いいか悪いかは別にして、あなたの周りにもこんな人っていませんか?
相手に良くしてもらったり。プレゼントやお中元などをもらったときに
「ありがたいけど・・・お返ししなきゃいけないから余計な気を使ってほしくないし、人から良くしてもらうとプレッシャーだから遠慮したいわ」
と言う人。
これは一つの例ですが、「いつも遠慮して人の好意を受け取らない人」がいます。
このタイプの人は、悪意なく「幸せの可能性を最小化」させてしまう可能性があるんですよね。
今日はそんな「好意の最小化」のお話をします。
Index
「好意の最小化」とは
「好意の最小化」とは、悪意なく他人の好意からの行動を止めてしまう人であり、他人の好意を受け取らず、遠慮するという体で他人の好意の価値をコントロールし、小さくしてしまうことです。
例えば、友達にいろいろ助けてもらった経験があるとして、心の中では感謝しているんだけど
「うーん、でも私が友達を『親友』と呼んでいいのかもわからないし」
「友達に良くしてもらって嬉しいけど、そんなに喜びは感じないんですよね」
なんて言ってしまう人。
恋愛で例えるなら
「確かに彼は私を大切にしてくれているけど、そんなに無理しないでとばかり伝えている」
「最近気になる男性が親切してくれるんですよね。でもそれって誰にでもやってることでしょ?」
「彼にありがとう、って言われて嬉しいけど、それってふつうのコトじゃない?といつも感じてしまう」
こういったタイプの人って、きっと悪気なく遠慮していることが多いんでしょうね。
ただ、この話をよーくを見つめていくと
「他人から向けられた好意を最小化するようにコントロールしている」
とも言い換えることができるんですよね。
自分に向けられた好意をそのままのカタチで受け取らず、いろいろな理由を使って「小さく」しているんですよ。


「最小関心の原理」が働いている場合もある
また、場合によっては「最小関心の原理」が働いている、というケースもあります。
「最小関心の原理」とは、人間関係において、相手への関心がより少ない側が主導権を握って、強い立場になるというもの。
恋愛関係で例えるなら、好きになった方より、好きになられた方が相手に対して強い立場になるということですね。
なので、人間関係の中で関係の主導権を握りたいがために、あえて相手の好意の価値を認めない言動を取る人もいるでしょう。
例えば、ものすごく尊敬できる人と関わりたいけど、相手に主導権を握られる関係を避けたい一心で、急にタメ口を聞いたり、相手に凄さや価値を認めながらもdisってみたり。
好きな人といい関係になりたいんだけど、自分が振り回される立場になることを避けたいがゆえに、好きな人の好意(行為)にいちいちケチをつけたり、不満ばかり言い始めたり。
これも一つの人間関係の中の駆け引きなのでしょうが、やりすぎると関係は良い方向には進みそうにはないのかもしれませんね。
「好意の最小化」は「回避行動」の一つ
この「好意の最小化」についてもう少し深く見つめると次のようなことが言えます。
人から好意を向けられることで嫌な気分がするので、「人の好意を最小化すれば、自分が嫌な気分にならなくて済む」。
これを言い換えるなら、「自分が嫌な気分になる行動(人の好意を受け取る)の生起頻度は減り、嫌な気分を感じない行動(人の好意を最小化すること)の生起頻度が減る」ってことですよ。
これは一つの「回避行動」を示しているんですよね。
人の好意を最小化する理由は不安にある
人の好意を最小化する人の深層心理には「何かしらの不安・怖れ」が隠れていることが多いです。
例えば
「相手からもらった好意のだけ、お返しする自信がない」
「私が相手に与えても、相手が喜ぶとは思えていない」
「よくしてもらって嬉しいけど、私はあなたが喜ぶだけ返せないよ」
といったもの。
もし自分がそう思えば、相手の好意を小さくしないと不安です。相手に愛されたからと言って手放しで喜べないんです。
だから、「相手の好意を最小化する」のですね。自分が扱っても不安を感じないレベルにまで、その価値を削るんです。
人によっては「そんなに良くしてもらっては困る」と思うのでしょう。
「相手の好意についケチを付けたくなる」気分にもなるでしょう。
人によっては「人に良くしてもらうと逃げたくなる」気分になるかもしれません。
その方法は人それぞれ違うでしょうが、不安ゆえについつい人の好意をはねのけちゃうんですね。
これ、相手の気持ちを考えるとどんな気持ちがするでしょう。
「自分なり想いを小さく扱われる」わけですからちょいと残念な気持ちになるでしょう?
