恋愛の心理学

失恋の際、相手に縋ってしまう人としない人の差は何でしょうか?

浅野さんへの質問

いつも楽しくブログ拝見しております。

質問なのですが、恋愛、もしくは失恋の際に、追いラインをしてしまったり縋ってしまったり、する人としない人の差は何が原因なのでしょうか?

ちなみに私は相手から拒否されてるのが伝わってくるほど追いラインをしてしまい、毎回後悔し、それを謝る、という追いラインをしてしまいます。 
付き合う前だと脈なしだなと思うと全く連絡しなくなったりもします。

ちょっとした質問で申し訳ありませんがよろしくお願いします。

ネタ募集ネーム:旅行好きさん

旅行好きさん、ネタのご協力ありがとうございますm(_ _)m

いつもブログをご覧いただきありがとうございますm(_ _)m

今日はあなたのご質問にお答えしますねー。

なるほど、追いライン、すがってしまうという話ですね。

「恋愛、もしくは失恋の際に、追いラインをしてしまったり縋ってしまったり、する人としない人の差は何が原因なのか?」気になられるんですね。

ではでは僕なりにお答えしたいと思います。

よろしければどうぞ。

 

相手に縋る人としない人の差は「見捨てられることへの不安」だという視点

これはあくまで一つの考え方ですけれど(ということは他の可能性も十分あるということですが)、相手に縋る人としない人の差は「見捨てられることへの不安」にある、と考えることができますね。

この不安は、パートナーや友達など、自分にとっての「大切な人」に、少しでも批判されたり、素っ気ない態度を取られたり、相手からの反応・連絡が返ってこないと、強い不安を感じること、と捉えていただくといいのではないでしょうか。

まぁ、誰にだって大切な人からの批判や素っ気ない態度で不安を抱えることは多少なりともあると思うのですが、いわば「見捨てられる!」という不安となると、いわゆる普通の不安とは異なり、「いても立ってもいられない」といった強烈な不安を感じる人もいるのです。

この不安から逃れたいために、その瞬間、つい追いラインをしたり、相手に縋るような言動に出る人もいるのでしょう。

(※ただ、旅行好きさんはその後で後悔して謝る、と書いてくださっているので、ある程度、自分で不安を受け止めることができているのかもしれませんね。)

この不安が度を超えていると、相手に何十回もラインた電話、メールなどをしたり、ブロックされた相手のSNSを別アカウントを使って覗いては行動をチェックしたり、といった行動をしてしまう方もいるやもしれません。いいかどうかは別にしてね。

なぜそのような追いラインや縋るような言動を取るかと言えば、「自分が否定されたと思い込みやすい」から。

いわば「見捨てられることへの不安」を感じやすい人は、自分を否定的に見る傾向があり、よって、他人の些細な言動や態度の変化によって「自分が否定された(かも)」と思い込みやすい特徴があるといえます。

人によっては、相手の表情や声のトーン、メールやラインの返信のスピードなどを細かく意識しては「相手はどう考えているのだろう」と気にしてしまうこともあるやもしれません。

 

相手に縋ってしまうのは人を信頼することを恐れているから

さて、「相手に縋るのはよくない選択だと思っていても、しかし縋ってしまうことがある」というお話は恋愛カウンセリングの中でも登場することです。

ではどうして相手に縋ってしまうのか、もう少し詳しく見ていきましょう。

失恋を経験すればやっぱり多くの人が傷つきますし、そうなれば誰しも多かれ少なかれ「私は僕はこんなに信頼していたのに!」と思うものですよね。

この状態は明らかに「自分から相手を信頼してはいない状態」なのですよ。

言葉としては「信頼」という表現を使っているのですが、相手を責めているし、怒っているし、人によっては相手を罰しているのです。

平たく言い換えるなら「私は僕はこんなにあなたのことを好きだし、信頼していたのに!」という怒りを、相手にぶつけたくなっているのです。もちろん実際にその怒りを相手にぶつけても良い結果になるわけではないと思うのですけどね。

ただ、このような怒りを感じること自体は、失恋などの喪失を体験したときの感情のプロセスの一部なので、怒りを感じることはありえるし、特段おかしなことだとは僕は見ていないのです。

 

ただし、「普段から親密な関係にある人が少ない」といった前提条件がある場合、少し事情が変わってきます。

普段から自分の気持の拠り所がない、とか、些細なことでも相談できる相手がいない、となると、いわば「自分を受け入れてくれる人がいる」という安心感を得られる機会が少なくなるわけですよね。

