甘えと依存の違いって何ですか?|読者さんからの質問に心理カウンセラーが答えます
こんにちは。
心理カウンセラーの浅野寿和です。
読者の方からご質問をいただきました。
今日はその質問に答えてみたいと思います。
テーマは「甘えと依存の違いってなに?」です。
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いただいたご質問はこちら
こんにちは。ブログ拝見しております。
色々そうだったのかと思う事があり参考になっています。
気になっていたのでお聞きしたい事がありメールしました。
よろしければ取り上げて下さい。
「甘えることが苦手な人の心理」と言う記事がありました。
甘えるってどの程度が甘えなのかと思いました。
必要な事の助けを求められないのと依存的な甘えは違うと思いますが、それがどの程度から違うのかよくわかりません。
特に恋愛で甘えと言うと構ってちゃん察してちゃんの依存的だと思います。
少し前までの恋愛観では、女は男に頼って甘える物と言われていました。
最近の男性は感情的な構ってちゃん察してちゃん女はうざいと言います。
何なんだ?正反対じゃないか。
今まで甘える女が得とか恋愛上手なんて言われて、甘えられない女はかわいくないだの恋愛下手だの言われていたのに。
甘えって結局構ってちゃんで自分の事ばかりの女じゃないかと。
私は小さい時から甘えさせてもらえず、無理にしっかりしようとして感情を出せなくなりました。
小さい時は甘えたかった。
しかし、元から論理思考的だったのか感情論的な構ってちゃんが苦手です。
感情論は言わないし構ってちゃんでもなく、相手の事を考えられる、周りを見て判断できるらしく恋愛は上手く行く方です。
ベタベタ甘える距離が近過ぎるのは苦手です。
お互い違う人間なんだから、適度な距離感も一人の時間も必要だと思います。
その時々の事情もあるから、急にキャンセルされたとかでも仕方ない、他を優先しなければならない時もあるんだと思います。
相手のプレッシャーにもならず気楽みたいで、相手からも色々返してもらえます。
だから長期的に上手くいくのかもしれません。
別に無理をしている訳でもないのですが…。
昔はこう言うのを相手に近付くのが恐いからとか女性性の拒否とか、甘えられないからとか言われました。
別に女性性を拒否していないし、女らしいやわらかさがあると言われます。
そもそも甘えって何ですか。
どのくらい甘えればいいんですか。
甘えと依存の違いって何ですか。
私は甘えたいのを抑えているんですか?
昔のステレオタイプの恋愛観がどうしても合いませんでした。
しかし今では構ってちゃん察してちゃんな女が恋愛が上手くいっているようには見えません。
私はこれで結構上手くいく方ですが、無意識に甘えを抑えて無理をしているんですか?
甘えって何をすればいいのかわかりません。
小さい時と大人になってからは違うんだし…。
なぜそんなに構って察してと依存的に甘えたいの?
上手くいっているはずなのに、周りの恋愛観と合わずに孤独です。
これで伝わるかなと思いましたが、思いついた時に送らないとタイミングを逃すそうですのでこれでお送りします。
教えて頂けましたら幸いです。
ネタ募集ネーム:ゆうさん
「恋愛はうまくいく」のに、周りの価値観と合わずに孤独
ゆうさん、ご質問ありがとうございますm(_ _)m
ご質問拝読して、いろんなことを考えました。
一言で言えば、個人的に「分かるわぁ、この感覚」と思いましたけれども。
無理に同調しようとしているのではなく、僕も自分の師匠から「おまえは自立が強すぎる」と言われ続けてきた人間でして(笑)、甘えってなんやねん、とよく考えていたからですけども。
僕のように心の世界で長く仕事をしていると「もっと人を頼る・アテにしましょう」という言葉はよく聞きますし、そこと女性性云々という話がつながって用いられることも知っています。
が、これは僕の肌感覚ですけど、「人を頼ること」と「甘え」と「甘ったれ・甘やかし」は違うものなんですね。
ゆうさんの言葉をお借りすれば「構ってちゃん」。
その「構ってちゃん」の部分が、いわば一つの演出(ペルソナ)で、「そうしている方が男が喜ぶ」と思ってやってる人がいるなら、そりゃ高度な演出だなぁ、と思ったりもします。
が、素で「構ってちゃん」だとしたら、話はちょっと変わるかな、と。
まぁ、このままですと余談が長くなりそうなので本題に入りますけれど、今回は「依存と甘えの違い」についてまとめてみます。
ただ、「周りの恋愛観と合わずに孤独です」という言葉が、最後に出ていますよね、ご質問の中に。
