夫の「俺なりに気をつかってる」が、ことごとくズレている件|幸せの設計図が違うという視点
こんにちは。
心理カウンセラーの浅野寿和です。
今日は、こんなテーマです。
夫の「俺なりに気をつかってる」が、ことごとくズレている件。
・・・あ、今、深くうなずいた方。
はい、あ、そこのあなたですね。
・・・先に言っておきますけど、今日は夫をディスる回じゃないですからね。
むしろ、ズレたくないのにズレる、そんなパターンに、そっと光を当てる回でございます。
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気をつかってる「方向」が違う、という現実
たとえば、です。
こっちが、仕事も家事も育児で、もうヘトヘトで。
「あー、今日ほんとしんどかった」ってこぼす。
すると夫が、気をつかって、こう言う。
「じゃあ、今日は無理しないで、早く寝たら?」
・・・まぁこれは分かりやす過ぎる例ですけども。
なんか「そうじゃない感」が残りますねぇ。
今、欲しいのは「寝て」という具体じゃない。
「そっか、しんどかったね」の一言。
なんで解決しようとするの。
誰も解決を頼んでないのよ。
この手の話は夫婦関係における古典とも言えるほど、普遍的にあり続けるものかもしれません。
時代が令和になっても変わらん、というね。
ただ、気を使っている夫は、けっこう真面目なんですよ。
「妻が疲れてる→休ませてあげよう」という、彼なりの、まっすぐな善意。
ま、そこはすでにご理解されている部分だと思うのですけど。
「夫が気をつかった結果、増える家事」という既知の事実と出会った衝撃
「たまには俺が料理するよ」と、夫が言い出す。
「おお、なにかあったか、夫よ」と思う妻。
で、作ってくれる。それはいい。ありがたい。
・・・けれど、かつてファーブル昆虫記を読んだ頃を思い出すがごとく、誰かがどこかで言っていた男性の生態そのままを再現する夫がいる。
使った鍋、洗ってない。油、はねっぱなし。調味料、出しっぱなし。冷蔵庫、とりあえず漁る。なんなら「あれ、どこにある?」って5回は聞いてくる。
トータルで見ると自分でやったほうが早い・・・という話ではない。
そんな愚痴を言いたくなるほど、アタシの心は狭くない、と思う。
問題は、「なぜ予想を覆さないんだ、夫よ」にある。
気をつかって、料理してくれた。
その気持ちは、うれしい。
ただ、「こっちの家事が増える」というどこかの誰かが雄弁に語っていた事実を、ほんまに、本当に、目の前の「私の旦那様」に再現されることの衝撃。
SNS全盛の昨今では、男性の生態をご存知な女性はとても多いけれど、まさか自分の身に起きるとは思っていない、というか。
SNSの中の誰かの話だったはずが、目の前で繰り広げられると・・・。
うーん、なんか目眩するかも。おやすみなさいzzz
では、なんでこんなにズレるのか
ここからが本題です。
なんで、こんなに、ズレるのか。
これね、たぶん、「気の利かなさ」の問題じゃないんです。
気が利かない、という表現は非常にファジーで(久しぶりに聞いたぞ、この言葉。)
そもそも「気が利かない」というのは他者の視点であって、本人視点の話ではない話なんですよね。
そうではなく・・・夫と妻とで、「幸せのために必要なものと認知されているもの」が、そもそも違うからズレる。
ここを「おめー、気が利かないな」「空気読めないな」と言うと、後々揉めるかなぁ。
「じゃ、自分の口で言えばいい、やってほしいことをさ。言わなきゃわかんない。」
「へ?言ってるじゃん、ずっと。なんでわかんないの?」
この手の口論が続いて、美しいシュプールを描くレベルでのパラレル感だけが残ることでしょう。
「幸せに必要なもの」が、違っている
じゃ、このパラレル感は何を示しているのか、というと。
多くのご主人さんは、たぶん、こういう発想を持たれるのかもしれない。
「マイナスがあるなら、それを、きちんと埋めたい」
「役に立つことをちゃんと届けたい」
妻が疲れてる、というマイナス。
家事の負担、というマイナス。
困りごと、というマイナス。
それを見つけたら、埋める。解消する。
それが「幸せの設計図」になっている感じ。
リスクやマイナスを一個ずつ潰していけば、幸せに近づく、という発想、あながち間違っていないと思いません?