そんな状態で特定のパートナーと出逢えば「この人こそ受け入れてくれる人」と感じたって不思議ではないのです。

意識で「そんなに相手に入れ込んだり、依存したり甘えていると、何かあったとき辛いよ」なんて風に自分にブレーキをかけようとする人もいるかもしれませんが、そうはいっても僕たちは「親密感」「安心感」が大好きなので、それを得たいと思うものでしょう。

そして今の関係に問題がなければ、まぁ幸せなのかもしれません。

が、急に相手から別れを告げられると、せっかく手に入った「親密感」「安心感」を失うと感じるわけですよ。

このときに、いてもたってもいられないような不安を感じるのでしょう。

こうなると「相手はなぜ私から離れようとしているのか」を冷静に見ることが難しくなります。自分に理由があるのか、相手の事情なのかを見極めることが難しくなるのです。

不安ばかり感じて、「今何が起きているのか」を見過ごしてしまうので、なかなか関係の修復が困難になってしまうんですね。(ま、冷静になると「やっちまったー」と後悔するようなことをしてしまうというわけです。)

そう考えると「普段から親密な関係にある人が少ない」という前提条件があると、失恋時の追いラインや縋ってしまうような言動に繋がりやすい、と言えるかもしれません。

普段からの人との関わり方、つながり方がポイントになるのです。

あえてネガティブな書き方をすれば、いわば追いラインや縋ってしまうような言動を(辞めたほうがいいと分かっていても)とってしまう人は、他人を信頼したり、自分と同じように他人にも温かな心があるのだ、ということを理解することが難しくなっているのかもしれません。

ただし、人を信頼できずにいるにも事情があるものですから、自分自身がそのような状態にあっても自分を責める必要はないのだろう、と僕は思うのです。

むしろ、どうしてそこまで人を信頼することが難しいのか、その事情を見つめて解消していくほうが前向きなんでしょうね。

 

ちなみによくこの手の話をさせていただくと「信頼できない自分が悪い」と思っておられる方と出会うことが多いですけど、別に悪いわけじゃないんだと僕は思うのですよ。

信頼したいけどそれが難しいということは、それ自体が悪いのではなく、自分が辛いのです。そして「相手に悪い」と思うのでしょう。

これは加害者意識です。

ここをまっすぐ理解できるなら、辛いけど相手の様子や自分が表現したい素直な気持ちが見えるのです。

が、ついつい「やっぱり私がダメなのかも」と被害者のポジションを取りたくなるのですよ。どうしても被害者意識より、加害者意識(罪悪感)を感じている方がキツイから。

そして、そのポジションから相手に償おうとするのですが、実際は何を償えばいいのか分からなくなるんですよね。

そもそも被害者意識は「自分は被害者で相手が悪い」という意識なので、そりゃ何をしたらいいか分からなくなるのは当然なんですよ。

ここでいわば「相手のために何をしたらいいか分かっていない自分・何もできない自分」と出会ってしまうのです。

こうなると更に自分を責める理由が出てきますから、まぁ相手を失ったときのダメージが大きくなる、ということなんだと僕は思うのです。

ただ、このような事情を何かしらの至らなさとして理解することは、僕は違うよね、と思っています。

むしろ、僕たちにとって人を信頼できなくなるほうが辛いことですし、喜びがなくなることですからね。

人を信頼しないということは、悪気がないにせよ、人を敵として見立てているようなものです。

つまり、失恋時に追いラインをしてしまうのも、縋ってしまうのも、相手を「私を愛さない人」、つまり敵のように見立てているから起きることなんでしょう。

 

だからという話ではないのですが、実は失恋時に相手に縋ってしまいやすい人ほど、普段は逆に「自分から離れる」「相手を突っぱねる」といった行動も取りやすいという傾向があるのです。

縋ってしまうほど相手に期待したり、受け入れる前に、さっと引くのです。

それぐらい傷つくのが怖くて、傷つく前に、自分から別れを選択するのだとしたら、ここでも相手を敵に見立てている(もしくは無関心さを使っている)ということだとも考えられますね。

ゆっくりと着実に心の傷を癒やしながら、人との信頼関係を創ってみよう

さて、このような見捨てられる不安を感じやす人は、そうなる事情を抱えていると書きました。

多くの場合、子供の頃、親に見捨てられるような、突き放されているような経験をしている方が少なくありません。すべての人がそうだとはいいませんけども。

例えば、

子供の頃、両親がいつも喧嘩をしていた。
母親(もしくは父親)が家を出て行った。
親が感情的で、いつ怒るかわからず、ビクビク怯えていた。
自分が何をしても否定された。
兄弟の中で自分だけあまりかまってもらえなかった。
親があまり家にいなくて寂しい思いばかりしていた。

