罪悪感は、愛の皮を被る。|なぜか愛し合えない問題を紐解く視点
こんにちは。
心理カウンセラーの浅野寿和です。
今日は、「愛しているから、罪悪感を選ぶ」という、言葉にすると「なにそれ、矛盾していない?」と感じるテーマで書いてみたいと思います。
こういった感覚、心当たりがある方もいるかもしれませんねぇ。
相手のために苦しい思いをする。
自分を痛めつけてでも、関係を守ろうとする。
犠牲してでも、愛し続けようとする。
それだけ気持ちがある、ということだから。
・・・そう思っていませんか?
今日は、その「愛しているから」という言葉の中に、何が入っているのかを、一緒に見てみようと思います。
Index
愛せないことが、罪のように感じる
愛せないことが、罪のように感じる。
こういう感覚を持つ人が、少なくないんですよ。
好きな人を思うように愛せない。
大切なパートナーのために、十分なことができない。
家族のために、もっとしてあげられるはずなのに。
そういう感覚が積み重なると、「愛せない自分は、罪を犯しているようなものだ」という気持ちが生まれてくることがある。
で、その罪悪感が、愛の代わりに居座り始めるんです。
本来「愛」があるべき場所に、「罪悪感」が座っている。
愛しているから動くんじゃなくて、罪悪感があるから動く。
でも本人には、その区別がつきにくいんですよね。
「愛しているから無理をする」という言葉で包まれていると、そうなりやすいというか。
たとえば・・・
ただ相手のことが好きで一緒にいたいと思っていた人が、関係がうまくいかなくなった途端、愛される自信を失ったり、自分の愛し方に疑問を感じたりする。
だから、自分を否定する人もいれば、自分のやり方を貫こうとする人もいる。
その結果、ただ愛し合いたいだけなのに、どんどん苦しくなっていったり、ケンカや対立が増えてしまう。
そんなこともあるんじゃないか、と。
愛せないことは、罪じゃない
ただ、ここで少し立ち止まって考えてみると、どうでしょうね?
愛せないことって、本当に「罪」なんでしょうか。
好きな人を手放さなきゃいけない状況になった。
大切な家族のためにできることが限られている。
どれだけ思っても、うまく伝わらない。
これ、罪ですか?
僕は、違うと思うんですよねぇ。
これは罪じゃなくて、悲しいこと。切ないこと。苦しいこと。
愛せないことへの痛みは、罪悪感じゃなくて、悲しみとして感じていいものなんです。
その二つは、似ているようで、全然違う。
罪悪感は「償わなきゃいけない」という方向に人を動かす。
悲しみは「確かに向き合いたくはないけど、感じるもの」というものなんです。
・・・まぁ、たしかに悲しみと向き合うと、今まで抱えていた相手への想いの形が変わってしまうかも、という話もあるんですが。
罪にすることで、愛の価値が上がる気がする
もう一つ、正直に書いてみます。
「愛せないことを罪にする」ことで、どこか愛することの価値が高まる気がする、という感覚もあるんじゃないかと思うんですよ。
苦しんでいるからこそ、本気だと証明できる、というか。
無理をしているからこそ、それだけ気持ちがある、というか。
その感覚、分からなくもないんです。
ただ、実際には、罪悪感で愛の価値は上がらないんですよ。
罪悪感は愛を重くするだけで、愛そのものを豊かにはしない。
罪悪感も恐れもない、愛の話
そもそも愛することって、苦しくも競争もない世界なんです。
「あの人より私の方が愛している」という比較もない。
「もっと愛さなきゃ」という強迫もない。
ただ、そこに愛がある、という状態。
愛することは、本来そういうものだったんじゃないかな、と僕は思っています。
ただ、僕たちは時々、自分の愛というものよりも、自分の今の気持ちや優先することがある、というか。
辛い、悲しい、苦しい、だけじゃなく、愛おしい、傍にいたい、嬉しいといった気持ちを優先して生きている、というか。
だから、自分の愛が届かない?と思う分だけ、届かない自分を責めたり、伝わらない現実をなんとか変えようとする。
もちろんそれが罪ではないんだけど、積み重なると「本当に私は愛される人間なのか?」「私は本当に愛そうとしているのか?」と疑いはじめちゃうんですよね。
その荷物、ずっと重くなかったですか
「でも、私は上手く愛せないし、愛し合うことが難しいと感じている」。
そう思った方がいたなら、こうお伝えしたいかな。
それ、できないんじゃなくて、罪悪感という重たい荷物を持ったまま愛そうとしているから、しんどくなっているだけかもしれないんですよ。
荷物を下ろせば、愛することはもう少し軽くなる。
罪悪感と悲しみを区別できるようになると、その荷物が少しずつ下ろせるようになってくる。
ずっと重たいものを持ち続けてきた、ということに、まず気づくことから始まるんですけどね。
90分で、この話をもう少し丁寧に
この話、もう少し丁寧に、90分かけてお伝えする場を作ろうと思っています。
テーマは「罪悪感と愛を区別する」こと。
罪悪感が愛の代わりに居座る構造を理解して、その荷物を少し下ろすための時間にしたいと思っています。
あと・・・余談ですけど、実際にパートナーシップを持っている方にとっては、「相手の愛のカタチが罪悪感から生じているとしても、それを一旦受け取る方が関係は良くなる」こともあるので、その話も含めて。
ぜひ楽しみにしていてください。
今日はここまで。
続きにこの記事もどうぞ
ここまで読んでくれたあなたは、きっとずっと、一人で考え、頑張ってきた人だと思います。
本来は成し遂げたかったことがある。愛したかった人がいる。傷つけ合ったり、対立したくはなかった。
でも、上手くいかなくなってしまうとしたら、そこにもきっと善悪を超えた”理由”があるんですよ。
そして、あなたの中から「本当の気持ち」は消えていないんじゃないかな、と。
まずは僕の考え方、スタンスを読んでみてください。
「愛しているのに、伝わらない。」
「このままでは、離れていってしまいそう。」
「恋愛や夫婦関係が、なんだかこじれてしまっていて。」」
こういうお話、カウンセリングでよく出てくるんですよ。
多くの方が「きっと自分に問題がある」「私が変われば関係も良くなるはず」と思いながら来てくださるんですよね。
そこまで自分と向き合おうとしていること、それ自体がすごいことなんですよ?ご存知でした?
ただ、その先の答えは・・・
あなたが今向いている方向とは、全く逆の方向にあるかもしれませんけどね。
その理由を一緒に見て、考えていきませんか。それが僕のカウンセリングです。
東京(品川駅前)/名古屋(金山駅前)で対面式カウンセリング・全国向けにオンラインカウンセリング(ZOOM)を行っています。
カウンセリングがどんな場所か、実際に来られた方の声も読んでみてください。
記事には書ききれない話を、メルマガに書いています。
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そう思いながら週3回書いています。
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