日常に使える心理学

いつも聞き役に回ってしまって疲れてしまうのはなぜ?

いつも聞き役に回ってしまって疲れてしまうのはなぜ?

浅野カウンセラーへの質問です。

私(男性)は、人から相談を受ける事が多々あります。
他人の話を聴く事はあっても、私自身が辛い時には聴いてもらえないという状況に陥ります。
たまには自分の話も聴いて欲しいと言うと、拒否されてしまいます。
話した内容が重たい、と言われた事もあります。

だから、自分の悩みを話す事が出来ず、他人の悩み相談を受けるだけの状態が続き、時々、ひどく疲れてしまいます。(何もしたくなくなる)

周りからは、しっかりしている、悩み事がなさそう、話を聴いてくれそうと言われます。実際は悩み事があるし、必ずしもしっかりしているとは言えないと思います。
しかしながら、周囲のイメージとのギャップが埋まらず、むしろ広がるばかりな気がしています。
相手のペースに合わせすぎて、都合のいい人になってしまい、深夜~早朝にかけて悩み相談に乗り、体調を崩してしまった事もありました。(さすがに今はやっていません)

過去にお付き合いした人もいましたが、私が悩みごとを相談すると、
「何であなたが私に相談するの?あなたは、私の相談を受けるポジションでしょ」と言われた事は未だにトラウマになっています。

私の何がいけないのか、答えを探していますが、見つかりません。

ブログネタとして、ご回答頂けたら嬉しいです。

(あきさん ※原文のまま掲載しています。)

あきさん、ネタ募集コーナーにご協力ありがとうございます。お待たせしました。今日はあなたのご質問にお答えさせていただきますね。

しかしこのご質問、切ない話ですよね。これじゃなかなか自己開示できないよ・・・と感じてしまうかもしれないですね。

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他人の話を聴く事はあっても、私自身が辛い時には聴いてもらえないという状況に陥ります。
たまには自分の話も聴いて欲しいと言うと、拒否されてしまいます。

話した内容が重たい、と言われた事もあります。

過去にお付き合いした人もいましたが、私が悩みごとを相談すると、「何であなたが私に相談するの?あなたは、私の相談を受けるポジションでしょ」

これは切ないお話というか、やるせないですよね。

誰にだって悩みもあれば、心の影の部分があるでしょうし。そういった部分を人に理解してほしかったり、一人で抱え続けるより少し表現して楽になりたいものですよね。

ただ、このような反応が周囲から返ってきている時、実は周囲の人は「あきさんのキャラクター」を変えたくない、と思っているのかもしれないですね。あなたのイメージを変えたくない、と言いますか。

そして、その周囲の反応にあきさんの心も同意しているようです。

「そうだよね、自分は話を聞く側であるべきだよね」と。

あきさんが過去にお付き合いした人は、私のことをあなたに受け止めて欲しい、という思いが強くて、そちら側(依存側)にあくまで回ろうとしていただけなのではないでしょうか。

それは相手の都合で、あきさんがその相手の提示したルールに従う必然などないけれど、あなたの心がそこで同意しているようなイメージを僕は感じますよ。

でなければ、「え?なんで?普通、たまには信頼している人に自分の話を聞いて欲しいって思うでしょ?」と言えるかもしれない。

そうとは言えない理由があきさんのココロの中にある、と考えてみると、いろいろ見えてくることがあるんですよね。

ここで、あきさんの内面にあるものが重いだの何だの考えると、余計な判断が入っちゃうので、僕はそこから考えて答えを導く方向性はあまりオススメしていない感じです。

たとえ自分の内面に、人から「重いよ」と感じさせるような話であっても、そうは感じない人だっているはずです。

もし、人の中に何か重さを感じるような話があるなら、「そんなに頑張ってきたんだね」と言える人だっているだろうし、人を愛するとはそういった「理解」を持つことですからね。

***

さて、あきさんのお話のどこが人に重いを感じられているのかまでは、書いてくださっていないのでなんとも言えないのですが。

どうやらあきさんの観念の中に「自分は人を受け止めるべきだ」というものがありそう、といいますか。

これは一般論ですが、人によっては、そうでないと人と関われない、人の役に立てていない、自分の存在理由がない、と感じてしまう方もいます。これは無価値感や酷い無力感がそう感じさせているわけですけど。