うまくいっているのに、孤独。
ここも少しだけ触れていこうと思っています。
甘えとは何か
心理学者の土居健郎先生の「甘えの構造」という名著があります。
その本の中でも甘えに関して触れられていますけどね。
僕なりにまとめた「甘え」とは、「私はあなたに受け入れてもらえるはずだ」と、相手の好意や関心をあてにできる心の動きのようなものです。
これ、未熟さや弱さとは言い切れないと思いますよ。
むしろ、人が安心して誰かとつながるために必要な心の働きです。
そもそも相手のことを信頼していたり、好意的に見ていない限り、つながろうとは思わないでしょうからね。
ただ、甘えには2つの形があるといえます。
- 素直な甘え:相手との信頼関係の中で、安心して受け取る、頼る、委ねる心。
- 屈折した甘え:受け取れない、言えない、でも察してほしい、満たされないと拗ねる・怒る・要求がましくなる心。
いわゆる「構ってちゃん・察してちゃん」とか「今日はめんどくさい女になってやんぞモード」っては、この「屈折した甘え」が形になっている状態といえるかもしれない。
甘えたいと言えないから、別の形で出てくる、というか。
「それ、甘えというより、今日はあいつに私の気持ちを分からせてやる」みたいな怒りちゃいますの?と思うこともありますし・・・。
・・・もちろんそれを意図的に引き起こしているなら、なかなか興味深いなと思うだけなのですけども。
甘えと依存の違いについて触れておきます
甘えは「受け入れてほしい」という情緒的な欲求と言えるでしょうね。
一方、依存心は「自分では不安だから、相手に支えてほしい」という支えの求め方全般を含みます。
甘えより広い概念、ということですね。
依存心とは、自分で自分を支えられないから外側になにかを求める気持ち、と言えます。
たとえば、自分で料理が作れないからデリバリーする、みたいな気持ちも、依存心といえばそうなります。(それがすぐに問題になるとは思えませんが)
ただ、対人関係や恋愛・夫婦間の文脈に置き換えれば、「信頼して頼る」「共生する」という形とはちょっと違う。
つまり、甘えが「依存」になりえるとしたら、「相手なしでは自分が成立しない」という状態になったときだと思います。
そして、「甘やかし」とは、これとは少し別の話なんですよ。
ここがゆうさんのご質問の「どこまでが?」と書かれている「程度の問題」につながるんでしょうけども。
「甘やかし」とは、「相手が望んでいるものとは違う物を与えること」です。
たとえば、小さな子どもさんがお母さんに抱っこをせがむ。でも、お母さんは他の兄弟の面倒を見ていたり、ご飯を作っていて、今は無理。
そこで「(今は)ちょっとおもちゃで遊んでて」という、としたら。
このおもちゃが「甘やかし」になるわけですね。
そこで抱っこをするとしたら、子どもの依存心を受け入れ満たす、ということになる。
この甘やかしは、形を変えると「本来自分で引き受けるべきことまでこちらが与えてしまう」ということにもなりえます。
たとえば、本来は子供さんにさせるべきことを、親がやってしまう。
一見やさしく見えて、相手のニーズを満たさなかったり、時には相手の力を奪う場合があります。
そういった意味で「甘えさせること」と「甘やかすこと」は違う、と言えるんです。
あと、「甘えたい」と「甘ったれ」は違う、ってことにもなりそうですよね。
とはいえ、甘やかす人も悪意があるわけじゃないのでしょうけども。
たとえば、相手を沼らせるために「甘やかす」ってこともありえるのかもしれませんが、それが戦略的なものか、それとも本当に善意なのか、で、話が変わってきますしね。
また、相手の依存をどこまで許容するかって、どれだけ好きか、とか、自分の価値観、心のあり方、キャパシティなどが影響するので、人それぞれだよね、と思います。
元カレのAくんには依存してもOKだったけど、今彼のBくんには嫌がられた、ということは大いに有り得る。
それは個人差であって、概念的な何かの話じゃない気がしますよ。
恋愛観が合わないと孤独ですよね、確かに
ゆうさんは恋愛がうまくいく。相手を思いやれる。適度な距離感も大切にできる。
それは本当のことだと思います。
それに、人それぞれ恋愛観やスタイルがあって、それに合う合わない、という人がいるだけなんでしょうし。
確かにステレオタイプの恋愛観ってものも存在しますが、全員がそれに当てはまっていたらめっちゃ怖い世界でもありますし、僕も確実に当てはまらない男です(笑)
ただ、「恋愛観が合わない」と孤独ですよね、確かに。
そこはなんか個人的に分かる気がします。
そこを踏まえて、あえて一つだけカウンセラー視点で考えるとしたら。
