恋愛の心理学

「やっぱり私の愛って役に立たないんじゃん」と思ったときの処方箋

恋愛で疑問を持つ女性

「やっぱり私の愛って役に立たないんじゃん」と思ったら

これは僕がカウンセラーという仕事をさせていただいているからかもしれませんが。

「やっぱり私の愛って役に立たないんじゃん」

そんなお声を伺うことも少なくないんですよね。

恋愛でも、夫婦関係の中でも、子育て中の方からも、お仕事の中でのトラブルでも、親子の間でも同じなんですけどね。

具体的には、彼や彼女と別れることになったり、夫婦関係をを構築しても終わりを迎えたり。

自分としては一生懸命に子育てやお仕事などに関わっているのだけど、なかなか良い結果や評価が得られなかったり。

このとみ、感情としては「無力感」を感じている状態であるといえるでしょうね。

だからこそ

「結局私にどれだけ気持ちがあったって、相手に何も伝わらない。

私がどれだけ相手のことを思っていたって、結局なんの意味もないんでしょ。

やっぱり私の愛って役に立たないんじゃん。

そんな気持ちになる私って何なんでしょう。そもそも私に意味ってあるんでしょうか。

そして、今の私の気持ちは、一体どうすればいいんでしょう。」

無力感を感じると(感じそうになると、が正確かな)このようなかなりしんどい気持ちを抱えることにもなるんですよね。

時には怒りが湧き出たり、ただただ悲しみに打ちひしがれたり、人によってはもっと自分を嫌いになりそうで怖くなるかもしれません。

なので「今の私はどうすればいいのか?どうすればまた前向きな自分に戻れるのか」というご相談をいただくこともしばしばです。

ということで、今日は「やっぱり私の愛って役に立たないんじゃん」と思ったときの処方箋について考えてみたいと思います。

よろしければどうぞ。

「やっぱり私の愛って役に立たないんじゃん」と感じる理由

もし、あなたが何らかの理由で「やっぱり私の愛って役に立たないんじゃん」と思うなら、先に書いたように「無力感」を感じている(感じそうだと思ってる)状態なのでしょうね。

無力感とは、私には力がない(愛がない、魅力がないなど)と感じている状態。

ここには「打ちひしがれる」という言葉が添えられることが多いんですけど、まぁベッコリ凹んだり、自分自身になんの意味も価値も感じられないような、ときには屈辱的な気持ちにすらなる状態でもあります。

この感情が他人に投影すると「人なんて信じられない」となる場合もあります。

恋愛などでは「オトコなんて信じられない」「女性は信用できない」なんて思いになる場合もあるでしょうね。

まぁそう感じるものある意味当然といえば当然だと僕は思っています。

そう感じるだけの出来事が起きているならば、無力感を感じることも(嫌ですけど)不自然なことではないでしょう、という意味ですけどね。

では、どんなときに無力感を感じるか、というと

多くの場合は「(自分が思うように)与えることができなかったとき」となります。

恋人に、パートナーに、子供に、家族に、職場に、何も貢献できていないし、与えることができていないと感じている自分を「無力な存在だ」と認識しているのです。

つまり、無力感に打ちひしがれる状態の前提には「与える意思や行動」があるはずなのですよね。

だから「やっぱり私の愛って役に立たないんじゃん」という悲しみが溢れてくるわけですよね、きっと。

それがもう辛くて悲しくて虚しくてやってらんないわけですよね、きっと。

 

僕はこのような理解をしているので

「そもそも与えようとか、愛そうとしていない人が無力感を感じることはあまりないだろう」

と考えています。

つまり「やっぱり私の愛って役に立たないんじゃん」という心の声は文句ではない、と僕は考えているんです。

文句や不満ばかりいい続けている人でも、理想ばかりを追いかけるプライドが高い人でもないだろう、と。

ただ、今は「自分が思うように与えられなかった」という気持ちが強く、その分だけうまく与えられなかった自分を許せず、責めてしまっているのかもしれませんよね。

無力感を避ける行動を起こす人もいる

この話を逆に解釈すると、こんなことも言えますよ。

例えば、自分自身が「無力感を感じたくない」と強く思っていると

「絶対に勝つ勝負しかしない」とか「パートナーと積極的に関われない」「相手の影響を受け入れない」なんてことが起きる場合もあるわけです。

例えば、浮気した側、パートナーを放っておいた側、子供を心から愛したいのにうまく愛せない親の側などなど、個々の事情はあるのせよ

「相手にちゃんと与えられていない」

と感じる立場にいればいるほど、これ以上無力感(自分は人を喜ばせることができないという気持ちなど)を感じないように振る舞うなんてこともよく起きることなんです。

これも一つの感情の回避ではあるんですけどね。(それがいいかどうか別にして)

心の深いレベルでは「相手にちゃんと与えられていない」という自分を許せずにいる(許したら避けていた無力感を迎え入れることにもなる)ということでもあるんでしょう。

それぐらいに無力感は、多くの方にとって感じたくはない感情なのです。

そして、無力感を引き受けるぐらいなら否認して遠ざかりたい、と思う人がいても不思議ではないということ、かもしれませんね。

「私の愛って役に立たないんじゃん」と思ったときの処方箋

さて、ここからは「やっぱり私の愛って役に立たないんじゃん」と思ったときの処方箋についてまとめていきたいと思うのですけども。

もしあなたが「やっぱり私の愛って役に立たないんじゃん」と思ったならば。

まず、「今のその気持ちを否定しないこと」からはじめてみることを僕はおすすめします。

今の気持ちを否定しない

今の気持ちを否定しないとは

「やっぱり私の愛って役に立たないんじゃん」と感じている自分(気持ち)を否定しない、ということでもあるのです。

なぜなら、今の自分を否定するってことは、その根っこにある「愛したい・与えたい気持ち」まで「意味なんかねーんだよ」と自分で蹴散らすことにもつながるからです。

むしろ根っこにある「愛したい気持ち・与えたい気持ち」がうまく伝わらずにつらい思いを感じている状態が、無力感を感じている状態ですからね。

自ら「自分の気持ちになんて意味なんてねーんだよ」といいながら、ガチで「愛したい・与えたい気持ち」まで否定すると、もう全てが嫌になると言うか、何もかもやってられなくなっちゃうんですよね。

