日常に使える心理学

若くて性格も良い女性を見て嬉しそうな男性を見るたび気分が落ち込みます

浅野カウンセラーさんへの質問  

いつも浅野さんのブログを拝見させて頂いています。

私は40代ですが、職場で若くて性格も良い女の子を見る
上司や男性の同僚のうれしそうな表情や態度を見る度、
注目されなくなった自分に、寂しくなってしまいます。

毎日こんな気持ちですごすのは、虚しくて嫌なだけだし、
時間の無駄だと頭ではわかっていても、気持ちが落ち込んでしまいます。

どうしたら、この気持ちから逃れる事が出来ますか。
どうぞよろしくお願い致します。

ネタ募集ネーム:菜々子さん

菜々子さん、おまたせしましたm(_ _)mネタのご協力ありがとうございます。

今日はあなたのご質問にお答えしますね。

今回のご質問は

「職場で若くて性格も良い女の子を見る上司や男性の同僚のうれしそうな表情や態度を見る度、注目されなくなった自分に、寂しくなってしまいます。」

ですね。

「毎日こんな気持ちですごすのは、虚しくて嫌なだけだし、時間の無駄だと頭ではわかっていても、気持ちが落ち込んでしまう」ということも含めて。

たしかに「落ち込んだ気持ちでいてもいいことない」って分かっていても、しかし落ち込んでしまうことってあるかもしれませんよね。

いわば「分かってるけど、そうなってしまう」といいますか。

また今回のご質問のような「自分以外の他者が取る態度や行動」ってコントロールできるようなものでもないですよね。

むしろコントロールしようと思えば思うほど疲れる割にメリットが少ないものかもしれません。

でも、今のまま過ごしていても気分が落ち込んじゃうとしたら、ちょっと切ないですよね。

そんなとき、どんな風に考え、どう行動していけばいいのか、について僕なりにお伝えしたいと思います。

よろしければどうぞ。

「どうして嫌な気分になるんだろう」から考えてみる

さて、まずは僕らしく理屈っぽく考えてみようと思います(^^;

一切感情的な話は省いた話になっちゃいますが、ご理解ください。

今回のご質問、その内容をバラバラにして考えてみるとこんな感じになるかな、と僕は思うのです。

  • 「自分以外の若くて性格のいい女の子」に対して
  • 「職場の同僚や上司などの男性」が「嬉しそうにしている」
  •  その状況を「見る」ことで、「私の気分が落ち込む」

その上で「菜々子さんの気分が落ち込んでしまう理由」について考えてみましょう。

すると、「菜々子さんの外側で起きていることが、菜々子さんの気持ちを刺激する」なんて風に考えるなら、次のようなことが言えるかもしれません。

  • あなたが「自分以外の若くて性格のいい女の子」を見ることで、気分が落ち込むになる可能性。
  • 「職場の同僚や上司などの男性が嬉しそうにしていること」で、気分が落ち込む可能性。

このように切り出してみると、さてはてどう思います?

ただ、これは僕の勝手な推測になってしまうかもしれませんが

あなたが「職場の同僚や上司などの男性が嬉しそうにしていること」だけで気分が落ち込むとしたら、それって「あんたら楽しそうでいいねぇ(私は楽じゃねーよ)」的な思いがあるとき、ってことにならないでしょうか。

