こんにちは。

心理カウンセラーの浅野寿和です。

今日は、少し深い話をしてみたいと思います。

「どうして私はこんな形で生まれてきたのだろう」

こう思ったことがある方のご相談をお受けすることことがあります。

たとえば・・・

人の気持ちが分かりすぎる。

共感しすぎてしまう。

相手をまるっと受け入れようとしてしまう。

それが自分の自然な在り方なのに、子供の頃から、なぜかうまく噛み合わないことが多かった。

友達とも気持ちが通じ合わない。

家族にも分かってもらえない。

ただここに私としているだけなのに、なぜか場から浮いてしまうような感覚さえ覚える。

・・・うーん、切ない話ですよね。

そういった経験に対して、「辛かったね」「苦しかったですね」と共感してもらうことはあると思うんです。

でも、正直に言うと、そんな言葉はあまり役に立たない、というケース、僕は結構見てきました。

なぜかというと、そのつらさや苦しさの中でも、その人は一生懸命生きてきたから。

つらかった、は分かっている。

なぜそうなってしまうのかについても、散々考えてきた。

それでも自分の中で折り合いをつけながら生きてきた。

しかも、紆余曲折がありながらも、今は成功を収めていたり、結果を出されてきた。

ただ、それでも心の中の何かが埋まっていない感じがする、とか。

なぜか恋愛やパートナーシップなど、近しい人の関わり合いがいつも壊れてしまう、とか。

そういったお悩みを抱えて折られる方がいらっしゃるわけです。

心理学やカウンセリングにある意味ヒントを求める、いわば期待を持ちつつも、しかし何を聞いてもしっくりこない、という実感を感じている方のお話です。

そんな方の心の根っこには、全てじゃないですが

「どうして私はこんな形で生まれてきたのだろう」

そんな問いが存在していることも少なくないんですよね。

自分の意味を、外の世界に求めていくことは、きっと自然なプロセスだった

「自分の今までの人生に、意味があったのだろうか」

今がどれだけ自分らしい生き方を選べていたとしても、生きていくことに困っていないとしても、そういった問いが心の中から消えない。

そんなお声を実際にうかがうわけじゃないですけど、ご相談をうかがっていると、そういったニュアンスを感じ取れることがあります。

そして、この疑問、仕事や恋愛、夫婦関係や子育てに熱を入れることで埋めようとすることさえあるのだろう、と僕は思っています。

「私って何?」

文字にすると簡単ですが、あまりに深いその問いへの答えを、外の世界や自己実現、人との関わりなどに求めていくような感じ、というか。

そういった方の中には、こう思う方もいます。

「もし私に何らかの意味や才能があるなら、それを使い尽くして生きていきたい」と。

たとえ何かを失っても、自分が何かを諦めないといけないとしても。それでも誰かのために生きよう、と。

だから、仕事に情熱的になる。

パートナーをまるっと受け入れようとする。

困っている人に手を差し伸べ続ける。

尽くす、献身的になる。

その覚悟を持つ、というか。

それは「自己犠牲」じゃなく、願いであり思いだと思う

その気持ち、個人的にめちゃくちゃよく分かるんですよね。

ただ、この世界ではそれを「自己犠牲」と呼ばれることもあるのかな、と思います。

実際、犠牲的な要素がないわけでもないだろう、とも思いますし。

でもそれ、要素はあったとしても、僕は「犠牲」とはとても呼べない、と思っています。

もちろん苦しくないわけじゃない。傷まないわけでもない。

ただ、それって犠牲ではなく、願いであり思いだと思うんですよ。

傷つくことや苦しむことを肯定したいわけじゃなく、そこには本当に願っていることがある。

それは自分が関わる人の幸せであり、大切な人のためにできることをしたい、という気持ち。

同時に、何もせず自分の意味が見えないことに対する恐れもあるんでしょう。

ただ、こういった感覚を共有できる場所や人がいないと、ただの「考えすぎ」「頑張りすぎ」「与えすぎ」という話になってしまう。

・・・そこが、一番しんどいところだと思うんですよね。

「愛着の問題」で片付けられない話がある

この手のパートナーシップのお悩みは「愛着の問題」と言われることがあると思います。

