れて着るといいかもしれませんね。

***

え?

地雷を踏んだ相手がもう関わりたくない、と言っているときはどうしたらいいか?ですって?

それも相手の意思だから、相手を理解してみるといいのではないでしょうか。

つい、自分が悪意なく相手の地雷を踏んでしまって関係がこじれると、それを取り戻したくて、自分が許されたくて、相手と関わりたいと思う場合もあるかもしれません。

が、そもそも相手だって「誰かを悪者にしていたくない」ものなんでしょう。特に親しい人、パートナーであるとしたらなおさらに。

ただ、いわゆる愛憎、愛しているからこそ、ネガティヴな出来事を通じて憎しみが湧くこともありますからね。

地雷を踏まれてもうあなたに会いたくないと言っている相手も、辛い気持ちになっているはずです。もちろんそれは相手の事情ですけど。

 

だとしたら、あなたが今できることはなにかを考えてみるといいんでしょうね。自分が傷つくことよりも、なにができるかと考えてみること、でしょうね。

ただ、もし相手に悪いと思いすぎて自分の気持が不安定になっていたり、相手のことが気になりすぎているとしたら、それはきっとあなたの中の何かしらの感情の影響です。

だから、今起きた出来事と、自分が感じている感情のバランスも見つめてみるといいかもしれませんよ。

そして、この出来事からなにを学ぶかを考えてみること。

すると、たとえ分かり会えなかった人であっても、その人との関係が自分のプラスにもなりますよ。

そもそも「誰かを自分の痛みにしない」ということができたなら、自分自身が罪悪感から解放され、他の誰かと関わっても、愛されている感、愛している感をしっかり感じられるでしょう。

一度でも縁があって出会った人を、自分の制限にするか、それとも学びにするか。

それはきっと自分で選べるのですよ。