例えば、自分自身が必死こいて仕事して、めちゃめちゃ忙しくしているとき。

周りで笑ってる人や嬉しそうにしている人を見ても「嬉しそうでいいねぇ」なんて思う余裕を失ってしまうこともあるのかな、と思うのですけどね。

周囲の人が嬉しそうだから気分が落ち込むとしたら「自分が他の男性のように喜べない理由を抱えていて、実際に喜べないこと」で落ち込むのだと思うのです。

一般的な例で言うならば「人前で心からいい気分でいることができない」的な意味合いです。

ただ、今回のご質問は、この点について書いてくださっているわけではなさそうだな、と僕は思うのです。

だとすると、

あなたが「自分以外の若くて性格のいい女の子」を見ることで、気分が落ち込むになる可能性のほうが強くなるのではないかな、と思うんです。

どこか「若くて性格のいい女の子」は、男性を笑顔にできるけど・・・みたいな感じ。

要は「職場の男性の嬉しそうな表情」は「あなたの気分が落ち込む際のトリガー(きっかけ)」であって、気分が落ち込む理由そのものではないということかな、と。

だとすると、

あなた自身が「若くて性格のいい女性」と「自分」を「比較している」ときに、気分が落ち込む

と考えてみるといいんじゃないかと思うんですよね。

つまり、これは比較の罠なのではないか、ということです。

比較の罠とは

比較の罠、とは自分と他人とを比較するとき、「絶対に勝てない比較を行うこと」だと思ってみてください。

僕たちはついつい自分と他人を比較することがあると思うのですが、それが「切磋琢磨」という意味合いなら価値もあることになるんですよ。

「相手がこれだけ頑張ってるなら、私も」と思えるなら、とても前向きな気持ちになりますからね。

ただ、この比較が「罠」として作用しているならば、ネガティブな意味合いでの競争意識が強まるということになります。

つまり、他人の長所(良さ)と、自分の短所(悪い部分と認識していること)の比較行われていることがほとんどでしょう。

かつ、この比較はは「そもそも始めた時点で、絶対に勝てない比較」なのです。

だから、この比較にハマる人ほど、いわゆる嫉妬、陰口、足の引っ張りあいなどを通じて、相手の価値を引出げようとする「引き下げの心理」が働く場合も少なくないんですよ。(おそらく菜々子さんの場合はそうではないように思えるのですけどね)

これを言い換えるなら

比較対象(今回の場合は若い女性)を使って今の自分を罰している、と感じでしょうかね。

比較の罠の最大のデメリット

この比較の罠にハマると、何が大変か(何が最大のデメリットか)といいますとですね。

「素直に他人の長所を認められない」ということだけでなく

自分の短所を愛し受け入れられなくなる」という部分なのですよ。

そもそも人間はいつも最高の自分でいられるわけでもないし、完璧でいられるわけでもないわけですよ。

短所・欠点があっていいですし、それは無くならないし(無くす必要もないし)。

むしろ短所・欠点があるから、愛されたり、人からの支援を受け入れることも可能になるものなんです。

が、他人との比較の罠にハマると、「他人に負けている自分」という認識が強まっちゃうので、

「自分はなにか足りないんじゃないか(不足感)」
「自分はもう大切なものを失ってしまったのではないか(喪失感)」

といった感情が強くなってしまうことが少なくないんですよね。

すると、そういった感情を抱く自分を否定的に見てしまうんです。

どこかつらい気持ちを抱えている自分というものを責めることはあっても、まるっと受け入れたり愛することが難しくなっちゃうんですね。

だから、人によっては、承認欲求が(一時的にであれ)強まり「誰かに愛されたい、認められたい」と思うようになることもあるかな、と思います。

平たく言えば「必要以上によく思われたい」と思うようになることもあるのです(周囲の人がどれだけ自分をよく見ていても、ね。)

つまり、この比較の罠にハマっている限り、他人との比較によって気分が落ち込むことから逃れることはできない、となります。

逆に言えば、比較の罠を手放せば、比較的気分は安定するってことでもあるんです。

もちろん比較の罠を「悪いこと」なんて断定できるわけではないのですよ。人はついつい自分と他人を比較してしまうものでもあるので。

ただ、「自分がしんどい」という意味では手放していいことかな、と思うんですよね。

比較の罠を持つとどうして辛くなるのか

「自分と他人と比べること」、あるいは「過去の自分や未来の自分と比べること」を相対的幸福認識と呼びます。

一方、何かと比較することなく感じる幸福を絶対的幸福認識と呼びます。

心の世界では、「絶対的幸福認識」を入れることで真の意味で幸せ感じることができるといわれているんですよねぇ。

つまり、自分が「幸せだ」と感じられることが重要ってことなんです。

人と比較することで幸福を認識しようとしてもあまり幸せだとは思えないのです。

逆に言えば、人と比較することで気分が落ち込んだから、他の誰かよりも幸せを実感したいと思って頑張っても、そんなに幸せって感じられないってことなんです。

繰り返しになりますけど、お互いに切磋琢磨するような競争には意味があるんですけどね。

「問題を自分の真実に変換する!」というパワフルな思考を使ってみよう

もし、菜々子さんが

「若くて性格も良い女性を見て嬉しそうな男性を見るたび寂しくなってしまう」

とするならば。

あなたは周囲にいる男性を喜ばせたいと思っていたり

若くて性格の良い女性に「いいね!素敵だね!」といえる自分でいたいと思っているのではないでしょうか。

でなければ、気分が落ち込むなんてこと、起きないだろうと僕は思うんです。

もし「へ?周囲のおっさん?そんな興味ねーし」「若い可愛い子?そういった子もいるよね〜」と思えているなら、いいか悪いか別にして「無関心」もしくは「自分と相手の境界線がきちんと引けている」ということなんですよ。