まさに「やっぱり私の愛って役に立たないんじゃん」という悲しみが強まってしまうんです。

なので、「やっぱり私の愛って役に立たないんじゃん」という気持ちがあるなら、その気持ちが自分の中にあると認めて、心の声を聞くほうが得策となるのです

・・・が、その気持ちを一人で抱えて感じ続けるのもしんどい話ですよね(^^;。

なので、時には、あなたのことを理解し受け止めてくれる人に話したり、気持ちを分かち合うことを優先させるほうがいいでしょう。

また、この状態にあるとき、あなたにとっての仲間や家族などの味方が「そんなことないよ、あなたはあなたでいいんだよ」と伝えてきても「うるせー!」みたいな気分になることもあろうかと思いますが、それもまた自然な反応だと思いましょう。

「自分で自分を良いと思えているなら悩んでねーし、悲しんでねぇよ!」

と思うほど、

「今、自分自身が「無力さ」を感じているんだな、その自分を蹴散らさず丁寧に扱って行くときなんだな」

まぁ辛いときほどそう思えないものだと僕も思うのですが(^^;

しかし、少しづつでもいいので、このように考えてみていただくといいのではないでしょうか。

ある程度、感情を受け入れることができれば(時間がある程度必要かもしれませんが)、その次に進めることでしょう。

無力感を感じて打ちひしがれたときほど、その後の自分との向き合い方次第で、その後の展開がガラッと変わることも多いものです。

ここはできる限り良い方向に進んでいただきたいと願うばかりなのです。

逆に「もう無力感を感じたくない」と逃げようとすると

例えば無力感を感じたくないから、

「もう恋愛はしない」「もう一生懸命頑張ることはやめる」「もう誰も愛さない」という

いわば諦める気持ちだけに走ると(一時的にそうなることはしゃーないことですが)

無力感から逃れられたようで、実は逆に逃れられなくなってしまうのですよ。

一時的に気持ちは楽になりますが、その後「愛する・与える自信や勇気」を感じられなくなることも起こります。

例えば、次また誰かを愛したり、何か与えようと思うとき

「でもまた私じゃダメなんじゃないか」「また無力感を感じるんじゃないか」

そんな不安にかられて行動できなくなってしまうことが増えるのです。

だから、無力感を感じているときほど、やっぱり無理はできないし、きっちり丁寧に感情の処理はしておきたいところ。

できるだけ丁寧に癒やしを進めて、「愛する・与える自信や勇気」を取り戻すことが重要になってくるんですね。

自分の中の本当の気持ちを見つけて大切にしよう

ある程度、気持ちを受け止められてくると、次のステップに進めるようになることが多いです。

ここでは、自分の愛情や思い、与えたかった何かを思い出し、その価値をちゃんと感じることが重要になることが多いですね。

具体的には

「私はあのとき、相手に何を伝えたかったんだろう」

「そのとき、私はどんな気持ちで、どんな思いを伝えたかったんだろう」

これを真摯に、率直に思い出して、もう一度自分に許すことです。

無力感や自己否定感(ときには他者の批判なども含まれる)は、この率直な与えたい気持ち、愛したい気持ちを「意味ねぇよ」と否定してしまうわけです。

ただ、同時に

「もうさ〜、これから誰にも何も与えなければ、誰も愛さなければもうあんなつらい思いをしなくて済むよ」

と語りかけてくるんですね。

これは愛さない、与えないという意思というより、無力感の回避行動なのですが、こうなると更に「本当に伝えたい気持ち」「与えたい気持ち」を表現できず、二次被害的に「私は何も与えていない・誰も愛していない」という罪悪感を感じて、更に自分を毒扱い・モノ扱いることにもつながりかねないのです。

 

だから、繰り返しになるのですが

「私はあのとき、相手に何を伝えたかったんだろう」

「そのとき、私はどんな気持ちで、どんな思いを伝えたかったんだろう」

これを真摯に、率直に思い出して、もう一度自分に許すことが重要なのです。

 

もし、もう会えないパートナーがいるなら、その人に。

もし、目の前にわかり会えない人や上手に愛せない特濃する人がいるなら、その人に。

もし、うまく貢献できていないと感じる対象があるなら、その対象に。

あなたは何を与え、どんな自分を表現したかったのでしょう?

 

それを思い出し、実際に表現できる自分につなげていくことで

「やっぱり私の愛ってすごいじゃん」

と思える私を見つけるプロセスそのものだと僕は思っています。

 

そして、どのプロセスを歩むかの決断は自分自身のみによってなされるものですよ。

ぶっちゃけた話をすれば、僕も「どの選択をしてもその方の自由」と考えていますし、僕からも「どちらが正解」と言えるわけでもないと思っていますよ。

ただ、自分自身にどれだけの素晴らしさ、愛、幸せ、豊かさを許すのか、という視点で見れば、答えは一目瞭然かな、とは思っています。

少なからず、無力感をなかったことにしたり、避けたり、押さえつけるのではなく、無力感を感じた経験を「私の中にある価値や素晴らしい気持ち」に気づくターニングポイントにすることも可能になるんですよね。

 

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