どのような事情であれ、心理的に「受け入れてもらえなかった」という思いを抱えていることが少なくないかな、と僕は見ているのです。

それが「見守ってもらえていない」という不安になり、安心できる人、親密な人に縋る理由になる、という感じです。

ここに「そうするしかない事情」があるのだろうと僕は思うのです。

だから、自分を責めてもしゃーないのです。むしろ責められないとさえ僕は思うのです。

が、これが、大人になってからの恋愛、対人関係の中で、人を信頼できず、相手に縋ってしまう理由になっていくことがあるわけですから、ちょっと切ないけど「自分のこと」として向き合うことがポイントでしょうかね。

ちなみに、この状態をより良い方向に変えていくには、自分の感情を整えることと、実際に人との信頼関係を構築することがポイントかなーと思います。

もちろんムリのない程度から始めていただきたいのですけどね。

例えば、自分の気持ちに意識を向けて、自分の感情を整えるような行動を取り入れてみる。

「今、自分は何がしたいのかなぁ?」
「今、自分はどんな気持ちなのかなぁ?」
「本当はどうしたいのかなぁ?」

時には「自分は今、なぜそんな気持ちを感じるのか?」といった意識でもいいのですが、自分の気持ちに意識を向けて、自分を満たしていくことも大切なことですよ。

そもそも人に縋ってしまいたくなるときほど、自分で自分の価値や意味を感じられなくなっているものです。価値や意味を感じられていたり、充実感を得ているなら、おそらく縋ることはないでしょうから。

だから、自分を満たす、自分を喜ばせることに意味がある、と言えます。

が、自分を満たすということを通じて、人を突き放したり、批判したり、競争してもあまり意味はないのですよ。

いわば自分を満たすことに罪悪感を感じて(犠牲が正しいと感じて)、自分を癒やしているはずなのに「敵」を増やしてどうするよ、という話なのです。

が、いわゆる相手に縋ってしまう人の中には「大切なものを失うぐらいならば」といった(表現はどうかと自分でも思いますけど)特攻精神のようなものを持ち合わせている人も少なくなく。

「失うぐらいだったら(相手が敵になってしまうぐらいなら)もうどうにでもなれ〜、縋ってしまえ〜!」と、分かっちゃいるけどやめられない、と感じてしまう人もいらっしゃるようですよ。

実際、僕自身そんなお話を伺ったことは一度や二度ではありませんしね。

だからこそ、普段からちゃんとつながれる人、信じられる人を作ること、「信頼関係」を構築することにチャレンジしてみるのもいいですね。

信じることは「信じているのにどうして」ではなく、「まぁ自分が相手のことを好きなんだし、この相手にNoと言われたらしゃ〜ないわなぁ(信じたのは自分の選択)」と思うことなので、縋ることの真逆なんですよ。

このように「自分には価値がある」「自分の選択に意味がある」といった発想をベースとした行動を取ることがポイントなんです。

とはいえ、なかなかその気にならないこともあるかもしれませんが、もし「自分を変えるぞ!」という意識を持っておられるならば、チャレンジしてもいいかもしれませんね。

例えば

日頃から人に感謝する習慣をつける(恥ずかしいけど)
目上の人を尊敬して支援やアドバイスを受ける(最初は癪にさわるし怖いけど)
後輩の面倒を丁寧にみる(これは意外とスンナリ行けるんじゃないかと思いますが)

なんてことをしていくと、信頼感や人と人とのつながりを感じやすくなるでしょうかね。

最もシンプルな方法は、気持ちのいい挨拶を欠かさず行う、ということですね。

これらは自分から相手に何かしらの信頼のアプローチを行うことに意味があります。

ただ、あえて難しい人、苦手な人とつながろうとしないことですね。それは誰にとっても難しいことなので。つい完璧主義に陥っている人ほど、難しいことからチャレンジしようとしますが、基本は「小さな成功体験の積み重ね」が重要ですのでね。

と、今日はそんな感じでございます。

なにか参考にしていただければ幸いです。

カウンセリングを利用する
カウンセリングを受ける

本当の幸せを見つめる・見つけるカウンセリングが人気!
心理カウンセラー浅野寿和のカウンセリングのご利用方法はこちら。

カウンセリングのご案内ご予約可能時間のご案内