浅野さん
こんばんは。
昨年別れた元彼のSNSをつい覗いてしまい、複雑な気持ちになっている私に、どうか喝(?)を入れていただきたくご相談させていただきました。
数年のお付き合い後、お別れを決意したのですが、その理由は色々で、すれ違いが多いとか価値観だとか、そんな事を何度も言われ、彼からどんどん突き放されてしまってる思い込み、そんな気持ちに耐えられなく別れました。
彼とははじめからLINEでしか繋がっていませんが、お互いほかのSNSもしています。
彼は知ってか知らずか昔から全公開で投稿していて、繋がっていない私も見ることができてしまいました。
元々、週末はドライブなど出かける派の彼でしたので、投稿をみては、相変わらず週末を楽しんでるのだな、と、さらに突き放されたような置いてきぼりにされたような気にもなってしまいます。
彼は常に人物をフレームにおさめるのを嫌がるので、風景や建物などしか写っていませんし、同行者がいるなども分かりません。
彼の休日が充実していることにホッとしつつも、今の自分が日々の生活を楽しめていないことなどを比べて、落ち込んでしまうようなところがあります。
未だに、同じ時間を共有したい、共に生きたいというエゴのようなものがしつこくあります。
新しい彼女ができたかなど知る術もなく、ただただ、お互い一人に戻ったのに、私ばかりダメな状態なんじゃないかと考える日々です。
(私なりに彼と別れてから、資格など取ったりしてるのですが、ほとんど、それも価値のあるものに思えないのです。
もちろん為になる資格ではあるのですが、ただの暇つぶしで取ったもの、という感覚がとても大きいです。)
彼のSNSを見る事をやめる。ということからはじめなければいけませんね。。
ネタ募集ネーム:あやさん
あやさん、ネタのご協力ありがとうございますm(_ _)m
おまたせしました。今日はあなたのご質問にお答えしますね〜。
なるほど、今回のご質問は「昨年別れた元彼のSNSをつい覗いてしまい、複雑な気持ちになっている私に喝?をいれてほしい」とのことですね。
では、僕なりの喝?をまとめてお届けしたいと思いますが、まぁ喝じゃないですよね、今必要なのは。
カウンセリングでもよく「別れた人のことを思い出してしまう」「未だ過去の恋愛から立ち直れていない」というお話を伺うことは稀ではありませんよ。
その中で「元カレのSNSをつい覗いてしまう」と伺うこともありますよ。
どこかで「元カレのSNSを覗き見るって、私、ちょっとやばくない?」とお感じになっているからこそ、見ることを止めたいと思っていても止められなかったり、悩んでいても人には話せないものかもしれませんよ。
もちろん多くのみなさんが「SNSを見なきゃいい」と分かっておられますよ。
でも見てしまうわけですよね。それこそが「どうしたらいいか分からない状態」だと思うのですよね。
では、このような状況に陥ったら、どのように考え、対処していけばいいのかについて解説していきますね。
よろしければどうぞ。
大好きだった元カレのSNSを見てしまうのは普通のこと?