遠慮することが悪いと僕も思いませんが、しかしこのパターンを放置しておくと、知らず知らずのうちに「幸せな恋愛の可能性を最小化」してしまうこともあるのです。
人の好意を最小化したくなる理由
人の好意を最小化したくなる理由は大まかに分けて2つあると考えられます。
一つは、「自分自身が不安に対処する方法を失いたくはないから」です。
もう一つは「自分の価値を見失っていたり、自分を厳しく評価しすぎている」です。
『私が愛しても、私が頑張っても、私なりに思いを伝えても、それは大した影響力を持たないし、おそらく届かない(かもしれない)』
そう思えば、やっぱり何らかの形で自分が嫌な気分にならないように振る舞いたくなるものかもしれません。
ただ、このときの感情としては「自分には価値がない」という感覚をもたらす無価値感の影響が見えてくる、というわけです。


このような不安が深層心理で強く影響していると、やっぱり自分を肯定的に見つめることが難しくなるんですね。
その結果、自分の不安に意識が向いてしまって、喜ぶよりも先に不安に対処したくなるんです。
できれば、そんな不安は手放したいですよね。
しかし、なぜかこの苦しさを手放そうとする人は意外と少ないのかもしれません。
むしろ自分が感じている感情に興味を持つよりも先に、傷つかないように対人関係の距離を取ったり、人の好意を遠ざける方法を使い続けている方のほうが多いんです。
その理由こそ「人の好意を最小化する」という、不安への対処法に慣れすぎているからなのです。
だから、自分自身も寂しかったり、相手の好意をはねのけて申し訳ないと感じていても、ついつい人の好意を拒絶するわけです。「好意の最小化」を卒業して人の好意を受け取れるようになるための対処法
もし自分自身が「他人の好意を悪意はないけど最小化しているなぁ」と思うなら、一度考かんがえてみてください。
「好意の最小化」という「不安の対処法」を使い続けるかどうか、をね。
その上で、次のような意識を持って行動していただくと、人の好意の価値を下げない人との関わり方ができるようになるやもしれません。
「許し」と「感謝」を使うこと
ここで登場するキーワードが「許し」「感謝」なんです。
許しや感謝も自分の不安に対する対処法の一つ、といえます。
特にここでの許しは「自分に禁止しているものを許す」ことになります。
人の好意を受けとることを自分に許す。自分にそれだけの価値があることを謙虚に認めていくことですね。その結果、相手の好意を最小化しなくなるわけです。
ただ、いきなりここに取り組んでも結構しんどいことも多いんです。そもそも人の好意を受け取ること自体が不安なのですから。
そんなときは、「感謝」を使うといいんですね。
どんな些細なことでも「ありがとう」と伝える習慣をつけてみることです。
これも不安に対する上手な対処法として作用し、気分が良くなっていきますから、その上で人の好意に触れ、受け入れていくといいですね。
まぁ、偶然でも何でもいいのですが、自分自身で上手に不安に対処できるようになれば、「好意を最小化する」という問題も解決の方向の向かっていくことが多いのです。
人によっては「相手の価値を最小化できないほど心から尊敬できる人との出会いをキッカケに、人の好意を上手に受け止められるようになった」という経験をされた方もいるでしょう。
それは敬意や感謝を持つことで、自分の不安と上手に付き合えた結果なのだと思います。
が、なかなかその偶然を待っているのも時間がかかる場合は、カウンセリングなどで自分の内面を見つめていくという方法が有効でしょうね。
もちろん「許し」も「感謝」一つの手段であって、他にも方法はありますよ。
最後に
いかがでしたでしょうか。
「あなたによくしてもらって嬉しいけど、私はあなたが喜ぶだけ返せないよ」
もしそう思う人がいるなら、それこそ「すごくいい人」だと思いませんか?
しっかり「お返ししたい」「相手を喜ばせたい」という思いはあるってことですからね。
その素晴らしい自分にふさわしい対人関係の作り方や、不安への対処法を使うこともまた、自分を愛することにつながると僕は思いますよ。
本当の幸せを見つめる・見つけるカウンセリングが人気!
心理カウンセラー浅野寿和のカウンセリングのご利用方法はこちら。