「不安定な愛着関係が根っこにある」と。

僕もそういった視点を使ってお話をうかがうこともありますし。

それを否定する気持ちはないんですよね。

実際、そういう方もいらっしゃるのだと思うし。

でも、そうじゃない方もいるのだろう、と思っています。

私を愛してくれる人がいなかったわけじゃない。

家族に恵まれなかったわけでもない。

ただ、自分の中で感じていたことがあって・・・。

この世界の中で、「私」は「違う」のかもしれない、と。

ここでの「違う」とは、ある意味異端、という意味も含まれることもあるし、一緒ではない、一緒にいてはいけない、という感覚になっていることもあります。

明確に誰かにそう言われたわけじゃないけれど、でも、そう感じていた。

そういったお話もあります。

実際、世の中を生きていると、なぜか、避けられたり、疎まれることもある。

「変な人」という目にさらされることもある。

自分の行動の結果や成果だけを見て、その力や魅力を嫉妬する人もいたりする。

「なんであんたなんかが?」と。

そういった経験をするたびに、自分がいけないのか、という認知が強まることもあるんでしょう。

私ってそこまで協調性がないのか、と悩む人さえいる。

でも、僕が見る限り、その人のことが分からない人たちが、恐れに煽られて批判している、という構図になっていることが少なくないんです。

分からないのはお互い様、というか。

でも、こちらは責めていない。攻撃性も持っていない。誰かの邪魔をする意図は毛頭ない。

しかし、責められる。理解されない。答えもない。

・・・その状況から「人を信じない」という答えを出す人もいるでしょう。

でも、そうじゃない人もいてね。

そういった人は知っている。理解されないということの痛みを。

だから、理解する側に回ろうとする。人を支え、癒し、整える側に回ろうとする。

全てを受け入れようという意思を持とうとする。

「私は何者なのか」という問いを抱えながら、ね。

それが結果として、一般的にいう「受け入れすぎる」「自己犠牲」という形になってしまうことがある。

・・・そういう話なのかもしれないんですよね。

その人を本当に尊重するとはどういうことか

だから、僕はふと思うことがあります。

その最後の部分だけを見て、「自己犠牲」「愛着の問題」と言うのは、本当にその人を尊重していることになるんだろうか、と。

もちろん、犠牲であること、痛みの影響であること、愛着に問題があるという指摘を否定するつもりはないですよ。

そう見える部分があることも知っているので。

ただ、そう言われ続けてきた方って、社会の通説や心理学で一方的にぶん殴られてきた、という側面もないわけではないんでしょう。

そして、何を学んでも、誰に聞いても、問いが解けない、という葛藤もあったのかもしれない。

・・・うーん、なんか切ない話ですけど、そういったことも実際にあるんだと思うのです。

もちろんその解けない問いの答えは、自分で出すことになるのでしょう。

ただ、答えを出すとしても、参照先がない、考え方がわからない、としたら、もう出しようがないというか。

だから、自分で答えを出すためにも、人を愛し受け入れる、という選択を取り続ける人もいなくもないのではないか、と。

・・・それが本当の愛かどうか、という議論は、あまりに残酷なので僕はしたくないですけども。

一緒に見つめていく場所としてのカウンセリングがあってもいいと思っています

この話の奥に眠っているのは

「どうして私はこんな力や魅力を持って生まれてきたのだろう」

という、深い問いと自分への疑いなのかもしれません。

その答えを僕が出せるわけじゃないんですけどね。

いわゆる真実や真理などという言葉を安易に語るつもりもないですから。

ただ、一緒に見つめていって、とりあえず今落ち着ける場所を探し続けていく。

そんなカウンセリングが、僕のライフワークなんだと思っています。

この話、どこか引っかかるものがあったなら。

よかったら、話しに来てください。

僕でよければ、いつでも。

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