率直に申し上げて「大好きだったけれど別れた人のSNSを覗き見てしまうこと」は、十分に起こりえることですし、特段問題行動だとは言えないと僕は考えています。
※実際に相手を追いかけたり、何度もコンタクトを取り続ける行為に関して肯定しているわけじゃありませんので念の為。あくまで「覗き見る」ということについてお話しています。
僕がこのようにお伝えする根拠については後でまとめて書くとして、まぁ元カレのSNSを見ない人もいるが、つい見てしまう事も起こりえるもの、ということです。
特に。自分から別れを告げたのではなく、相手から別れを告げられた、突っぱねられたのであれば、よりSNSを覗き見たくなると言えます。
この心理状態は「元カレへの恋愛感情が完了していない状態」と言えます。
未だ未消化で表現されていない元カレへの思いが残っていればいるほど、ついSNSを見てしまうものなのです。
別れが何が辛いか?といえば、愛されないことではなく「もう相手を愛せない」ことなんです。
もう相手のために何もしてあげられない、関わってはいけない、連絡してはいけない、幸せにしてあげたくても何もできない。
そう思うことが何より辛い。自分の愛情を自ら止めなきゃいけなくなりますからね。
そういった気持ちを禁止していればしているほど、苦しいですし、欲求も強くなるんです。
いわば、また自分の思いを伝えたくなっちゃうんですね。
そう考えると、あやさんが書いてくださっている「彼の休日が充実していることにホッとしつつも」といった感覚は、未だ残っている元カレへの愛情によるものと考えられますね。
しかし、多くの方がその思いを理性で抑えつけるわけですよ。
ときにはそんな自分を責めたり罰してしまうこともあるわけです。
だって「もう別れたんだから」と。
ただ、「自分が別れを告げられた側」であればあるほど、「自分の思いは受け止めてもらえなかった」という感覚を残しやすいものなんですね。
言い換えれば、まだ伝えきれていない思い、相手を愛したい気持ちが残っちゃうんです。その気持ちが表現できず、自分の中で消化できたり、愛せないことで自分の喜びが全く満たされないので「今の自分にがっかりしちゃう」感覚が出てくるのです。
いわば、愛せない自分(ちゃんと愛せていない・愛させてもらえない自分)でいればいるほど、「自分の存在って何なんだろう?」と疑ってしまうものなんです。
もちろんそんな自分を肯定することも難しくなります。つい自分を否定的に見たり、疑いの視点で捉えやすくなってしまうのです。
それぐらい私達は「誰かに貢献したい・愛したい」と感じている存在であって、それが達成できない時、自分にがっかりしてしまうのです。
また、二人がお付き合いしているプロセスで「私が元カレのことを上手に愛せていなかった(だから別れたんだ)」という後悔を残している方ほど「加害者意識〜うまく愛せなかったのは私〜」を感じます。
この加害者意識を隠すために「なんで愛してくれなかったのよ」といった被害者意識を持つようになる人もいますね。
このような心の動き、その根底には、「自尊感情〜誰かの役に立ちたい・喜びになりたい〜」という感情が影響しています。
この感情があるからこそ「誰かを愛せない私」を受け入れられず、許すことができない、と感じるわけですね。
「SNSを見るな」は、「もう愛するな」と言われているようなもの?
そう考えると「別れた彼のことなんて忘れちゃいなさいよ」「SNSを見なきゃいいのよ」という意見は、別れを経験した方へのエールだとも考えられますし、事実として正しい意見だと僕も思いますよ。
もし、自分の友達が悩んでいたら、相手のことを思ってついそう言いたくなちゃうものかもしれません。
ただ、僕はこうも考えるのです。
SNSを見るなという考え方が間違っているわけではない。
けれど、どこか元カレへの愛情(感情)が未消化のままの方や、元カレへの「後悔」「愛したい気持ち」が残っている方にとっては、「忘れられない自分が悪いんだ」と感じちゃうかもしれないな、と。
つまり、「SNSを見るな」という言葉は、「もう彼のことを思ってもダメだし、愛しちゃダメなのよ」と、他人に言われているようなものだ、とも思うのです。
かつ、自分で「SNSは見ないようにしなきゃ」と思うことは、いわば「自分で自分の愛を否定する」ってことにもつながりかねないと僕は考えています。
だから、辛い失恋の後から恋愛がうまくいかなくなった、急に自信が感じられなくなる、なかなか元カレのことが忘れられない、なんてことが起きるのです。
それもこれも「自分の愛情を否定するようなこと」ばかりを続けてしまうからこそ起こることだろうと僕は考えています。