人やパートナーとの関わりの中で、心が開放されている感覚があるかないか、ぐらいじゃないでしょうか。
自分の価値観はそれでいい、と思える。
けれど、共有がなかなか難しい、ということもあるので。
この「共有」って部分が、僕たちの心のあり方をけっこう変えてしまうことがありますしね。
「え、自分の感じ方って他と違うの?」と分離感ばかり感じていたら、そりゃ不安だって話なんですけど。
人と違うのは当たり前、でも、同じ視点、見方、考え方を分かち合えることにも意味があるって感じでしょうかね。
あと視点は変わりますが、「よかった、楽しかった」と思えそうなときでも、どこかで閉塞感に似た感覚を感じる人もいるんですよ。
今の関係がうまくいく、維持されていることと、「心が開放される」ことが必ずしも一致するとは限らない。
こちらの心が解放されなかったとしたら、相手、つまりパートナーのマインドに影響する可能性があるんです。
相手の与えてくれるもので心がほどけたり、解放されたり、感情的にほっとできたり、嬉しいって思えたり・・・。
そういった反応って、受け取るという意味での「与えること」なんですよ。
いい形のキャッチボール、といいますか。
そこがうまくいけば、より関係は親密に、絆が強固になるよね、安心感も増すよね、お互いに、って話なんですけどね。
つまり、「なかなか相手の好意を上手に受け取れないっす」という大人ならではのお悩みってものも存在しまして。
その視点で見ると、「甘えたい気持ち」と「でもそれって良くないことなんじゃないか」という理性との衝突があって、
「ええぃ、めんどくさい、とりま与えていたらなんとかなるだろう」
と頑張っていたけど、なんか関係が壊れないまでも、つまらなくなってきたぞ、みたいな話はあるんですね。
あと、「自分がこの人のそばにいる意味ってなんやろ」みたいに感じてしまうようになった、とか。
こういった話は関係を長く維持しないと分からない話でもあるんですけど・・・
いわば、「受け取る」ということに関する抵抗から生まれていることが多いので、まぁ、心の話界隈では女性性云々と語られることが多いのでしょうね。
ある意味、この世界での「古典落語」的な話だよね、と僕は思っていますけど。
ただ、それが今も引っかかるなら、何かしらの反応がまだ残っているのかもしれない。
甘えたい気持ちが行き場を失っているとしたら、それは「甘えを抑えている」というより、「甘えをどこに届ければいいか分からない」という状態に近いかもしれないですね。
最後に
これは僕の肌感覚ですが、一般的に甘え、依存という言葉はネガティブに響くことが少なくないんじゃないかと思っています。
自分にとっても他人にとってもよくないこと、というスキーマがある、というか。
だから、ゆうさんのご質問にある「私は甘えたいのを抑えているんですか?」というご質問に僕なりにお答えするなら、こんな感じです。
「そりゃ(ほとんどの人が)そうなのではないでしょうか?」
もちろんその気持ちを、不満や文句に”しすぎる”と問題になるんでしょうが、昇華する方法も知っていらっしゃるのでは?と思います。
たとえば、相手を喜ばせることや与える喜びを知っている感じ、とか。
ただ、あまりに依存心を禁止ししすぎている、とか、受け止めすぎて今が息苦しい、気持ちが晴れない、なんかつかれる、みたいに思うなら、ちょっと自分を見つめ直してみてもいいと思うのですけどね。
また、甘えも依存も、子供っぽい形だけではなく、大人ならではの形ってものがあると僕は考えています。
愛し合うこと、理解し合うこと、尊重すること、体を重ねること・・・
そういった形でも満たされることが十分にありえるし、そこじゃないと大人になった僕たちのマインドにそぐわない、ってこともあります。
ま、なにが良くてなにが悪いって話じゃないんですけどね。
もし、依存が問題になるのは、それが過剰になることや、その形態が、拗ねる、試す、黙る、察してもらおうとする形に変わるときかな、とは思います。
ゆうさんはそのどちらでもなく、ただ「甘えって何だろう」と真剣に考えていらっしゃる。
その真剣さの中に、きっと大切なものがあると思いますよ。
今日の話、どこか引っかかりましたか?
こちらの記事も続きにどうぞ
このうまくいかない恋愛には、 必ず理由があります。
ただそれは、あなたがダメだからじゃない。
その話、聞かせてもらえませんか。
恋愛の悩みは、 話してみると意外と整理できることが多いもの。
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