だから、「早く寝たら」と言う。マイナスを埋めにいってる。
しかし、奥さんのほうは、そう感じていない場合もある。
まず、関係や気持ちの安定。
それが先。
基礎工事のない建築は危険過ぎる、という発想ですね。(こう書くと分かりやすいかな、と思いまして。)
「私たち、大丈夫だよね」という土台。
心理学では「絆」とか「情緒的なつながり」とか言いますけどね。
その土台があって、はじめてハッピーな気持ちや事実を積み重ねたい。
でも、夫は土台を無視して、いきなり大黒柱だの壁だの屋根だの工事しはじめようとする(ように見えている?)としたら・・・。
そりゃ危なっかしくて、「いやいや、アンタ何してんのさ?」となる。
しかし、そう言われた夫は「役に立つことしてんのにdisられた」と思ってしまう。
そもそも土台なんて・・・一緒にいるんだから、それが証拠だよね?と。
まぁ、雨風凌ぐために壁や屋根はたしかに必要です。
しかし、地震が来たらどうすんの?というツッコミも分かる、というか。
つまり、パートナーシップの安定には、経済的な要素も、物理的な要素も絡みますけど、「気持ちのつながり」という土台が先だという話は、確かに僕も納得できるわけでしてね。
「幸せはその上に乗るものじゃないんですか!」というお話をうかがうたびに、まぁその通り過ぎる話ですね、と思います、ハイ。
ただ、マイナスを埋めることが幸せへの道である、という考えも間違いではないのかな、と。
・・・この二つ、間違っていないけど、まるで違うってことですね。
だから、埋めても、埋めても
多くのご主人さんは、妻を喜ばせようとしながらも、一生懸命マイナスを埋めています。
疲れてるなら休ませ、負担があるなら減らし、問題があるなら解決する。
彼なりに、全力の優しさをもって。
でも、妻からすると、「それは分かってる、みなまで言うな」という話になっている。
マイナスは埋めてくれた。
でも、いちばんほしかった「気持ちの土台」には、触れてもらえてない。
「それは、私に触れたくないってこと?」まで思う人もいるかもしれない。
そこで「そんなことない」と夫に否定されればされるほど、疑い深くなるのは、ある意味人間らしいサガですよね。
「・・・この人は本当に私との関係を大切にしようとしているのかな?」という疑問。
持つのも嫌だけど、しかしザラつきながら残る、というか。
だから、「やってくれた」のに、「ズレてる」と感じざるを得ない。
これは不満でもわがままでもなく、「かゆいところに手が届いていない問題」なんですね。
マッサージで言えば、「背中が凝ってます」と伝えたのに、ずっと足を揉まれている感じ。
・・・嫌がらせ?って思いません?
かつ、「いや、背中が凝っているんですけど」と伝えても、「お客さん、やっぱ足っすよ、足。ここが大事だから」と言われてしまうと・・・。
これが「心の置き去り感」なんすよね、きっと。
でも、夫は夫で、理不尽に感じるんですよ。
「背中より足のほうが大事なんだって、なんでわかんないんだよ。俺はちゃんと調べて先回りしてんだ」ぐらい思うかもしれない。
そこまで考えて書かれた夫の設計図は、おそらく妻への思いしかない。
でも、今、凝ってるのは背中。かゆいのはそこじゃない。
そういう話って多いと思いますよ。
よって、結論「誰も悪くない」からスタートする必要があるみたいなんですね、パートナーシップって。
逆に言えば、今ある問題や対立理由は、この「誰も悪くない」からつながっていく「本当はつながりたい、分かり合いたい」に向かうための入口だった、という話でもあるのかな、と。
とはいえ、「こんな入口、いらんのですけど・・・」というお気持ちも分かりますけどね。
じゃあ、どうすればいい?
よって、「夫に(妻に)わかってもらうまで伝えましょう」とか、そういう話って、僕は局所的にマイルドに使うんですよね。
「ここは伝わっていないみたいなので、こう伝えてみては?」みたいなふうに。
それ以上のことを僕からお伝えするのは、なんだか違う気がしていましてね・・・。
ただ、本当のテーマは別にあるのかも、とは思っていたりします。
結論だけを書けば「相手が私のことをどう思っているか」を信頼する必要があるんです。
ただ、ダイレクトにそこを整えようと思っても、よほど自分のことが好きな人でない限り、難しいこともあるのかな、と。
僕たちは基本、自分をけっこう厳しく見ていますからねぇ・・・。
なので、「私は私のことをどう思ってんの?」という部分がキモになります、まずは。
ここを整えるために「もっと愛してあげましょう」という話がわんさかでてくるわけですよ。自分から愛せば、そんな自分のこともっと肯定的に感じるでしょ?という意味で。
ただ、実際のカウンセリング現場では、「すでに愛してきた」という方も少なくない。
そうなると、この話はちょっとズレるんですよね。
そこで僕が持ち出す視点は、こんな感じです。
「自分が見ている世界を整える」。
夫のズレを見たときに「はぁ、また外してる」と思うのは普通です。
妻のズレを見たときに「なんなんだよ」と思うのは普通です。
何ら不自然なことではない。
ただ、
「あ、この人は、この人の設計図で、私を幸せにしようとしてるんだな」
だから、
「なるほどね〜。私の(僕の)設計図、ちゃんと相手に伝えないとズレるんだなぁ」
最後の最後は、男女の違いを理解する、というよりも・・・
「私以上に私のことを大切に思ってくれている人がいるらしい(全て理解されているかどうかではなくね)」
というまなざしを持つかどうか。
そして、
「私にそんな人がいるとしたら、・・・え?私も相手のそれなんじゃない?」
そう思いながら、自分の両手をまじまじと見つめることができたら・・・。
「私は(僕は)この手で相手を突き放そうとしていたのか」ぐらい気づけるのかもしれませんね。
それが・・・どれだけ自分にとって辛いことなのか、と。
おわりに
僕はよく「愛し方は千差万別」と言うのですけど。
そりゃ分かりやすいほどに伝わるとは思うんですけど。
自分のこの手は、この心は、相手をぶっ飛ばしたいなんて思っていない。
そこに気づくだけの自尊があると、また新しい設計図を書きたくなるみたいです。
このあたり、心を扱う順序ってけっこう大切かな、と思いますよ。
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「もっとうまく関わり合えないだろうか」
この17年、そういった方のお話を沢山うかがわせていただいてきましたよ。
どんなに辛い状況になっても、多くの人の心の根っこにはまだ愛や優しさがある。
僕はそう思っています。
まずは僕の考え方、スタンスを読んでみてください。
夫婦の問題には必ず、まだ見えていない心のロジックがある事が多いです。
思いはある、でも離れるしかない、とか。
伝えたい気持ちはある、でもなかなか伝えられない、とか。
衝突もすれ違いも、想いがなければ起こらない。
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