だから、凹むこともなきゃ、比較することもない。

あえて極端に書きましたけど、理屈としてはそうなっちゃうわけです。

だとするならば、菜々子さんは

「周囲にいる男性を喜ばせたいと思う自分」「若くて性格の良い女性にいいね!といえる自分」を大切にすればいいんだと思うんです。

自分の中にそれぐらい「周囲の人を喜ばせたい」って気持ちがあると思ってみる。

とりあえず、そう思ってみることがいいんじゃないかな〜と僕は思いますね。

すると、なんとなく「自己否定」に気づけるかもしれません。

実は自分が自分を必要以上に否定的に見ていることに気づけるはず。

この自己否定をある程度でもいいので手放すことを考えてみるといいと思いますよ。

そのときに結構使えるのが「私って人のことを喜ばせたいと思ってんじゃんね」という意識なんです。

そう思えるから、自分を許せるといいますか、否定を止めることができるといいますか。

逆に「でも、私は人のことを喜ばせられないじゃん」と思えば、気分は落ち込むって考えて見るんです。

 

ただ、ここには自分の中の天使と悪魔の戦いが存在することも多いんですよ。

「そっか、そんなに落ち込むってことは私が人を喜ばせたい人なんだよね」という天使の声と

「いやいや、そもそもさ、今の自分じゃ喜ばせられないんじゃねーの」という悪魔の声。

ここが思い切りぶつかって、いわば葛藤していることが多いでしょう。

だから、自分の意識を変えようと思っても、どちらを信じていいか分からずウンウン唸っちゃうかもしれません。

そんなときほど、人の助けを借りてみてください。

特にあなたの味方、信頼できる支援者と触れ合ってほしいんです。
(傷をなめ合うだけの関係や、甘い声をささやくだけの人は避けてほしいのですが)

あなたの価値を知る人、あなたのことをいいねと思ってくれる人との関わりを大切にしてほしいんです。

その人達の影響をいい意味で受けてみると、一人でウンウン唸るよりはラクに自分を認めることができるようにになると思いますよ。

いわば、人との出会いを求めたり、信頼、つながりがあると、自分の疑いを抜け出しやすい、って感じですね。

最後に

こういった他者との比較の話においては、まず自分の意識のあり方に来づけるかどうかが大切かなと僕は思うんです。

誰に頼まれたわけでもないのに、しかし何故か自分のあり方に疑問を感じ、否定的に見てしまうと、自分が見るものすべてを嫌悪刺激として感じてしまうなんてことも起きるんです。

だとしたら、「今の自分のあり方をどうフォーカスするか」で、自分の感じ方も変わってくるものなんですよ。

ないものを見るか、それともあるものをみるか。

(でき)ないものを見る、ということは現状認識と覚悟が必要なこと。

あるものを見る、ということは自分を大切にしてその価値を見るということ。

僕はどちらも必要なことだと思うのです。

ただ、万が一「自分にないもの・失ったもの」ばかりみるとしたら、現状認識とそれを受け入れる覚悟しかしない生き方になっちゃうので、なかなかしんどいし、喜べないと思うんですよね。

特に失ってしまったことばかり見る傾向がある方って、以前から「今までの自分がサボったこと、してこなかったこと、チャンスでチャレンジしなかったこと」を意識することが多いのかな、なんて思うことがあるんですけどね。

ただ、既に終わった事柄からは「学ぶ」ことが重要で、今の自分を責めてもしゃーないといいますかね。

だとしたら、少し自分の意識のあり方を客観的に見つめてみたり。

ときには、今の自分にあるものを見ること、今までのキャリアや経験などの価値を受け入れてみることも一つの方法なんだと思うんです。

もちろん今まで頑張って生きてきた自分をねぎらったり、自分にご褒美をあげてみてもいいと思います。

そのあたりの視点、気持ち、感情などバランスを取ってみるといいと思いますよ。

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