相手のペースに合わせすぎて、都合のいい人になってしまい、深夜~早朝にかけて悩み相談に乗り、体調を崩してしまった事もありました。(さすがに今はやっていません)

こういった行動の裏には、恐れや罪悪感があることが多いものですよ。体調を崩すぐらいまでやらなきゃいけない人助け、ってないですからね。それは犠牲になってしまいますし。

しかし、「人の気持ちを受け止めなければならない」と、あなたを駆り立てるような何かしらの心の動きがここにありそうですね。

もしあなたの心がそういったルールを持っているなら、人は「あきさんは人を受け止めてくれる人」というラベリングをするでしょう。

あなたの内面をそんなに深く知らない(あなたが自己開示していない)のであれば、周囲もそうするしかないでしょうから、何が良くて何が悪いという話ではありませんね。

ただ・・・そういった視点だけで、あなたの周囲の人が接してきたとしたら、ちょっと苦しいかもしれませんね。

しかし、心のレベルでは「あなたが人を受け止める側・支える側」にまわるべき理由を持っていると考えていくわけです。そうすることがアカウンタビリティ(自己責任の原則)であって、そう考えることで心のパターンを知り、手放すことができるようになりますね。

私の何がいけないのか、答えを探していますが、見つかりません。

僕は、あきさんがいけない人だとは思いませんし、あなたが人のために尽力できる事自体素晴らしいことだと思いますよ。

むしろ、このお悩みの中で「自分の何がいけないのか?」と考えてしまうことこそ、一つの限界を示していると思いますし、その限界を作ることがエゴ(自我)の罠だろうと思うわけですよ。

どこか、あなたが周囲の意見や反応で「自分の何がいけないんだろう?」と「過剰に考えすぎてしまっている」のかもしれません。

これ、罪悪感ですよね。

そう考えると、自分は悪い人・だめな人という感情が生まれますから、よりよい人にならなきゃいけないと感じるようになっても不思議ではありません。

だから人を支える側に回らなきゃ、とつい考えてしまうし、そこにあなたのエゴは正しさをぶっこんできます。

「たしかに人を支える側に回ることは素晴らしいことだし、間違っていない」と。

だからそうするべきだよ、と。

そういった状態になると、あなたとしては「自分のやっていることが人を支えることなら、それは間違っていないはず」なのにどうしてこんなに報われないの?となるわけです。

だから正しさの視点で物事を考えると、見事にエゴの罠にはまるといいますか、抜け道が見えなくなるんですね。

こういった時、僕の視点では

『どうしてそこまで人を支える側に回ろうとするのか。その理由は一体何なんだろうか』

そこを探っていくことがいい感じなんだろうな、と思いますよ。そこには何かしらの観念や、その観念を作る感情、過去の体験などがあるはずですね。そこから「誤解を解く」イメージであなたの観念や感情を向き合い手放すことができると、いろいろ感じるものが変わってくるはずです。

そもそも、あなたが過去にお付き合いした人の声を、「あなたの心が取り込んだ」のなら、こういった観念・感情が理由になっているのではないかなと思うんですよ、僕はね。

ただ、その理由まで分析できるだけのテキストをいただいているようではないので、この先は書けずで申し訳ないです。

だから一度こう考えてみてください。

「どうして自分は当たり前のように人を支えなきゃと思っているのだろう」
「どうして人に気持ちを聞いてもらっちゃいけないと思うのだろう」

ポイントは「人に望まれたら断れない」「人の期待に応えなきゃと思う」という感覚で物事を見ないことです。

どうして自分はそこまでやってしまうんだろう、とシンプルに考える。

すると、さんざんにあなたのエゴは「そんな自分が悪いのか?ダメなのか?」といった声をあなたに投げかけてくると思いますよ。その声によって私たちは常に現状に縛られちゃうわけですけど。

そこをかいぐぐりながら、本当の理由を見つけることができると「なんだ、自分って凄くいいやつじゃないか」となることが多いようですよ。

そうなると「自分自身を人に支えてもらうことへの抵抗感」も減りますから、バランスが取れるかもしれませんね。

何か参考にしていただければ幸いです。

ABOUT ME
浅野 寿和
カウンセリングサービス所属心理カウンセラー。名古屋を中心に東京・大阪・福岡で〜旅人のように〜カウンセリング・セミナーを開催。心理学は現実で使えてなんぼ、がポリシー。
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