なので僕が「つい元カレのSNSを覗き見てしまう」というお話を伺うと、「それはしゃーないですよね」「事情があることですよね」とお伝えすることが多いんですね。
ただ、こういったお話をさせていただくと、「でも、元カレへの執着というか、私が元カレのことばかり考えてしまってSNSを見てしまう意思の弱さが悪いんじゃないんですか?」というお声が飛んできます。
そんなとき、僕はこうお答えしています。
「そりゃ自分の愛情を自分で否定すれば意志も弱くなるんじゃないでしょうか?」と。
確かに僕たちは「自分の意見や思いを否定すること」を通じて、より成長できることがありますよ。
自分の意見だけが正しいと思いこむのではなく、相手の意見に耳を傾け、そこから学びを得たり、時には反対の意見を聞くことで成長できることは大いにあります。それぐらいおおらかに、かつバランスよく物事を捉えていたいものですよね。
ただ、その否定の目的は「自分の成長のため」です。
心理学でいう防衛としての作用、「自分を責めることで受け入れたくない感情を受け入れないようにする」という意味ではないのです。
だから、自分の愛情(存在価値)を否定したり、もう元カレを愛さないためだとか、失恋の傷を隠すために、自分を否定することは辛いことだと僕は考えています。
そもそも自分の存在を否定するような部分から癒やしも自己肯定感も生じないのです。むしろ自己肯定感が下がり、かつ、自分で自分を追い込むことに繋がってしまいます。
もし、自分を愛を否定する勇気を持つとしたら、それは「よりよい愛し方、価値観、知恵、発想」を得るため手段だと僕は考えていますよ。
それは、もっともっと自分の事情を理解して、感情を整えて、元気になってから「どうすればもっと上手に愛せるだろうか」と考えていければいいんです。
つまり、もし元カレのSNSを覗き見てしまうなら、それこそ「自分を見つめなおし、癒やすとき」だと僕はお伝えしたいのです。
自分を捉え直し、未処理の感情を処理していこう
だから、例えば「元カレが元気にしていることで安心できるほどの気持ちを持つ自分のこと」をしっかり見つめ直してみてほしいな、と思うのです。
なぜ、元カレが元気にしていると安心するでしょう?
もし相手のことを恨んでいるならもっと怒りが湧いたり、超ムカつくはずですよね。
それぐらい、あやさんにとっての「別れ」って苦渋の決断だったのではないでしょうか?
できれば、元カレの誤解を解きたいとか、もっと上手に元カレを愛してあげたい、私の気持ちを伝えたいと願われていたのではないでしょうか?
そうでなければ、僕は元カレに対しての思いって残さない、すなわち「SNSを見たくはならないのではないか」と見ていますよ。
きっと愛したのはあなた、なのでしょう。
だから、ついついまだ愛したくなってしまう。
でも、それができるのは私じゃない、って思う。
そんな我慢の中で過ごしていたら、元気もなくなっちゃいますよね?
*
そんなときは、まず自分の気持ちにフォーカスして見るんです。
よくカウンセリングで行うプロセスは「シンプルな感情の解放」です。
彼に言いたいこと、伝えそびれたことがあるなら、それを我慢しているだけで苦しいんです。それが恨みつらみのような言葉であっても、好きだったのは自分ですからね。
そんな未だ開放されていない感情をひとつひとつ丁寧に紡いでいくのです。
それこそ、私の大切な気持ちのはずですからね。
ときには涙も流れるでしょうし、ときには痛みを感じたり、自分を責めたくなることもあるかもしれない。それこそ「愛せなかった」という加害者意識(罪悪感や無価値感)です。
でも、それは誤解なのです。本来は愛を届けたいと思っていた自分にふさわしくない感情なのです。
そこを丁寧に手放していくことが、癒やしの道。
つまり、「SNSを覗き見たくなってしまう自分を手放す方法」とは、「私がどれだけ元カレを大切にしていたか」「相手を喜ばせたかった」という気持ちに気づき、自分を許すことなんです。
その気持ちに気づけたとき、元カレのことも解放してあげたくなるんです。
忘れよう忘れようと努力しなくとも、「もういいよ」「今までありがとう」「幸せにね」と思えるようになるといいますか。
どこか二人が対等だったことにもう一度気付けるのです。
ここまでたどり着くと、ぐっと気持ちも楽になって、自分を誇らしく感じられるようになりますよ。
そのように自分の内面との対話を進めていくといい効果が得られると思いますよ。
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