恋愛の心理学

辛い恋愛にコミットメントしてしまう人の心理 〜依存的だった自分を許すという視点〜

辛い恋愛にコミットメントしてしまうというご相談

辛い恋愛にコミットメントしてしまう女性カウンセリングの中で

「私は彼にコミットしているんだけど、恋愛がめっちゃ辛い」

という話を伺うことがあります。

友達に相談すると「その彼と止めといたほうがいいんじゃ?」と言われるし、自分でもそう思うけど、しかし何度も同じような彼や彼女を選んでしまうというお話ですね。

そこで今日は辛い恋愛を選び続ける人と「コミットメント」についての考察から、どうすりゃ辛い恋愛を卒業できるのよ、という話をまとめてみます。

よろしければどうぞ。

コミットメントとは

みなさんは「コミットメント」という言葉を耳にしたことがあるでしょうか。

最近では「結果にコミット」なんて形で使われることがありますよね。

「コミットメント」とは、「関与する」「結果を約束する」「決める・決断する」という意味です。

恋愛では「この人と一生やっていくんだと決めること」です。

言葉の意味だけを解説するならば、このような意味となるわけです。

また、「コミットメント」する意味としては、以下のようなことが考えられます。

「僕たちの心はコミットメントすること・コミットメントする対象があること(出会うことによって安定する」

どこか気持ちがブレにくい、不安を感じにくい、いわば一貫性のある態度で過ごせるということなんですけどね。

辛い恋愛にコミットメントしてしまう心理

辛い恋愛にコミットして傷つき続ける女性

実は恋愛にまつわるご相談の中に

「辛い恋愛にコミットメントしてしまう」という皆さんと出会うことがあります。

これは「依存的な自分を許すことができていない」ことによって生じる問題であることが多いです。

例えば、僕たちがものすごく好きになりそうな人と出会ったとき。

「もしこれ以上、彼のことを好きで大切だと思ってしまったら、彼のことが好きすぎて不安になったり、彼の言いなりになったり、彼に振り回されてしまうのでは?」

「もしこれ以上、彼女のことを好きになって、それでフラれてしまったら、ザクザクに傷ついて立ち直れなくなってしまうのでは?」

そんな不安を感じることってありませんでした?

実は、この不安の正体は自分への疑いや罪悪感であることが多いんです。

要は「自分は好きな人との関係でひどい目に合う」と思っているってことですからね。

だから

「本当にこの人でいいの?」
「もっといい人がいるのでは?」

そんな「相手への疑い」を抱いてはコミットメントを怖れるようになることもあるのです。

自分がひどい目に合うと感じているとしんどいので、他責的に「相手が本物ではないのでは?」と疑うという状態ですね。

その結果、「相手が愛してくれたなら、私もあなたを愛するわ」と相手に条件をつけてしまう人も出てきます。

もちろんそう思う気持ちはわからないわけではないのですが、この時点では「自分がコミットしていない」わけです。

愛していなかった自分が許せない

で、ここからが重要な話。

すると、今まで愛することにコミットしていなかった自分への反省をする人が出てきます。

「相手を疑って、愛していなかったのはわたしの方だった」

そう思うことは一つの大きな気づきです。

いつまでも相手が愛してくれないと思っていても疑いの罠から抜けることができませんから。

ただ、もう昔のような依存的で好きな人を疑う自分になりたくないという思いが強く残ってしまうと

「自分は愛されてはいけない」

という思いを強く抱くようになります。

要は、今までの自分はろくなものじゃなかった、と捉えているわけですね。

だから

「めっちゃ好きな人とは距離を置く」
「自分がコミットできる人(相手はコミットしてくれなくても)を選ぶ」

なんて恋愛が登場するようになるのです。

これはちょっと難しい話なんですけど、過去の自分を許せずさばき続けているとこんなことが起きるのです。

その結果

「相手がわたしにコミットしない人でもいい。わたしは好きな人を疑わない自分でいたい」

と思うようになるのです。

これもまた自分を悪いものとして扱う罪悪感の影響と言えるんですよ。

辛い恋愛にコミットメントする自分を変える方法

辛い恋愛を続けることから卒業する

辛い恋愛にコミットメントする自分を変える方法は、自分への「許し」を進めることになる場合が多いです。

特に真面目で愛情あふれる女性の皆さんがハマりやすい罠でもある

「実は自分が愛していなかった、相手にコミットしていなかった自分への反省で生じる罪悪感」

これをなんとかする「許し」を進めることは

幸せな恋愛にコミットするためにとても重要なことですよ。

子供時代は依存的であって普通とも言える

要はですね。

僕たちには依存時代(依存的なマインドを持っていた時代)があって、その当時は「愛してくれて当たり前」と思っているんですよ。

特に子供時代はそんなものなんですけどね。

いわゆる依存的な自分への反省が強い、いわば真面目な人は

「私が愛していなかった」「私が相手のためになっていなかった」

と感じやすいんです。

その結果、過去の依存的な(非力な)自分を完全な悪者にしてしまうんですね。

「あんな依存的だった自分が悪いんだ、未熟なんだ」と。

このような反省(自分を責める気持ちではないですよ)は、僕たちの心の発達のためには必要なものでもあるんです。

が、もう十分学びを得たにも関わらず抱え続けていると、先に書いたような辛い恋愛に身を投じる事にもなりかねないんですね。

よって僕から

「もういいんじゃないでしょうか。十分あなたは理解されていると思いますよ。」

とお伝えすることにもなるわけですね。

 

確かに「私が愛していなかった」という事実を受け止めることは辛いものです。

が、そこから学びを得られたなら、過去の自分を許していっていいのです。

いつまでも「コミットできなかった自分」「力なき自分」にこだわって、自分を罰していても、ほんとうの意味での幸せにコミットは難しくなるんです。

最後に

いかがでしたでしょうか。

特に、いつも辛い恋愛、相手にコミットしてもらえない恋愛を続けている方がいらっしゃったならば、今日のコラムはお役に立つかもしれません。

今のあなたが

「過去の自分をどう見つめているか」

そのあたりにフォーカスして、少し自分を見つめ直していただければいいんじゃないかなと思います。

そして、なかなか自分を肯定できないならば、そのあたりのテーマに取り組んでいただいてもいいかもしれませんね。

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